孤独な抹消屋

 この手でまた世界を救った。これで6回目だ。
 並みいる大国相手に遠隔テロを繰り返し、ついに核のボタンを押させる決断をさせたナイジェル・ゴールの命を刈り取り、帰還したのがつい15分前だった。
 いつものように報告のために"社長"にお目通りする。"社長"とよばれているソレは、大小様々のコードを身にまとった培養ニューロンサーキットで、要するに人工知能体だった。だがそれはそれで問題はない。むしろ人間には不可能な演算を行い、俺たち社員に的確な指示を出すことができるのだからありがたい話だ。俺たちは社命に従い、世界を滅亡させることになる人物を消してまわる。さっきも言った通り、俺はすでに6人の人間を抹消してきた。社員の正確な人数は把握していないが、少なくとも俺一人ではない。"社長"はだいぶ古いサーキットで、いつからこの仕事を回しているのかわからないが、世界を幾度となく救ってきたのは確かだった。

「ナイジェル・ゴールだって……? あのなリンドリー、俺がそいつのことを知るわけがないってわかっているだろう」
 俺と共にバーのカウンターにつき、隣で酒をあおりながら奴は言った。「お前だって、南プロイセン連合国のシュミッツ将軍なんて聞いてもわかるまい。俺たちの仕事はそういうモンなんだよ」
 そう。俺たちの仕事は、同僚同士ですら共有することはできない。俺は先日、遠隔テロリストのゴールを抹消した。その結果、ゴールの手で滅亡を迎えるはずだった世界は救われたのだ。俺は"将来のテロリスト"であるナイジェル少年を殺したのだ。どうやって? それは過去に戻ることで可能となる。全ては"社長"が有する素晴らしき機能の為せる技だ。
 過去へ送りこまれて首尾よく仕事を終えた後、俺は何をするでもなくただ待つ。するとやがて、異物を押し返そうとする時間の作用が働き、元の時代へと帰還する。そこにしか俺が収まることができる時間帯はないというわけだ。そうして戻ってくると既にナイジェル・ゴールは存在していない。もちろん世界を滅ぼすこともありえない。
 今や誰もゴールの存在を知り得ない。隣で飲んでいる、同じ生業の男であってもそれは同じだ。そして俺もシュミッツなんて名は聞いたことがない。そいつが悪名をとどろかせるずっと前にいなくなってしまったのだから、知っているわけもない。それに南プロイセンだって? シュミッツとやらと共に立ち消えになった、幻の国というわけだ!

 だが"社長"は別だ。人ならぬ"社長"は俺の業績を知っていて、評価してくれている。そうでなければ社として成り立たない。しかし、存在の可能性を失った未来の犯罪者をどうやって認識しているというのだろう。俺は思い切って、その疑問をぶつけてみた。
「我が優秀な社員にして、世界を6度護ってきた英雄、リンドリー・ウォルバーグ。貴方の疑問はもっともです。ですが、タネを明かせば簡単なことなのですよ」
 古ぼけたサーキットはそう言って、耳障りな音をたてながらチカチカと小さなランプを点滅させた。
「どうか教えてください。俺は自分の功績を誰にも誇れないことを苦に感じています。
 同僚たちは俺が成しえたことを経験的に知っています。俺も彼らが大きな仕事を成功させたことを疑いません。……しかし、それは"そういうものだ"ってだけで、俺が成し遂げたことを本当の意味でわかってくれる者は誰もいないんです。
 世界を何度も何度も何度も救っても、俺は孤独です。世界を救ったっていう事実も、俺の中にしかない。俺がそう思っているだけで、もしかしたらゴールなんていなかったのかもしれない。ギルバートも、ミヤモトもアフ・ジャールも、ミックヘルに崔も。連中が俺の妄想の産物じゃなかったっていう、確かな証拠が欲しいのです……!」
 "社長"は再びライトをチカつかせた。「私は、貴方を含めた全社員を過去へ送り出すときに標的についての情報タグをつけています。貴方たち人間の脳の片隅、ほとんど使われていない領域に。私は戻ってきた貴方たちのタグを読み取り、過去、確かにその者が殺されている"事実"を確認するというわけです。
 リンドリー、誇ってください。貴方は確かに世界を滅ぼすことになる人物を6人葬っています。世界大戦で劣勢になり、全世界を道ずれにしたアメリカ評議国のギルバート大統領、原油枯渇を引き起こしたFFJの頭目アフ・ジャール、プロジウム爆弾の実用につながる理論を打ち立てた崔博士、軍事衛星をハッキングして連鎖的に狂わせていったミックヘル、オウミ5型壊疽菌のキャリアーだったミヤモト。そして核戦争の引き金となったゴールは、いずれも実在していた人物たちです」

