アダムズ

 地上最強の兵士を作ることこそが彼の目的であった。最強の兵士が生まれたならば、そのクローンを増やしていくことで、何物にも負けぬ軍隊が編成できるだろう。
「そのために必要な男のDNAが手に入った!」
 わずかに残った白髪を振り乱しながら老人は悦び喚いた。ここは世界征服を夢見るドットフォール博士の研究施設。彼の他には誰もいない秘密の地下室で、手にしたアンプルの中身を慎重に投入していく。カナダの山奥で働く木こり、マーシュ・トラストスコットがそのDNAの持ち主だった。ドットフォールが手持ちの培養ニューロンサーキット(つまりは人工知能だ)を駆使して、世界中の力自慢たちの中から選び出した人間だ。現時点で、この地上で最も筋力の密度が高く、その総量も折り紙付きの男――マーシュ・トラストスコットこそは、一目見るだけで確かにと思えるような、まさしくそんな人物だった。全身の筋肉が盛り上がり、頭が両肩の間に埋もれてしまっている。そして、そのいからせた肩に、切り倒したばかりの木を六本も載せて、山の中を運ぶのである。両の肩で合計十二本もの幹を持ち上げ、ホールドしているのはこれまた異様に膨れあがった腕だった。そしてその巨体を支えているのは、彼の身体にふさわしく、やはり尋常ならぬ足腰であった。
 ドットフォールはカナダにトラストスコットを訪ね、そのDNAを採取してきたのだ。トラストスコットは脳みその髄まで筋肉繊維でできているタイプの人間だったので、自分が何をされたか理解していなかった。だが、最強軍団が世界征服に乗り出した暁には、きっと彼にも理解できるだろう。ドットフォールはいかにも悪役さながらの笑みを浮かべながら、世界一の筋肉を構成するであろうDNAが培養液の中で攪拌されていく様を眺めた。ついに、大望の時は来たれり!

 しかしそうはならなかった。ドットフォールが誇る最新技術によって、より調整されて生まれてきたクローンの体躯は――ドットフォールはその個体を、こともあろうに「アダム」と名付けた――オリジナルであるカナダの木こり、マーシュ・トラストスコットをも超えた素晴らしいものだった。だが残念なことに、おつむが弱かった。下された命令を理解し、兵士として効率的に働くには、明らかに脳髄の造りが見合っていなかった。
「なに、別のDNAを組み合わせればよいだけのこと……今こいつに必要なのは賢いおつむじゃ」そう言ってドットフォールはぽんと手を打った。「世界一の天才ならここにおるじゃないか」

 ドットフォール博士自身のDNAが採取され、培養槽へと投入された。世界一の体躯と頭脳。サーキットによって制御されたアームが、両者のDNAを繋いでいくのを食い入るように見ながら、ドットフォールは呻いた。「わしが世界一なんじゃ……」
 わずかなアルコールを一緒に混ぜてあった。培養液の中で微細な動きを見せるアームの先端を顕微鏡で確認しながら、彼はもう一度口の中で呟いた。「最高の頭脳は一つでいいんじゃ」

 こうしてアダムは世界で二番目の頭脳を手に入れた。それは間違いがない。だが、残念なことにこの脳髄は生みの親の知性のみならず、プライドまでも引き継いでいた。自分こそが至高の存在であり、他人はすべて己よりも数段下にいるものと決めつけていた。これでは軍隊に成り得ない……こいつは命令を守ろうなんてはなから考えていないのだ。ドットフォールはさらなる改造が必要だと瞬時に判断した。

 サーキットが全人類の中から博士に必要な男を探し出した。日本の片隅にひっそりとオフィスを構える小さな会社。ブラック企業のお手本ともいえるその組織のすみっこに、これまたひっそりと息衝くトシムラ・オオカドを訪ねたドットフォールは、完全に無視されたが、半ば強引にDNAをむしり取った。おかけで警察に追われる羽目になったが、どうにか地下室へ戻ってくることができた。「当分あの国にはいけんな……だが、まあよい。最強の軍隊が出来上がった暁には、真っ先に滅ぼしてやるわい!」

 世界一従順な男のDNAを組み合わされたアダムは、その体躯と知性はそのままに、見事に命令に従う存在となった。だが新たな問題が首をもたげていた。トシムラ・オオカドの従順さは、極度の自信のなさからくるものだったのだ。アダムもまた、自信を持てずにいた。命令をうけてもしゃっきり動かないので、これでは最強の軍隊には程遠いと判断せざるをえなかった。

 次にサーキットがはじき出したのは、世界一の自信家だった。名前は……詳細は省くが、これもダメだった。今度は無謀が過ぎて間違いなく無駄死にしてしまう。
 それに、あまりにも多くの人間がアダムに混じりすぎていたので、これ以上続けるとちょっとした衝撃で細胞がバラバラになってしまう恐れが出てきていた。サーキットはその確率を示したが、ドットフォールにとってその数字はギリギリのラインだった。加えるとしても、もう一人が限界だった。

 最後の人選は慎重に行われた……今のアダムは最高の筋力を誇り、頭脳は世界で二番目、命令には従順だが自惚れが過ぎて自滅する。つまり、己を大切にする心構えこそが必要なピースなのだ。ドットフォールはサーキットに命じて、世界で最も自身を大切にしている者を探させた。程なく、サーキットは一人の人間を提示してきた。

 こうして当初の予定よりも大幅に遅れながらも、世界最強の兵士アダムは創造された。クローン培養も問題なく進み、ドットフォールの指揮下に世界最強の軍隊が揃ったのだ。ついに大望の時は来た!

 世界は見事に統一され、愛で包まれた。しかし、そこにドットフォールの姿はなかった。
 あの時、最後の調整としてアダムに加えられたのは、世界一のナルシストのDNAだった。軍隊となったアダムたちは全員漏れなく自分を大切にし、結果として一人として欠けることなくいくつかの国を征服した。ドットフォールの野望は達成されるかと思われたが……ある時立ちふさがったのは、彼が率いる軍隊とそっくり同じ顔の敵兵だった。アダムのDNAを採取した某国が、最強兵士のクローンを自分たちでも作り上げたのだ。
 ドットフォールは激怒した。同じ性能の軍隊をぶつけるのなら、勝敗を決めるのは作戦の出来に他ならない。つまり、敵は自分よりも優れた指揮官だと暗に言っているのだ。彼は声を震わせて攻撃命令を下した。だが、アダムたちは動かなかった。アダムたちとアダムたちは武器を突きつけあっていたが、やがて歩み寄った。彼らは自分と同じ存在を傷つけることをよしとしなかったのだ。予想外の出来事に金切り声をあげて何度も命令を飛ばすドットフォールの姿は滑稽そのものだった。どうやら敵側でも同じようなことになっているらしかった。
 アダムたちは動かなかった。自己愛と従順さが彼らの中でせめぎあった結果、最もドットフォールの近くにいたアダムの身体が崩壊する……相容れぬDNAの要求に細胞の結合が耐え切れなかったのだ。
 愛するアダムに起きた悲劇に、彼らの本能が目覚めた。彼らは愛せない対象を排除することで、不安を拭い去ろうとしたのだ。敵も味方もなかった。アダムか、アダムでないかだった。
 真っ先にドットフォールが取り除かれた。アダムではなかったから。
 アダムを増やした国を含む、多くの国が順番に取り除かれていった。彼らもアダムではなかった。

 ……そして、世界にアダムだけしかいなくなったとき、はじめて安息が訪れたのだった。もう安心だった。ここに争う理由はなかった。アダムたちは愛すべき存在に囲まれ、そして皆から愛されていた。  


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