‌殺しの円卓

「こちらへどうぞ。ご案内しましょう」
 丁寧な物腰だが、気に入らないと男は思った。狭く暗い通路へと誘うこの優男の態度には、どこか人を馬鹿にしているような、そんな部分があった。
「……“円卓”とやらは、随分奥まったところにあるんだな。コソコソ隠れているってわけか?」優男の眼差しに苛つかなかったといえば嘘になる。男にも自尊心はあった。嫌味の一つぐらい、口をついて出てくるというものだ。
「この通路を進む間に、同じようなことを言われた方は四人目です」案内人は端正な唇に微笑を浮かべた。「この業界に身を置く方は、皆どこかそういう気概をお持ちなのですよ……挑戦者とでもいいましょうか」
 挑戦。男は相手の言葉に今一度己の心の中を探ってみた。先ほどまでの苛立ちがつまらないものとなっていくのがわかる。呼吸も、心音も、全てが冷たくなっていく。
 もう言葉はいらなかった。やがて彼らは通路の行き止まり……大きな一枚板の扉の前に辿り着いた。この先に“円卓”があるのだ。世界最高峰と称される殺し屋たちの座が。
 存在を知られるなど、二流の証。巷でまことしやかに言われる言葉だ。だが、標的が別の同業者を雇っていることも多いこの業界、相手を知らぬことは死につながる。一流は一流を知らねばならぬ。殺し屋たちの情報網は密かに織り上げられた……今、案内人に連れられて扉の前に立った男も、一流として認められる域に達したが故に、“円卓”の存在を知り、そして己の価値を知らしめるためにやってきたのだ。優男が言うように、それは一種の挑戦だった。“円卓”に席を求めるのであれば、誰かが座っている椅子を奪い取るよりないのだから。