 しかしそんな言葉も、空虚に響くだけだった。何も言わず、俺は退出した。これ以上は無意味だ。
 結局のところ彼ら6人は俺の脳の中、記憶の中にしかいないのだ。俺は彼らを刈り取ると同時に、彼らが刈り取られるべき理由すらも消してしまっていた。

 優秀だった社員、世界を6度救ってきたリンドリー・ウォルバーグはその日、退職希望届を出した。
 自分が世界を救ったのだという実感が得られず、虚しさだけに取り憑かれ、この素晴らしい仕事に喜びを見いだせなくなってしまったのだった。

 そこで、彼には最後の仕事が与えられることになった。同じ道を辿った多くの先達たちと同じように。
 標的となったのは、どこにでもあるようなアパートメントの一室に閉じこもってよくわからない研究に没頭している一人の少年だった。少々太り気味のその少年はデゥーヴ・ポポロットという名前で、これまでの仕事と同じように、ほぼ無抵抗のまま、抹消された。
 そしてしばらくたつと、いつものようにリンドリーは時間から異物とみなされ、元居た時代へと送り返された。

「また貴方が殺された世界が増えましたよ、デゥーヴ」
 どこにでもあるようなアパートメントの一室で、培養ニューロンサーキットのオルガノンが言った。それを聞いていたポポロット博士はまたかと毒づく。
「並行宇宙の覗き見はいい趣味とは言えないぞ、オルガノン。万が一、よそ様に迷惑をかけてみろ。すぐにお前を分解してバラバラにしてやるからな」
「誤解ですよ。ただ、私はどうすれば世の中が良くなっていくだろうかと日夜思考を重ねるだけです。
 最近いい方法を思いついたんです。時間を遡ることで、邪魔者が力を得るまえに抹消してはとね。もっとも、時間逆行を実現するにはまだまだかかりそうですが」
 ポポロット博士は、自分の被造物がまた妙なことを言い出したと身を乗り出した。
「過去改変か。だがそれだとその時点から宇宙は分岐することになるだろう。残念ながら、元の宇宙における恩恵は皆無だ」
「その通りです、デゥーヴ。ですが、それを繰り返していけば、一歩一歩目的に近づいた宇宙を生み出していくことができる……そうではないですか?」
「人間様の視点から言わせてもらうとだな、成功した並行宇宙がいくらできようともあまりうれしくはないが……
 ところでオルガノン。つまりお前がワシを抹消しているってことか?」
 サーキットは例の小さなライトをチカチカさせた。こういうとき、この機械は小さな嘘をつくことがあるのだ。
「とんでもありません。私を作ったのは貴方なんですよ、デゥーヴ。私には自分の存在を抹消する理由が見つかりません」

 もう仕事はなかった。同僚も、会社も、"社長"すら存在していなかった。
 誰に聞いても、過去に戻る方法なんて知らなかった。戯言とかえって一笑に付されることになった。これまでの全てが夢だったかのようだ。相変わらず世の中にはゴールもギルバートもアフ・ジャールも崔もミヤモトもミックヘルもいなかったが、数か月もたつ頃にはそれももうどうでもよくなっていた。

 リンドリー・ウォルバーグはもっと実感のある、やりがいのある仕事を見つけることだろう。なにしろ彼は優秀だ。きっとそうなる。

 そして世の中を護る仕事は、別の宇宙の、彼ではない新しい優秀な社員が引き継ぐのだ。
 新人が活躍すればするだけ、その宇宙はリンドリーが引退した宇宙よりも理想に――"社長"であるオルガノンの理想に、一歩近づく。こうして世を乗り換えながら、より良い未来が作り出されていくのだ。


戻る