そもそものはじめは、一羽の鳥――厳密には鳥と言っていいかはわからない。とにかく翼のある生物――だった。数世紀前には絶滅してしまったドードーに似たその不思議な存在は、飼い主の愛情に応じて、幸せを返してくれるという触れ込みで世間に知られることになった。遠く離れたファランケル星系からやってきた生命体――もっとも、飼い主が名の知れたスター俳優だったことも大きい。実は別のオペラ歌手の誰だかも手に入れようと願っていたが、積んだ金の高さで負けたために叶わなかったとか。それだけじゃない。鳥目当ての結婚騒動が起きたりと、ある種の見世物的な話題ではあった。結局は、警察が介入する事件にまでに発展したのだ。
そうなると、こいつは金になるということで、密かにファランケル星系へ潜り込もうとする者が増えた。マクレガーもそうした向こう見ず共の一人だったが、彼の場合、他の連中よりは幾分運が良く、頭も回っていた。多くの者が宇宙を渡る術を持てずに断念する中、ともかく彼はファランケルへと落り立つことに成功した。異星の地質調査隊にうまいこともぐりこんだのだった。これはマクレガーが大学で無駄に留年を重ねる不良学生だったからできたことでもあった。卒業してまともな職に就く気もさらさらなかったわけだ。
「この星についてわかっていることはまだ少ない……何かに出会っても、相手にしてはいけない。動物や鳥を捕らえるなんてのはもってのほかだ」
キャンプを張り終え、教授はそう言って隊のメンバーの顔をじろりと見渡した。教授はもうすでに三度、ファランケルへ来たことのあるベテランだった。これまでの来訪は単独だったが、今回初めて隊を組んで調査に乗り出していた。例の鳥を地球にもたらしたのは彼だったが、それだけにこの手の問題には慎重な立場を取っていた……あの鳥は、二回目にここへ来たときに彼の慰めとなり、別れるのが忍びないと連れ帰ったものだった。結局は、今回の大がかりな調査の資金繰りのために手放すことになったわけだが……しかし、あの鳥が地球で起こした騒動のせいで、あやうくファランケルの追加調査計画が立ち消えになるところだったのも事実だった。同じ轍を踏むことは避けたい。それが教授の考えだった。
マクレガーは彼としては考えられないような勤勉さを見せた。ここに彼を知るものがいたら、「こいつはマクレガーではない」と断言しただろう。教授の目を出し抜くためにも、まずは真面目に働く必要があった。地中から件の鳥のような掘り出し物が見つかるかもしれないという希望を抱いていたが、ボーリング機によって露わになったこの星の土には、これといった生き物はいないようだった。教授やほかのメンバーたちが微生物の摘出と検証、観察を重ねて時折驚嘆の声を上げる中、マクレガーは彼が望むような生き物――地球の金持ちたちが可愛がりそうな愛嬌のある動物――を、一匹すらも見いだせなかった。
調査隊には自由時間など無かった。ここには知的生物がいないので、憂さ晴らしも隊の連中を相手に行うしかないのだ……常に誰かの目が周囲にあった。思うような成果を得られないまま、マクレガーの焦りは募り続け、ついに頂点に達した。もう残された時間は少なかった。彼は最後の手段に出ることを決めた……教授の口から、必ずや再度の調査があると聞き出していたのだ。彼らにとっては、新発見続きだったらしい。だが、次の調査に再びマクレガーが選ばれるとは限らない。何しろ、彼は不良学生なのだ。今回はたまたま選ばれたが、二度目の保証が無いことは彼自身がよく知っていた。
かくしてマクレガーは姿を消した。教授たちは調査の手を止め、行方知れずとなったマクレガーの捜索に全力を尽くさざるを得なかった……しかし、自らの意思で逃げ隠れしている男を捕まえることは困難だ。努力も空しく、やがて期日がきて、調査隊は断腸の思いでファランケルから飛び発つ他なかった。
「よおし、一世一代の大博打だ!」
マクレガーは宇宙船が去っていくのを見上げながら、己に気合を入れるべく叫んだ。次の調査隊が来るのには少なくとも三年はかかるだろう。今回もそれぐらい経ってからだったはずだ。再び連中が戻って来た時、合流すればいいのだ……それまでに、金の卵をできるだけ手に入れなければならない。必ずいるはずだ。あの教授が、確かに“鳥”を連れて帰ったのだから。
