「よう、久しぶり」
体感的にはちょっと長めの遠出から戻ってきたばかりで、ぼんやりと佇んでいたところに誰かが声をかけてきた。声といっても、ついさっきまで慣れ親しんできた音……空気の振動による伝達方法ではない。ここではそんなものは必要なく、念じればそれだけで相手に伝わる。我々がそれぞれに持つ固有の波動の応用でコミュニケーションは事足りるのだ。波形は皆バラバラで同じものは存在しないので、名前も必要なかった。もっとも、個別を識別するために名前を用いる種は少ない。こんなことを考えるのも、自分が先ほどまで個人名を持っていたからかもしれない。
「もう“次”を探しているのかい? それとも、少しのんびりするのかね?」
「お察しの通り、たった今終えてきたばかりでね、それすらまだ考えてないってところさ」
私は相手に聞き返した。「そっちはどんな塩梅だい?」
「そうさなぁ」奴は奴とわかる独特の波動を返す。「もう少し早いサイクルで回そうかと思っているんだ……ここしばらく長めの種を選んできたんでね」
自分も80年程の旅を終えてきたばかりだったので、同意できるところもあった。なにしろ最後の数年ときたら痛みと苦しみに苛まれ続けてきたのだ。「さくさくと回すのも悪くないかもな」
「まだ“前の”が抜けきってないようだな……ちょっと間をあけることをお勧めするよ」相手は私の抱く葛藤の残滓に笑いながら去っていった。
奴との付き合いも長い。何世代か前には同じ胎から生まれた兄弟だったし、そのちょっと前には生まれたばかりの自分が、死にゆく奴を食った記憶もある。だが、そうそう世代交代の時期が重なることもないし、この次そういう関係が生まれるのはいつになるやらだ。そんなことを考えながら、私は奴を見送った。奴が行く先に、“次”へ向かう連中が集まっていくのがわかる……もう出立するつもりなのだ。一体どんな種を選ぶつもりなのだろうか。
精神的存在の総数は如何ほどか……考えたこともない。自分は先刻まで人間として生きてきたわけだが、その経験を以て言わせてもらうと人間というものは実に視野の狭い種ではなかろうか。なまじっか世界の解明に足を突っ込んでいるために、ついつい世界の全てを理解していると思い込みがちなのだ。例えば、彼らが生命としてカテゴリー分けしてない辺りにも、普通に生命は存在している。今、こうして“次”を物色しているわけだが、レコードには実に様々な選択肢が用意されているのだ。霊長類、鳥、獣、魚、虫、あらゆる植物に地衣類、微生物や細菌にウィルスなんてのはもちろんのこと、石や鉱物、ちょっと複雑な分子構造体の一部、それから影や鬼火なんかも選ぶことができる。ついつい人間としての知識で分類してしまうが、これも奴が言った通りまだ直前の記憶の影響によるところだ。自分で言うのもなんだが、その手の分野では世界的に名を知られた研究者だったのだ……やはりアドバイス通り、しばらく休んで思考の垢を落としたほうがいいかもしれない。同じ人間を連続で選ぶならともかく、そうでない場合には強くこびりついた固定観念が面倒なことになりかねない。
「こういう保身的な考えが、そもそも引きずってるってことか」
身についた癖で思わず呟いてしまった。小さい波動の揺れに収めたので、おそらくは誰も気づいておるまい。しかし、これはあれだ。このままもう一度人間として生を受け、前回の感覚を活かしてより良き体験を得るほうがいい気がしてきた。よし、答えは決まった。もう一回人間として生きてみようじゃないか。
「最近の流行はどのあたりだい? 前に来たときは運よく人間を射止めたんだが」
転生案内の役に就いている天使に話を聞いてみると、そいつは天使らしく薄い笑みを張り付けたまま答えた。「やはり人間ですかね……僕がこの生を選んでから二千年ぐらいの間に限った話ですけど、相変わらずの狭き門ですよ」
「その門をくぐりたいんだが、どう思う? いけそうかな?」
「そうですね……倍率は高いですが、申請するだけならタダですからね」天使はその笑顔と同じ平坦な波動で返してきた。「人間の尺度でもう何世代か経つと、もっと倍率が上がるでしょうから、今のうちが狙い目ですかね」
ほう。どういうことかと聞くと、どうやらこの百年弱で、絶滅に向かっているともっぱらの評判になったとのことだった。八十年ほど前に人間を選んだ時にはまだそんなに言われてなかったと思うが、記憶をほじくり返せばたしかにそうかも知れない。絶滅してしまうと、当然ながら以後はその種で生きることはできなくなってしまう。どんな生き物であろうとも、絶滅寸前は流行りのジャンルなのだった……やはり人間だ。これが正解だ。
「そう言えば……もう一つ、面白い種がありますよ」
第一希望を申請しようとしていると、奴がこそりと言ってきた。何とも言えないその抑揚――どうにも天使らしからぬように思えたのだ――が気になって、思わず申請の手を止める。
「人間が現在進行形で他種の絶滅を推進してますから、正直お奨めは多いんです……でも、こいつはそれらとはちょっと違っててね。数は極めて少ないので、まず当たらないと思いますけど」
俄然興味が湧いてきたので、より詳しく聞いてみようと相手を急かした。天使は自分にしか届かないような微細な振動で、極めて密やかに伝えてきた。
「“神”ですよ。信仰の習慣を持つ種は希少ですからね……滅ぶときは共々でしょう」
私は申請を済ませた……どうか選ばれますように。
もしかしたら、人間という種の絶滅を目の当たりにすることになるかもしれない。その共謀者になる可能性もある。まだ識らぬ新たな体験を夢見て、私は先へと向かった。