こうしてみると、まったく権力や財力のバックなしに、ただ自分の手と脚とを用いるだけで、あの壮大な理想の宮殿を独力で完成した郵便配達夫シュヴァルのような男の例は、きわめて稀有な例といわなければならぬだろう。
フェルディナン・シュヴァルは一八三六年、ドローム県のオートリヴに近いシャルムという寒村に生まれた、なんの財産もない一介の農夫の子にすぎなかったが、郵便配達夫という職業のかたわら、道ばたで拾った石を丹念に集めては、それを一つ一つセメントで固め、ついにあの前代未聞のモニュメントを完成したのだった。それは文字通り不屈の精神の賜物である。
シュヴァル自身が記録として残したところによると、彼は一八七九年、四十三歳の時に仕事をはじめたそうである。或る日、彼は奇妙な形の小石を拾って、家に持ち帰った。そして翌日、同じ場所へいってみると、さらにおもしろい形の小石が見つかった。それらは、いろんな動物の形に見えるのだ。こうして彼は、石集めに夢中になり、この楽しい仕事に運命の神の啓示を見たと信じたのである。
シュヴァルの仕事が、まず石のコレクションからはじまったということは暗示的である。
石 其の精 金為り 玉為り
石たちは臓物でいっぱいだ。ブラヴォ。ブラヴォ。
暗やみに光がさした。天と地のはじまりだった。ひきつづいて世界ができる。
東勝神州
西牛賀州
南贍部州
北倶蘆州
これら四つの世界であった。はなしの発端は東勝神州だ。ここに傲来国というくにがあった。まわりが海だ。海の中に山があった。花果山という。てっぺんに大石が転がっていた。高さが三丈六尺五寸。考えただけでも気が遠くなりそうな大石だ。あたりには陽をさえぎる立ち木は一本もなく、石の根っこに芝蘭が群生していただけである。
石は開闢のはじめから、そこに転がっていた。何百万年、何千万年、何億万年、転がりつづけていたかわかりはしない。そのあいだに日にさらされる――というのは太陽の精華を吸収したことである。そのあいだに月に照らされる――というのは月の太陰の精髄を吸収したことである。いつのまにか石の胎内に『たましい』が宿って、それがだんだん成長した。とうとうパーンと石が裂けた。卵がうまれた。おおきさがバレーの球ほどもあろうか、という石の卵である。まもなくこの石の卵が割れた。猿がうまれた。石猿である。うまれたはじめから手足が使えたので、這ってあるき、立ってあるき、あるいはまた実に器用に腰をすえてすわった。上下・四方をきょろきょろと、あわただしく見わたした。ところで猿の目の光が本来は金色である。特にうまれたはじめは、たったいま製錬したばかりの黄金をみるようだ。もの凄い輝きだ。広い空間をつらぬいて天までとどいた。
ロンドン橋が落ちた、
踊って超えよ、レイディ・リイ。
ロンドン橋が落ちた。
伊達なレイディと、えんやらさ。
こんだ、どうして作ろうぞ、
踊って超えよ、レイディ・リイ。
こんだ、どうして作ろうぞ、
伊達なレイディと、えんやらさ。
金や銀では盗まれる。
踊って超えよ、レイディ・リイ。
金や銀では盗まれる。
伊達なレイディと、えんやらさ。
鉄と鋼でまた作れ、
踊って超えよ、レイディ・リイ。
鉄と鋼でまた作れ、
伊達なレイディと、えんやらさ。
鉄や鋼は折れまがる、
踊って超えよ、レイディ・リイ。
鉄や鋼は折れまがる、
伊達なレイディと、えんやらさ。
木と泥土でやれ作れ、
踊って超えよ、レイディ・リイ。
木と泥土でやれ作れ、
伊達なレイディと、えんやらさ。
木と泥土は流される。
踊って超えよ、レイディ・リイ。
木と泥土は流される。
伊達なレイディと、えんやらさ。
丈夫な石でやれ作れ。
踊って超えよ、レイディ・リイ。
フザァ! それなら百年もち、
伊達なレイディと、えんやらさ。
島の中心には直径五十ヤードばかりの裂目が一つあって、ここから天文学者らが大きな円蓋塔に入ってゆくようになっている。この塔はフランドーラ・ガニョーレ、すなわち「天文学者の洞穴」と呼ばれていたが、それは硬石の上部表面から百ヤード底になっている。なかには二十個のランプが不断に点っているが、硬石の反射を受けて、隅々まで明るい光を投げている。ここにはさまざまの六分儀や望遠鏡や天体観測器や、その他おびただしい天文器械類が置いてある。しかし最も珍しい、そしてこの島の運命の鍵を握っているものは、形はちょっと機織工の梭のような恰好をしているが、とほうもなく巨大な一個の磁石だった。長さ六ヤード、厚さは最も厚いところは少なくとも三ヤード以上はある。そしてこの磁石は、中心を貫いた一本の非常に丈夫な硬石の棒によって支えられ、これを枢軸として廻転し、またどんな繊細な手によってでも動かすことのできるように置かれている。周りはこれまた深さ、厚さ、各々四フィート、直径十二ヤードの硬石の円甲をもって箍がはめてあり、高さ六ヤードの硬石の脚八本でもって水平に支えられている。凹面側の真中には深さ十二インチの溝があり、これに枢軸の両端をはめこんで、必要な時には廻転できるようになっているのである。
磁石はどんな力によっても決して位置を狂わせることはない。つまり箍と脚とが、この島の基底部を成している硬石層にそのまま彫りこまれたものだからである。
「この家、焼いてしまおう!」こんどはウサギの声だ。そこでアリス、これ以上は出せないっていうくらいの大声で叫んだね。「おまえ、そんなことしたら、ダイナをけしかけてやるからねーっ!」って。
たちまち、しーんとしてしまった。アリス、「こんどはどんな手でくるかな? ちょっとでも頭がよければ、屋根をはがしてくれるはずなんだけどな」とひとりごと。一、二分もすると、みんなはまたざわざわ動き出し、ウサギが口を開いた。「まず、手車一杯分でいいだろう」
「手車一杯分って、何をかな?」とアリスは思ったけど、考えるまでもなかったね。なにしろ、小石が雨あられと窓にぶつけられてきたんだから。何発かは顔にも当たったよ。「やめさせなきゃ、こんなこと」とアリスはつぶやき、大声で「やめたほうが身のためだよーっ!」って叫ぶと、また、みんな黙りこくった。
アリスは落っこちる小石を見てたんだけど、驚いたことに、床に着くとみんな小さいケーキに変わっていくんだよ。アリス、ぴーんときたね。「ケーキを食べると、きっと、あたしの身長、変わるんだわ。これ以上大きくなりっこないんだから、小さくなるにちがいないよ」
そこで一個、ケーキをのみこんでみたんだな。すると、うれしいことに、たちまちからだが縮んでいく。ドアを通れるぐらい小さくなると、大急ぎで家から駆けだしていった。
「あたしたち、どうやって森から出ればいいの?」
ヘンゼルはグレーテルをなぐさめた。
「もうちょっと待ちな。お月さんが出るまでのしんぼうだ。そしたらきっと道がわかるからね」
まん丸いお月さまが昇ると、ヘンゼルは妹の手をひいて、小石をたよりに歩いていった。小石はまっさらの銀貨のように、ぺっかぺっか光って道を教えた。二人は夜どおし歩いて、しらじら明けに、父さんの家に帰りついた。ドンドン扉をたたくと、かみさんが出てきて、ヘンゼルとグレーテルだと見ると、言うことに、
「しょうのないがきめらが、こんなにおそくまで森で寝てやがって、もう帰る気なんぞないんだろって、あたしら、思ってたんだよ」
でも、父さんはうれしかった。子どもたちをおきざりにしたことが、たいそう胸にこたえていたからだ。
落下は――恐怖の変わらぬ道連れにして、
恐怖とは空虚の感覚なり。
高みからわれらへ石を投げるのは誰か――
石は塵埃のくびきを否定するだろうか?
かつておまえは舗装した中庭を
修道僧のぎごちない足どりで歩きまわっていた、
ごろ石と粗暴な夢想――
そこには死への渇望とあこがれがある……
ならば呪われてあれゴシックの隠れ家よ、
入りきたる者は天井に欺かれ、
そして竈には陽気な薪は燃えていない!
永遠のために生きる者はわずか、
だがおまえが束の間のことに心くだくなら――
おまえの運勢は恐ろしく おまえの家は脆いだろう!
