いい香りが漂ってきて、ネーナは目を覚ました。
大好きなパン。お母さんが毎朝焼くパンの匂いだ。
「おはよう! 今日もいい天気ね」
ネーナはパジャマのまま台所へ飛び込んだ。
お気に入りのぬいぐるみは耳を持たれて、引きずられてる。
お母さんは窓から空を見あげてみた。
雨こそ降ってないけど、雲でいっぱいだ。
ネーナに着替えてくるように言うと、次のパンのための仕込みに入る。
一人できちんと着替えることができて、ネーナは戻って来た。ぬいぐるみも一緒にね。
お母さんはパンの生地をちぎりながら丸めてたよ。
「どうしてパンはふっくらするんだろ?」
昨日も、一昨日も、その前もその前も思ったことをネーナは口にした。
「それはね、イースト君たちががんばってくれてるからよ」
お母さんも、いつもと同じように教えてくれた。
お母さんが丸めたパン生地が並んでる。
昨日から仕込んで、発酵させていたパン。
ネーナは毎朝やるように順番につついていきながら聞いたよ。
「ここにイースト君たちがいるんだね。がんばったんだね」
「そう。だからこそ、パンはふっくらと焼き上がるの」
そこでまたパンが焼き上がったみたい。
お母さんがアッツアツの窯を開けてみると、台所いっぱいに香ばしい匂いが広がった。
でも、今日はネーナはちょっと怖いことに気が付いて、ぬいぐるみを抱きしめたよ。
パンを焼くとき、一生懸命働いたイースト君たちはどうなるんだろう?
ものすごくがんばったのに、あんなに生地を膨らませてくれたのに。
もしかして……もしかして……
お母さんはネーナの様子に気が付いて、優しくお話してくれた。
たしかにイースト君たちは死んじゃうけど、イースト君たちのおかげで美味しいパンが食べられる。
だからパンを食べる時には、いっぱいいっぱい感謝しなくちゃね。
ネーナは焼き上がったパンをもって食堂へ持ってった。
そこではお父さんが苦いコーヒーを飲みながら、新聞を広げてる。
最近はお父さんは難しい顔をしてることが多いね。なんだっけ、ちきゅうだんおんかとかそんなことを言ってた。
でも今はパンだよ。おんおんかなんて、おいしいパンでやっつけちゃえ。
「はい。今日のパン」
ネーナはちゃんとお父さんにも教えてあげたよ。
「いっぱいがんばってくれたイースト君たちに感謝して食べようね。
だって、もうイースト君たちは死んじゃったから」
お父さんは、新聞をたたみながら教えてくれた。
イースト菌が生地に入っているデンプンを栄養にして増えていくこと。
イースト菌がデンプンを消化しながら、炭酸ガスやエタノォル(アルコォルってものの一種だって)を作っていくこと。
ガスのおかげでパンが膨らみ、エタノォルによっていい香りが出ること。
そしてパンは6000年近くも前、シュメールの昔から作られてきたこと。
「シュメールでは、海からオネンアスって人たちが上がってきて、人々に文化を教えてくれたっていうね。オネンアスは宇宙から来たなんて話もあるよ。
もしかしたら、パンの作り方も彼らから教わったのかもしれない。
シュメール語でパンは、"ニンダ"っていうんだってさ」
ネーナにはちょっと難しかったけど、最後だけはわかったよ。
「ニンダ」
彼女はアツアツのパンを見た。
お父さんもにっこりしながらパンを見た。
「でも最初は、イースト菌は使ってなかったんだ。
酵母入りのパンはシュメールじゃなくて、エジプトで作り始められたって言うねえ」
そこへ、パン作りがひと段落したお母さんもやってきたので、みんなで朝ごはんを食べたよ。
ネーナのおうちの煙突からは、いつまでもパンを焼く煙が上がっていったね。
煙は上へ上へと登っていく。
イーストを焼いた煙はやがて、空が暗くなる高さまで上がっていった。
そこにはオネンアスの船が浮かんでいて、地球を見下ろしていたよ。
「大気の状態は十分、土壌や海洋の様子も申し分ないかと」
「主星をほぼ6000周回弱ってところか。予定通り、頃合いだな」
そして彼らは地球をこんがりと焼いて、朝ごはんにいただいたというわけ。
ここまでがんばってくれた地球の生き物に感謝しながらね。