「ちょっとこっちへいらっしゃい」
ドロシーは、こわがりもせずに、そのことばにしたがいました。姫の前に立ちますと、姫はしげしげとドロシーの顔をながめてからいいました。
「かなり魅力はあるのね。いっとくけど、器量よしっていうんじゃないわよ、ぜんぜんね。でも、なんとなくかわいいところがあるのよ、あたしの持ってる三十の首の、どれともちがっててね。だから、おまえの首をもらって、かわりに26番をあげることにするわ」
「そんなこと、させるもんですか!」ドロシーが叫びました。
「いやだというと、ためにならないわよ」姫はつづけて、「あたしは自分のコレクションにおまえの首がほしいのよ。このエヴの国では、あたしの望みがすなわち法律なんですからね。26番はたいして気にいってなかったから、ほとんど使ってないし、それに、実用の面からいっても、おまえがいま使っている首とまったくかわらないわよ」
「あなたの26番については、あたし、なにも存じませんし、知りたいとも思いません」ドロシーがきっぱりといいました。「あたし、お古はいただかないことにしているんです。だから、いまのでやっていきますわ」
「おや、いやだというの?」姫は眉をしかめて叫びました。
「もちろんですとも」
あたま【頭】
動物の、脳(や目・口・鼻・耳)がある部分。
@神経中枢がある部分。また、それをおおっている、顔の上の部分。日葡辞書「アタマヲマルムル」
A首から上の部分。かしら。こうべ。日葡辞書「アタマヲフッテイヤガル」
チャールズ一世は歩いて話をした
首が切られた三十分後に
彼(ペルセウス)はメドゥサの頭をアテナに献上し、アテナはその盾にこの頭をつけたという。だが別伝によると、彼はこのように恐ろしいものをこの世から追放したく思い、それを海に投じたという。そしてその頭は今でも潮流に流され、転がりながらさんごを作り出しているということである。
「一八九八年に逝去したリデル主席司祭の本物そっくりの似顔絵」は、新たな一連の現象の先駆けとなった。この形象は、一九二三年の中頃、イギリス、オクスフォードのクライスト教会の壁に発現した。三年経っても肖像は消滅せず、当時のある雑誌は次のように書いている。
「故人の頭部を思い出そうと記憶をたどる必要はない。壁に描かれた彼の肖像画は非の打ちどころがなく、巨匠の手並みを見る思いだ。それは腐刻画でもなければ素描画でも彫像でもない。だがしかし、肖像画は明らかにそこにあるのだ」
兵卒達。ここへお出で。お前達はあの井戸の中へ這入って、あの男の首を持って来ておくれ。
陛下、陛下。
どうぞこの兵卒達に云付けて、ヨカナーンの首を持って来させて下さりませ。
(巨人の腕と思わるる、黒き腕、首斬役の腕、井戸の内より差伸べらる。腕は銀の鉢にヨカナーンの首を載せて、差上げいる。王女は手にその首を取る。王は袍の袖にて面を覆う。妃は扇を遣いつつ微笑む。ナザレ人等は跪きて、祈祷を始む。)
おう。
ヨカナーンや。お前はこの口に
接吻をさせなかったのね。
好いわ。今わたしが接吻をしてやるから。
今わたしがこの歯で喰付いてやります。
熟した果物に喰付くように。
ヨカナーンや、わたしがお前に接吻しますよ。
わたしがそういったのだ。
そういったではないかえ。
おう。今わたしが接吻しますよ。
ヨカナーンや、なぜわたしの顔を見ないの。
腹立ちやら、さげすみやらで、恐しかったお前の目が、もう瞑ってしまっているのね。
なぜ瞑ってしまったの。
お前の目をお開きよ。
お前の瞼をお上げよ。ヨカナーン。
なぜわたしの顔を見ないの。
ヨカナーンや。わたしの顔を見ないのは、
わたしが恐いのかえ。
お前の赤い舌がもう動かないのね。もうなんにも云わないのね。
ヨカナーンや。あれほどわたしに毒を吐き掛けた、猩々緋の蛇が、動かなくなったのね。
可笑しいではありませんか。
なぜまあ、赤い蛇が
動かなくなったの。
わたしに憎々しい事をいったね。
妃ヘロヂアスの娘、ユダヤ国のサロメ王女を、
ようもお前は、辱しめたね。
さあ、御覧よ。
わたしはまだ生きています。そしてお前は
死んでしまった。お前の首はわたしのものだよ。
わたしのものだから、わたしが勝手にしますよ。
犬に投げてやる事も、
虚空を飛んでおる鳥の嘴に啄せる事も出来ます。
犬が食べ残したら
虚空の鳥が喰べましょうぞえ。
おう。ヨカナーンや。ヨカナーンや。
お前ばかりが美しい。
お前の体は銀の礎の上に立っている象牙の柱のようだった。
鳩の沢山飛んでいる、銀の百合の咲いている花園のようだった。
世の中に、お前の体ほど白いものはなかった。
世の中にお前の髪ほど黒いものはなかった。
世の中にお前の唇ほど赤いものはなかった。
お前の声は、御社の香炉のようで、わたしがお前をじっと見ていると、不思議な音楽が耳に響いた。
おう。
ヨカナーンや。なぜお前はわたしの顔を見てくれなかったの。
ようもお前は、自分の神を見ようと思っているものの目隠の巾でお前の目を隠したね。
ヨカナーンや。成程お前は、神をば見ていただろう。
其癖わたしを、わたしをちっとも見なかったのね。
もしわたしを見たなら、きっとわたしを愛してくれたに違いない。
お前の美しさが慕わしい。
わたしはお前の体が欲しい。
わたしの渇きは酒では止まらぬ。わたしの飢は林檎では直らぬ。
ヨカナーンや。まあ、わたしはどうしたら好かろうね。
川の水でも海の水でも、
わたしの胸の火は消えぬ。
ええ。なぜお前はわたしの顔を見なかったのだえ。
つい見てさえくれたなら、わたしを愛してくれたろうに。
きっとわたしを愛したに違いない。
死の秘密より大きいのが、
愛の秘密であるではないか。
大砲の上に しゃれこうべが
うつろな目を ひらいていた
しゃれこうべが ラララ言うことにゃ
鐘の音も 聞かずに死んだ
雨に打たれ 風にさらされて
空の果てを にらんでいた
しゃれこうべが ラララ言うことにゃ
お袋にも 会わずに死んだ
春がきても 夏が過ぎても
誰も花を 手向けてくれぬ
しゃれこうべが ラララ言うことにゃ
人の愛も 知らずに死んだ
ゆっくりとそれは動き出す。筋肉が地面から体をもたげさせるにつれ、鱗に覆われた皮膚が波立ち伸び縮みする。おそるべき形をとっていく間、君はあんぐり口を開けて見つめることしかできぬ。経験ではなく伝説で聞き知った姿だ。目の前で、巨大なヒドラが形を成しはじめている!
だが爬虫類めいた体は不完全だ。太い首が何本か、伸び縮みしているが、いずれにも頭がない! 頭がなくてどうして生きられる? 次の瞬間、君の問いは答えられる。怪物の首に七つの頭が現れだしている。だが予期していた蛇の頭ではない! 人間ににた不気味な頭部で、どの顔も醜悪だ。顎鬚の生えた真っ白な顔は頬が大きくふくらんでいる。誰の顔かわかり、君は激しくつばを呑み込む。風神パンガラだ! 尖った目鼻立ちに、発光している鮮やかなだいだい色の蓬髪を持つ女の顔もある。眼に燃える赤い火の玉で正体がわかる。太陽の女神グランタンカ! 他にも顔が形になりだし、マンパンの神々が蛇の首の上に出現する。神々とあっては、君のかなう相手ではない。
もどってみると、チェシャーネコのまわりに大勢の人だかりがしているのでびっくりしました。処刑人と王様と女王様が議論をして、三人いっぺんに話しており、ほかの者たちはとても居心地の悪そうなようすをしてだまりこんでいます。
アリスがあらわれたとたん、三人は問題を解決してくれとアリスにたのんできました。てんでに自分の主張をくり返し、いっせいに話すものですから、いったいなにを言っているのか理解するのはたいへんでした。
処刑人が言うには、切りはなすべき胴体がなければ、首を切ることはできない。そんなことはこれまでやったことがないし、この年齢になってそんなことを始めるつもりはないとこう言うのです。
王様がおっしゃるには、首があるのだから首は切れるはずであり、ばかなことを言ってはいけないということでした。
女王様がおっしゃるには、なににせよ即刻実行できないなら、ここにいる全員の首をはねるということでした。(これを聞いて、みんな深刻で心配そうな顔をしていたのです。)
おなかが すいたろう
さあ、ぼくの かおをかじりなさい。
ぜんぶ たべてもいいんだよ。
あまくて おいしいから
すぐ げんきに なれる。
回向院に開帳あり。
「霊宝は左へ左へ。これは頼朝公のかうべ(頭)でござい。近う寄つて拝あられませう」
参詣の人聞いて、
「頼朝のかうべ(頭)なら、もつと大きさうなものだが、これは小さなものぢや」
といへば、
言立(案内人)の出家、
「これは頼朝公、三歳のかうべ(頭)」
斬首後に意識はあるか
ギロチンは痛みを感じさせる暇もないほどの高速で斬首を行い、即死させることを目的にした処刑道具である。しかし、心停止が行われても十数秒前後は意識が保たれているように、斬首後のごくわずかな時間、頭部だけの状態で意識が保たれているのではないかという説がある。斬首後の意識については幾つか報告が残されているものの、その多くは出典が怪しい。
例えば化学者のアントワーヌ・ラヴォアジエは、自身がフランス革命で処刑されることになった時、処刑後の人に意識があるのかを確かめるため、周囲の人間に「斬首後、可能な限りまばたきを続ける」と宣言し、実際にまばたきを行なったと言われている。しかしながら当時、流れ作業で行われたラヴォアジエの処刑に立ち会った目撃者の記述にそのような逸話は書かれておらず、1990年以降、ボーリュー博士の報告を元に創られた都市伝説と考えられる。
同様に斬首後のシャルロット・コルデーの頬を死刑執行人のシャルル=アンリ・サンソンの助手が殴った時、彼女の顔は紅潮し目は怒りのまなざしを向けたという逸話がある。しかし、処刑時すでに夕方だったことから夕日が照り返したため、あるいは血が付いたためそのように見えたに過ぎないとも言われ、伝説の域を出ない。
具体的に斬首後の意識を確認した実験としては、1905年にボーリュー博士が論文として報告したものが挙げられる。1905年6月28日午前5時半に、アンリ・ランギーユ死刑囚がロアレで処刑される際、事前に呼びかけに対してまばたきをするよう依頼したところ、斬首後数秒たって医師が呼びかけると、数秒目を開けて医師を直視し閉じた。二度目の呼びかけには応じたが、三度目以降は目が開かれなかったという。
しかし、こういった報告は筋肉のけいれんによるものとされており、斬首の瞬間に血圧が変化し意識を失うので、意図的にまばたきをするのは不可能というのが通説である。
フランスでは1956年に議会の依頼によってセギュレ博士が実験を行なっている。この実験では瞳孔反応と条件反射を確認したが、斬首後15分は反応があったとする報告を行なっている。意識の有無については確認手段が無いため不明のままであった。
「あなたは三つにわけられてお墓に埋められているのだと思ったわよ、さっきは」ドロシーがいいました。「でも、お見かけしたところ、ちっとも変っていないわね」
「ちっともってわけじゃないんですけどね。前よりは口がちょっとばかし片方によっているんですよ。でも、ほとんどおんなし。これは新しい頭なんです。オズマがはじめてぼくをつくってくれて、魔法の<いのちの粉>をふりかけてくれたあのときから数えて四つめ」
「いままでの頭はどうしたの?」