肥後の山鹿では下宮の彦嶽権現の山と、蒲生の不動岩とは兄弟であったといっております。権現は継子で母が大豆ばかり食べさせ、不動は実子だから小豆を食べさせていました。後にこの兄弟の山が網を首に掛けて首引きをした時に、権現山は大豆を食べていたので力が強く、小豆で養われた不動岩は負けてしまって、首をひき切られて久原という村にその首が落ちたといって、今でもそこには首岩という岩が立っています。
これはこのよのことならず。しでのやまじのすそのなる。さいのかわらのものがたり。
きくにつけてもあわれなり。二つや三つや四つ五つ。十にもたらぬみどり子が。
さいのかわらにあつまりてちちこひしははこひし。こひしこひしとなくこゑは。このよのこゑとはことかわり。
かなしさほねみをとおすなりかのみどりこのしよさとして。かはらのいしをとりあつめ。これにてゑかふのとうをくむ。
一じうくんではちちのため。
二じうくんではははのため。
三じうくんではふるさとの。
きやうだいわがみとゑかふして。
ひるはひとりであそべども。ひもいりあひのそのころは。ぢこくのおにがあらはれて。やれなんぢらはなにをする。
しやばにのこりしちちはははついぜんざぜんのつとめなく。ただあけくれのなげきには。むごやかなしやふびんやと。
おやのなげきはなんぢらが。くげんをうくるた子となる。われをうらむることなかれと。
くろが子のぼうをのへ。つみたるとうをおしくずす。
岩が自力で動くか否かについての議論に、きっぱり決着をつけるとすれば、答えは「動く」ということになる。それを立証する写真もある。この岩は、カリフォルニア州の「死の谷」にある、延長三マイルに及ぶレイストラック・プラヤと呼ばれる干上がった湖の底を移動する石のひとつである。これまで誰も、移動の現場を目撃した者はいない。また、その動き方も不明である。原因に関しては、月の影響であるという説から、地磁気説、UFO説、太陽黒点説等、諸説入り乱れている。
一九六八年以来、この不思議な現象を調査しているシャープ博士なる科学者は、風と雨が相まって動力を作り出すと解説した。この説の難点は、小石から半トンもある丸石まで多種多様な岩が、別々の方向に移動するという事実に無力なことだ。また、もし風力によるのであれば、転がるはずだが、実際にはむしろ滑り動いている。シャープ博士が測定し追跡していた大きな岩は、最近六一三・六メートルも移動した。
シーシュポスが不条理な英雄であることが、すでにおわかりいただけたであろう。その情熱によって、また同じくその苦しみによって、かれは不条理な英雄なのである。神々に対するかれの侮蔑、死への憎悪。生への情熱が、全身全霊を打ちこんで、しかもなにものも成就されないという、この言語に絶した責苦をかれに招いたのである。これが、この地上への情熱のために支払わなければならぬ代償である。地獄におけるシーシュポスについては、ぼくらはなにひとつ伝えられていない。神話とは想像力が生命を吹きこむのにふさわしいものだ。このシーシュポスを主人公とする神話についていえば、緊張した身体があらんかぎりの努力を傾けて、巨大な岩を持ち上げ、ころがし、何百回目も、同じ斜面に繰り返してそれを押し上げようとしている姿が描かれているだけだ。ひきつったその顔、頬を岩に圧しあて、粘土に覆われた巨塊を片方の肩でがっしりと受けとめ、片足を楔のように送ってその巨塊をささえ、両の腕を伸ばしてふたたび押しはじめる。泥まみれになった両の手のまったく人間的な確実さ、そういう姿が描かれている。天のない空間と深さのない時間とによって測られるこの長い努力のはてに、ついに目的は達せられる。するとシーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下のほうの世界へところがり落ちてゆくのをじっと見つめる。その下のほうの世界から、ふたたび岩を頂上まで押し上げてこなければならぬのだ。かれはふたたび平原へと降りてゆく。
こうやって麓へと戻ってゆくあいだ、この休止のあいだのシーシュポスこそ、ぼくの関心をそそる。石とこれほど間近かに取り組んで苦しんだ顔は、もはやそれ自体が石である! この男が、思い、しかし乱れぬ足どりで、いつ終わりになるかかれ自身ではすこしも知らぬ責苦のほうへとふたたび降りてゆくのを、ぼくは眼前に想い描く。いわばちょっと息をついているこの時間、かれの不幸と同じく、確実に繰返し舞い戻ってくるこの時間、これは意識の張りつめた時間だ。かれが山頂をはなれ、神々の洞穴のほうへとすこしずつ降ってゆくときの、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。
「この宮殿の名まえになっている宝石はどんなものなんです。」ある時、ゲドはたずねた。ふたりはろうそくのともる大きな食堂で、空になった黄金の皿や杯を前にして、すわっていた。
「あら、お聞きになったこと、ありませんの? 名高いものなんですのに。」
「ええ。ただ、オスキルの領主たちが有名な宝石をたくさん持っていることだけは知っていましたが……。」
「そう、そしてその中でも、この宝石は特別なものなんですのよ。いらっしゃいな。ご覧になりたいんでしょう?」
夫人はいたずらっぽく笑った。が、その笑いには言い出したことを後悔しているようなそぶりもちらとうかがわれた。やがて、ゲドは夫人に案内されて食堂を出て、塔の一階の狭い廊下をぬけ、地下におりていった。ほどなくふたりは鍵のかかった扉の前に立った。初めて見る扉だった。夫人はこれを銀の鍵で開けると、ゲドをふりかえって、うながすようにほほえんだ。扉の向こうには短い通路があって、その先に二つ目の扉があった。夫人は金の鍵をさしこんだ。するとその先にさらにもうひとつの扉があらわれた。夫人は呪文を唱えた。扉が開いた。ろうそくの火に浮かび上がったのは土牢のような小さな部屋だった。床も壁も天井もごつごつした自然石で、どんな人の手も加えられてはいない。
「おわかりかしら?」セレットはきいた。
部屋を見回すうち、ゲドの鋭い魔法使いの目は、床をつくっている石のひとつにとまった。それはほかの石と同じような天然の敷石で、湿って、やはりごつごつしていた。しかし、ゲドには、石が声を出して語りかけでもしたように、その石が特別の力を持っていることがわかった。ゲドは息をのんだ。目まいが一瞬彼を襲った。これがこの塔の礎石で、ここが宮殿の中心地点なのだ。部屋は恐ろしく寒かった。この小部屋を暖めることのできるものがあるのだろうか。石はとてつもなく古いものだった。恐ろしい太古の精霊がこの中に閉じ込められているのはあきらかだった。
「たとえ世界が前からこうだったとしても、われわれはこれ以外のことをそれとなく知っている」グレゴリーがいった。「投げ矢を作ったという民間伝承の英雄はだれだ? 彼はなにからそれを作ったんだ?」
「ウィリー・マッギリーというのが、その英雄の名前だよ」エピクトは、ようやく話し管のそばへ行くのに間に合ったヴァレリーの声でいった。「ウィリーが投げ矢を作ったのは、スベリニレの木だ」
「民間伝承のウィリーが作ったような投げ矢を、われわれも作れるだろうか?」アロイシャスがたずねた。
「作らなくちゃ」とエピクト。
「では、石投げ器を作って、それをわれわれ自身の背景の外へ射こむことも――」
「それを使って、〈化身〉がだれかを殺す前に〈化身〉を殺せるだろうか?」グレゴリーが興奮した口調でたずねた。
「やってみるさ」ただのカチェンコ仮面と話し管にすぎない精霊のエピクトが答えた。
「もともと、あの〈化身〉は好きじゃなかったんだ」
だれがいったんだ。エピクトがただのカチェンコ仮面と話し管にすぎないなんて! 彼はもっともっとそれ以上のものだった。彼の頬袋には、赤い柘榴石と本物の海の塩が入っていた。ビーバーの目から作った粉末も入っていた。ガラガラ蛇の尾と、アルマジロの甲も入っていた。彼は最初のクティステック・マシンだった。
「合図をしてくれ、エピクト」しばらくのち、アロイシャスが石投げ器に投げ矢をはさんでいった。
「投げろ! あのいまいましい〈化身〉を殺せ!」エピクトがわめいた。
石切り場へはいちども行ったことがありませんでした。道もよく知りません。つねづねクレイグが、石切り場はおれのもの、家はおまえのものといっているからです。それでも、夫が通って行くのを何度か見ている道を行くと、まもなく夫の仕事場に出ました。
石切り場は沈む月と、のぼる太陽に照らされていました。まだひとつの影も落ちていませんでした。石はクレイグのふりおろすハンマーを待ち、その一撃一撃に屈するときを待っていました。
クレイグはすぐさま仕事にかかりました。
怒りにまかせたハンマーの最初の数振りは、ただもうすばやいだけで、見当もなにもなく、でたらめで、岩の薄片がはがれるばかりでした。が、怒りがひいて、からだが仕事のリズムをとりもどすにつれ、岩の壁におぼろげな姿が見えてきました。
自分では石の子どもをつくる気なのに、ハンマーはべつのうごきをしめしました。きょうまでかれは、子どもをろくに見たことがないので、石からあらわれ出たのは、背丈も横幅もおとなとかわらぬ像でした。
おおよその形ができあがると、クレイグは小さな細工をする鑿をとりだしました。自分のからだを手本に、爪の一枚一枚、筋肉のひとつひとつ、髪の一本一本を、岩に彫りました。顔だけまだ目鼻をつけずにおきました。
太陽が真上にきました。妻は石切り場の端で、木立に身をかくしてこっそり見守りました。
クレイグはいっときも手を休めず、岩を自分の思うままに加工していきました。息を荒らげ、その息につれて石の粉が、まわりに舞いあがり舞いおりました。
頂上をきわめた太陽が、下降しはじめました。クレイグは目から汗をぬぐいました。汗が腕と足をつたい、全身のしわのなかにはいり、頭髪のあいだにたまるのが感じられます。
かれの前に。まだ顔はないが他はすっかりできあがった、岩の男が生まれました。もう男と石切り場の壁は、一本の帯状の岩でつながっているだけでした。
クレイグはハンマーをつかんで立ち上がりました。ひとつ大きく息を吸って、ぐっと胸を張りました。肺がうずきます。荒々しい感情の高揚がやってきます。かれは気合いもろとも渾身の力をこめて、岩と岩をつなぐ脆い帯にハンマーをふりおろしました。
「やあっ」かれは叫びました。「せがれよ!」
顔のない岩の男は、解放の一槌に身をふるわせました。そのまま割れてしまうのではないかと思うほどでした。
クレイグは目にかかる汗を、首をひとふりして払いました。汗が岩の像にとび散りました。像はぐらりと前に出て踏みとどまり、まっすぐ立つと、目鼻のない顔をクレイグのほうへ向けました。両手をあげて懇願のしぐさをしました。
そのうごきはクレイグを動転させました。思いもかけなかったことです。かれはまたハンマーをふりあげました。こんどは岩の男を打ち砕くためでした。
「やめて!」石切り場の端からシベリーが叫びました。「息子じゃないの」
その声にクレイグはふり向いたとき、岩の男が腕をのばして、かれの手からハンマーをもぎとりました。そして、声のない叫びをあげて、ハンマーを打ちおろしました。
クレイグはうつぶせに倒れ、瓦礫の山のようによこたわりました。
岩の男は一瞬、しずかに立っていました。それから首を空のほうへ向け、見えない目で光をさがしました。さしのぼった月が男の顔に、目鼻のような影をなげました。岩の男は顔へ手を持って行って、なにもない面にその影をすり込みました。両の目……鼻……力強い口の線。それから腰をかがめ、クレイグの道具を手にとりました。そして背をのばすと、石切り場の底に盛り上がってうごかぬ瓦礫の山を見やりました。
「ああ、お父さん」と、かれは静寂に向かってささやきかけました。できたばかりの両眼に、涙がにじみかけています。
かれはふり返って、小道に立ちつくすシベリーをみつけました。「お母さん?」と問いかけました。彼女はなにもいわず、にっこり笑いました。その笑顔が、待ちうける彼女の腕のなかへ、かれを間違いなく引き寄せました。
むかし、夜のトロルが二人ヘグラネスに住んでいた。