最初の一か月はあっという間に過ぎてしまった。相も変わらず動物が見つからないので、彼は植物の新芽や果実と思わしき部位を食べて命を繋いだ。毒があるかないかはわからなかった……しかし、ここで生き延びれなければ話にならない。彼は食った。何も起きなかった。食料は確約された。
マクレガーは少しずつ移動していった……教授が動物のいない地域をわざと選んでいた可能性を疑ったのだ。だが、行けども行けども何も変わらなかった。しかしこの星に留まるまでした彼の覚悟は本物だった。マクレガーは不屈の精神を以て進み続けた。行方不明者――彼自身のことだ――の探索のため、次の調査隊も同じ地域に降り立つ可能性は高いとマクレガーは踏んでいた。地球に帰還するためには、また戻ってこなければならないが、手ぶらでは何の意味もない。なあに、まだ時間はある。
あれからどれぐらい経ったろう。朝日が昇る峰が三つほどずれたころ、ついに鳥らしき姿が見られるようになった。地球で流行った、あの愛おしい鳥とは種類が違うと見え、空高く飛んでいた。それでもともかく動物には違いない! マクレガーは歩を早め、鳥の飛んでいく先へと進んでいった。どこかで羽を休めるはずだ。
そうして彼がたどり着いた水場には、多くの動物たちが集っていた……ここへ彼を導いた種もいる。だが、何よりも彼の目を引いたのは、あのずんぐりとした姿だった。ドードーに似たそのシルエット。すべてのはじまりとなったあの鳥も、ここにいたのだ。
「いい子だ……逃げてくれるなよ」
ファランケルの生態系について、彼は何も知らなかった。知らなかったが、この鳥がいわゆる天敵というものを持っていないのは確かなようだった。鳥は逃げたり抵抗するそぶりも見せず、マクレガーの手の中でおとなしくしていた。持ち上げてみても、一声も鳴かず、暴れもしなかった。周りで翼を休めている他の個体も、一羽たりとて騒ぎ出したりしていない。静かなものだった。
金の卵を手にいれた……その安堵からか、彼は空腹を覚えた。そういえば、肉を久しく食していなかった。ずっと植物ばかりで、その前は調査隊で支給されたレーションだった。地球を離れて以来の欲望に、彼は抗うことができなかった。声一つ立てぬ喉に手を掛け、絞め殺す。羽を毟り、火を起こして炙った……鳥は抵抗せず、彼の成すがままだった。寝ていた他の鳥も同じくだ。もう待ちきれず、生焼けのままかぶりつくと、濃い肉汁が口の中に広がる。血の味だ。マクレガーは欲のままに、ひたすら貪り食った。
異変に気付いたのは、既に何羽も食い散らかした後だった。生焼けの鳥がこちらを見ている。絞める手間すら惜しんで食い続けていたのだ……そのまだ死んでいない目が、生きたまま焼かれ、齧られている瞳がマクレガーを見ている。そこに恐怖は映っていなかった。マクレガーはよく似た眼差しを知っていると思った。地球でくすぶっていた彼は、同じように都合のいいチャンスを貪欲に望みながら何も成し得ない連中に埋もれていた。そこをやっと抜け出し、ついに指先が届いた者の、欲だけに満たされた目。それは彼自身の目だった。この手の中で今まさに食われ、死にゆこうとしている鳥はマクレガーに他ならない。彼は周りを見渡した。他の鳥たちも目覚めていた。数多のずんぐりとしたマクレガーがこっちを見ていた……
何物にも満たされぬ飢餓感。
ファランケルの鳥たちはマクレガーに襲い掛かった。かつてこの地を訪れた教授の不安と孤独を癒し、地球でその所有権を巡って騒ぎの渦中となったこの鳥は、向けられた感情をそのまま放つのだ……友愛には友愛を。羨望には羨望を。そして今、この水場を支配しているのは食い意地だった。鳥たちは本能的に、同種食いを避けた。抱いた感情ごとマクレガーが数多の断片に引き裂かれ、完全に鳥たちの胃袋に収まるまで、この騒ぎは続いた。
やがて、地球からの調査隊がファランケルに訪れるだろう。マクレガーが考えていた通り、地球では置き去りにされた調査員の救出へと世論が傾いていた。三年を待たず、迎えの船は来るはずだ。
しかし、ファランケルの生態系はもう変わってしまった。あの鳥たちはやがて死んで土に還る。土からは植物が伸び、他の生き物たちの糧になる……純粋無垢なまま、お互いの感情を共有することで、安寧を保っていた時期は過ぎたのだ。この星が得たのは、浅ましく、飽くことのない渇望だった。次の調査隊はさぞやひどい目にあうだろう。