「いたんでしまったんで、お墓に埋めました。だってパイにすらならないんだもの。オズマ姫はそのたびに前のとそっくりのをつくってくださるんですよ。頭を何回取り替えても、身体全体から見れば首から下の方が頭よりずっと大きいからぼくは相変わらずカボチャ頭のジャックです。一度、かわりのカボチャが見つからなくて困ったことがありましてねえ。なにしろ季節はずれだったもんで。その時はしかたなく、どう見ても生きがいいとはいえなくなっているのに、そのままの頭でしばらくいましたけど、そういうつらい目にあってから、ぼくは自分でカボチャを栽培しようと決心したんです。カボチャをきらして困るようなことが二度とないようにね。
人間的な領域に話をもどすならば、ヴェネツィアとパドヴァのあいだのブレンダ運河の岸に、十六世紀になって建てられた、マルコンテンタ荘の奇妙な便所のことを不問に付するわけにはいかぬだろう。排泄の瞬間は、魂のなかの曖昧なものの時刻とあまりにも緊密にむすびついているので、これをその瞬間において捉えようと努力するのは適当ではないかもしれない。ところで、マルコンテンタ荘における便所は、この地方で最初につくられたものの一つであろうが、ドアがついていなくて、そのかわり一個の仮面が備え付けてある。そこに閉じこもる人間は、この仮面で顔をかくして用を足す仕組みになっているのだ。
地質学的知見からは、「出土したゾウの頭蓋骨化石に由来がある」との説が唱えられている。ゾウの頭蓋骨の正面には、長大な鼻に見合う巨大な鼻腔が一つ開いている。彼らの眼窩(がんか)は側面に位置している上、鼻腔に比べて遥かに小さい。そのため、「ゾウを見たことの無かった当時の人々が鼻腔を眼窩と勘違いし、“頭部前面に一つ眼を具えた怖ろしげな巨人像”を想起したのではないか」という推論である。なお、ここで言う「当時の人々」とは、よく知られている“自然科学の発達した全盛期のギリシア文明期の人々”のことではなく、“ギリシア文化に連なる不特定のきわめて古い時代に生きた人々”を指す。
ゲームの場は大きな円内で、それが真ん中に張られたネットもしくはロープで二つに分けられている。球には豚かトロールの膀胱を膨らませたものが使われる。場合によっては、球はキャベツ、メロン、ドワーフの首で代替されることもある。
フランス西北部のブルターニュ地方には、新石器時代の墳墓がおびただしく残っているが、それらの土中から海胆の化石が発見されることもある。ということは、鉄器文化のガリア人の移動してくるはるかに以前から、海胆の崇拝が行われていたということを意味するだろう。
おもしろいのは、フランス北部のアブヴィル付近から出土した、ローマ時代以前の海胆の殻に、人間の顔が彫ってあったことであろう。シャルボノー・ラッセの『キリストの動物誌』には、そんな例がたくさん報告されている。アラスの付近でも、ヴァンデ県でも、メーヌ・エ・ロワール県でも、同じく顔を掘った海胆の殻が発見されていて、これはたぶん幼児キリストを表しているのではないか、と言われている。
「何してらっしゃるの? 魔道士様?」
ポッポレイポが尋ねた。まあ見ていなさい……。ぼくは死者を蘇らすネクロマンシアの祈りをあげた。蘇生液がドクロの全面にまんべんなく拡がって滲みていく。されこうべの顎がガクンと開き、皆を脅かした。
ぼくはその口腔内に皮で作った小さな舌を入れてやり、さらに眼窩にはガラス玉の眼球を入れる。手先が器用でなくちゃ、魔道士はつとまらない。ウェイブヒルは蘇生した。ガラス玉の眼球をくるくる回し、皮の舌でヘラヘラと何か呟いた。
「……なんてえざまだ! このウェイブヒル八世ともあろう者が! こんなぶざまな姿で蘇生させたのは誰だ!!」
「今はそうじゃないぜ。」案内人の一人がさえぎった。
「今は海軍の牧羊地だよ。この石はおれたちがはじめに見つけたんだから、おれたちのものさ!」
老婆はまた気ちがいのようにおこりだした。
「はじめに見つけたんだって? うそつき、泥棒! この石はうちのものなんだよ、おまえたちは泥棒だ!」
二組が石の所有権についてはげしく言いあらそっているあいだに、その身ぶりから、彼らがどの石のことを言っているかがわかった。老婆とその娘は、いまやそれらの石の一つにずつにそれぞれ坐っているのだった。そして私は、それとは知らないで、三つめの石に腰を下ろしていた。二人の案内人は四番めの石のそばに立っていた。それはふつうの石ころのように見えた。
私はふと賢者ソロモンを思い出していた。彼は、二人の女が一人の子供をたがいにじぶんの子だと主張しあったときに、剣をぬいて子供を二つに切るふりをしてみせたのだった。私も大づちのたすけをかりさえすれば、ソロモンと同じ芝居ができるだろう。そして若い二人の方は、私が大づちをふりあげれば、石を二つにすることを承知するだろう。そして老婆の方は気がちがってしまうだろう。
「あんたの石をちょっと見せておくれ。さわりゃしないから。」
私は老婆に言った。
彼女は一言も答えなかったが、体をよけて、大きな丸い石を底が上にでるようにひっくりかえさせてくれた。四つのグロテスクな顔がお椀ほどの大きさの目をむいて、太陽をにらめつけた。それは古典的な巨像に似ても似つかないものだった。むしろマルケサス群島にある、まるい石頭を思わせるものすごい悪魔のような顔をしていた。
石の持主である二人の女は絶望的になっているようだったが、石を見つけた二人の方は、いい商売ができると思って、勝ちほこっていた。両方が同じように緊張しているのを見ているうちに、私たちはグロテスクな頭をもとの場所にもどして、顔の側を地にうずめた。それからみんなに礼を言って立ち去った。若い二人はぽかんと口をあけたままとりのこされた。
テラピムは首をミイラ化した像で、これは話をし、舌の下に魔法の呪文を書いた黄金の薄板が貼ってある。助言を乞うと答えるこの偶像は、慣習にしたがって殺された初生児のミイラの首であったらしい。カバラの律師たちは、これを聖書の巫術師が持っていたオブ(オボト)やイッデオニ(イッデオニム)と同じものではなかったかと解釈している。両者はいずれも天界に感応する亡霊で、人間と話をしたり助言をあたえたりする力をそなえているのである。
ロキは自分の頭の代わりに弁償金を払いたいと言ったが、ブロックはそれを拒否して、約束のものを貰うのだと言った。
「じゃあ、取れよ!」と、ロキが言った。
しかし、小人が彼を捕えようとすると、彼はもうずっと遠くに行っていた。空でも水の上でも自由に走る靴をもっていたのだ。
小人はトールにロキをつかまえてくれと頼んだ。彼はそうしてやった。そこでブロックがロキの頭を切り落とそうとすると、相手は言った。
「頭はたしかにお前のものだ。だが、頸に傷をつけたら承知しないぞ」
小人はロキの賭を取りそこなったのを見ると、ナイフと糸を取り出して、ロキの唇に穴をあけて口を縫い合わせようとした。ところが、生憎とナイフを持って来ていなかった。
「おれの兄弟のフクロウなら喰い破ってくれるんだがな」
彼がこういうと、途端にフクロウが彼の手にとまって、ロキの唇に穴をあけた。そこで小人はロキの唇をとじ合わせた。こうしてロキは、その出まかせの口をもう一度取り戻す前に、両唇を穴だらけにされたのであった。
稲妻にしばりつけられた父 「私はあなたと別れなければならない、いとしい子よ。あなたには、雷にふれた私の頭と両腕を遺産としてのこそう。」――マルスリーヌ-マリー 「私の手は、お父様、雲にさわりましたわ。」
父の声 「あなたの手は、わが子よ、そのしなやかな炎で、大火をしずめさせる……
……災害を、ペストを、洪水を、戦争を、感冒性の肺炎を。」
山腹の微妙な均衡が脅された。ほとんど耳に届かぬとどろきとともに、均衡がくずれだした。広大な白いシーツが抜け落ちて、ぎざぎざの紙のように空気のクッションの上を下降した。シーツが破れ、風がその切れはしをつかんでこなごなにし、雪の大波を高く持ち上げた。
アメーバのような大波が山腹を、露頭した岩を次々におおい隠し、ついに頂上に達した。
雪がてっぺんにたどりつくまでには何時間もかかったように思われた。再び風がやんだ。そよとも風のない数分間、大波はヘバ・ミッシュの上に幕のようにかかり、それからおりてきた。
「いよいよだぞ」ニコライが言った。
マイケルはどんな些細なことも見のがすまいと、目を細めた。不安定な空気の余分なポケットにぶつかって幕が割れた。ポケットがおちてくる雪に彫刻をほどこし、こっちの端、あっちの端を切りおとして、雲をこちらへ押しだしたり、向こうへひっこめたりした。その騒動からひとつの形がゆっくりあらわれた。
「ナンバー・ワンだ」ニコライが言った。急に容貌が明瞭になった。それは薄いあごひげのある若々しい男の顔だった。マイケルのはじめて見る顔だった。顔はヘバ・ミッシュの上で広がり、何マイルにも拡大して、やがて消えた。雲は下降をつづけ、もっといくつもの容貌が生まれてきた。最初はもやもやしていたのが、そのうちくっきりしてきて第二の顔になった――これはスプリッグラだとマイケルは確信した。というのも、リン・ピャオ・タイに似ていたからだ。次の顔はばかに見慣れた感じだったから、マイケルは冷たい息を思わず吸い込んで、すんでにハイロカをばらばらにしてしまうところだった。見慣れた顔だ――だが、誰だったろう? 細い鼻梁、強く、若々しく、くっきりした目鼻だち……。
「二つ、三つ」ニコライが言った。「さあ、雲がおりてきて、もうひとつ作ったら、それで全部おしまいだ」
マイケルは顔を見つめながら、以前どこでそれを見たのか思いだそうとした。「ぼくは彼を知ってる。あれが誰か知ってるんだ」彼はつぶやいた。
「世界の神々の原型は目だ」
北川が言うと、山岡が口をはさんだ。
「目の神様ですか」
北川は三人の男を見た。
「いいえ。目の神というのは、火の神、海の神と同じように、或るものの霊を言うわけですが、この神はそうではありません」
三人は同時に目のシンボルを飾った祭壇をふり返った。
「ただ、目なのです。最も神聖なものが、目なのです」
「どうだい。すばらしいじゃないか」
北川はうっとりとしたように祭壇を眺めた。
「シュメールの祈願者の群像は、みな大きな目玉を与えられていた。異様に巨大な目だ。それはムーの痕跡なのだ」
「しかし、仏さまの目はそんなに大きくありませんよ」
「神が人間に近づいたのさ。人間は自分たちが理解しやすいように、神の形を勝手にかえただけさ。それに、仏はいわゆる神ではない。あれは教える人だ。その教える人が、のちの人々によって神格化されて行く」
「どうして目玉なんです。耳や鼻や口ではなく」
「目でなければならない」
赤い惑星の約一八〇〇メートル上空を飛行しながら、二人は高性能の望遠鏡で火星表面を観察している。軌道船が「顔」の上空にさしかかったとき、ロレンスはアラブ人の同僚をふりかえってこういったとしよう。「おい、あの顔を見ろ!」と。だが、このときアラブ人は何というだろうか? これはシドニアの人工的起源(AOC)仮説の核心を衝く問題だ。「顔」はたんなる錯覚なのか? ロレンスは、ロールシャッハ・テストのイメージのように、そこにはないものを見ただけであって、アラブ人が見れば明度にばらつきのある「たんなる」二次元パターンでしかないのだろうか? それとも、物体は実際に(自然にあるいは人工的に)掘りぬかれたものなのか? もし、そうだとしたら、アラブ人は「どこに顔がある?」と応えるのだろうか? それとも自分を凝視するぼんやりとした顔を目にして、驚きで息を止めるのであろうか?