それは、じじとばばだった。このことが起るまで、ふたりのことはあんまり言われていなかった。ある時、ふたりの飼っている牝牛がさかりがついた。そしてふたりは、他に自由に使える者がいなかったのか、それとも自分たちの方が一番いいと信じたのか、自分たちでその牝牛を[種つけに]連れていき、それが妊む時期をはずさないようにしようとした。いつものように、じじが手綱をひいて、ばばが後ろから追った。ふたりは牛をしっかり引いてヘグラネスに沿ってスカーガフィョルドに向かってかなりの道のりを歩いていった。フィョルドの半分を歩いてしまうまでにはまだ道のりがかなり残っていたとき、日がフィョルドの東側から山の道に、そして山のてっぺんに輝くのがふたりに見えた。夜のトロルが日光にうたれるとその場で死んでしまうので、このふたりも日光のために死んでしまい、どちらも岩になった。それは今、ドラウング島の外側と内側にそそりたっている断崖[ドラウングル]で、外側のはじじで、内側のはばばだ。断崖は二人から名前をとっていて、今でもカトル[じじ]に、ケトリング[ばば]と呼ばれている。そして、牝牛から、この島そのものができているのだ。牝牛がこのじじとばばの旅で仔を妊んだかどうかは言われていないけれども、それでも牝牛は、前に話したように、しばしばスカーガフィョルドにとっては儲けの多い春のお産をするようになった。
春にはじめてドラウング島に出かける人たちがこの島とケトリングとカトルに挨拶することは、今でも続いているとっても古い慣習だ。めいめいの舟で先ず最初に親方が口を開いて言う
「ヘイール・オ・サイール(或いは、ハッパザイール/幸いあれ)、ドラウング島よ、そしておまえの道づれみんなよ。ヘイール・オ・サイール(或いは、ハッパザイール)、ケトリングよ、そしておまえの道づれみんなよ。ヘイール・オ・サイール(或いは、ハッパザイール)、ケトルよ、そしておまえの道づれみんなよ」
そのあとに乗組員一人びとりと舟に乗っている者がこのきまり文句の挨拶を言い始めるのだ。
これは、いまは本気でというよりか多分にあそびに行われているかも知れないが、それでもこの事はドラウング島の守護霊(ランドヴアイットウル)にたいする古い信仰の名残りで、この慣習は大昔から、あるいは少なくとも、前に話したように、グヴズムンドゥル司教が島を浄めるよりも前に大きな事故が起こっていた時代から、守られてきたことは勿論だ。
幽霊は埃を食べている。
そして、昼間は石の中で眠っている。
魔法使いが一生の仕事と決めた学問を身につけるうえで直面しなければならない問題点の一つに、退屈な儀式やむずかしい研究に費やされる時間の量と、それに応じて起きる武芸を学ぶのに使える時間の減少とがある。したがって魔法使いの多くはたいへんひ弱でさまざまな攻撃のまえに無力でありがちだ。この欠点を克服するためにいくつかの防衛手段が講じられた。結晶戦士もその一つである。
魔法使いはまず不純物の混じっていない石英の大きな塊を用意し、特別な処理をほどこした槌とノミで人間の形にきざむ。次にゴーレムを作るうえで用いられるものに類似した長い儀式によって像は一時的に生命をあたえられる。できた結晶戦士は魔法使いの砦の通路や部屋を巡回する仕事につけられる。人間なら二人まで、印なら一つ記憶できるので、その二人の人間、もしくはその印を持つ者は黙って通してもらえる。それ以外の者には闘いを挑む。結晶戦士は刃物では傷つかず、これと闘う者は戦槌のような大型の鈍器を用いなければならない。さもなければ戦士の重い一撃でぺしゃんこにされる。
石の香や 夏草赤く 露あつし
男のペンギンは気に入った女のペンギンをみつけると、あたりを見渡して、大きないい石をさがす。すをつくる手はじめだ。そして、それを女のペンギンのところへもってくのさ。
もし女のペンギンがその男のペンギンをすきだったら、石をうけとってすをつくりはじめる。けれど、もし気にいらなかったら、くちばしでつっつくんだ。まるで、「あっちへおいき!」とでもいうようにな。
さて、ある日のこと、わしは、フリップが大きな石をおしていくのを見た。そこで、「よう、フリップ。およめさんさがしかい?」って声をかけた。
するとフリップのやつ、つばさをパタパタさせて、白い小ちゃい目でわしに目くばせした。「そうなんですよ、ジムさん。」といってるようだった。
フリップは、その石をころがして、わしらがペネロウプ――みじかくしてペニーとよんでいる、すがたのいい女のペンギンのところへもっていった。
ところが、ペニーはその石をとろうとしない。カッと、くちばしでひとつきして、フリップをおっぱらってしまった。
するとフリップは、こんどはその石を、わしらがギュベール――ちぢめてギニーってよんでいたきれいなペンギンのところへころがしていった。
ところが、どうだ。ギニーも石をうけとらないんだ。ペニーとおなじように、くちばしでひとつきくらわせて、フリップをおっぱらってしまった。
さあ、フリップのやつがあんまりかなしそうにしてたもんで、わしは、「かわいそうに! このつぎはうまくやれよ、フリップ!」って、大きな声でいってやった。
するとフリップは、わしのほうをちらと見て、それからなんと、氷の上をつっきって、まっすぐ、わしのところへやってきた。あの石をころがしながらね。
そして、わしのまえにたって、小ちゃな白い輪のはいった目で、わしの顔をじっと見上げた。
個々の石貨には価値が厳密に設定されているわけではない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨の来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。例えばこの石貨はサイズも大きく、白人が来る前からヤップにあったので極めて価値が高いから、あのパンの木何本と交換しよう、というような条件である。また普通の貨幣のように人が携帯するものではなく、特に大きくて動かせないものは屋外の一定の場所に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさないとするのが今現在も続く主流派経済学での見解である。
乞食が船主のところへきてパンを乞うた。船主が乞食をからかい積荷は石だけだと答えたとき、船主のパンと肉はすべて石に変化していたという。
暗い家々の間をぬって、道は暗くどこまでも続いていた。ふたりの足音が耳に聞こえる唯一の音だった。寒かった。アレンははじめのうち、その寒さに気づかなかったが、やがて寒さは魂に滲みこんできた。魂がここでは肉体でもあった。からだがひどくだるかった。もう相当な距離を歩いたにちがいない。なぜ、いつまでも歩き続けるのだろう? アレンの足の運びが鈍った。
ゲドが急に足を止めて、四つ辻に立っていた男をふりかえった。すらりと背の高い男で、どこでとは思い出せないが、たしか、アレンもみたことのある顔だった。ゲドは男に声をかけた。石垣を越えて以来初めて聞く人間の声だった。
「おお、トリオン殿、どうしてここに。」
ゲドはロークの呼び出しの長に向かって、手をさしのべた。
トリオンは何の反応も示さなかった。彼はじっと立っているだけで、その顔も石のように静止して、動かなかった。だが、ゲドの杖の発する銀色の光が、そのおちくぼんだ目を深く射た時、その目にかすかな光が宿った。ゲドは相手の手を自分からとって、もう一度言った。
「ここで何をしておられる、トリオン殿? そなたはまだこの国の人ではないに。もどりなされ!」
「わしは不死の人について、この国にやってまいった。もう道がわからない。」
呼び出しの長の声は眠ったまましゃべっているように、ものやわらかで、だるそうだった。
「のぼられるのだ、石垣の方へ。」
ゲドは、今しがたアレンと下ってきた暗く、長い道を指さした。トリオンの顔がひきつった。希望が、剣のようにはげしい痛みをともなってその肉にくい込んだようだった。
「道がわからんのです。どうしても見つからんのです。」
「いや、きっと見つかるよ。」
ゲドはそう言って、トリオンを抱きしめ、それから、また歩きだした。トリオンは四つ辻に取り残されて、ひとりじっと立っていた。
タルタロスというのは、〈限りない闇の深淵〉といった意味で、大地のはずれのふかいふかい地の底にある地獄。天からなげた岩は、九日九晩落ちつづけて、十日めに大地に落ち、それからまた九日九晩も地の中を落ちつづけて、十日めにやっとタルタロスにつくのだという。
飢難石とは、中央ヨーロッパにおいてよくみられる水文学的なランドマークの一種。飢餓に見舞われたことの追悼と警告のための碑である飢難の石は、ドイツおよびヨーロッパ各地のドイツ人居住区にて、15世紀から19世紀にかけて造られた。
これらの石は旱魃時の水位に合わせて埋め込まれており、後世再び水が石のところまで下がった時には飢餓による苦難が待っているだろうと、何世代にも渡り伝えている。よく知られているのは、チェコにあるエルベ川の「我を見たら、泣きたまえ」と刻まれている石だ。
つぎの晩、あたりが静まってから、またささやく声が聞こえた。こんどはどういうつもりできたのだろう。
彼はこんどは別の石を持ってきたのだった。こんどの像は長い鳥のくちばしを持ち、いっぽうの手に卵をにぎっていずくまっている男だった。その像は平らな石の面に深くうきぼりにされていた。それはオロンゴ村の鳥人の廃墟の岩に彫られた彫刻の変形で、やはり洗練された作品だった。彼の妻が、布地をもらったおかえしのプレゼントとして、これをとどけさせたのだった。石像は彼女の父が彫ったものだが、誰にも見せてはいけないということだった。私たちは彼の妻に新しいおくりものをとどけさせた。石をしまおうとすると、つよい煙のにおいがした。それにまだいくらかしめっていて、砂ですっかりこすってあった。何か変わったことが起こりかけているのだ。だがいったい何だろう。
私はこれらの奇妙なにおいのする、しかもまれに見るたくみにつくられた石像について、さんざん頭をなやましたあげく、とうとうがまんできなくなった。翌日の午後おそく、私は村長をテントの中に呼びいれて、防蚊網の外側にカンバスをおろした。
「君が誰にもぜったいに言わないって約束するなら、どうしても聞きたいことがあるんだがね。」
村長はすっかり好奇心をそそられて、何も言わないと約束した。
「これをどう思う?」
私はケースから二つの石像をひきだしてたずねた。
村長は指に火傷でもしたようにたじろいだ。目は、まるで幽霊かピストルの銃口でも見たように、むきだしにされた。顔色はまっさおだった。
「どこで手にいれなすったんです? どこから手にいれなすったんです?」
彼は爆発したように言った。
「それは言えないよ。だが、これはどういう物なんだい?」
村長はテントの壁に背をおしつけて、まだ見つめていた。
「こういう像をつくれる者は、わしのほかには、この島にいないはずですだ。」
彼はまるでとつぜん、じぶん自身の魂に面とむかったような顔つきで言った。すわって像を見つめているうちに、彼は急に何かに思いあたったようだった。彼はいっそうしげしげと像を見つめはじめた。ついに彼はじぶんの心の中で何かの結論に達したらしく、やがて、しずかにふりかえって言った。
「この石を二つともつつんで、船にお乗せなせぇ。そして、島の者の誰にも見られないようにすることです。もっともらうことがあったら、だまって受け取って、船におかくしなせぇ。新しく見えるものでもかまわねえです。」
「だが、これは何だい?」
「これはまじめなものです。家族石です。」
主題
石を患者の頭部から摘出するという主題は、16世紀から17世紀のネーデルラントの絵画や文学に登場している。当時、人の愚かさや狂気は脳にとどまった石と関連づけられていた。つまり愚かな人は「頭に石が入った」あるいは「石で怪我をした」人と見なされた。これはあくまで隠喩であるが、一部の人々は外科手術によって頭から「愚かな石」を取り除き、自分自身を解放できると考えた。こうした考えは16世紀にはすでにインチキ療法と見なされていた。
作品
ボスは本作品で広く流布していた諺を図像として表現している。これはそれまでなかったことであり、さらに画面の図像的要素と言葉を結びつけることで、言葉とイメージの遊びを伴う革新的なコンセプトの作品を作り上げている。
ボスは風景の中で行われる外科手術の様子を描いている。実はペテン師である外科医は、椅子に座った患者を布で縛りつけ、患者の頭部を切開して脳中にあるとされる物体を取り除こうとしている。その物体は石ではなく花の形状をしている。そしてその様子を修道士と修道女が見守っている。患者は恰幅のいい年老いた男性であり、靴を脱いで椅子の下に置いている。また椅子の側面に金貨の入った黒い鞄を掛けている。鞄には短剣が突き刺さっている。外科医はボスの絵画に頻繁に登場するモチーフである漏斗を頭に被り、腰のベルトに茶色の水差しを吊り下げている。漏斗は欺瞞を象徴しており、外科医が学識ある人間ではなくペテン師であることを示している。修道女はテーブルの上に肘をつき、頭上に赤い書物を乗せている。テーブルの上には外科医が患者の頭部から除去したものが置かれているが、そこでもやはり石ではなく花が置かれている。背後の風景は緑が豊かな平野であり、遠方に2つの都市が見える。
