〇〇であるということ、〇〇ではないということ

 我は何者か? もしも即座に「〇〇である」と定義できるのなら、それは己が平凡な一個体に過ぎないことの証明となるであろう……まさしく我がそうだ。ならばやれることは一つしかない。一刻も惜しまず敵のもとへ急ぎ、戦いを挑むことだ。

 世に闇あれば、光もまた存在する。それは揺るぎない法則の一つだ。我々には手の届きようもない天地開闢の精霊たちが世界をそのように造ったのだから。しかしその理は全ての生き物にとって平等なものであるはず。だが人間どもは自分たちがこの世界を構成する一種族にすぎない事実を無視して、自らを光の頂点に置こうとする。その身勝手な利己主義はやがて対となる闇の頂点――魔物たる存在を生み出した。我々は人間の増長を抑えるべく必然的に生まれてきたのだ。人間がおとなしくわきまえてくれていたのなら、こんな戦いに満ちた世界にはならなかったはずだったのに。
 しかし我々が人間を脅かすようになると、やがて人間の傲慢さを代表するような光の存在、勇者を名乗る者が顕れた。精霊の加護を得ているのか、普通の人間の領域から半ばはみ出したソレは、剣を一振るいするだけで我々を屠ることができた。人間どもは一気に色めきだったが、程なく闇の側にも反勇者――すなわち魔王が顕現した。古の精霊たちはこのバランスのゲームを楽しむことにしたらしい。自然の摂理というやつだ。

 勇者にせよ魔王にせよ、彼らは生まれいずると同時に新しく定義された存在、すなわちこれまでにはいなかったモノだった。我のような、どこにでもいるような〇〇とはまったく異なる、強大な力を擁する突然変異体ネームドなのだ。
 いかに多くの突然変異体ネームドを得られるか。そして世界のバランス機能が追いつく前に相手を殲滅できるかがゲームの肝だ。これまでに幾度となく四天王を名乗る強力な魔族ネームドが散り、そして新たに就任するのを繰り返してきた。対する勇者とその眷属も、何代にもわたり立ちふさがってきた。このいたちごっこの歴史が全てを物語っている。なれば、我にできることは時間稼ぎしかない……凡百な〇〇である我に勝利はあり得ないだろうが、敵の足を幾ばくかは止めることができよう。それでいい。それで十分だ。その間に、我々は少なくとも数十もの同胞を増やすことができる。その中には、きっと新たな存在ネームドがいるはずだ。

 往き過ぎる骸が増えてきた。全て〇〇のものだ。この先に、敵――勇者ネームドがいる。
 我は昂る感情に身を任せ、光の中へと飛び込んだ……僅かでもこの光を遮る影になれと。だが、渾身の念を込めた刃は届かなかった……氷の壁に阻まれてしまったのだ。魔法使いだ! 勇者の眷属の氷冷術師がいたのだ!
「これも封じるの? パッと見、ただの低級魔族だけど……」
「いや、こいつはちょっと厄介な奴だよ。思考を覗いてみたんだが、断じてただの魔族じゃない」
 勇者どもの声が分厚い氷の向こうから微かに響いてくる……我が何だと?
 しかしそれ以上は聞こえてこなかった。壁は牢となり、完全に我と奴らを隔てていた。見る間に冷やかな境界が迫ってくる。程なく棺と化すだろう。そしてなめらかな冷気が口と鼻孔をふさいだ瞬間、我は見たのだ。これまで斃されてきたと思っていた数多の四天王ネームドたちの姿を。皆、一様に凍れる棺に閉じ込められていた……棺同士を繋ぐ魔力の流れが見せた幻視。同一の術師による業に違いない。
 この戦い、闇の負けだ。思考が鈍い蒼で閉ざされる刹那、我はそう確信した。
 棺で眠る魔族ネームドたちは殺されていない……つまり、光と闇のバランスは崩れていないのだ。これでは新たに変異体ネームドが顕れることもあるまい。
 奴らもまた、これが精霊たちのゲームだと気づいていたのだ。そのうえで、力の均衡ルールを逆手に取った策を用いてきた。……口惜しい。同じ場所に立っていながら、我はその先を見やることができなかった。やはり我は所詮、〇〇に過ぎなかったのだ……


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