古代ギリシャでは、体型にあわせてかつらや髪型が考案されており、専門的技術が必要とされていたことがわかるが、プロの「美容師」がいたがどうかは、あきらかではない。きちんとした形で、美容師が社会的地位をもつようになったのは、ローマ時代からである。しかし、ローマ時代には「魂が頭に宿る」として、洗髪をめったにしなかった。唯一、女神ダイアナの誕生日八月十三日だけを例外として、「洗髪の日」としたのだが、そのため美容師が忙しいのは、年に一日だけとなり、ローマのシャンプー産業は繁栄することができなかった。
アル・コダイは次のように断言している。「二つのピラミッドの偶像はバルフーバとよばれる。それは二つのピラミッドのあいだに位置し、頭だけが見えている。民衆はこれはアブ・ホルまたはバルエヘブと呼んでおり、砂漠の砂がギザを侵さないようにする護符であると信じている。」
「建築の驚異」について書かれたある本は次のように述べている。「ピラミッドの近くに、地上に出ている一個の巨大な頭と頸がある。人びとはこの記念物をアル・ホブと呼び、その身体は砂の中に埋まっていると信じている。」
「われわれのやった実験の中には、とっぴなものもいくつかあった」<研究所>のグレゴリー・スミルノフがいった。「しかし、これほど破天荒な大実験の入口に立ったのははじめてだし、これほど眉唾ものの気分でそれを眺めたのもはじめてだ。とはいえ、もしエピクティステスの計算が正しければ、これは絶対にうまくいく」
「みなさん、これはうまくいきますよ」エピクトがいった。
これがクティステック・マシンのエピクティステス? だれにそれが信じられる? エピクトの本体は五階下にあるのだが、いまはこの小さなペントハウスの休憩室に自分を延長させていた。延長に必要なのはケーブルだけ。直径一メートルたらずのケーブルで、その先端に機能ヘッドがついていた。
それにしても、なんというヘッドを彼は選んだものか! それは海蛇の頭、むかしのカーニバルの山車からコピーした、長さ一メートル半もある竜の頭だった。エピクトは一種の人間語を話すこともできたが、その言語というのが、むかしのヴォードヴィルのコメディアン、それもアイルランド系とユダヤ系とオランダ系のコメディアンのおしゃべりのチャンポンなのだ。バラDNA継電器の髄まで道化にできあがっているエピクトは、ぎょろ目とたてがみのある巨大な頭をテーブルにのせ、前代未聞のでっかい葉巻をふかしていた。
しかし、この実験に関するかぎり、エピクトは真剣だった。
「完全なテストの条件はととのいました」機械のエピクトは、開会の辞を述べるような口調でいった。
浜辺でガラスのびんが破裂したあと、アニーの頭蓋骨が流れ着いた(それをみつけたときにアニーは私たちと一緒にいた)。そしたら猫の姿をしたアニーがやってきて、頭蓋骨を口にくわえて持ち去ってしまった。 (ガラスの破片のうちの一つは大きくて茶色だった――トルソの上のほうを半分に割ったような形をしていた)
インディアン島――彼は少年時代にインディアン島を知っていた。岩だらけの島で、鴎がいっぱい集まっていた。海岸から一マイルほどの距離だった。その由来は人間の頭に似ているところからおこっていた――アメリカ・インディアンの横顔に似ているのだった。
あの島に邸を建てるなどとは、物好きな人間もいるものだ! 海が荒れると、ひどいところなのだ。しかし、金持には物好きな人間が多いのだ。
隅の老人が眼をさまして、いった。「海のことはわからねえ――わかるもんじゃねえ!」
ブロア氏は怒っている人間をなだめるようにいった。「そうだ。わからないよ」
老人は二度しゃっくりをして、暗い表情を見せながらいった。「嵐が来るぜ」
「そんなことはあるまい。いい天気じゃないか」
老人は怒ったようにいった。「きっと嵐が来る。わしにはわかるんだ」
「それでおしまい」とハンプティ・ダンプティ。「さよなら。」
これはあまりにも出しぬけだとアリスは思いましたが、こんなにはっきりと立ち去るように指示されたあとでは、ここにとどまるのは礼儀に反するように思えました。そこで、アリスは立ち上がり、手をさしだしました。
「さようなら、またお会いしましょうね」と、できるだけ快活に言いました。
「こんど会ったとしても、君のことはもうわからないだろう。」ハンプティ・ダンプティは、握手するために指一本だけさしだしながら、不満そうに言いました。
「君は、ほかのひとたちとそっくりだからな。」
「たいてい、ひとは顔で見わけるものですけれど。」アリスは慎重に答えました。
「それが困るって言っているんだよ」とハンプティ・ダンプティ。
「君の顔はみんなの顔と同じだろ――目が二つ、こういう具合にあって――」
(親指一本で空中に両目の場所を記しながら)
「鼻が真ん中にあって、口がその下で。いつもおんなじだ。目が二つとも鼻の片側にあるとか――口が顔のてっぺんにあるとかだったら――少しはわかりやすいのに。」
「いやよ、そんなの。」アリスは反対しました。
でも、ハンプティ・ダンプティは目を閉じてこう言っただけでした。
「ま、やってみるんだな。」
僧侶がおごそかな口調でしゃべりはじめた。
「当寺院には、目神の大神像が安置されておる。顔は布で隠されているが、これはある言い伝えのためじゃ。それによると、ルドスは目神が見つづけている夢の国であり、目神が目覚めるとき、わしらはルドスともどもに消え失せてしまうという……。だから、起こさぬように、寺院は静寂を保ち、顔には布をかぶせてあるのじゃ。
先手の軍勢が瀘水についたのは秋たけた九月のこと、するとにわかに陰雲垂れ籠め、狂風吹きつのって渡ることができず、とって返して孔明にこの由を告げた。孔明が孟獲に尋ねると、
「この川には昔より荒神がいて祟をいたしますので、往来する者は必ず祭りをしなければなりませぬ」
「祭りの供物には何を使うのじゃ」
「昔より当国に荒神の祟が現われた時、七七四十九個の人間の首と黒牛白牛を捧げますると、風は自然に収まり波も静まって、豊作が続きましてござります」
「もはや平定もすんだいま、このうえ一人でも殺すことはできぬ」
言って孔明が、みずから岸に出向いて様子を見れば、果たして妖しげな風吹きすさび波わきかえって、人馬ともに恐れおののいている。いたく不審に思って、土地の者に尋ねれば、
「丞相がここをお通りになってからこの方、夜ごとに水辺に幽鬼の泣き叫ぶ声が聞こえ、日暮れ時より夜の明けるまで、泣き声の絶える間とてありません。また、たち籠める霧のまにまに数知れぬ亡霊が現われて祟をなすので、誰も渡る者はありませぬ」
「それはみなわしの罪じゃ。先には馬岱の手勢千余騎がここで死に、さらに殺した蛮人たちをすべてここへ棄てたため、恨みを残す幽魂が浮かばれぬまま、かような祟をしておるのであろう。今宵、わしが供養してつかわそう」
「昔からのしきたりで、四十九の人頭を供物にいたせば、亡魂はおのずから退散いたします」
「もともと人が死んで亡魂となったのである。このうえ生きている者を殺したりはできぬ。わしに考えがある」
かくて厨夫を呼んで牛馬を宰るよう命じ、麦粉をこねて人の頭を形どったものの中に牛や羊の肉を人肉の代わりにつめさせると『饅頭』と名付けた。
また、オズマは、ガンプの活躍に感謝して、そのしるしに、なんでものぞみどおりのものをほうびとしてとらせようといってやりました。
「それでは」と、ガンプは答えて、「わたしをバラバラにしてください。わたしは、生きかえりたくもなかったし、このヨセアツメの自分がはずかしくてたまらないのです。この角がよく証明しているように、わたしも昔は森の王者でした。それがいまでは奴隷の身として、飾りものとなりはて、いやでも空をとばなくてはならない――脚がなんの役にもたたないのですからね。だから、おねがいします。わたしをバラバラにしてください」
そういうわけで、オズマはガンプをバラバラにするようにめいじました。大きな角をいただいた頭はいま一度、大広間の暖炉の上にかけられ、ソファはひもをほどかれて応接間におかれました。ほうきのシッポは、台所で持ちまえの仕事にもどり、そしておしまいに、かかしが、物干しひもとロープをもとのかけ釘にもどしました――<空とぶもの>が組みたてられた、あの目まぐるしい一日、かかしがそこからはずしていったのでした。
読者のみなさんは、これがガンプの最後だとお思いになるかもしれません。たしかにそのとおりなのです。空をとぶものとしては。けれども、暖炉の上の頭は、いつでもその気になれば、しゃべります。そして、とんでもないときに質問をしたりしては、大広間でお目通りをまっている人びとを、しばしばおどろかせています。
「さあ、さあ、花聟(はなむこ)さま。ちょうど、結婚の時刻でござります」
女の声がした時に、私は定めて盛装した若い清楚な貴婦人が紫の靄のなかから現われて来るものと思った。
「ようこそ、花聟さま」と、ふたたび金切り声がひびいたと思う刹那、その声のぬしは腕を差し出しながら私のほうへ走って来た。寄る年波と狂気とで醜くなった黄色い顔がじっと私に見入っているのである。私は怖ろしさのあまりに後ずさりをしようとしたが、蛇のように炯とした鋭い彼女の眼は、もうすっかり私を呪縛してしまったので、この怖ろしい老女から眼をそらすことも、身をひくことも出来なくなった。
彼女は一歩一歩と近づいて来る。その怖ろしい顔は仮面であって、その下にこそまぼろしの女の美しい顔がひそんでいるのではないかという考えが、稲妻のように私の頭にひらめいた。
彼の目は大いなる力を持つ者達――神々へと向けられた。手始めとして、彼は争いの神がこの世のことを知るために放っているといわれる大梟を狩ることを決める。自分の実力が神の領域にどれだけ近付いたか、それを知るために。その奢りとも見える自信は、確かな技量と胆力に裏打ちされていた。彼は神の遣いを相手取ってよく戦い、見事これを討ち取ったのである。
オルカダンは勝利の証として梟の頭を持ち帰ったが、人々が彼の偉業を称えることはなかった。彼らは神の怒りを恐れたのである……。
間もなく彼は呪われた。月と日の光、そして星の運行の影響を受け、頭部が人のそれから梟のそれへ、また人のものへと変化するようになったのだ。祟りを目の当たりにした人々は、神の許しを得るために彼を捕獲しようとする。「樫の木の賢者」と呼ばれる一種の呪術師達が彼のもとに遣わされた。抵抗を重ねたオルカダンだったが、呪術師達は彼が強くなるために立てた「誓い」の言葉を逆手に取り、計略を弄して彼を捕縛してしまう。
山頂の祭壇に繋がれた彼の前に、首を失った大梟の姿をした争いの神が現れる。彼の神は、無言でそのまま彼を地の底に広がる古い遺跡へと投げ込んだ。
――貴様には永き時をくれてやろう。その出口なき迷宮で、己の無力さを思い知るがいい……。
クアガの面にくちづけて
十字の果ては唇に
望む答えの道すじを
違えば神は唾を吐く
秦の時代に、南方に落頭民という人種があった。その頭がよく飛ぶのである。その人種の集落に祭りがあって、それを虫落という。その虫落にちなんで、落頭民と呼ばれるようになったのである。
呉の将、朱桓という将軍がひとりの下婢を置いたが、その女は夜中に睡ると首がぬけ出して、あるいは狗竇から、あるいは窓から出てゆく。その飛ぶときは耳をもって翼とするらしい。そばに寝ている者が怪しんで、夜中にその寝床を照らして視みると、ただその胴体があるばかりで首が無い。からだも常よりは少しく冷たい。そこで、その胴体に衾をきせて置くと、夜あけに首が舞い戻って来ても、衾にささえられて胴に戻ることが出来ないので、首は幾たびか地に堕おちて、その息づかいも苦しく忙せわしく、今にも死んでしまいそうに見えるので、あわてて衾を取りのけてやると、首はとどこおりなく元に戻った。
こういうことがほとんど毎夜くり返されるのであるが、昼のあいだは普通の人とちっとも変ることはなかった。それでも甚だ気味が悪いので、主人の将軍も捨て置かれず、ついに暇を出すことになったが、だんだん聞いてみると、それは一種の天性で別に怪しい者ではないのであった。
このほかにも、南方へ出征の大将たちは、往々こういう不思議の女に出逢った経験があるそうで、ある人は試みに銅盤をその胴体にかぶせて置いたところ、首はいつまでも戻ることが出来ないで、その女は遂に死んだという。
樹海が恋しくなどない。あれはわが故郷にあらず。わが故郷は神河であり、そこに住む者こそ家族。荷を解いて頭を横たえた場所こそわが故郷。
ミーミルの子らは忙(せわ)しく行きかい、古きギャラルホルンで、運命の幕は切っておとされる。ヘイムダルは角笛を高高とあげて吹く。オーディンはミーミルの首と語る。
ヴェルディアロスはあたしの肩に手をかけていっしょに玄関までのひび割れた道を進んだ。敷石のひとつひとつに名前、日付、へたな詩やぎくりとさせられる言葉が彫ってある。たとえば "どうせならカ・ジールに行ったほうがましだ" とか "病気だと言っただろ!" とか。あたしは自分が死んだら火葬にするよう<緑の教団>に頼もうと思った。緑色の扉の両側に置かれた骨壺は、墓石に比べればそれほど気にならなかった。
真鍮製の扉の中央に真鍮のガーゴイルの頭がついており、ひどく錆びていた。つまり緑色をしている。ヴェルディアロスがガーゴイルの舌を引き、あたしはポーチから後ろへ飛びのいた。ガーゴイルが目をむいて、イザベル姉さんがいちばん怒ったときのような顔になったのだ。
「ご主人さまは女がきらい」ガーゴイルが抑揚たっぷりにしゃべった。
「うそだ。それに今は関係ない。女を連れてきたわけではないからな」
「では、そいつは何者だ?」
ヴェルディアロスが動揺するのは初めて見た。この人もミミズがきらいなのかしら。
「裏口へ行かない?」あたしがそっときいた。
「とんでもない。裏はもっとひどい」ヴェルディアロスはガーゴイルの頭を叩いた。「この人はおまえの主人と話をするために来たんだ。ゴーゴ。さあ、中に入れろ」
「ご主人さまは話がきらい」
「金はきらいか?」
ガーゴイルは黙り込んだ。
「わたしが金をたくさん持ってくることはおまえの主人も承知だ。それでなければこんな暮らしはしてないぞ」
「ご主人さまは後ずさりする女がきらい」ガーゴイルはそう言ったきり、開いた扉の面に引っ込んだ。