そう、石像はまだそこにあり、ミソサザイたちはまだ石頭の中に住んでいる。そのミソサザイはもう百世代以上をそこで過ごしてきた。彼らは金持のミソサザイで、財産を持っている。そして、モズに殺されないように、少額の金貨を貢物にしている。おかげでミソサザイたちは目こぼしをしてもらっている。
古風な革命家たちは失敗したが、ジューアンドーの作りだした新しい革命家たちは、どうころんでも失敗するはずがなかった。失敗は生得概念であり、生得概念は存在しない。百人の彼らと、彼らが生んだ若者たちは、それから十九年後にその国を転覆させた。パンに血のついた国を。
建物かと思ったら、巨大な大理石の台座だった。階段までつき、上のほうに石像の頭がいくつか見える。登っていくと、黒ずんで磨滅した石像群があり、かなり古い作であることを物語っていた。それは十数人の群衆が雄々しく行進していく姿を彫像にしたものだった。が、先頭に立つ女神らしき像は無惨にも首をちょん切られ、下にころがっている顔は打ち砕かれていた。――ごく最近、いや、少し前に打ち壊されたものだ。
像の足もとに埋められた銘版には「セリーナ、自由への行進」と記されている。どこかで聞いた名だ……。
首のないセリーナ像は難民の先頭に立ち、右手を突きだして北東の方角を指さし、なにかを暗示しているかのようだ。――169へもどって選びなおせ。
1860年代のこと、アメリカ人はミシシッピ川のはるか上流の、ウィスコンシン州とミネソタ州との境のあたりに、新しい町ができたという評判に興味をそそられた。仕掛け人たちが流布したローリングストーンの地図には、中西部のこの新都市が優雅に立地しているようすが示されていた。町にはすでに市役所、裁判所、図書館などりっぱな公共の建物があり、商業地区や住宅地区もたっぷり売りに出されていた。
たくさんの人、とりわけ移民は急いで、ローリングストーンの一等地を買う代金を仕掛け人に支払って。新しい町で自分の未来を築こうとした。ところが、ローリングストーンの現場に来てみると、荒涼とした草原が広がっているばかりで、土地の人も新しい町の大計画など聞いたこともないというありさまだった。そこで、新しい町のことを画にかいた町と呼び始めた。
冷酷な仕掛け人たちは、土地を買った人々に、「ころがる石(ローリングストーン)には苔が生えない」ということわざを実証してみせた後、もうけをふところに行方をくらました。
さまざまな国の民間信仰や伝承に注意を向けることを、意味がないとして頭から軽蔑する人ならともかく、そうでない人からみれば、そこに後者の原理が作用していることはたいへん印象的な事実である。何か異常な現象やできごとが出現すれば、いつもそれを生みだした異常な原因がみつけ出される。原因はいつもその国の古代または現在の歴史あるいは宗教につながっており、信仰が変化すればそれに伴ってかわることも珍しくない。
イタリアのエトナ火山やストロンボリ火山の轟音や噴火は、古代にはテュポンやヴルカヌスのしわざとされたが、現代の民間信仰はこれを地獄に結びつけている。むかしバリー島では、鎖のきしる音、鉄のハンマーをたたく音、ふいごを吹く音などに似た音が聞こえたが、これはマーリンがカーマーゼンをぐるりととり囲むため、悪鬼たちに命じて真鍮で巨大な壁を作らせているときの作業の音だった。自然の原因によってひどく固い花コウ岩の表面に何かのマークが刻まれることがあるが、民間信仰によればそれらは英雄、聖人、または神が手をふれたときにできたものだった。家具や食器のような形をした石は、古代の英雄や巨人のおもちゃまたは道具だった。
石棒は広義には石刀や石剣を含む棒状の石製品を総じて指し、狭義にはいわゆる大型石棒を指す場合が多い。広義の石棒は九州から北海道までほぼ全国に存在する。
男根を模した石製品としては、千葉県大網白里市升形遺跡出土の旧石器時代後期(約24000年前)のものまで遡れる。いわゆる大型石棒は、縄文時代中期に中部高地で出現したと考えられ、その後近畿地方以東を中心に広がったと考えられる。ただし、岐阜県の塩屋金清神社遺跡や島遺跡など、いくつかの石棒製作遺跡が東日本を中心に確認されている一方で、西日本でも兵庫県見蔵岡遺跡や京都府上里遺跡などの石棒製作遺跡が確認されている。これは決して東日本で製作された製品を西日本の人間が手にしたたけではなく、1つの祭祀形態として受容していたことを示している。
住居内の炉の側で出土する事例が見られ、火熱による損壊変色があることから、石棒は火と関連する祭祀で用いられた祭祀具と考えられる。石棒の祭祀では、「勃起→性行為→射精→その後の萎縮」という男性器の一連の状態が「摩擦→叩打→被熱→破壊」として疑似的に見立てていたとされるものもある。このように破損して出土する事例が非常に多いため、そこに意味を求める説があるが、それに懐疑的な意見もある。また、墓に副葬された石棒もあるように、幾通りもの呪術的機能を持っていたことが推定される。
石の語源は「シ」であったと思われるが、この「シ(石)」が裂けたり割れたりすることもやはり「サ」であった。割れて細かくなったものを「イサゴ(砂)」と言う。つまり、「イシ」と「イサ」とは同じものでありながら、後者は、石が割れて精霊が出現することをあらわしている。石を割ったり欠いたりすることによって石鏃や石斧ができあがるが、これら石鏃や石斧には、「サチ」という精霊が宿っていて、それが石を割(サ)いて出現した精霊だけに動物や木などを裂く霊力「サチ(幸)」をもっているのである。このように新しい形をもって精霊の宿る石は「イシ」と呼ばれ、神聖な意味を持つ「イ(斎)」という接頭語がつけられているのである。後世になって、「イシ」は単なる普通の石をあらわす言葉になってしまったが、縄文人にとって、「イシ」とは「斎石」のことであったに違いない。「イシ(斎石)」は、縄文人にとっては神聖なものであり、それなくして彼らの生活は成り立たなかったのである。
前置きが長くなりました。本題に入りましょう。
『ナイン・ストーリーズ』はサリンジャー自身が二十九編の自作の中から九編を選んで一冊にした短編集ですが、私共はこの本に隠されたある重要なメッセージを解読することに成功しました。まず九つの原題を横一列に並べ、アルファベットを数字化します。するとある一定の規則とキーになる数字が現れ、更にそこに特殊な細工を施すことにより(申し訳ありませんがこれ以上は詳しくはお話できないのです)、一つの公式が浮かび上がってきます。この公式は各短編に対し、固有の数字を指示しています。あとはもうお分かりでしょう。小説の先頭の単語からアルファベットを、指示された数字まで一つ一つ数えてゆき、特別に選ばれた一文字に丸をつけるのです。
丸印のついた文字を順に並べると、下記のようになります。
e,a,r,s,t,o,n,e,s
イヤー・ストーンズ。耳の石。
耳の石とは何を意味するのか。この疑問は長い間、梯子派部会における最大の研究課題でした。他の作品からあぶり出された秘密たちは、ある意味もっと単純なのです。サリンジャーの人間くささがそのまま伝わってくるような、素直さがあります(繰り返しになりますが、秘密の内容についてはご説明できないこと、どうかお許し下さい)。ところが耳の石だけは別でした。
イヤー・ストーンズ。
私共は何度もその言葉を口に出し、紙にも書いてみました。そうするだけで、なぜかどこからか不吉な影が差してきそうな気持に陥りました。もちろん、どこかで何かを見落としたり、間違いを犯した可能性だってなくはありません。ですから、縄梯子を使っての作品解読を更に濃密にし、洞窟をすり抜けるあの感覚を繰り返し味わってみました。中には健康を害する会員まで現われたほどです(貧血、蕁麻疹、関節痛、脱調、鳥目等など)。しかしどんなに努力をしても、得られるキーワードは、耳の石です。ただ一つこの秘密だけが、どこにも行き着けず、宙に浮いているのです。
少なくとも第二次世界大戦前まで販売されていたが、現在では入手困難である。当時の説明書きには、ムカデ・ハチ・ノミ・カ・サソリ・クラゲなどによる刺傷や、マムシ・ネズミ・イヌなどによる咬傷に対して、その「毒気」を吸う効能があると謳われている。使用法は、傷口を濡らして蛇頂石をあて自然に離れるまで待つというもので、使用後は泡が出なくなるまで水に浸して毒を吐かせ、その後乾かして保管するようにとされている。
伝えられるところによると、サンチェス師はいつも頭を熱っぽくするリビドー的な幻影に攻め立てられていたので、飲むものとはいっては水しか飲まず、胡椒その他の香辛料を摂取することも避けていたという。大理石の腰掛けにすわって書きものをしていたが、からだの熱で大理石があたたまってくると、机をはさんで別のところへ行って、別の大理石の腰掛けにすわったという。
結局、彼が発見した妄想を追いはらう最良の方法は、書きものをしているとき、その足を地上から十センチばかりのところに保っておくことだったという。私には、これがどういうことを意味するのか、どうもよく分からない。
「人間たちが時間を数え始めて千と九九九の年が流れた合図だ。」
ウルが言った。
光が満ち溢れ、塔の中はまぶしくきらめいた。やがてふわふわと舞う雪のように、たくさんの小さな光が僕らの上にゆっくりと降りてきた。
手に取ると、それは石の結晶だった。ながいながい時間を経て美しい形を作り上げてきた石の結晶だったんだ。
僕はね、僕らがいつも絵の具にするために集め、砕いていたものがこんなに美しかったなんて、知らなかったんだよメンシェ。
「今年の絵の具にする 石たちだ。
私は描き続ける。
美しい絵が描き上がること だけを願いながら。」
そうつぶやいたウルは、もう一度ザイルを しっかりと見据えると、低くひびき渡る声で言った。
「帰るが良い。自分の世界へ。
まだおまえに与えらえた時は尽きぬ。
おまえたち自身の未来は、
おまえたちにしか変えることは出来ないのだから。」
ザイルはゆっくりと階段を登り、戸口へと向かっていった。その背中は頼りない子供のようで、僕は思わず彼を追って走り出していた。
「まってよザイル。」
振り返った彼に、僕は手にあった蛍石の小さな結晶を渡したんだ。
彼は行ってしまった。
でもねメンシェ、彼はしっかりと
その石をにぎりしめていたよ。
<呪文石>はいささか危険な遊びだが賞金が豪華だ。はじめるまえに、魔法修行中の身である胴元が、あとで爆発するように石に魔法をかける。参加者は輪になってから手から手へ石をほうる。爆発したときに持っていた者は抜けなければならない――両手にかなりの火傷というおまけつきで! 残った者にはあらたな石があたえられ、残りが一人になるまでこの調子でつづけられる。見物人は参加者に金を賭けるのだが、賭けるまえに賞金の一部としてめいめい金貨三枚を徴収される。この遊びでは金貨が両手を負傷する危険と背中あわせになっているわけだ。
「スニフは、やすませておいてやれよ。石をころがして、まってることにしようや。きみは、石をころがしたことがあるかい。」
と、スナフキンがききました。
「いや、ないね。」
と、ムーミントロール。
スナフキンは、がけのふちにちかい、大きな石のかたまりをえらびました。
「さあ、見ておいで。一、二、三。」
石は、ゴロゴロところがりだして、がけっぷちから見えなくなりました。ふたりは、かけつけて、下をのぞきこみました。大石はかみなりのようにあばれまくって、いくつも小石をはねとばしておちていき、だいぶ時間がたってから、ゴロゴロというこだまが、谷間によせたりかえしたりしました。
「山くずれになったね。」
スナフキンは上きげんでした。
「ぼくにもさせてよ!」
ムーミントロールはさけんで、がけっぷちにどうにかのっかっていた、もっと大きな石のかたまりのそばへ、かけよりました。
「気をつけろ。」
と、スナフキンはどなりました。
けれども、おそすぎました。大石がころがりだしたかと思うと、つぎにはムーミントロールもあっというまにころげおちたのでした。
目覚めよ!
