その名はボラダイル

「君、ボラダイルについてどう思う?」
 散らかった部屋の中で、広げた新聞の裏からN氏がぐもぐもと声を漏らした。彼の身体はソファーに深々と埋もれており、Y氏の位置からは彼の姿は見えなかった。だが、N氏がそこにいるのは間違いない。
「ランスロット・A・ボラダイルかい」ちょうど同じ部屋に居合わせていたY氏は、ボラダイルという人物が一体何者だったろうかと自らの記憶に探りを入れ、最初に出てきた人物の名を口にした。
「ランスロット……? ああ、動物学者の。英国人だったっけね」とN氏。しかし氏は続けて言った。「でもそうじゃなくてさ。ほら、例の宇宙人。先週米国に降り立ったってニュース、流石に君も覚えているだろう?」
 そんな話もあったねとY氏はうなずいた。
 そこでN氏が言うことには、なんでもそのエイリアンのことを、ボラダイル星人と新聞じゃ報じているのだという。
「そんな名前の星は聞いたことがないな」Y氏はよくわからないといった顔で呟いた。「まさか、彼ら自身がボラダイル出身ですって、自分たちの星の名を明かしたとでもいうんだろうか」
「うーん、命名の由縁については何も報じられてはいないな」
 N氏が新聞を放ってよこす。そこには確かに、〝宇宙の果てからの来訪者、ボラダイル人現る〟との見出しがあった。

 ランスロット・A・ボラダイルがそのことについて述べたのは、1916年のことだった。曰く、カニに似ていない甲殻類はやがてカニの形へと進化していくと。
「カーシニゼーションっていうやつだな」Y氏はCURRENT誌の最新号を手にしていた。その表紙を飾っているのは、件の来訪者──ボラダイル人だった。
「いや、驚いたね」N氏も別の雑誌をめくりながら答えた。彼が読んでいるのはプログレス・ジャーナル誌で、そこには米国大統領と握手を交わすボラダイル人の写真が載っていた。ボラダイル人の手はゴツゴツしていて、まるでカニのハサミのようだった。大統領の顔が心なしかひきつっているが、こりゃしかたないとN氏は言った。
「ハサミだけじゃないよ」Y氏も言った。「口のあたりもカニそっくりだ。この写真だと、少し泡を吹いているようにも見える」
「写真で見る限りだが、ボラダイル人とやらが外骨格なのは明らかだ……こいつはどうやら、地球人による命名臭いじゃないか?」

「それはまさしく、真理へと至る道だったのです」
 Y氏とN氏が好き勝手に話しているその同時刻、まさに外宇宙からやってきたというその生き物が、そう大統領に告げたところだった。
「この宇宙におけるすべての生物は、皆、我々のような姿へと進化していくのです。あなた方も例外ではありません。ただ、進化の収束点へ向かう途中段階にいるというだけなのです」
 大統領はこの奇妙な来訪者の言葉を、彼らがいうところの〝翻訳機〟を通じて聞いていた。巨大なハサミを備えた異形の上腕、服飾なのか、それとも硬質化した皮膚なのか判別のつかない出で立ち……しかも、人類がやがてこの姿に至るという……にわかには信じられなかったが、相手は慣れっこといった様子で体をゆすり、まるで笑っているようだった。
「啓蒙者の職に就き、多くの出会いを重ねた経験からすれば、あなたの困惑はごく自然なものと感じます。過渡期にいる生物は程度の差こそあれ、皆同じように考えるもの……そこを理解していないという点こそが、あなた方にはまだまだ先があるという事実を証明しています」
 ある朝目が覚めると、ベットの中で甲殻類に代わってしまっている自分に気づくという想像が大統領の脳裏をよぎり、彼は本能的に、そのイメージを振り払おうとして首を振った。
「本来なら我々が訪問するにはまだ早すぎるのですが」ボラダイルを名乗る者は続けた。「しかし、ランスロット・A・ボラダイルという人物が、あなた方の中から現れ、真理の一端を掴んだ……ゆえに、我々も姿を現すことにしたのです。しかし……」
 もっともすぐれた地球人の名を、多くの人民を治める立場の者がよく知らないでいたのはどうかと。かの者は大いに呆れていたという噂は、大統領や米国を面白く思っていなかった多くの者によって嘲笑を添えて迎え入れられた。ボラダイル人なる宇宙人は、人選を誤ったのだと主張する国もあった。

「でも結局のところ、ボラダイル人は米国大統領を人類代表として認めてはいるわけだよな」
 ニュースに目を通しながら、Y氏はそう言った。N氏も頷く。近年米国は再び宇宙開発に力を入れていたのだ。そこを評価されたのだろう。
「でも、彼らが最も優れた地球人としているのは、英国人なんだよなぁ」
「連中からしたら、米国も英国も大して変わらんのじゃないのか」
 二人の話は次第にカーシニゼーションへと移っていった。
「ボラダイル氏がいうところのカーシニゼーションってのは、あくまで甲殻類に関する収斂進化の一例だった。しかし、宇宙規模でみれば人類も甲殻類も同じ生物というくくりで考える必要がある。進化の先端に位置する生き物がそう言ってきたってわけだ」
 二人はお気に入りの少しくたびれた洋食屋で、遅い昼食をとるべく注文したところだった。
「なんでも、ボラダイル氏が既に没していたことを非常に惜しんだとかで、それで彼ら自身、地球においては自分たちのことをボラダイル人と自称することにしたとか」
「氏が生きていたら、さぞ感激しただろうね」
 そんなことを言っているうちに、磯の香りがつんとして、真っ赤に茹であがった甲殻類を山と積んだ大皿が運ばれてきた。カニ、それも立派なハサミを備えた品種だ。
「我々は今まさに、太陽系第三惑星生命体同士で共食いをしているともいえるな」見事な脚を取り上げたN氏が、殻を盛大にバリンとやって身を啜りだした。
「近いうちに、こういった食事も自粛すべしと、そんなムードになってしまうかもしれん……今のうちに堪能しておこうじゃないか」
 Y氏も負けじと甲羅を取り、スプーンで豪快に蟹味噌を身と混ぜはじめる。
「そうだそうだ、我々人類の道徳概念が宇宙レベルにまで昇華される前に、腹いっぱい詰め込んでおかなけりゃな」
「とどのつまり、全生命体がボラダイル人だというんだ……これは共食いこそが、宇宙におけるたった一つの行為ってことだよ。何の問題もないさ……君、もう一皿もってきてくれたまえ」
 しかしそう言いながらも二人は野蛮な行為を隠蔽するかの如く、甲羅まで入念に砕いてボリボリとやっていた。そう、大皿の上に加熱によって処理されたボラダイル人が積まれていたなんて証拠はどこにも残されてやしないのだ。


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