頭は彼らの右の小脇に抱えておりましてナ、旅行とか激しい動きを要する仕事に出かける場合はそれを家に残しておくのが一般で、これは頭と身体がどんなに離れておっても、頭に相談して采配をあおげるからなのであります。月の住民の中でもおもだった連中は、下々一般で何が起っているか知りたいと思っても、直々に足を運ぶなんてことはせぬ習慣で、在宅のまま、とはつまり身体は家にあってですナ、頭だけ派遣する。頭はおしのびでな、あちこち出没できる、そうして主人(ぬし)の意のままに、仕込んだ情報をもって御帰館という段取りじゃ。
コロラド州Fruita(フルータ、フルイタ)の農家ロイド・オルセンの家で、1945年9月10日に夕食用として1羽の鶏が首をはねられた。通常ならそのまま絶命するはずであったが、その鶏は首の無いままふらふらと歩き回り、それまでと変わらない羽づくろいや餌をついばむようなしぐさをし始めた。翌日になってもこの鶏は生存し続け、その有様に家族は食することをあきらめ、切断した首の穴からスポイトで水と餌を与えた。
翌週になって、ロイドはソルトレイクシティのユタ大学に、マイクと名づけた鶏を持ち込んだ。科学者は驚きの色を隠せなかったが、それでも調査が行なわれ、マイクの頚動脈が凝固した血液でふさがれ、失血が抑えられたのではないかと推測された。また脳幹と片方の耳の大半が残っているので、マイクが首を失っても歩くことができるのだという推論に達した。
結果、マイクはこの農家で飼われることになったが、首の無いまま生き続ける奇跡の鶏はたちまち評判となり、マイクはマネージャーとロイドとともにニューヨークやロサンゼルスなどで見世物として公開された。話題はますます広がるとともに、マイクも順調に生き続け、体重も当初の2ポンド半から8ポンドに増えた。雑誌・新聞などのメディアにも取り上げられ、『ライフ』、『タイム』などの大手に紹介されることとなった。
1947年3月、そうした興行中のアリゾナ州において、マイクは餌を喉につまらせ、ロイドが興行先に給餌用のスポイトを忘れたため手の施しようもなく、窒息して死亡した。
マイクの死後、ギネス記録に首がないまま最も長生きした鶏として記録された。
第三十年四月五日に、わたしがケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た。
これはエホヤキン王の捕え移された第五年であって、その月の五日に、
主の言葉がケバル川のほとり、カルデヤびとの地でブジの子祭司エゼキエルに臨み、主の手がその所で彼の上にあった。
わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲に輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。
またその中から四つの生きものの形が出てきた。その様子はこうである。彼らは人の姿をもっていた。
おのおの四つの顔をもち、またそのおのおのに四つの翼があった。
その足はまっすぐで、足のうらは子牛の足のうらのようであり、みがいた青銅のように光っていた。
その四方に、そのおのおのの翼の下に人の手があった。この四つの者はみな顔と翼をもち、
翼は互に連なり、行く時は回らずに、おのおの顔の向かうところにまっすぐに進んだ。
顔の形は、おのおのその前方に人の顔をもっていた。四つの者は右の方に、ししの顔をもち、四つの者は左の方に牛の顔をもち、また四つの者は後ろの方に、わしの顔をもっていた。
彼らの顔はこのようであった。その翼は高く伸ばされ、その二つは互に連なり、他の二つをもってからだをおおっていた。
彼らはおのおのその顔の向かうところへまっすぐに行き、霊の行くところへ彼らも行き、その行く時は回らない。
この生きもののうちには燃える炭の火のようなものがあり、たいまつのように、生きものの中を行き来している。火は輝いて、その火から、いなずまが出ていた。
生きものは、いなずまのひらめきのように速く行き来していた。
わたしが生きものを見ていると、生きもののかたわら、地の上に輪があった。四つの生きものおのおのに、一つずつの輪である。
もろもろの輪の形と作りは、光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で、その作りは、あたかも、輪の中に輪があるようである。
その行く時、彼らは四方のいずれかに行き、行く時は回らない。
四つの輪には輪縁と輻とがあり、その輪縁の周囲は目をもって満たされていた。
生きものが行く時には、輪もそのかたわらに行き、生きものが地からあがる時は、輪もあがる。
霊の行く所には彼らも行き、輪は彼らに伴ってあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである。
彼らが行く時は、これらも行き、彼らがとどまる時は、これらもとどまり、彼らが地からあがる時は、輪もまたこれらと共にあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである。
生きものの頭の上に水晶のように輝く大空の形があって、彼らの頭の上に広がっている。
大空の下にはまっすぐに伸ばした翼があり、たがいに相連なり、生きものはおのおの二つの翼をもって、からだをおおっている。
その行く時、わたしは大水の声、全能者の声のような翼の声を聞いた。その声の響きは大軍の声のようで、そのとどまる時は翼をたれる。
また彼らの頭の上の大空から声があった。彼らが立ちとどまる時は翼をおろした。
彼らの頭の上の大空の上に、サファイヤのような位の形があった。またその位の形の上に、人の姿のような形があった。
そしてその腰とみえる所の上の方に、火の形のような光る青銅の色のものが、これを囲んでいるのを見た。わたしはその腰とみえる所の下の方に、火のようなものを見た。そして彼のまわりに輝きがあった。
そのまわりにある輝きのさまは、雨の日に雲に起るにじのようであった。主の栄光の形のさまは、このようであった。わたしはこれを見て、わたしの顔をふせたとき、語る者の声を聞いた。
常に人の肩にいて善悪の行動を記録し、死後、閻魔王に報告するとされる同生・同名という二神。インドでは冥界を司る双生児神だが中国・日本で十王信仰と結びつき、十王図では閻魔王の前に立つ人頭杖の上に乗る視目嗅鼻(みるめかぐはな)とよばれる二つの鬼の首として描かれる。
女神はやさしい言葉で頼みながらエロスの頬を引きよせ、
抱きしめて口づけした。そしてほほえみながら答えた。
「お前のいとしい頭とわたし自身の頭にかけていま誓います。
きっと、だましたりせず、毬をお前にあげましょう、
もしアイエテスの娘を矢で射てくれたなら。」
やがてまたY君が、今度は客間の隅のサイドテーブルの上にのっている大理石像を指さして、目をしばたたきながら、
「おや、あれはなんです。いままで気がつかなかったな。新しく手に入れましたね。」
「ああ、あれか。あれもきみと同じような、ギリシャ帰りの知人から頂戴したものさ。もちろん安っぽい摸像だけれど、本物は伝プラクシテレスの少女像として、かなり有名なものらしいよ。」
「首だけなんですか。」
「もとは等身大の全身像だったはずだが、キオス島かどこかで出土したときには、すでに首だけだったと聞くね。どうですか、きみの感想は。」
「いいですねえ。唇のあたりがなんともエロティックで。髪の毛がドラマティックで。この少女の全身像を勝手に頭のなかで思い描いてみるのも、ちょっと楽しいものですね。」
「おれは前に、おれの大好きなキュレネのヴィーナスについて書いたことがある。この魅力的なトルソーにふさわしい顔というものを、自分にはとても想像することができない、とね。顔から肉体を想像するよりも、肉体から顔を想像するほうが、おれにとってははるかに容易ではないような気がするね。」
「それはそうでしょう。顔のない肉体は匿名の肉体でしかありませんもの。飛頭蛮の女の肉体と同じですよ。大兄から見れば、それがなにものにも増してエロティックなんでしょうがね。」
「またはじまったよ。もういい加減で飛頭蛮の話はやめようや。」
ネムルト山の山頂部分にアンティオコス1世の墓があり、玄室も存在するという説は現在も考古学界に支持されているが、小石を人工的に積み上げて造られているため、崩落の危険性が非常に高く、発掘後の復元の可能性が低いことから、発掘調査ができないという結論に達している。玄室自体も小石を積み上げて造られていると推定されており、盗掘防止のための措置と見られている。このような建造技術は現代には伝わっていないため、復元は不可能という意見が大半を占める(それ以前に、崩落の危険性から発掘ができないとされる)。
王や神々の像は座して並んでおり、それぞれの像に名前が刻まれているが、いずれの坐像も首から上がない。それらの頭部は、像の足元に散在し、一部は鼻が損壊されている。このことから、地震のために頭部が転げ落ちたとする説と、イスラム教徒による偶像破壊運動の一環とする説が挙がっている。
レリーフの施された石版が見つかっており、それらはフリーズ(装飾のある壁)を形成していたと考えられている。そこにはアンティコス1世の系譜が刻まれ、彼がマケドニア人とペルシャ人双方に起源を持つことが示されている。
神像はいたるところに見られるが、多くは東側と西側に集中している。西側のテラスには、木星、水星、火星などの星の配列を眺める獅子のレリーフが刻まれた石版があり、紀元前62年6月7日を示している。この日付は建造が始まった時を表している可能性がある。
東山鹿谷といふ所は後は三井寺に続いてゆゆしき城郭にてぞありける俊寛僧都の山庄あり
かれに常は寄り合ひ寄り合ひ平家滅ぼすべき謀をぞ廻らしける
ある時法皇も御幸成る故少納言入道信西が子息浄憲法印御供仕らる
その夜の酒宴にこの由を仰せ合はせられたりければ
法印あなあさまし人数多承り候ひぬ
只今洩れ聞えて天下の大事に及び候ひなんず
と申されければ新大納言気色変はりてさつと立たれけるが
御前に候ひける瓶子を狩衣の袖に懸けて引き倒されたりけるを法皇叡覧ありて
あれはいかにと仰せければ大納言立ち返りて
へいじ倒れ候ひぬと申されける
法皇も笑壺に入らせおはしまして
者共参りて猿楽仕れと仰せければ平判官康頼つと参りて
あああまりにへいじの多う候ふにもて酔ひて候ふと申す俊寛僧都
さてそれをいかが仕るべきと申しければ西光法師
ただ首を取るには如かじとて瓶子の首を取つてぞ入りにける
法印あまりのあさましさにつやつや物も申されず
返す返すも恐しかりし事共なり
赤ん坊がいなくなったと聞いたとき、ヴォートランは青ざめた様子だった。みなと一緒に熱心な捜索に加わるわけでなく、陰鬱にふさぎこんでなにかしきりに考えこんでいた。そしてその家の元の使用人が赤ん坊をさらって首を切り落とし、その首を持って城館に入って行ったらしいと証言した。嫌疑をその男に向けようとしたのだ。
だが、赤ん坊の首が斬り落とされたことを、まだだれも知らぬうちにしたその奇妙な証言は、それ自体が一つの啓示であり、それは犯行の動機や目的を示唆していた。実際、ヴォートランは翌日になって、さらにこんな話までした。――かれは以前、殺された子供の頭蓋骨を手に持つと透明人間になることができ、それをカンテラのように使えば、泥棒は見とがめられずに家に忍び込むことができる、という話を耳にしたことがあった。そしてヴォートランは、このおぞましき迷信を信じていたのである。
こうして犯行の動機と首切りの理由が説明された。
ここが鬼門石窟の最上階にある「生首壁」のようだ。亡者の首が七つずつ列をなして並んでいる。亡者の悲鳴や怨嗟の言葉が通路に渦を巻いて谺(こだま)する。並んでいるそれぞれの首が呪詛を口走る。
この恐ろしい光景に、あなたは表情を硬くした。記号のチェックをすること。もしここで記号「世」があれば、あなたは数字の首を捜し出さなければならない。首は一番手前の列、つまり一列目の一番上を1、七十一列目の一番下を497として、その間で捜さねばならない。誰かにその数字を聞いていれば、簡単な計算で目指す首の番号がわかるはずだ。もしあなたが何の手掛かりも持っていないなら、この本のどこかで、「首がみつかった……」で始める番号の場所を捜すしかない。それは苛酷な作業となるだろうが、それしか方法がないのだ。首を捜し、その番号へ進め。「世」がなければ、あなたには何の問題もない。首たちのおしゃべりにつきあうよりも、下へ降りて決戦の時に備えよ。(二〇八)へ進め。
ニューヨーク・デイリー・ニューズの大見出しは、最も典型的な書きかたをした。いわく『ヌードと地図で、宇宙に地球を御紹介!』
通信記者のなかには、かりに性器を図解式に正確に描いても、その機能まではわかりっこないから、いっそ、こまマンガで性交から誕生、思春期、そしてまた性交という順序を説明したほうがいい、と忠告してきたものもあった。もっとも、縦一八センチ横二十七センチの金属板にはとうていその余裕はなかった。
カソリック・レビューの記事は、われわれのメッセージが「神以外のあらゆるものを含んでいる」という理由で非難し、男女のカップルなどよりは、祈りをささげる一対の手のスケッチを掲げるべきだったと書いた。
スケッチでは、けっきょく、全く理解には役に立たないから、男女それぞれの完全な遺骸を送るべきだ、といってきた投書氏もあった。死骸は、極寒の宇宙で完全に原型を保たれるだろうし、これを拾った宇宙人が、デテールまで調べることができるから、というのだった。われわれは、重量がかかりすぎるという理由で、この案を敬遠した。
カリフォルニア州バークレイのバーブは、メッセージの男女がそのものずばりにすぎるということいいたかったのだろう、絵の下に「今日は、ぼくらはオレンジの国から来ました」というキャプションをつけた。
この解説は、世間一般にはほとんど気づかれなかったが、私自身は非常に不満に思っていたこの男女の容姿の問題に、無意識的に触れていた。この彫板の、オリジナルのスケッチでは、われわれはかなり意識して、この男女に、汎人種的な容姿を与えていたのである。女の顔は、蒙古襞を――別の言い方をすれば部分的にアジア人的な容貌を与えられていた。一方、男は獅子鼻と厚い唇と、短いアフロ・ヘア・スタイルを与えられた。われわれはこれで、少なくとも人類の三つの大種族の特徴を表現するつもりだった。この蒙古襞と唇と鼻とは、最後の彫板にもちゃんと現れている。だが、女の髪は、アウトラインしか描けなかったために、たいていの人にはブロンドに見え、アジア人種の血を引いた重要なしるしを表現する可能性はすっかり損なわれてしまった。男の方も、オリジナルのスケッチから、最後の彫板に移すプロセスのどこかで、アフロ・ヘアが、およそアフリカ人種ならぬ、地中海人種風のカールした髪型に化けてしまったのである。にもかかわらず、メッセージ板の男女の容貌は、人類の二つの性と、三つの人種を、まあまあのところまであらわしていると思う。