夜の窪みに、朝が投げた石が
あまたの星を追い散らす
真人たち、大将の権幕に恐れをなして、いやいや作業方の寺男何人かを呼んで来ますと、まずお札をはがした上、鉄槌で大鎖をぶち切りました。人人、門をおしあけて中を見れば、底知れぬまっくらやみ、さても、
昏昏たり黙黙たり、杳杳たり冥冥たり。数百年も太陽の光を見ず、億万載も明月の影を瞻るに難し。南北を分たず、怎でか東西を弁ぜむ。黒煙は靄靄と人を撲ちて寒く、冷気は陰陰と体を侵して顫わす。人跡の到らざる処、妖精の来往する郷。双つの目を閃開くも盲の如きあり、両手を伸ばし出すも掌を見ず。常に三十の夜の如く、却ても五更の時に似たり。
遇洪而開
天は摧け地は塌れ、岳は撼き山は崩る。銭塘江上、潮頭の浪は海門より擁し出し来り、泰華山頭、巨霊神は山の峰を一劈ちして砕く。共工は怒りを奮らせ、盔を去ねて不周山を撞き倒し、力士は威を施い、鎚を飛ばして始皇の輦を撃ち砕く。一風は撼がし折る千竿の竹、十万の軍中に半夜の雷。
イザナギは黄泉比良坂の上に千人の力でようやく動かせる大きな石を据え、その石を間に挟んで妻と向かい合った。
イザナミは絶縁の言葉として、
「いとしい私の夫、これからはあなたの国の民どもを毎日千人ずつ絞め殺してやりましょう」と言った。
そこでイザナギは、
「それならば私はこの国に毎日千五百の産屋を立てよう」と言った。
だからこの世では一日に千人の人が亡くなり、千五百人が生まれるのである。
わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
我が君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで
道は遠く、難儀でした。やっと島の頂上の岩までたどりついて海面を見下すと、一同は、海面から立ち上っている大きな柱を目にしました。それは、見るまにも高くなって、頭はほとんど天の床に届きそうでした。
この怪物を見ると、風の神は恐怖におそわれて言いました。
「ああ、どうしよう。わしたちは破滅だ。あのようなものを、だれが相手にできよう。」
彼は泣き出し、涙が頬を流れました。
けれども、イシュタルは取り乱しませんでした。
「恐れることはありません。」
と彼女はやさしく言いました。
「あれは、腕力ばかりで、知恵はあまりありませんわ。力は十人力でも、育ちはいやしいに違いありません。私たちは学校へ行って、先生のエアに古い詩を教わったではありませんか。
たとい岩が子を産んだとて、
種子はただ、石にすぎぬ。
名をあげてみよ、石よりも
愚かなるものが、あるならば。
あれを打ち負かすのは、造作もないこと。あなたは男、そしてわたしは女ですから、わたしがやりますわ。」
そう言うなり、彼女は衣服をぬぎすて、小鼓とシンバルを手にして、海辺へと降り立ち、美しい音楽を奏し、歌を歌いました。
彼女の楽の音と歌とを聞くと、海は荒れ模様になり、波がさわぎ立ちました。たちまち、はるかな深みから巨大な波がもり上がりました。そして、波が逆巻いては唸りを立てて砕ける時、泡立つ水音にまじって、くり返しくり返し、あざけるような言葉が聞こえるようにイシュタルに思えました。
石は、愚かな上につんぼだから、
甘い調べも聞えはしない。
なおその上に、めくらだから
美しいあなたも、見えはしない。
石のなかにとどろく太鼓の連打。
浪費、曙光、そして過度に細心な幽霊。
聴念天の魔法
この魔法を唱える際には、三日月の刻印が入った『語り石』をイラストの中で捜す必要がある。『語り石』に向かって魔法を使えば、石は小さく振動し封じ込められた古代の魔法を語り出すであろう。この新たに得られた魔法を万能章に記すことにより、自在に使いこなせるようになる。
ただ一つ、この魔法での問題点は『語り石』を、見つけるのが非常に困難だという点だ。三日月の刻印ということはわかっているのだが大きさもまちまちで、どんなふうに置かれているかもわからない。冒険の途中で出会う風景や敵のイラストの中に『語り石』があるかどうかをじっくり観察すべし。見つけたらすぐにこの魔法を使うことだ。『語り石』の力を借りずしてあなたの成功はありえない。
こういう、大ピラミッドの中に体現されている真理と考えられているもののほかに、テイラーは、旧約聖書と新約聖書の中に、前後の文脈からもぎとってしまえば大ピラミッドのことをいっているのだと解釈できるような文章を二〇も発見した。たとえばイザヤ書第一九章一九‐二〇節にこうある。「その日にはエジプトの地の中心に、主のために祭壇が建てられ……それは万軍の主を指し示すしるしとなり、証となる」。またヨブ記第三八章五‐七節にはこうある。「だれがその広がりを定めたかを知っているのか? だれがその上に測り縄を張ったのか? 其の柱はどこに沈められたのか? だれが隅の親石をおいたのか? そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い、神の子らは皆、喜びの声をあげた」。聖パウロでさえ、次の文章でピラミッドについて語っている、とテイラーは信じた。「……そのかなめ石はイエス・キリストご自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります」(エフェソの信徒への手紙第二章二〇‐二一節)。大ピラミッドは、キリストを最高のかなめ石とする真正の教会を象徴している、と彼は説明した。
初め天と地の間は近く、人間は、創造神が縄に結んで天空から垂し下してくれる贈物によって命を繋いでいたが、ある日、創造神は石を下した。我々の最初の父母は、「この石をどうしたらよいのか。何か他のものを下さい」と神に叫んだ。神は石を引き上げてバナナを代りに下して来た。我々の最初の父母は走りよってバナナを食べた。すると天から声があって、「お前たちはバナナを選んだから、お前たちの生命はバナナの生命のようになるだろう。バナナの木が子供をもつときには、親の木は死んでしまう。そのようにお前たちは死に、お前たちの子供たちがその地位を占めるだろう。もしもお前たちが石を選んだならば、お前たちの生命は石の生命のように不変不死であったろうに」
プブリウスはトーガを着て、トゥリウスが胸像を棚に据えつけるのをしぶしぶ手伝う。その棚の上には既に、他の胸像が一ダースほど飾られている。
プブリウス たいした詩人ですよ、あんまり重くて体を傷めちまいそうだ。
トゥリウス 古典詩人というものは皆重いものさ。(うなる)ウウウウ……なにしろ大理石だからな。
プブリウス 古典詩人だから大理石なんですか? ふーっ! それとも、大理石だから古典詩人というわけ?
トゥリウス いったい何を言いたいんだ。大理石だから古典詩人だってのは、どういう意味だね? それは何の仄めかしだね?
プブリウス だって大理石は丈夫ですからね。みんながみんな、大理石で面を彫ってもらえるわけじゃあるまいし。大理石ってのは手に負えないほど頑丈だそうですね。火をつけようが、剣で突き刺そうがびくともしない。せいぜい、鼻がぽろってもげるぐらいだ。時が経てば。もっとも、それは生きているうちにだって起こるかもしれない。その点を除けば、とても丈夫な材料ですよ。だから、大理石で彫像を作るんでしょう。そりゃどうしようもない。
トゥリウス (突然興味を示して)えっ、もう一度言ってくれないかね、さあ。
プブリウス だから、彫像を作るってこと。それとも、たとえば、カラカラみたいに自分のために浴場を作ったっていい。もっともカラカラは皇帝だったから、そんなわがままができたんだけど。それに、連中はいつだって後世の受けを狙っている。つまり、皇帝のことですけどね。もちろん、ただの見せびらかしですよ。でも、どの石が長持ちするかは連中が一番よく知っている。何でもかんでも鋼鉄で作るようになったのは、もっと後のことです。利己主義のせいでね。子孫のことなんか、誰も考えなくなってしまった。たとえば、この塔を見たってわかる。こんなものを作るということになったからには、大理石で作るべきだったんじゃないですか。このクロム・メッキの鋼鉄なんて、いったいどのぐらい持つことやら。まあ、あと百年か、二百年といったところかな。いったいティベリウスは何を考えていたんだろう……いや、それどころじゃない! ホラティウス自身だって、まさにこのことについて書いているじゃありませんか。つまり、
私は自分のために記念碑を建てた。
青銅よりも長持ちする……
学校で習ったっけ、昨日のことみたいにありありと覚えてる。昔の詩人は無知だったくせに、鉄なんかと関わりを持たないほうがいいってことは、ちゃんと知っていた。
扉を開けると、なかはろうそくの灯った大きな部屋で、騎士や武人たちのまるで生きているようなみごとな石像に満ちている。ぼろをまとった白髪の老人が、ふいに一つの石像のうしろから飛びだして、くすくす笑いはじめる。一見、馬鹿のように見えるが、その眼の輝きから、この男には外見以上のなにかがある、と君は思う。甲高い声で彼は言う――「やれ嬉しや、わしの庭にもう一つ石がやってきたわい。ようこそ、ここであんたの友人たちの仲間入りをしなされ。ところで、わしは公正な人間じゃ。だからあんたに一つ質問をしよう。もしあんたが正しく答えられたなら、ここから出してやろう。だが、あんたの答えが間違っていたら、石に変えてしまうぞ!」 彼はまた、嬉しくてたまらぬといったように、くすくす笑いはじめる。君は
彼の質問を待つか? 三八二へ
剣で切りかかるか? 一九五へ
戸口に駆け寄るか? 二五〇へ
そうこうするうちに町の人は彼にあきてしまい、彼の方でも皆にうんざりしてしまったのです。
そこで彼は川辺で小石を集めて市参事会堂前の小路を行ったり来たりして、両側に小石を蒔いたのです。そこによそ者の商人がやってきて何を蒔いているのかとたずねました。オイレンシュピーゲルは「あっしはいたずら者の種子を蒔いているんでさあ」と答えました。外国の商人は「それならここには蒔く必要はないよ。ここにはいくらでもいるではないか」といったのです。オイレンシュピーゲルは「そのとおりだけれど、そいつらは皆家のなかにこもっているんでね。外にひっぱりださなきゃならないのさ」と答えたのです。皆はいいました。「なんでお前さんはまじめな人の種子を蒔かないのかね」と。オイレンシュピーゲルは答えたのです。「まじめな人だって。そんな人はここでは育たないのさ」
記憶というものは、魂をすり減らす重荷だよ。ちょうど風雨が岩をすり減らすようにね。――― クロウヴァクス
(訳 不明)
<まいご月の谷>は、ホミニー・クリークが流れるところで、ブルーステム家の土地ではいちばん凹凸の激しい荒れ地である。危なっかしく頭上にせりだした大きな岩また岩、それもこんな小さな谷には不似合いな巨岩が、ぎりぎりの位置にまでせりだして心胆を寒からしめる。一つぐらいはいまにも落ちてきそうな錯覚を与えた。そのとき、中でもいちばん大きな岩が動きだし、われわれは恐怖とすれすれの感覚にわっと叫び声をあげた。
「ああ、あれはただのホワイトカウ・ロックさ」とブルーステムばあさんがいった。
「ほかの岩とはちがうの。あれは月なんだよ。落っこちやしないよ。ゆっくり動くしね。ムーン・ホイッスルを吹いてごらん、ヘレン。降りてくるから」
ヘレンがムーン・ホイッスルを吹くと(ああ、なんと胸くそわるいキンキンした音色!)、ホワイトカウ・ロックはゆらつきながらのんびり百フィート降りてきて、トラックの真上に浮かんだ。最下部には一ぴきのヤギがさかさまに立っているが、いましも落下するといったふうには見えない。ほかにもまたホワイトカウ・ロックの下側を、ちらほらとアヒルがさかさまに歩いていた。