 扉には鍵がかかっていなかった。ゆっくりと押し開き、中を一瞥した彼の表情が曇る。小さな円いテーブルに椅子が六つ。丸い部屋の壁に灯はともっていたが、席についている者は誰もいなかった。男は案内人を通路に残して後ろ手に扉を閉め、中に入った。本当に誰もいない。一番近くにあった椅子の背を見てみると、そこには名前らしき文字が彫り付けてあった。ジェスター・ホプキンス……聞いたこともない名だ。
「皆様、お忙しい方々でして」優男の声に、男はぎょっとして顔を上げた。一体いつの間に入ってきたのだろうか。動く者の気配など無かったというのに。
 優男は椅子の一つに腰を下ろした。「ギルバート・F・アディントン、この円卓に椅子を欲する君は何者だ?」
 口調が変わった。その眼には先ほどまでの馬鹿にしたようなところは一切なかった。ただ、光の差し込まない奈落そのもののような二つの孔に過ぎなかった。対するギルバートもまた、冷静さを取り戻していた……まるで、殺しの現場にいるかのように。彼はナイフを円卓に突き立てた。
「俺はこいつ一本で四〇三六人を殺した」
 優男の目が細まる……先ほどまで纏っていた空気が戻ってきたようだった。だが、ギルバートはかえって殺気を強めた。「数だけを誇るような無差別殺人じゃない……どいつもこいつも殺意に満ちた馬鹿野郎どもだった」
 ギルバートの殺気をものとせず、優男は円卓の上で組んだ指をくねらせた。
「要するに、ギルバート。君は『とにかく多く殺人』、あるいは『道具を用いた殺人』の席を望んでいるというわけだ」
「……? どういうことだ?」
「我々の仕事は、突き詰めれば単に命を奪うということに他ならない。そうだろう、ギルバート?」
 ギルバートはうなずくしかなかった。
「つまり、その最高峰とはたった一人だけということになってしまう。この円卓、いや我々一流の情報組織の存在意義は、よき仕事を行うためにお互いを識ることにある……一人だけではそれは成り立たない。わかるかい?」
「殺しの手法によって、席が用意されているというわけか」ギルバートは吐き出すように言った。「まるでお遊戯だな」
 相手は空の五つのうち、一つの席を指さした。
「その椅子は、とある国で英雄とされる将軍のものだ。彼は『とにかく多く殺人』の座の持ち主でね。命令一つでいくつかの国の兵士や住民を殺しつくしたよ。君はさっき何人と言っていたっけ……? そうだ、四〇三六人だったね。彼はその何十倍も殺している。しかも、今もなおその人数は増え続けていてね……次の戦争がはじまったんだ」
 ギルバートは、その主のいない椅子を見た。「……『道具を用いた殺人』のほうはどうなんだ?」
「たった一つの爆弾で全世界の人間を殺しかねない奴がいてね」優男は薄ら笑いを浮かべながら別の椅子を示した。「そいつのために予約されているんだよ。まさしく狂人さ。もう爆弾は完成しているし、星の核を砕く計画も完璧だ。そして何より、それを実行に移せるだけの地位を得ている……科学者なのさ。僕らの仕事の一つは、彼を止めることだが、まだ成しえていない。この席が予約席なのは、彼を超えるスケールの殺人者がいないからだ。我々が知る殺し屋は誰一人、彼の足元にも及ばない……ナイフ一本で四〇三六人じゃ、とてもとても」
 ギルバートは目の前の椅子を蹴飛ばした。「なるほど、ご立派な連中ってわけだ! 他にはどんな席があるってんだ? お前の座っている椅子は何の椅子なんだ!?」
「あわてるなよ、ギルバート」男は微笑を湛えたまま答えた。まるで子供をあやすような声だった。
「君が倒した椅子は『素手での殺人』のものさ。まあ、君が挑戦できそうなのはこいつだけだね……その隣は『法による殺人』だ。さっきも言った大量殺人の英雄殿が活躍している戦争にゴーサインを出した政治家のものだが、もうすぐ交代になるだろう。某国で選民政策が実現まで秒読み中でね。こいつが通ると、死者があきれるほど出る……」
 壁の灯りが揺らめいて、ギルバートが突き立てたナイフにの刃がぬらりと光った……映画か何か作り物のような、そんなわざとらしい煌めきのように見えなくもない光沢だった。
「……こっちの椅子は『環境変化における殺人』のものだ。毒殺なんかも含まれる。こいつはちょっと特殊でね。比較してみると仕方ないことなんだが、南米の森林に与えられている。酸素という猛毒を恐ろしい規模で生み出しているからね。あらゆるモノは酸化して死に至るんだ……君の自慢のナイフだってそうさ。この席を人間の手に奪還できるといいんだが、なかなか見どころのある奴がいなくてね。何しろ規模が違いすぎる」
「もういい、戯言は十分だ!」ギルバートはナイフを引き抜いた。「こんなところまで来た俺がバカだった。時間の無駄もいいとこだ……!」
 彼は扉に手をかけ、振り向いて言った。「それで、お前は一体どんなホラ吹きなんだ?」
 優男は手を打って笑った。
「ホラ吹きか! 確かにね……ああ、僕かい? 僕は『善意による殺人』の席をいただいているんだ。世の中には余計なお節介ってやつがあるよね。いやぁ、僕は恥ずかしながら、その手の才能があるらしくてね。どうにも全てが裏目になって出てくるんだ。悪気はないんだよ、本当に。でも事実そうなんだから仕方が」
 扉が音を立てて閉じられた。
 訪問者が去った後、優男は一人、誰に聞かれるでもなく続けた。「……最後まで聞いてくれなかったね、ギルバート。僕のことも同じようにもっと知ってもらいたかったのだが……きっと君のためになったのに」

 ギルバート・F・アディントン。ナイフの達人。彼はその後も殺し屋として名を売った……しばらくの間は。たしか四二〇〇人程をあの世に送ったあたりで、彼自身が最後の一人として加わったはずだ。彼は生前、殺し屋は孤独な職業だと言って憚らなかった。己以外、何も信用できるものなどないと。そのせいで仕事で鉢合わせた同業者――ホプキンスという名の男――によって止めをさされたのだ。彼は敵を知らなかった。素手による絞殺だった。
 一流の連中は噂した。ギルバートが死んだのは自業自得だ……視野の狭さが命取りになったのだと。だが、彼もまた一流と評された男だったはず……どうしてギルバートがそんな偏狭な考えを持つに至ったのかについては、誰も知り得なかった。  


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