まもなく、べつの足とうでが見つかった。二つの手は、うでをつけ、目玉をもって、それぞれ足の上にのり、海岸をぴょんぴょんとんでまわった。ぴょんぴょんとびながら、岩のあいだをのぞいてまわった。かたほうの手が耳を一つ見つけたとたん、べつの手は胴体をさがしあてた。はたらきものの手は、すぐに両足を胴体にはめた。それから、片手がべつの手を胴体にはめると、はまった手が、こんどはのこった手をはめた。手足のはまった、首なしの胴体が立ちあがった。首なしの巨人は、目をもった両手を高くあげて、海岸を歩きまわり、まいごの頭をさがした。
そこで二人は大温室のほうに歩いて行き、入り口まできましたが、だれにも会いません。扉が少し開いたままになっていましたので、まずハンクがはいっていきました。もしもなにか危険なことがあったら、すぐに出てきて連れの少女に教えるつもりだったのです。けれどもベッツイはすぐうしろからついてきました。そして、温室の中へ一歩はいったとたん、目にとびこんできたすばらしい眺めに息を呑み、思わずうっとりと見とれてしまいました。
温室の中は、絢爛たるバラの木であふれんばかり。どれもが大きな植木鉢に植わっています。それぞれの木の中心の枝にはあでやかな<バラの花>が一輪。その色の冴えていること、その香りの甘美なこと。そして一つ一つの<バラの花>のまんなかに、美しい娘の顔が。
ベッツイとハンクがはいって行ったとき、<バラの花>たちはうなだれて、まぶたを閉じて眠っていました。ところが肝をつぶしたハンクが、大声で、「ヒーホー!」とやらかしたので、その耳ざわりな声にバラの葉がゆれ、花たちはいっせいに首をもたげたのです。たちまち百ものおどろいた目がベッツイたち侵入者に注がれました。
「菩薩さま、じつはわたくし、ここで数えきれぬくらいたくさんの人間を食べました。これまでにも何度か、お経を取りに来る人がここを通りかかりましたが、それをみんなわたくしが食べてしまいました。そうして食べた人間の頭はみんな流沙河の中にほうり込み、それは水の底に沈んでしまいました。この水は鵞鳥(がちょう)の羽も浮かばないのでございます。ただ、お経を取りに来た九人のされこうべだけは、水に浮かんだまま沈みません。珍しいものだと思って、わたくしはそれに紐を通じて一つにくくり、暇なときには取り出して、いじりまわしております。そういうわけでございますから、これからさき、お経を取りに来る人はもうここを通らないかもしれません。そうなりますと、わたくし、さきの見込みがなくなってしまいます」
それを聞くと、菩薩は、
「いいえ、きっと通ります。そなたはそのされこうべを首に掛けて、お経を取りに来る人を待つがよい。きっとその人の役に立つであろうから」
満月は夜 高き山にあがり
ただ一つの頭脳をもつ 新しい知恵ある人がそこに見られ
不死なるものとなることを弟子にしめし
彼の目は南に 手と足は火に
彼女の体内は生きていたが外側は死んでおり、その顔は黒と茶のまだら、しわと腫物とひび割れの綱だった。髪の毛はぬけおち、目は盲いていた。リブラの顔を横ぎるけいれんは、もはや腐敗のわななきにすぎない。その裏の裏側、皮膚の下の黒いトンネルと空洞では、闇の中の捻髪音が、発酵が、化学的悪夢が、もう何世紀となくつづいているのだ。
流れる。今にも燃えつきそうな手持ち花火を持って走るように、遙の淡く赤いゆかたの袂は、白蝋(びゃくろう)のような細長い手にからみつつ、チカチカと細かい光の粒をまとって流れた。時間はゆっくりと流れ、水中のように光はゆらめきながら流れ、歌はさらにつぶやくように遠くなる。ゆっくりと開かれる真緋のくちびるが歌うのは、古より歌い継がれる遠く哀しい鎮魂歌、御魂鎮めの歌 ……祈りが、聞こえる。この祈りは、どこへ向かっているのか。 ――まるで子守歌のようだ。そしてすっと気が遠くなりそうになって、瞬はゆっくり瞼を閉じた。
瞬は真っ赤なイチゴのかき氷を食べていた。テーブルの斜め右には、遥が真っ青なかき氷にストローをさし込んで、氷水を黙って飲んでいる。瞬の方を見ようともしない。
「瞳は黒――髪の色。唇は赤――血の色。歯は白――骨の色」遥はつぶやくように言うと、いきなり瞬の方を向いた「ねえ、私の食べてるこれ、青い?」突然の問いに少々ビックリしつつも、瞬は「うん」と――なんとか――答えた。
「ね、それって、海の色? 水の色?」すっと遥は身をのり出す。
「そう……」
「きっと、空もだよね」
比較的初期に属するマグリットの有名な作品に、『永久運動』(一九三四年)というのがあり、『迷宮としての世界』の著者ルネ・ホッケをはじめとする多くの批評家によって引用されているが、この奇妙な絵にも、いかにもマグリットの哲学の具象化らしい、一種の視覚の詐術がある。豹の毛皮を着た体操選手が片手で亞鈴を持ちあげているのであるが、水平にならんだ亞鈴の両端の二つの鉄球のうち、左側の鉄球には目鼻があって、それはそのまま、この体操選手の顔になっているのだ。顔かと思えば鉄球、鉄球かと思えば顔、といった調子で、だまされやすい私たちの視覚は、この顔と鉄球のあいだで、まさに不毛な永久の往復運動を繰り返さなければならない仕掛になっている。一向に発展しない堂々めぐりの反復そのものが、ここでは、絵のモティーフとして利用されているのだ。モティーフの反復ではなくて、反復のモティーフ、永久運動のモティーフである。
「そのとき、ぐうぜん、わたしたちは丘の上へでていたらしいのです。とつぜん、視界がひらけたと思うと、大きな人の顔がみえました。信者はびっくりして、かかえた銃をとりおとしたほどです。なにしろその顔は、おりからの夕日で血のような色をしているうえ、なぞのわらいを、その口もとにうかべています。それに、ひとつではないのです。三つ、です。いや、おどろきからとき放されるとわかったのですが、それは、巨大な石の塔にきざみつけた、仏面でした。わたしたちはもっとよくみるために、丘の頂上へといそぎました。
すると、ふかい、ふかい森のなかに、あの仏面の塔がお城のように無数にたちならび、ガジュマルの木や、白い熱帯の大木にかこまれた王宮や、城壁、池や、寺院や、町が、夕日のさいごのかがやきのなかにいるのです。
夢か、と思いました。なにしろ、きいたことも、本で読んだこともないのですからね。しかし、夢ではありません。というのは、おどろきからさめたシャム人といっしょに、行ってみたのです……。」
「すると…。」
「そこは、死の都、いやねむりの都でした。
心は脳によって限界づけられている。頭蓋骨に縛られている。心は頭蓋の容量以上のものを蓄積できない。
ヘイケガニの甲羅の溝が怒った人間の顔に見えることは、明治時代から幾人かの科学者の興味を呼び起こしてきた。 1952年に進化生物学者ジュリアン・ハクスレー (Julian Huxley) はライフ誌でヘイケガニを取り上げ、この模様が偶然にしては人の顔に似すぎているため、人為選択による選択圧が作用したのではないかと述べている。 この人為選択説では甲羅の模様の成因を、それが顔に似ている程、人々が食べることを敬遠し、カニが生き残るチャンスが増えたため、ますます人の顔に似て来たのだと説明する。
四頭立ての馬車がベッドのわきに
立っているのを見たような気がした
もういちど見ると
首のない熊だった
「あわれなおばかさんめ」と彼は言った
「餌をくれるのを待っているんだな」
「マルカ猿よ」なめらかでしずかな、音楽的な声が言った。「悪い猿め」と声は哄笑した。
あたしはぎょっとして頭をもたげた。主人がよろよろとこっちへ歩いてくる。体にあわせて仕立てたジャケットは、黒ずんだ赤のかたまりと化し、毛先も血にぬれてのび、両手で頭をささえていた。頭と肩が再接合したあたりの首すじがもぞもぞ動いている。あたしから流れだした魔力は、かれに流れこんでいた。
「わしを殺すのは、自殺行為だぞ」かれは片手を放して言った。「そんなことはできまい? おまえはいかなる生化学の産物よりも生きたいと望んでいるはずだ。すばらしいことではないか。網にかかった魚のように、自分に死をもたらすものの中で呼吸している。なぜなら、呼吸はやめられないし、それが死につながるからだ」かれの言葉は楽しげにさえひびいた。
あたしはかかとに重心をうつし、立ち上がった。
「わしは生を愛している」感じ入ったように首をふりうごかし、その動きにぎくりとしながら、それでも主人は近づいてきた。「生けるもの、つまり細胞のランダムな集まりが、泥の中でころがり、呼吸し、モノを食い、考え、家を立て、本を書き、赤ん坊を作る。いったいなんのためにだ? 生きつづけられるようにだ」
「あなたは生を愛してなんかいない。死を愛してるんだ」あたしはじりじり退がりながら言った。
「もちろんだ。まともな頭の持ち主なら、そうではないか。純粋さ。単純さ。結末。ハッピーエンド」かれはもう片手を頭から放し、血のついた手をベージュ色のズボンにこすりつけた。
「じゃ、そんなに死を愛しているなら、なぜ死なないの?」あたしはもう一歩退がった。
「こんなにおもしろことがあるのにか? わしは永遠におまえを追いつづける。おまえから生命を吸いとってやる。感じるかね、マルカ。わしはいつでも好きなだけ、おまえから吸いとれるのだ。こうしてそばにいるかぎり」
あたしは身をひるがえして、逃げたが、魔力がイヌの鎖みたいに、ひもみたいに、あたしの中心から流れ出て尾をひくのがわかった。ふりかえると、主人はほんの数フィート後ろにいた。
「わしはおまえを殺せるし、生き返らせられる。好きなだけ、好きなときに、おまえからとれるのだ」かれは満足げに言った。服や髪から血がかわき、色も消えはじめている。首筋から傷跡が消え、なめらかになっていた。
なめらかすぎる。主人は、どこもかしこも継ぎ目なくなめらかすぎる。いつもこんなふうで、いつもすべてを心得たしずかな悪魔として行動している。すべてを賭けているときもだ。かれは命を賭けるのが好きなのだ。かれにこわいものなんてあるのだろうか。
「ほしいだけ、あたしからとったらいいわ」この瞬間をひきのばし、なんとか逃げる手だてを見つけようとしながら、あたしは言った。
山城の国、小椋という所の農民、久しく心地なやみけり。あるときは悪寒発熱して瘧(をこり)のごとく、ある時は遍身いたみ疼(ひら)きて痛風のごとく、さまざま療治すれ共しるしなく、半年ばかりの後に、左の股の上に瘡(かさ)出来て、そのかたち人のかおのごとく、目口ありて鼻耳はなし。
これより余のなやみはなくなりて、ただその瘡(かさ)のいたむ事いふばかりなし。まずこころみに瘡(かさ)の口に酒をいるれば、そのまま瘡(かさ)のおもてあかくなれり。餅・飯を口にいるれば、人のくふごとく口をうごかし、のみおさむる。食をあたふればそのあひだはいたみとどまりて心やすく、食せさせざればまたはなはだいたむ。病人此(この)故にやせつかれて、ししむらきえ力をちて、ほねとかわとになり、死すべき事ちかきにあり。諸方の医師ききつたへ、あつまりて療治をくはへ、本道・外科(げくは)みなその術をつくせども験なし。
「魔術に幽霊に異世界か」ハーヴェイはため息をついた。「ま、いい。そんなこんなで、トリステスとやらはシイーによって変形された――変形という言葉でいいのか?」
「シーです」マイケルは訂正した。
「ちゃんとおぼえられそうにないな、おぼえさせようなんてしないでくれよ」ハーヴェイはぶつぶつ言った。「彼らは彼女に余分な関節を与え、彼女をミイラにした」
「彼女は吸血鬼だったんです。歯を見ましたか?」
「いや。きみは見たのか?」
マイケルは顔すら見ていなかった。「顔はどんなでした?」
「おぼえてない。どうせミイラ顔だろう。しかし妙だな――おぼえていない」
「まだ死体公示所においてありますか?」
「引取り人がいなかったのと、検死官のオフィスで殺人が証明できなかったのとで、死体はどっちも焼却された。おそらく処分したのは、あのデブ女とミイラを身の回りにおいておきたくなかったせいだろうな。しかし写真ならファイルに貼ってある。車の中だ」
「いまだに事件を捜査しているのは、なぜなんです?」
「気味の悪いことに興味があるからさ、ミスター・ペリン。それにきみがどうつながっているのか知りたかった。ワルティリがどう関与していたかもだ。わたしはミステリーのファンでね。わたしの仕事は未解決の犯罪には事欠かないが、ミステリーはいまいましいほど少ないんだ。わかるかね?」
「写真を見たいですね」
「そうくるだろうと思ったよ。ギブ・アンド・テイクだ。きみがわたしに話をして、わたしを案内してまわり、わたしがきみに写真を見せる。きみは取引きの目的を達したわけだ」
ハーヴェイは覆面の警察車の中で、書類フォルダーをマイケルに渡した。「気持のいいものじゃないよ」
マイケルはフォルダを開いて、ラミアの顔写真を数枚とりだした。白黒写真はそっけなく、死後の肉のたるみぐあいが非現実的な感じを強調し、下手な映画のメーキャップめいて見えた。
彼は写真をめくった。次にあらわれた写真はだめになっていた。油じみたニスのようなしみが中央部をぼかしている。マイケルはそれを持ち上げて、ハーヴェイに見せた。
「くそ。ほかのがあるはずだ。ネガから新しいのがつくれるだろう」
「それはどうかな」マイケルは言った。「彼女はすごい美人で、魅力的な女性だったにちがいないんです」
「そりゃまたどうして?」
「シーが彼女を化物に変え、誰にも彼女の本当の顔を見れれないようにしたからです」
ハーヴェイは破損した写真を手に持ったまま、しばらく黙っていた。「きみにはびっくりさせられるよ。いったいわれわれはどうすりゃいいんだろう?」
マイケルは肩をすくめた。「待つんです。この事件をもっと調べたいんでしょう?」
「何を調べるんだね?」ハーヴェイが言った。「わたしの職業上、意味のあるものはここにはひとつもない。あるのはこの世の終わりだけだ」
きんが いっぱい つまった ちいさな ヤカンが
ニヤリと わらって こういった。 ”くわせてくれ”
きんを くわせてくれたら ひみつを おしえてやるよ!