二度も失敗したので、神々はすっかり怖れをなして、もうフェンリス狼を縛ることはできないのではないかと心配した。とうとうオーディンが一計を案じた。彼はフレイの部下のスキルニルを黒小人のところへ使いにやって、一つのふしぎな鎖をつくらせたのである。
その鎖は六いろの品――猫の足音と、女のひげと、岩のねっこと、熊の足の腱と、魚の息と、鳥の唾液をよりあわせて作ってあった。いずれもふしぎな品ばかりだ。いったいこんなもので鎖がつくれるのだろうか。
しかし、たしかにこれらの品が使われた証拠に、それ以来猫には足音が、女にはひげが、岩には根が、熊には腱が、魚には息をすることが、鳥には唾液がなくなったのである。だから、いまいったことに間違いはないはずと、『エッダ』の作者はいっている。
黒小人がつくりあげたこの鎖は、まるで絹のリボンのようにやわらかですべすべしていた。それでいて、どんな鉄の鎖よりも丈夫だった。
この絵の色調は決して暗くはない。少し昼時をまはつたと思はれる午後の陽が、塔の外壁の黄ばんだ面を明るく照らしてをり、頂上近くの高いところも、その赤味がかつた壁がくつきりと陽に映えてゐる。背景に美しくひろがる、都市とその近郊の遠景も、ところどころに雲の影がまだらにおちてはゐるものの、あくまでも穏やかな日の光景である。
それでゐて、この絵全体には、どこか奇妙で不気味なものが感じられる。それは、画面全体に占める塔の姿の割合があまりにも大きくて、その巨大さそのものが見る者を不安にさせるのかも知れず、また、きはめて精密に設計され建築されてゐるらしいこの建物が、一方では恐るべき無頓着さで、その間から自然のまゝの岩石をむき出しにのぞかせてゐる、その不調和と混乱のためかも知れない。
実際、この岩石――塔の根元や中腹に、その隆々とした岩肌をむき出しにしてゐる岩石――ほどわれわれの目をとまどはせるものはない。それは、ほんたうはこれから削られ、加工されて塔の壁面へと仕上げられてゆくところのはずなのに、見たところは、むしろ逆に、これからじわじわと塔を浸蝕し、人の手の跡を消し去り、つひには塔の全体をただの岩山へと吞みつくし変身させてしまはうとしてゐるかのごとくなのである。
結婚式の当日――それは聖ヨハネの祝い日でもあったのだが――早朝のことだった。ユッラの部屋の戸をノックする者がいた。ドアをあけてユッラは驚きのあまりうしろにとびすさった。結婚式の礼服を着たエーリスが死人のように色蒼ざめ、目ばかりは黒い炎のように燃え立たせて立っていたのである。
「ほんのひとこと言っときたかったものだからね」
わななくような小声で言った。
「ぼくたちはいま、待ちにまった幸せをさずかろうとしている。二つとない幸せが目の前にある。ついてはとても大事なことがあるんだ。昨夜、それを知った。坑道の奥にアルマンディン鉱石がねむっている。緑泥岩と雲母とにくるまれているのだけれど、炯々と赤い光をはなっている。その石にぼくたちの運命が刻まれているんだ。ぼくはそれをどうあっても君への贈物にしたいんだ。どんなにすてきな柘榴石よりもずっと美しい。ぼくたちが愛をむすびあってアルマンディンの輝きをのぞきこむと、心がまざまざと透けてみえるのだね。この大地のまん中にいる女王の胸からすっくと大木が一本のびているんだけど、その木の小枝のように絡みあった二人の心が透けてみえる。その石をぼくは掘り出してこなくてはならない。ひとっぱしり、いまこれから行ってこよう。いいね、すぐにもどってくる――ほんのしばらくの辛抱だ!」
ボーヌの祭壇画では悪魔どものすがたは見えず、地獄の恐怖が火焔によって暗示されているのみであったが、ブーツの地獄ではより残酷な、より具体的な、より幾何学的な構成がきびしく支配する。罪の男女たちの硬直した裸体は蒼白く、もろく、燐光を発するばかりである。毒々しく赤い爬虫類や、蝙蝠を思わせる雑種形成の悪魔の細い手脚、さらに緑青色の背景には、そそり立つ岩山から暗黒の湖に墜落する罪人たち。天に冲する薔薇色の火焔。岩かげに廻転する車裂きの刑具。空を飛ぶ前世紀の怪鳥……
バルトルシャイティスは、この遠景にそそり立つ岩山の空間を区切る右側の線が、たしかに人間の顔に見えると主張する。なるほど、そう思ってみれば、額と、鼻と、口と、顎がはっきり識別されるだろう。岩山の頂から湖に投げこまれる罪人を、この不気味な「石の顔」は目で追っているかのようだ。中世図像学の神秘はしばしば自然は器物にまで及び、西欧から極東まで、相似た変体(アナモルフオス)の現象を数多く発見できるのである。岩が人間に変化し、人間が動物に変化し、さらに動物が道具に変化するといった現象も、ボッシュやブリューゲルを見なれた眼にはさして珍らしくあるまい。
さて、ウラノスを押しのけたクロノスは、代わって神々の王になったが、ウラノスは息子を呪っていた。「お前もやがては息子のために王座を追われるのだぞ。」
「いや、おれは断じて王座をゆずるものか。」とクロノスは叫んだが、父の呪いの言葉がやはり気になった。そこで、彼は妻のレアが生んだ子を次々に五人も呑みこんでしまった。
レアは悲しんで、今度生まれる子だけは何とかしてクロノスの眼から隠し、ぶじに育てて、ほかの子供たちの仇をも討たせたいと考えた。そこで遠く離れたクレタ島へ行き、そこでこっそり赤ん坊を生むと、山の洞穴に隠した。この子が後にオリンポスの神々の首領になるゼウスである。
レアはこうしておいて、赤ん坊の代わりに大きな石をむつきにくるみ、クロノスに渡した。クロノスはそうと知らず、いきなりその石をつかんで呑みこんでしまった。彼の横暴はいよいよひどくなり、兄弟のティターンたちと世界を荒らしまわった。
ロシアで、むかしナポレオンが国じゅうに戦争を広げて人々を困らせていたころ、一人のお腹をすかした兵隊が、食べ物をもとめて農家にやって来た。農家のおかみさんは一人きりで家にいたが、これまでにおおぜいの兵隊が食べ物をねだりに来たので、何もないよ、と突っけんどんにいった。そして扉を閉めてしまったから、兵隊は日なたにすわって考えた。この家には食べ物があるにちがいない――でも問題は、どうすれば奥さんがそれを手放してくれるかだ。かれはふとひとつの方法を思いついて、もう一度扉をたたいた。奥さんは扉を開けて、行かないと犬をけしかけるよ、といった。
『すみませんが』と兵隊はいった。『料理に関心はおありですか?』
『そりゃ、まあね』と奥さんは答えた。『つまり、料理するものがあればね』
『では、“小石のスープ”というのは聞いたことがありますか?』と兵隊は尋ねた。
『いいえ、聞いたことないわ』
『とてもおいしいんです。つくりかたを知りたくないですか?』
『そうね。知りたいわ。私はいつも新しいお料理に関心がありますからね』
ご覧の通り、奥さんは好奇心をかきたてられたのさ――いったい、小石でおいしい物がつくれるのかしらとね。そこで兵隊は荷物をおろし、戸口のまえの庭から小石を両手いっぱい集めてきた。それを台所へ持っていって、念入りに泥を洗い落とした。それから、シチュー鍋を借りたいといった。鍋に小石ときれいな水を半分まで入れて、台所の火にかけた。そして匙でときどきかきまぜた。しばらくして煮立ってくると、味見して、舌を鳴らした。
『ああ、上出来だ!』
『わたしにも味見をさせて』おかみさんは目の前で何かの魔法がおこなわれたんだと思って、いった。
『待ってくれ』と兵隊はいった。『塩が要る――それと胡椒が』
そこで農夫のおかみさんは塩と胡椒を取りにいき、これらがスープに加えられた。兵隊はまた味見をして、いった。
『良くなった。でも、まえにこの料理をつくったとき――モスクワ入りするまえだった――気がついたんだが、玉ネギを少し香りづけに入れると、うんとちがうんだ。この家に玉ネギがないのは残念だなあ』
『いいわ、待って。どこかにあるかもしれない――見落としていたのが――地下室に』
奥さんはもう、このふしぎな料理がどうなるか知りたくてたまらなかったから、玉ネギの切れっぱしのためにそれを台なしにする気はなかった。玉ネギを持ってきたので、兵隊はそれを輪切りにして鍋に入れた。やがて、また味見をした。
『良いニンジンがあると、ぐっと引き立つんだが――ニンジンさえあればなあ!』
最近の報告では、食用鮭やヒキガエル以外の動物が見つかるのはまれなことだ。私達の祖先による発見の多様さには、今日の事例よりはるかに感興がわく。前述した英国年鑑は、十七世紀初頭に活躍したイギリスのフランシス・ベーコン、十六世紀ドイツの鉱山冶金学者アグリコラやホルティウスの書物から、食用鮭やヒキガエルの他に、蛇や蟹、海老の実例を引用している。さらにそこには、明らかに周知の事とされてはいるものの、驚くべき情報が記録されている。フランスのツーロン港で、舗装に使う石を割ると、しばしばそこから「絶妙な味の甲殻類」が現れた。そして、アドリア海にあるアンコナで掘り出した堅い石の中にも「完全に生きており、非常に美味な小甲殻類」が発見されたという。
岩石以外の物質から生物が発見されることもある。ロバート・プロット博士の著作『スタッフォードジャーの博物学』(一六八六年)は、石ばかりでなく樹木の内部から発見された蛙に言及している。
プラスコーヴィヤは、不愛想な町人の寡婦で、力強く、頑丈だった。四十五歳ぐらいだったが、その口の重さといったら、百歳の老婆のようだった。暗く曇った、まるで石のような彼女の顔を見ると、ヴォロージャはよく、彼女が何を考えているのか知りたくなったものだった。長い冬の夜、台所で、冷たい編み棒が、ときおりかすかに音をたてて、彼女の骨ばった手のなかで規則正しく動いてゆき、乾いた唇が音もなく数をかぞえてゆくとき、彼女が思い出すのは飲んだくれだった夫だろうか。それともはやくに死んでしまった子供たちのことだろうか。あるいはまた、彼女のまえにちらつくのは、孤独で寄るべのない老いなのだろうか。
化石のようにこわばった彼女の顔は、どうしようもなく物憂げで険しい。
暗くて五つの丘は見えない。しかし、その地下深くに、巨大な五角錐が埋められているのだ。天然の巨石と特殊な高密度コンクリートで固められたその五角錐は、これから数千年の旅に向かうケルビムたちの時の船だった。
森のあちこちにQ海運の腕っこきたち……暗殺教団の男たちが辛抱強くうずくまっている。守屋や近くの町には、何を警戒するのかはっきりしないまま、真名瀬商会の社員たちがとり澄ました顔で網を張っていた。そして地下のメガリスの内部では、足音も重々しく、石化しかかった吸血鬼たちが動きまわっている。
吸血鬼たちはもう赤い寛衣を脱ぎ棄てていた。千六百以上の裸体が赤いライトの中で息づいていた。扉や隔壁は何もなかった。金属も見当たらない。ただ仮りに張りめぐらされた電灯線が床をのたくっているだけだ。巨石とコンクリートに塗りこめられた空洞に、時たま嗄れた声が響いていた。一日に何回か地上から合図があり、そのたびに遅れた患者が時の船に入って来た。冷えびえとした空洞の中に血の匂いが立ちこめている。一瞬ごとに石化面積をひろげ、そのたびごとに少しずつ萎縮する体をもとどおりに保つため、地上の殺人鬼たちが地下の吸血鬼に大量の生血を補給していた。
もう自分では身動きもできぬケルビムが、仲間のまだどうやら動ける半ケルビムに血を与えられ、のみ下していた。
パラケルススの占星医学の影響を受けていたガファレルは、その厖大な著作の第五章で、不思議な「ガマエ」 gamahé なる石について論じている。「ガマエ」はすでに、パラケルススの『明智の哲学』第一部第六章に出てくる名称で、この著者によれば、天の精霊がみずから刻んだ石であり、あたかも貯蔵瓶のように、その中に天体の力や効能を集めておくことのできる一種の霊石であった。医師は、この「ガマエ」の中に貯えられた力を患者に注いで、容易に患者を治療することができる。肉体の病気ばかりか、悪魔憑きや不信心のような、精神の病気をも回復させる効能がある。つまり一種の護符であるが、ガファレルは、これを「絵のある瑪瑙」と同一視しているのだ。宝石の護符に対する信仰は、古くアレクサンドレイアのグノーシス派に発したもので、中世の石譜の伝承とむすびついて、パラケルススの時代には非常な流行を見たという。
けれど夢の中にあってさえ、夢見るものはなにごとかをなさなければならない。夢がかれに飽きあきして去ってしまうまで、坐りこんでなにもしないでいるわけにはいかなかった。わたしは起きあがって、また放浪を始めた。
たくさんの水路を横ぎって、岩だらけの広い空地に辿りついた。そこで、夢見るわたしは疲れを感じて体を投げだした。ただ、目だけは醒めていたかった。
起きあがって旅をつづけようとしたとき、ふとかたわらを見ると、岩のなかに穴がひとつ穿たれているのに気づいた。まるで墓のように黒々と口を開けていた。穴は深くて暗かった。底を見ることもできなかった。
いまわたしの幼年期の夢のなかで、ここへ落ちればいやでも目が醒めるだろうという気持ちが湧いた。だから夢を中断したければ、その穴へ体を投げいれるだけの高さがある丘を見つけるだけでいいはずだった。おだやかな空に目を向け、それから流れそそぐ水にも目をやったあと、わたしは穴の縁から身を投げた。
風が吹いて、もの悲しい音が城に響きます。まるで永遠に城を守り続ける石の兵隊たちによって幽霊が追われ、狩り立てられているような…… そんな音色でした。
何者にも邪魔されることなく塔へと辿り着いたアリスは、年代を経た歯のような色に変色している古びた扉を開けて中へと入りこみました。するとそこには石でできた螺旋階段がありましたので、彼女は塔を登っていきました。
階段を登り切ったところにあったアーチの門の向こうには不気味な広間がありました。どうやら霊廟のようです。墓場みたいな空気が立ち込めており、不思議なことに中央にある白い石の棺の上で渦を巻いていました。棺の蓋にはカールした髭の騎士の姿が彫られていて、その手にはやはり石の剣を握っています。そして頭には冠を戴いているのでした。
白い大理石の石棺を囲むように碑文が彫られています。
剣を以て勝利を得んとするならば 声高らかに我が名を呼ぶがよい
我が地位は 我が駒に同じくなり
さあ膝を突き 敬意を示すがよい
そして答えよ この墓に眠る我は何者か?
そのとき、さっきアリスが上がってきた階段を登ってくる足音が聞こえました。何者か、あるいは何かがここへ向かってきているのです……。
ようやくわれに返ったとき、心地よいベッドに寝かされていました。ひろびろとして清潔な広間には、ほかにもたくさんのベッドが並んでいました。枕もとに看護の人の姿が見えました。何人かの看護人がベッドからベッドへと巡回しています。かたわらで私のことを話していました。私は「十二号」とよばれていたのです。ところが足もとの壁にはっきりと自分の名前が書いてあるではありませんか。まちがいではありません。この目で見てとったのです。黒い大理石の石板に大きな金文字で、
ペーター・シュレミール
と私の名前が記されていたのです。名前の下に二行ほど文字が並んでいたのですが、全身がけだるくてならず、疲労のあまり読みとることができませんでした。そのうちまたもや私は目を閉じてしまいました。――
何やら声を耳にして目が覚めました。何かを読み上げているらしく、そこにしきりに自分の名前が出てくるのです。しかし意味をつかむことができません。やがてやさしげな男と喪服姿の美しい女性とが私のベッドのかたわらにやってきました。どこかで見たことのある人にちがいないのに、それがだれだか思い出せないのです。
ペルタンは検死の際、ハンカチにルイ17世の心臓を包み、コートのポケットに入れて持ち出した。心臓はペルタンの自宅において、蒸留したワインのアルコールを塗られて書棚に隠されたが、数年の時を経てアルコールは蒸発し、心臓は石のごとく硬くなってしまった。
化石を蘇生させることにかけては世に名高い画家に、チャールズ・R・ナイトという人がいる。今日にいたってもまだわれわれの恐怖心と想像力を煽りたてている恐竜のお手本となる復元像を描いたのが、この人である。ナイトは一九四二年の二月に、多細胞動物が出現してからホモ・サピエンスが勝利を収めるまでの生物進化の歴史を年代順に描いた連作パノラマ図を≪ナショナル・ジオグラフィック≫誌のために制作した(この号はいつまでも手元にとっておかれる号であるため、たとえばメイン州の片田舎にあるよろず屋の棚にずらりと並べられた一冊二五セントの“完全”なバックナンバー群を探しても、この号だけは必ず抜けている)。ナイトはその連作図の最初の一枚をバージェス頁岩の動物群から始めている。
巨大な恐竜やアフリカの猿人は、たしかに古生物学上の驚異である。しかしそのことを踏まえたうえで、私は何のためらいもなく断言する。ブリティッシュ・コロンビア州の東端、ヨーホー国立公園内のカナディアン・ロッキー山中で発見されたバージェス頁岩の無脊椎動物群こそ、世界中でもっとも重要な化石動物群である。
ここから必然的に、美に対するある種の態度が生まれる。ここでは美がもっぱら情熱にかかわる目的のためにしか考えられてこなかったことはあまりにも明らかだ。すこしも静的ではない美、つまりみずからの「石の夢」のなかにとじこめられていたり、男にとってはあのオダリスクたちの影のなかに、そしてただ一日のみの出来事を囲いこもうとするあの古典的悲劇の背景のなかに消えさっていたりしない美。それにおとらず動的ではない美、つまりはげしい疾走に身をまかせたあとにまたはげしい疾走をはじめるばかりだったり、雪のひとひらほどに軽はずみであったり、抱擁の失敗をおそれてなんとか抱かれるまいと決意していたりしない美。動的でもなければ静的でもない美。そんな美を、私はかつて君を見たときのように見ている。かつて決められた時間に決められたあいだだけ、そしていつかふたたび決められたままになることを私が希求しつつ心から信じている時間に、君を私に許しあたえてくれる何かを見たときのように。
元来皇子は計畫力のある人で、天竺に二つとない鉢を、たとへ百千萬里の長途を出かけて行つたとて、何で手に入れることが出来ようと考へ、かぐや姫の所へは、今日天竺へ石の鉢をとりに出かけますと言ひやつておいて、三年ほど経つて、大和の國の十市郡にある山寺に、賓頭廬尊者像の前にある鉢で眞黒に煤けたのを取つてきて、錦の袋に入れて、造花の枝につけ、かぐや姫の家に持つて來て見せたので、かぐや姫が不思議に思つて見ると、その鉢の中に手紙がある。ひろげて見ると、
とある。
かぐや姫が、本當の御石の鉢なら光つてゐる筈だけど、光があるかしらと見ると、螢ほどの光もない。そこで
と﨤歌をつけて返した。皇子は鉢を門前に棄てて、この歌の﨤歌をした。
と詠んで家に入れたが、かぐや姫は﨤歌もしないでしまつた。皇子の言葉を耳にも入れないので、皇子は云ひがかりはつけたものの、仕方なく歸つていつた。にせの鉢を棄てておいて、それでも、懲りずに歌を送つたりなどしたので、これから後、厚顏しいことを「鉢」と「恥」をかけた洒落で「恥を捨てる」といふやうになつた。
ソレルは最後の質問をぶつけた。
「どうして家やビルの軒下に小石がたまるんだろう?」
「ああ、そりゃあ、屋根からこぼれるんだろうな」とカウ=パスがいった。「雨でゆんだのが屋根の上をころがって、軒下の溝に落ちるんだ」
「ちがうわ、おじいちゃん、ちがう」とスージー・コーンフラワー・デイライト。「なぜ小石が屋根までのぼって落ちなきゃなんないの? 小石天使がじかに軒下におくのよ。天使は自分がその建物を守っているから、もう大丈夫だよということを教えるためにおくの。人の住んでいない家のまわりには小石はないじゃない」
「そうだ、たしかにないね、コーンフラワー」とソレル。「しかし、こういうのは聞いたことがあるかい――性根の曲がった人たちの家は、まわりに小石が見つからないって?」
「あたし、性根の曲がった人たちなんて知らない」とスージー・コーンフラワー。「性根の曲がった人たちなんてこの町にはいないもの」
「そうだ、昔からひとりもいないな」とカウ=パスはいった。
概要
灰色、琥珀色、黒色などの様々な色をした大理石状の模様を持つ蝋状の固体であり、芳香がある。
龍涎香には、マッコウクジラの主な食料である、タコやイカの硬い嘴(顎板、いわゆるカラストンビ)が含まれていることが多い。そのため、龍涎香は消化できなかったエサを消化分泌物により結石化させ、排泄したものとも考えられているが、その生理的機構や意義に関しては不明な点が多い。イカの嘴などの龍涎香の塊の表層にあるものは原形を保っているが、中心部の古いものは基質と溶け合ったようになっている。
マッコウクジラから排泄された龍涎香は、水より比重が軽いため海面に浮き上がり海岸まで流れ着く。商業捕鯨が行われる以前は、このような偶然によってしか入手ができなかったため、非常に貴重な天然香料であった。
歴史
英語のambergrisは「灰色の琥珀」を意味する古フランス語のambre gris(アンブル・グリ)から。
龍涎香がはじめて香料として使用されたのは7世紀ごろのアラビアにおいてと考えられている。
また、龍涎香という呼び名は 良い香りと他の自然物には無い色と形から「龍のよだれが固まったもの」であると中国で考えられたためである。日本では、室町時代の文書にこの語の記述が残っているため、香料が伝来したのはこの頃ではないかと推測されている。
香料として使用する場合にはエタノールに溶解させたチンキとして使用され、香水などの香りを持続させる効果がある保留剤として広く使用されていた。 また、神経や心臓に効果のある漢方薬としても使用されていた。
ごろごろ なんだろ
腹の中
仔山羊六匹 食らったはずだが
こいつはただの ごろた石
スクイーは暖かい珠をポケットにねじ込み、かわりに石を一つそっと置いた。「グロック」と彼は満足してつぶやき、身を隠した。
(訳 不明)
2009年8月、オランダのアムステルダム国立美術館は、所蔵している「月の石」が、実際には樹木の化石だったことを明らかにした。この樹木の化石は、1969年にウィリアム・ミッデンドーフ駐オランダ米大使から、「同年7月10日に人類初の月面着陸を果たした米国人宇宙飛行士ら3人からの贈り物」として、元首相のウィレム・ドレース個人に贈られたとされ、ドレースの死後の1988年に遺品として美術館に寄贈された。今後は「ドレース氏の月の石」として所蔵を続けるという。
古代マヤの天文学知識は、都市における建造物の配置や方向にも反映されていた。マヤの都市は小宇宙として捉えられ、王権を正当化する装置として機能していたことが、近年の研究で指摘されている。
先述のとおり古代マヤにおいて世界は天上界、地上、地下界の3層から構成されていると考えられており、この垂直的な3層の構造が都市という空間にも投射された。多くの都市では北は天上界、南は地下界あるいは地上を象徴し、天上界は祖先が住まう場所で、王の石碑や墓が建造された。
例えば、ティカルの双子ピラミッド複合がそうである。暦のカトゥンの周期の終了を祝って作られたこの建築複合では、広場をはさんで東西にそれぞれ日の出と日没を象徴する二つのピラミッドが向かい合って建てられた。そして、北には部屋状構造物内に石碑と祭壇、南には地下界を象徴する9つの扉をもった建造物が建てられた。北に置かれた石碑にはたいていその時の王の名前が刻まれており、こうして象徴的に「天上界」に王の肖像を置くことで、王は神格化されたのである。
人間が人間であるかぎりでございますよ
ほかにはいろいろ考えるくせに
甘露のようなこの考えだけは浮かばないなどと
言ったってむだでございますわ 熱にうなされた目に
のしかかってくる虚無のむこうに透けて
妖しい影がちらっと見えるんじゃございません?