魔術的な自動人形の夢が、現実の技術と結合した最古のものといえば、紀元前後のギリシア人ヘロンにさかのぼる。かれは、人間の手を一切つかわず、すべてを機械で演ずる自動人形劇を考案し、また「ナイフが頸の一方に切りこみ、頸を完全に横断して他方にでたあとも頭が胴体につながっている」という奇術じみた自動人形の設計も考えている。
ぼくはフランクがハシゴを使う必要がないように、彼の首を駝鳥のように、手を手長ザルのように任意にのばせるようにしようと思った。では階段はどうするか? フランクは階段をのぼれるようにしなければならないだろうか?
そうだ、これは、動力つきの車椅子が解決してくれる。あれを買って、フランクの台座として使うことにしよう。そうするためには、フランクの試作第一号を、車椅子におさまるぐらいの大きさで、しかもああいう椅子が容易に運べるぐらいの重さに限定しなければならない。そして、車椅子の動力と操縦装置をフランクの頭脳に連結するのだ。
さて頭脳だ。これが、最大の難問だった。外形はいかに難しくとも、これに比べれば問題ではない。種々の便利な装置を詰めこんでこれに自動制御装置をつければ、床を磨かせることも釘を抜くことも、卵を割ることも――割らないことも意のままだ。だが、これに頭脳がつかなければ、ちょうど人間の両耳のあいだにその物質がなければ人間ではないのと同様、死人ほどの役にもたたないのだ。
ただしフランクの場合には、なにも人間のような頭である必要はない。たいていは同じような仕事の繰り返しである家事一般さえできればよい。従順な白痴の頭脳でこと足りるのだ。
ここに、トーゼン記憶(メモリー)チューブが登場する。われわれが報復攻撃に用いた大陸間ミサイルも、このトーゼン・チューブによる”思考力”を持っていた。ロサンジェルスの交通管理システムに用いられているのも、同様の記憶装置である。ぼくらはここで、ベル研究所ですらが充分に解明し得ない難解なエレクトロニクスの原理にまで深入りする必要はない。要は、このトーゼン・チューブをコントロール回路に接続して、手動操作で、ある動作を一度やってみると、チューブはその動作を”記憶”し、それ以後は人間の監督一切なしに、自動的に同じ動作を繰りかえすのである。自動機械にはこれ充分なのだ。これに、サイド回路をつければミサイルも万能(フレキシブル)フランクも”判断力”をもつのだ。もちろんこれは、真の”判断力”ではない(ぼくの意見では、機械に判断力はあり得ない)。サイド回路は、一種の選択回路である。つまり”かくかくしかじかの制限内でこれこれしかじかのものを探せ。探しだしたら基本指令を果たせ”というようにプログラムする能力を持っている。基本的な指令は、トーゼン記憶チューブに詰めこめるかぎりにおいて――これがまた、ほとんど制限なしなのだ!――複雑化することができる。こうして、使用者は、<判断>回路を、その周波数が、トーゼン・チューブに入れておいた記憶のそれに合わないときは、いつでも基本的指令を中止させることができるようにプログラミングすることができるのだ。
この結果、万能フランクは、一度食卓を片づけ皿の残渣を捨てて、それを皿洗い器に持ってゆくことを教えられれば、それ以後は汚れた皿を見つけしだい、おなじように片づけられるようになる。しかも、絶対に皿を割るようなことはない。
同様にして、別の”記憶”を与えたチューブを装置すれば、フランクは、赤ン坊がおむつを濡らししだい、すぐに換えてやることができ、馬鹿な人間の女のように、赤ん坊にピンを刺したりは、絶対に――繰り返す――絶対にしないのだ。
フランクの四角形の頭部は、こうしたさまざまのそれぞれ異なる仕事の電子工学的記憶を持ったチューブが、少なくとも百本は楽におさまるものになる。そして”判断”のための回路のまわりには安全回路を設け、彼の記憶にまだない何かに出喰わした場合には、その場に静止して、救援ブザーの鳴るようにする。こうすれば、皿も赤ん坊もコワサズにすむというものだ。
かくして、ぼくは動力つき車椅子の骨組みの上に、フランクを設計製作しはじめたのだった。彼の格好は、まさに、帽子かけがタコに恋を囁いているように見えた――だが、その彼の、銀器を磨く手なみの鮮やかといったら!
1809年、ハイドンはナポレオンのウィーン侵攻の中で死去。ハイドンの最後の言葉は、近くに大砲が命中して混乱している使用人たちを何とか落ち着かせようとするものであったという。
遺体はアイゼンシュタットに葬られている。なお、ハイドンの埋葬については奇怪な話があり、それは頭の部分だけが150年間切り離され続けたというものである。ハイドンの死後、オーストリアの刑務所管理人であるヨハン・ペーターという者と、かつてエステルハージ家の書記だったローゼンバウムという男が首を切り離したのである。彼らはハイドンの熱烈な崇拝者だったようで、頭蓋骨を持ち去り、丁寧に薬品処理を行なうなどして保存し続けた(ヨハンは、当時流行していた骨格及び脳容量と人格の相関関係についての学説の信奉者であり、他に何人かの囚人の頭蓋骨を収集していた。ハイドンの天才性と脳容量の相関関係を研究したが、脳容量は通常人と変化なかったため、自説を補強することはできなかった。このとき書いた論文のため、のちに頭蓋骨の所在が知れた)。が、結局は露見し、最終的に頭蓋骨は1954年、アイゼンシュタットに葬られている胴体と一緒になることができた。
「これは禍いを我が国に振り向けようとの東呉の策謀にござりまするぞ」
見れば主簿の司馬懿であったので、そのわけを尋ねると、
「むかし劉・関・張三人は桃園の契りを結びましたおり、生死をともにせんと誓い合いました。このたび東呉は関羽を殺したものの、報復を恐れて首を大王に献じ、劉備の怒りを大王に振り向けて、呉を攻めずに魏を攻めさせるように仕向け、彼はその中にあって漁夫の利を図ろうとしたものでござります」
「いかにも、そなたの申すとおりじゃ。して、どうしてそれを避けたらよいかな」
「それはいとやすいことにござります。大王には、関羽の首を、香木で刻んだ躯に合わせ、大臣の礼をもって手厚く葬られればよろしいのでござります。劉備がこれを知れば、孫権に深い恨みを抱いて、国を挙げて攻めかかるは必定。われらはその勝負のほどを見きわめて、蜀が勝てばともに呉を討ち、呉が勝てばともに蜀を討つのでござります。かの二国のうち一方を得ますれば、他の一方も長くはござりますまい」
曹操はいたく喜んで、その計に従うこととし、呉の使者を引見した。箱が差し出されたので蓋を開いてみれば、関公の顔は生きているかのごとくである。思わず笑って、
「雲長殿、その後お変わりなかったか」
と、その言葉も終わらぬうち、関公の口が開き目が動いて、髪も髭も逆立ったので、あっと驚いて倒れた。諸官が駆けつけて救け起こせば、しばらくして気を取りもどした曹操は、一同を見やって言った。
「関将軍はまことの天神じゃ」
呉の使いも、関公の霊が人に乗り移り、孫権を罵り呂蒙を取り殺したことを言上したので、曹操はますます恐れて、犠牲(いけにえ)を屠って霊を祀り、香木で躯を刻んで、王侯の礼をもって洛陽の南門外に葬ったが、諸官にも柩を送るよう命じて、みずから礼拝し、荊王の位を贈った。その後、役人を差し遣わして墓を守らせることとし、呉の使者を返した。
と、ちょうどその時、鈴が鳴りました。緑色の娘は、ドロシーにいいました。
「あれが合図です。あなたはお一人で玉座の間におはいりにならなくてはなりません」
娘は小さな扉を開けました。ドロシーが思い切ってはいって行くと、そこはすばらしいところでした。広々とし、丸い部屋に、高い丸天井。そして、壁といい、天井といい、床といい、大粒のエメラルドでびっしりおおわれています。丸天井の中心には、太陽ほども明かるい、大きなあかりがついていて、エメラルドをみごとにきらめかせています。
けれども、ドロシーがいちばん興味をひかれてあのは、部屋のまんなかにある、緑色の大理石の、大きな玉座でした。それは椅子のような形をしていて、ほかのすべてのものと同じように、宝石でキラキラしていました。そして、その椅子のまんなかに、のっかっているのは、とほうもなく大きな<首>だったのです。それをささえる胴体もなければ、腕も脚も、何もありません。髪は一筋もありませんが、目鼻と口はついていて、世界一大きい巨人の首よりもまだ大きいのです。
ドロシーが、肝をつぶして、おそるおそるこの首をみつめていると、目がゆっくりと動いて、ドロシーをジローリと見すえました。つぎに、口が動き、ドロシーは、こういう声を聞きました。
「わしが、<おそろしき大魔法使い>オズさまじゃ。おまえはなにものか、なにゆえわしに会いたいのか?」
この大きな<首>のことだからさぞかし、と思っていたほどにおそろしい声ではなかったので、ドロシーは勇気をふるって答えました。
「あたくしは、<つまらぬ小娘>ドロシーでございます。あなたさまのお力ぞえをいただきにまいりました」
ミラノ出身のアンチンボルドが神聖ローマ帝国の帝都ウィーンの宮廷に呼ばれたのが1562年。以後、ハプスブルク家の三代にわたる皇帝、フェルディナント1世(シェーンの「判じ絵」に現れる)、マクシミリアン2世、ルドルフ2世(これら三人の皇帝がパウルス・ロイの作品の登場人物である)に順次仕え、そこでアートディレクターのような役割を果たした。彼の創案した「合成された顔」は、すべて皇帝に献呈されたものであり、皇帝への称賛(オマージュ)を視覚化した寓意(アレゴリー)画であった。神聖ローマ皇帝には、これらいささか妖怪じみた「肖像画」を受け入れるだけの知的素養と器量があった。
《四季》と《四大元素》という都合八枚の作品がある。これらには、皇帝が帝国や人間を支配するように、さらに大きな四季と地水火風の宇宙の四大元素を支配するであろうという寓意(アレゴリー)が込められている。おおかたは帝国内で採れるであろう果実や野菜や動物が調和をもって一個の「顔」を構成しているように、四季も四大元素も調和をもって世界を構成する。この調和的関係は、同時にハプスブルク家による帝国の調和的統治を表している。
《四季》と《四大元素》を全体として眺めれば、《春》は《大気》と、《夏》は《火》と、《秋》は《大地》と、《冬》は《水》と向かいあうように意図されてることがわかる。今回《水》のヴァージョンが来ているが、これを見て、「わーっ、気持ち悪い!」等と反応するだけだとすれば、やはり単純すぎるといわなくてはなるまい。四季は永遠に循環し、自然は四大元素の統合において存続する。かうしてハプスブルク家の統治は永遠に安泰ということになる。しかも《春》が少年の、《夏》が青年の、《秋》が壮年の、《冬》が老年の「顔」を表していることに気づくなら、人生の四つの時期もまたこの帝国=宇宙の調和的関係のうちに組みこまれていることが了解されよう。
しかしなぜ「顔」なのか。古代ローマ人がはじめカピトリーノの丘に要塞を設けたとき、その丘の様子が一個の「顔」(ラテン語でカプート caput)に見えたという伝説がおそらく関係している。カピトリーノという丘の名前はそのことに由来するが、それは顔ないし頭が身体の支配者であるようで、ローマがまさしく「世界の顔・世界の首都」(caput mundi)になることの前兆であった。アンチンボルドが描いた「顔」は、同様に世界がハプスブルク家によって永遠に統治されるであろうことを告げていることになる。神聖ローマ帝国が事実上、古代ローマ人とはなんの直接的つながりもなかったにせよ、いやそうした危うい理念の上に立っていたからこそ、この寓意は皇帝をはじめとするハプスブルク家の人々を喜ばせたものと思われる。
皮肉なことに、進化の過程の中でメガエイトグの何十本もの歯は飾りに過ぎなくなった。やつらは丸呑みすることにしたのだ。
夢ではない。幻想でもない。
それは夢のように、幻想のようにおぼろでありながら、それでいてありありとした現実感を伴い、まばゆい光輝を帯びて、記憶の闇のなかにぽっかりと浮かびあがっているのだった。
――あれは何だったのか? 佐嶋は自問せざるをえない。いや、そもそもあの女は何者だったのか……。
砂漠に車を停めてから、あの女とセックスをするまで、記憶が断ち切られているのが、どうにも不気味でならない。その間のことを想いだそうとしても、頭痛がひどくなるばかりなのだ。そしてその記憶が埋められないかぎり、あれは一体何だったのか、それもわかるはずがないのである。
あの体験があまりにも鮮烈だったために、ほかの記憶がすべて色褪せてしまったとでもいうのだろうか?
しかし、いまはそんなことをあれこれ考えているべきときではないようだった。
いつまでもこの炎天下に立ちつくしてはいられない。そうでもなくても頭痛がひどくて、かなり体力を消耗しているようなのだ。一刻も早く涼しい場所を見つけて、休憩をとらないと、それこそ熱射病で倒れることにもなりかねない。
佐嶋は昨夜、四輪駆動のジープで砂漠に乗り入れたのだが、とりあえずそのジープを探すことから始めたほうがよさそうだった。
佐嶋は周囲を見わたした。
が、砂漠にはただ白い陽炎がちらちらと踊っているだけで、ジープは影もかたちも見えなかった。
なによりもここが昨夜、野営をしようとした場所と同じ地点であるかどうか、それすらはっきりしないのだ。
ジープを遠く離れた場所に停めたのだとしたら、あるいはだれかに盗まれてしまったのだとしたら(あんなことがあった後だ。なにが起こっても不思議はない)、それを捜すのはただ体力を消耗するかぎりで、愚かしいかぎりだろう。
ジープはテヘランのレンタカーで借りたものだ。それを無くしたとあっては無事では済まないだろうが、ジープに未練を残して、命まで失うよりはましではないか。
ジープを諦めてハイウェイを捜したほうがいいか、それともあくまでジープにこだわるべきか……。
佐嶋は迷いながらも、とにかく足を踏み出した。
そのときふいに砂漠につむじ風が起ったのだ!
それはほとんど龍巻と呼んだほうがよかったかもしれない。一瞬のうちに、あたりが暗くなる。風は砂塵を巻き上げ、蛇のようにうねり、佐嶋に襲いかかってきた。
なにも見えず、なにも聞こえなかった。凄まじい風音が耳を圧して、叩きつけてくる砂に眼をあけることもできない。
つむじ風は始まったときと同じように、唐突に収まった。
佐嶋は口汚く罵り声をあげながら、しきりにつばを吐いた。顔にこびりついた砂を手の甲で拭い、ようやく眼を開ける。
そして佐嶋は見たのだ。
砂になかば没するようになりながら、巨大な石面が屹立しているのを。
それは悪魔の顔のようにも、なにか佐嶋の知らない爬虫類の頭部をかたちどったようにも見えた。ただその顔がひどく邪悪で、獰猛なものであることははっきりと見てとれたのだが。
もちろん佐嶋が叫び声をあげたのは、その石面の顔が邪悪で獰猛なものであったからではない。
その顔の裏にはもう一つ別の顔が彫られていた。女の顔だった。稚拙ではあるが、顔をあげるようにして、髪が波打って流れているさまが刻み込まれている。
それは佐嶋の記憶にあるあの女の顔であったのだ!
どうしてか恐ろしくてならず、佐嶋はいつまでも叫びつづけていた。
ある日ガネーシャが母親のパールヴァティーの浴室の戸口で見張りをしていた時、そこへやってきた父親のシヴァをしめ出したので、怒ったシヴァはかれの頭を切り落としてしまいました。しかし母親がたいへん嘆いたので、シヴァはあわれに思って、近づいてくる最初の動物の頭をガネーシャの首にのせてやることにしました。たまたまそこへ象がやってきたので、かれはその頭をのせることになり、その結果ガジャ・アーナナ(象の頭)と呼ばれるようになりました。
死とその後の旅程
1860年2月に、ゲージは初めて痙攣を起こした。これは次第に悪化する一連の痙攣の始まりであり、ゲージはサンフランシスコまたはその近郊で、事故からちょうど12年後の5月21日に死亡した。彼はサンフランシスコのローン・マウンテン墓地に埋葬された。
1866年、ハーロウはゲージがサンフランシスコで死亡したことを知り、そこに住んでいるゲージの家族と手紙のやり取りを始めた。ハーロウの依頼に応じて、ゲージの家族はゲージの遺体を掘り出し、ニューイングランドのハーロウのもとへ搬送された。事故の1年ほど後にゲージは彼の突き棒をハーバード大学医学部のウォーレン解剖学博物館に陳列することを許容したが、のちに返還を要求し、(ハーロウによれば)彼が「僕の鉄の棒」と呼んだそれを彼の「人生の残りをずっと一緒に過ごす仲間」とした 。この棒も頭蓋骨とともに東部へと旅をした。ハーロウは、彼の2番目の(1868年)論文のために頭蓋骨と棒を調査した後、これらをウォーレン博物館に再度展示した。今日でもゲージの頭蓋骨と棒は展示されている。鉄の棒には次のような彫り込みがなされている。
これが、1848年9月14日にバーモント州カヴェンディッシュでフィネーアス (Phinehas)P.ゲージ氏の頭を射通した棒である。彼は負傷から完全に回復し、この棒をハーバード大学医学部の博物館に展示した。フィネーアス P.ゲージ、レバノン、グラフトン郡、ニューハンプシャー、1850年1月6日。
だいぶ後になってから、サンフランシスコの遺体を市域外の新たな埋葬地へ組織的に移動する計画の一部として、ゲージの頭部のない遺体もサイプレス・ローン墓地に改葬された。
昨日は海へ足を運んだ
今日は山へ足を運んだ
次はどこに運ぼうか……
頭を抱えて悩んだ
実は昨日から手を焼いている
…案外骨が折れる
重い腰を持ち上げた
電話が鳴っている
友人に頼むむねを確認し明日までには終わらせようと腹をくくった
傲慢といえば、私たちはかぼちゃを思い出します。かぼちゃはかつてシキュオーンの町で、女神のように崇拝されていたものでした。それは多産性の象徴のようにも見えるし、また傲慢の象徴のようにも見えます。なぜ多産性かというと、その種子が多いから、その成長が早いからです。修道士ワラフリート・ストラボーがその詩の一章全部を使って、すばらしい六脚韻で歌いあえたのが、このかぼちゃの成長の早さでした。それでは、なぜ傲慢かといいますと、その巨大なからっぽの頭と、そのふくれあがった図体がなにより目立つからです。
げに我は首なき一の體(からだ)の悲しき群にまじりてその行くごとくゆくを見たりき、また我いまもこれをみるに似たり
この者切られし首の髮をとらへてあたかも提燈の如く之をおのが手に吊つるせり、首は我等を見てあゝ/\といふ
體は己のために己を燈となせるなり、彼等は二にて一、一にて二なりき、かゝる事のいかであるやはかく定むるもの知りたまふ
まさしく橋下に來れる時、この者その言ことばの我等に近からんため腕を首と共に高く上げたり
さてその言にいふ、氣息をつきつゝ死者を見つゝゆく者よ、いざこの心憂き罰を見よ、かく重きものほかにもあるや否やを見よ
また汝わが消息おとづれをもたらすをえんため、我はベルトラム・ダル・ボルニオとて若き王に惡を勸めし者なるをしるべし
乃ち我は父と子とを互に背くにいたらしめしなり、アーキトフェルがアブサロネをよからぬ道に唆そゝのかしてダヴィーデに背かしめしも
この上にはいでじ、かくあへる人と人とを分てるによりて、わが腦はあはれこの體の中なるその根元より分たれ、しかして我これを携ふ
應報の律おきて乃ち斯くの如くわが身に行はる
よい かんきょうで そだちすぎて
たくさん ふえた あたまは
どれか おちて タマタマになる。
「悟空よ、ああ、これはたいへんなことになったのう。」となげくと、行者はこともなげにいった。
「なんのおそれることがあります。手を放してください。ちょっといってまいりますから。」
孫行者が首きり場につくと、首きり役人がかれを、土盛りした高い台の上にすえた。そしてただひと声、やっ! というかけ声がしたかと思うと、首はころりと下に落ちた。なおそのうえ、首きり役人がひと足ぽーんとけったので、まるでスイカのように、首はころころと三、四十歩も遠くへころがっていった。首のきり口からは、しかし一滴の血もながれない。ただ腹のなかから、
「頭よ、こい、こい、こい!」という声がしてきた。いちばん近くにいた鹿力大仙は、
――かかる法術のこころえまであったか。……と、びっくりして、あわてて呪文をとなえ、土地神をよびさして、その頭をおさえさせてしまった。
「頭よ、こい、こい!」
行者はまたこうさけんだが、頭は根がはえたように動こうとはしない。行者はあせって、さらばと、
「伸びろ!」とひと声どなると、きり口のあなから、にょきっとひとつの首がのびてきたので、首きり役人をはじめ、みなきもをつぶしておどろき、声をたてるものさえなかった。
やがて行者は、ちりをはらあい、おちつきはらって帰ってきた。三蔵はそのぶじな顔をみていった。
「悟空よ、さぞ痛かったであろうのう。」
「なあに、痛かなんかありません。かえって気もちよかったくらいです。」
「兄き、傷ぐすりをぬったらどうだ。」
八戒もこういうと、
「おまえなでてみろ、傷あとがあるかどうか。」
行者がこういったので、八戒は手をのばしてなでてみて、あきれたように目をはちくりさせて、わらいながらいった。
「こりゃ、みょうだ! まったくもとどおりで、傷あとさえないわい!」などと、師弟たちがよろこびあっているとき、国王は手形をあたえるように命じて、申された。
「そちたち、無罪にいたすから、とっととたつがよかろう。」
こうなると、行者は承知せず、
「手形をいただいても、国師が首きりの術をおこなわないかぎりは、だんじてたち申さん。」
というと、国王はしぶしぶこのむねを伝えたので、虎力大仙はやむをえず、首きり役人にともなわれて、土盛りした上にすわった。そして長刀がひらめいたとみるまに、大仙の首はころりと落ち、足でぽーんとひとけりせられるや、ころころと三十歩余りころがった。が、やはり大仙の首のきり口からも、一滴の血も出なかった。
「頭よ、こい、こい!」
かれもまたこうさけんだので、行者はさっそく一本の毛をぬき、一ぴきの赤犬にかえて放したので、犬は大仙の首をぱくりとくわえ、とうとう王宮のお堀のなかへすててしまった。
紀元前8世紀〜紀元前3世紀にかけて現在のウクライナに割拠した遊牧民族スキタイの習俗に「頭蓋骨は近親者か最も憎い敵に限り、髑髏を眉の下で切り牛の生皮を貼って杯として用いる」とあり、これが最も古い髑髏杯の記録だと思われる。
大プリニウスは『博物誌』に、ドニエプル川の北方部族が髑髏杯を用いる事や、夜間に泉から汲んだ水を髑髏に入れて患者に飲ませるというてんかんの治療法を記している。
イッセドネス人は親の葬儀で喜びを表し、集まって祝祭を催す。そして故人の遺体を引き裂いて家畜の胎児の挽き肉と混ぜ合わせ、宴に来た人々にふるまい、食べつくす。頭蓋骨は磨き上げて黄金を巻き、杯に使う。これらの行為はイッセドネス人における最大の親孝行であるという。
ただ、夢は、美しい夢ほどもろく、こわれやすく、虹かシャボン玉のようなもので、目がさめて思い出そうとするうちに、みるみる色あせ、細部がどんどん欠落していくので、書きとめてみても、ペンを箸にして燃えつきた夢の骨を拾っているにすぎないということになる。ことに私の暮らしでは、朝ゆっくりとしている時間がなく、目覚ましの音でとび起きてバタバタする散文的日常なので、南方熊楠のすすめる夢の記憶法を実行することはなかなかむずかしい。
「すべて夢をさむるときに身をちょっとでも動かせばたちまち忘るるものなり(中略)依然として夢みしときの位置のままに臥しおり閉目すれば、今見し夢の次第を記憶し出しう得るということを発見せり」その理由としては「たぶん夢見るときの脳分子は不定の位置を占めおれば、ちょっとでも動けばその順序常に復するというようなことと存じ候。」
体をうごかすと脳分子が常態に復して夢を忘れてしまう、というこの説はじつにおもしろいが、熊楠のいうくずれやすい「不定の位置」におかれた「脳分子」は、しかし何日も何年も間をおいて、再び夢のなかで似たような布置(ゲシュタルト)におかれることがあり、これが繰返されると、よくみる夢のパターンとなって、私のなかに定着されていく。
酒を飲み、考え、時節を待ちながら、クレムはそこかしこの溜り場へかよったが、ある日、料理店と酒場の二つの顔をもつ店<トゥー・フェイス・バー&グリル>にいた。ここの主人は<二つの顔>のテレルといい、悪党と紳士(それもいっぱしの伊達男)の二股をかけている。ちょうど男がひとり、クレムといっしょの薄暗いテーブルについたところで、トゥー・フェイスに酒を運ばせながら、男はこう口をきった。
「どうしてマシューにはロバが二頭でてくるんだろうな?」と男はたずねた。
「マシュ―って誰だ?」とクレムはきいた。「何の話だか、よくわからないんだがね」
「それはもちろん、聖書の二十一章一節から九節の件さ」と男。「マシューマタイのやつを唯一の例外として、ほかの福音書にはどれもロバは一頭しか出てこない。そんなことを考えたことがあるかい?」
「いいや、チラッとも」
「そうか。それなら、どうしてマシューには悪霊につかれたのが二人いる?」
「ええっ?」
「八章二十八から三十四節さ。ほかの伝道者のところには狂人はひとりしか出てこない」
「はじめ気のふれたのはひとりだけだったのが、隣で飲んでいたやつを発狂させたのかもしれない」
「それはありうる。――なんてのは冗談だろうがな。しかし、どうしてマシューには盲人が二人いる?」
「たまげたな、もう。そりゃ、いったいどこに?」とクレムはきいた。
「九章二十七から三十一、それに二十章二十九から三十四さ。ほかの福音書では、盲人はいつもひとりしかいない。どうしてマシューにだけは、こう物がダブるんだろう? ほかにもいろいろと例はあるぞ」
「それは多分、乱視だったんだろう」
「ちがうね」と男はささやいた。「やつはわれわれの仲間だったんだ」
「その”われわれ”というのは、いったい何のことだね?」とクレムはきいたが、すでに自分の症例が唯一無二ではないことにうすうす気づきはじめていた。
「よう、王さまよ。後生だからやめえくれよ!」ビルビルがたのみました。「頭が痛くなってくるじゃないか」
「けど歌はまだ終わっていないんじゃよ」リンキティンクはこたえました。「それに、おまえの頭痛はじゃが、あわれなネッドのことを考えておやりなさい。ネッドは頭痛もなにも首がないんじゃから!」
「おまえさんの陰気な歌で頭がいっぱいで、なにも考えられないよ」ビルビルがいい返します。
「なんでたのしいことを歌った歌をえらばないんだい、そんな、赤毛の首をなくして死んだ男の歌なんか歌ってさ? まじめな話。リンキティンクよ、おまえさんにはあきれてものもいえないよ」
「そういえば生きている男のすばらしい歌を知っとるよ」と王さま。
「なら歌わないでくれ、たのむ」
雨溝のはしで星明りを背にうかびあがっているのは、無骨な顎を空に突きだして逆さまになっている巨大な頭蓋骨だった。
生産社会とは、九つの頭をもっているという神話の怪獣ヒドラに似ている。私たちそれぞれの分野で生産に従事する者は、それぞれヒドラの一本の脚である。ヒドラの頭(神とか、国家とか、道徳とか呼ばれる社会の頭)は、もっぱらこの頭のために卑しく屈従する体の諸機能を組織し、統率する。ヘラクレスのように、ヒドラの頭をひとつひとつ斬って落とすことが必要だ。そうすれば、脚はそれぞれ脚のために生きるようになるであろう。
「ウィリアム父さんもういい年だ」
若い息子がいったとさ
「髪の毛だってまっしろなのに
いまだにしょっちゅう逆立ちばかり
ちょいとお年に似合わぬが?」
ウィリアム父さん返事して
「若いうちこそおっかなびっくり
お頭いためちゃたいへんだもの
いまじゃお頭もすっからかん
なんのまだまだやってみせるぜ」
ヴルツェル これでわしに悪態をつく者もいなくなったか?
嫉妬 (ヴルツェルの問いに素早く答える)私がいる! お前は何と言うことをしたのか? 馬鹿者、なぜ私の命令どおりに、もっと早く娘を嫁にやらなかったのか? 私の視界から失せよ不格好者、さもないとお前の空っぽの頭に毒蛇を放って狂気がお前の穴という穴から吹き出すようにしてやるぞ。
ヴルツェル (怒りのあまりほとんど我を忘れ、すっかり消耗して)いいだろう、今度は黄色の化け物がわしに気軽に話しかけてくる。今度は卵の油みてえのが近づいてくる、おいお前!(嫉妬と憎悪は笑う。ヴルツェル絶望的になって)よし、笑うがいい、お前たちには笑う必要があるからな!
「あの巫女と話がしたいか? ならば、このわしを倒してからにしてもらおう」
ゴルルグは立ち上がった。三メートルを超える巨体が、あなたのほうに一歩一歩近づいてくる。
「勝負だ、ギルガメス!」
あなたはクロムの長剣の鞘を払い、低く身構えた。その時、ゴルルグが呪文を叫んだ。左右の口で、二つの呪文を……。
「NAZLE!」
「MAGNO!」
昔「どうも」と「こうも」という名前の2人の医者がおり、ともに自分こそ日本一の名医と自慢していた。あるとき、2人はどちらが日本一の技量であるか勝負することになった。まず2人が腕を切り落とし、それを繋いでみせた。切った跡はまったく残らず、勝負はつかなかった。続いて互いの首を切って繋ぐことになった。あまりの大事に多くの見物人が集まる中、2人は代わりばんこに互いの首を切り落とし、元通りに繋ぎ合わせた。やはり一向に勝負はつかない。遂に2人は、代わりばんこではなく同時に首を切り、同時に繋ぐという勝負に出た。合図と共に互いの首を切り落とした。しかし2人同時に首を失ったので、繋ぐ者が誰もおらず2人とも死んでしまった。このことから何も出来ないことを「どうもこうもならない」と言うようになった。
まま子をにくみて食物をあたえずして殺しければ継母の子産れしより首筋の上にも口ありて食をくはんといふを髪のはし蛇となりて食物をあたへまた何日もあたへずなどしてくるしめるとなんおそれつつしむべきはまま母のそねみなり
だが、なにゆえに髪の毛は、闘士としての肉体をきたえるのか? ――髪の毛「もっとつよくおまえを抱きしめられるようにさ、いい子や。」
マルスリーヌ-マリー「でも、私の髪の毛さん、どうして、どうしてあなたはどこにでもいるの?」 ――髪の毛「それはね、もっといい場所におまえを置いてやるためさ、いい子や。」
マルスリーヌ-マリー「私の居場所は、寛大な夫の足元ですわ。」 ――髪の毛「夢みることです、服を着ることです、不健全(マルサン)な金曜日に服を着せることです。」
天は我等の頭(こうべ)を倒(さかしま)に伏せたる大杯なり。賢者は羞恥にして無気力なり、されど盃と酒瓶は堅固なる友人同士なり。彼等の間に血の流るるとも彼等は唇と唇とを相接す。
「まあ、おばあさん、おばあさんの耳、なんて大きいんでしょう!」
「おまえのいうことが、よく聞こえるようにね」
「まあ、おばあさん、おばあさんの目、なんて大きいんでしょう!」
「おまえがよく見えるようにさ」
「まあ、おばあさん、おばあさんの手、なんて大きいんでしょう!」
「おまえを、しっかりつかめるようにね」
「まあ、でも、おばあさん、おばあさんの口、なんて大きいんでしょう!」
各人の肉体を作り上げて統括している霊魂が、われわれが自分の判断を下す以前に、われわれの判断力そのものを作り上げたからだ。それゆえ霊魂は、自分にとって美しいと判断したとおりに、その人の全身像を作ったり、長い鼻や、短い鼻や、しし鼻に作ったり、また鼻の高さや形状を定めたのである。この判断力はきわめて強力なので、画家の腕はそれに動かされて、自分自身を繰り返し描いてしまい、霊魂には、これこそ人体を描く正しい方法であって、自分と同じように描かない者は誤っているように思われるのである。
中世の人間は均質的な時空観念のなかで生きていたのではなくて、二つの宇宙の中で生きていました。わかりやすく言えば自然界の諸力を人間がかろうじて制御しうると考えられていた範囲内が小宇宙、ミクロコスモスであって、その外側には人間が到底制御しえない様々な霊とか巨人、小人、死などの支配する大宇宙マクロコスモスがひろがっていました。この両宇宙は排他的なものではなく、同じ要素から成り立っていて、同心円の一つの宇宙を成してもいました。小宇宙とはスカンジナビア人の意識の中ではミズガルト、真中に家があるその世界です。これは人間によって開墾され開発された世界の部分であって、その垣根の外側には人間の手が加えられていない混沌状態の世界が広がっている。そこは巨人や小人や悪魔などが住む。この二つの宇宙の表象はどこにでも見られるもので、スカンジナビア半島だけではなくて、イラン、古代インドにもあります。これは古代スカンジナビア、あるいは中世においては人体との対比で普通は書かれています。ミクロコスモスが人体であり、マクロコスモスは宇宙全体。つまり天は頭であり、木・枝は指であり等々であるというもので、これは普遍的な概念だとおもいます。
もうひとつ、記録に残されている怪物標本の大物にも触れておこう。これもコンラート・ゲスナーが図示してくれているものだが、長らく富と名誉の絶頂にいたヴェネツィア共和国に、国の宝物として、七つの頭をもつ怪物ヒュドラの標本が大切に保管されていた。この怪物は一五三〇年にトルコからヴェネツィアに運ばれ、のちにフランス王が買いとったといわれる。当時の金で六千デュカトもしたといわれ、一説に「ヘラクレスが殺した怪物ヒュドラの同類」、といわれていた。そしてこの怪物らしい標本が、十八世紀にアムステルダムで博物コレクションを行っていた薬種商人アルベルト・セバの所有物となった。セバはこの怪物を図示している。この標本はハンブルグの商人から買いとる予定であったが、セバとしてもあまりに信じがたい代ものであるため、手はじめに図を送ってもらったという。
じつはこの怪物は、奇物コレクションでヨーロッパ中に名をとどろかせたプラーグのルドルフ2世時代に、プラーグのある教会にもちこまれたものであった。プラーグの掠奪のあと、各地を点々としたあげくに、セバの図が世の中に出た一七三五年、デンマーク王フレデリック4世が二千ターラーで購入するところまで話が決まった。
ところが、この交渉中、博物学の勉強をしているひとりの若者が、怪物標本をつぶさに検べる機会を得た。かれは怪物をひと目見るなり、「神は、一つの体に一つ以上の脳をお与えにならない!」と叫んで、まがいものだと宣言してしまった。おかげで怪物の値は暴落、交渉も不首尾に終わったという。参考までに書くが、この青年こそカール・リンネであった。のちに生物分類法を確立し、博物学に新世紀をもたらした偉人である。
その首獄門に懸けて曝すに、三月まで色変ぜず、眼をも塞がず、常に牙をかみて、「斬られしわが五体、いづれの所にか有るらん。ここに来たれ。首ついで今一軍せん」と夜な夜な呼ばはりけるあひだ、聞く人これを恐れずといふ事なし。時に道過ぐる人これを聞きて、
将門は米かみよりぞ斬られける俵藤太が謀にて
と読みたりければ、この首からからと笑ひけるが、眼たちまちに塞がつて、その尸つひに枯れにけり。
百頭女という言葉には無頭女という洒落が隠されているらしい。こんな洒落はシュールレアリスムの遊びに馴れた人には何ら目新しいことでもあるまい。しかし、百頭女がデベイズマンという異郷生活を自由奔放に送るためには、百の頭はおろか一つの頭も必要ではなかった。