声にならない叫び声があたりに聞こえ
がっと開いた口や うすくらがりの中でぎらりと
赤く光る目が見えるんじゃございません?
琥珀の光に息づく牧場や
頭の上に降ってくる暗闇や
御影石の夜の羽の裾が?
「ご案内しましょう。」ケルコバートはそういってから、群衆の方に向いて大声でいった。「さあ、ゆこう! 今日という日は、もっと大きい驚きがわれわれを待っているかもしれぬぞ!」
アトレーユとバスチアンを案内する銀翁を先頭に、長い行列が銀の舟をつないでいる桟橋を渡って進み、ある大きな建物の前まできて止まった。それは円形の舟の上に建てられていて、建物そのものもまるで巨大な銀の筒のような形をしていた。外壁はつるりとして、飾りも窓もなかった。大きな扉が一つあるきりで、それは閉まっていた。
すべすべした銀の扉の中央に、透明なガラスのように見える石が、輪の形をした枠におさまってついていた。その上に、次のような銘が書かれていた。
「われわれのうちだれ一人として、この銘を解きあかすことができぬのです。」ケルコバートがいった。「ヨルのミンロウドということばが何を意味しておるのか、だれにもわからぬ。石の名前をみなであれこれ考えてみたのじゃが、だめでした。つまるところ、われわれはファンタージェンにこれまであった名前しか考えられんのですからな。そういう名前はみな何かほかのものの名じゃから、石に光を甦らせることはだれにもできず、したがってこの扉を開けることができんかったわけです。さあ、バスチアン・バルタザール・ブックス殿、この名前を見つけてはくださらぬか?」
大山猫の尿は、排出されると結晶し凝固して、柘榴石によく似た、燃えるような輝きを放つ石になる。これはリュンクリウム(大山猫石)と呼ばれる。また多くの著者が述べているところでは、黄琥珀も同じ種類の産物である。大山猫は、自分の尿が何になるかをよく知っていて、盗まれないように、これを地中に隠す。こうすれば、もっと早く凝固するのである。
あなたはゆっくりと光に向かって舞い降りる。見失う心配はまったくなかった。その不思議な物体は、沈みかけた夕日を受けて、さきほどよりもいっそう強い光をはなっていたのだから。
風に乗って近寄ってみると、それは丸くて白い物が砂の間から顔を出しているのだった。あなたは初めて見るその輝きに、一瞬だけ目を見張る。それは、大きな真珠の塊だったのである。
もしも掘り出してみることができれば、あなたはその表面に何か不思議な模様が彫られていることに気づいただろう。「キエフの門」と呼ばれる寺院のアーチ模様が――。
しかし今のあなたには、これは何の価値もないただのきれいな石ころだ。記憶を取り戻してからでなければ拾うことすらできない。ただし、これを見たという事実だけは覚えておきたまえ。そうすれば、あとで必ず取りにこられるだろうから。
このあと東に飛ぶのなら一九五へ、西に飛ぶのなら一七三へ。
雲を吹き散らす風の、目に見える激しさをこめて
しかしそれよりは偉大な精妙さをもって
手ではなく目で描くように
レメディオスはカンヴァスを清め
その透きとおった画面に透明を積み重ねていく。
現実との格闘の中で、ある画家はそれを踏みにじり
あるいは記号でそれを覆い、爆破し
あるいは埋め、あるいは剥ぎとる。
レメディオスはそれを揮発する。
その体内に流れているのは血ではなく
光だ。
電光石火のごとき幻影を、彼女はゆっくりと描く。
現れるものは原型の影である。
レメディオスは創造するのではない、思い出すのだ。
ただし、そこに現れるものは、何にも、誰にも
似ていない。
宝石の原石の中の航海。
思案する絵画、鏡像の絵画。
それは反転の世界ではなく
世界の反転だ。
空中浮遊の芸術。重力の消失、重々しさの喪失
レメディオスは笑う
しかし笑い声はもうひとつの世界に反響する。
宇宙は広がりではなく、現われるものを
引き寄せる磁石だ。女の髪……
ハープの弦……滴り落ちる太陽の光線
……ギターの弦。音楽として見える世界。
レメディオスの調べに耳を傾けよ。
彼女の作品の秘密のテーマはハーモニー……
失われた平等。
彼女は現われるものの中に消えるものを描く。
根、葉、光線、髪の房、流れる鬚、音の渦巻き
死の、生の、時間の糸。横糸が織られ、ほどかれる。
われわれが生と呼ぶ非現実
われわれが死と呼ぶ現実……カンヴァスだけが
本物だ。アンチ・モイラ=反宿命の女神、レメディオス。
彼女は時間ではなく、時間が休止している時の
瞬間を描く。
時計が止まった彼女の世界で、聞こえてくるのは
実体の流れ、影と光の循環。
時間は熟成している。
形たちはそれ自身の影を求め、形はそれ自身の消滅を求める。
守銭奴が全財産を金に換え、金塊を買って、それを城壁の前に埋めると、しょっ中出かけて行っては検分していた。近くに住む職人が男の足繫く通うことに気づき、事の次第を推し量って、男が立ち去った後に金を盗みとった。男は次にやって来ると、そこが空っぽになっているので、泣きわめき髪を毟った。身も世もあらず嘆いているのを人が見て、訳を知って言うには、
「お前さん、悲しむことはない。同じ場所に石を埋め、金だと思うことだ。有る時にも使わなかったんだから」
さてこのパラダイスの園にひとりの老人が立っている。星をちりばめたその長衣によって魔術師であることがわかる。黒と白に染め分けた服によって明らかなように、彼は対立の合一を意味する。この図をどちらから読むか、読みとり方しだいで、彼は左右にいる一組の男女の子供とも、この二人を産む者とも考えられる。老人は胴体が二つある獅子の上に立っている。この獅子は、二匹が互に呑み込み合って、どちらも固有の本質は失わずに一体になった、ということにして出来上った。獅子の一方は背後で燃えている火によって、もう一方は背後に沸き出している水によって、本質を表示されている。水と火の結合から錬金術の言うところの「水性の火」が生まれ、それが獅子の口から火と燃える生命の水として流れ出る。この水から賢者の石が蒸留され加工されるはずなのである。
水はほとんどつつましやかなくらいに王城の宴の大広間にもすべりこんだ。門扉の前の緑大理石のオベリスクはすでに半ば水に没している。海はその碑文の<我>という言葉のところまでたどりついていとしげな口づけを繰り返した。
大広間の床をひたした海がやさしいさざなみになって不死の女たちのほっそりした足首を、賢者たちの醜い学者らしい脚を、戦士たちのブーツをあらっても、人々はびくとも動かなかった。海がいま少し大胆になってその手脚をなめるようになぶるようにはいのぼっても微動だにしない。ジレクの催眠術のとりこになって、彼らは、何もかもをわかっていながら、感じることができないのだ。水があごに届き、口を鼻孔をおおい、のどを肺をみたしていく。それでも、人々は水晶の眼をしたまま、息を詰まらせももがきもしなかった。傷つくことはできないけれども彼らは溺れた。溺れたけれども、死なずに生きている。しかしそれは、もはや何の役にも立たぬいのちだった。
そうしているうちにも、海の建築家というべき極微の生物たちが、人々のからだにとりつきはじめていた。この海の珊瑚は白色だった。ふつうならば、そのみごとな棚壁が完成するまでには何年もの歳月がかかる。けれどもジレクの一声で、珊瑚虫たちはいっせいに群がって来て、またたくまにこの都じゅうの不死の人々の最後のひとりまでをそれぞれの、とげだらけの、白い炭酸塩の牢獄に封じこめていった。
ジレクはシミュラッドの人々の中に見た石化を、さらにおしすすめたのである。蝋人形だった彼らは、いまや石灰岩の円柱だった。死にはしない。けれども、<死>の勝利だった。
バビロニアのすべての男のように、わたしはかつて地方総督だった。皆とおなじように、奴隷だった。また、全能の力や汚名、牢獄などを知った。見るがいい。わたしの右手には人差し指が欠けている。見るがいい。このマントのほころびから、鳩尾あたりの朱色の刺青が見えるだろう。これこそ第二の記号、「ベス」である。この文字は満月の夜に、「ギメル」のしるしを持つ男たちを支配する力をわたしに与えるが、しかし月のない夜には「ギメル」の男たちに服従しなければならぬ、「アレフ」の男たちにわたしをしたがわせる。薄暗い夜明けの地下室の黒い石の前で、わたしは聖なる牡牛たちの首を刎ねた。陰暦の一年のあいだ、姿の見えぬ者と宣告された。絶叫したが応える者はなかった。パンを盗んだが首を落とされなった。
さて陸遜は、申し分のない手柄を立て、勝ちほこる軍勢をひきいて西へ追撃して行った。夔関に程近くなると、陸遜が馬上より、行く手の山につづく岸辺に一陣の殺気が空高くのぼるのを目にして、馬の手綱を控えると、諸将の方を振り返り、「行く手に必ず伏兵があろう。全軍軽々しく進んではならぬ」と言うや、すぐさま十里余り引き返し、少しひらけた平地に陣をしいて敵に備えた。そして物見を出し探らせたところ、戻って来て、「敵軍の陣など、ありませぬ」と報告した。陸遜は信じられず、馬を下り高みに登って眺めると、殺気が又もや立ち昇っている。も一度、人をやって子細に探らせたが、その報告には「向こうには一人一騎も見当たりませぬ」と言う。
陸遜は夕日が沈むにつれ、殺気がいよいよ増すのを見て、疑念は晴れず、腹心のものを又もや探りに行かせたが、戻って来ての報告では、「岸辺に大きな石が八、九十散らばっているだけで、人馬の姿はありませぬ」とのことであった。陸遜はますますいかぶり、土地のものにたずねるよう命じた。たちまち数人のものが連れて来られた。陸遜が「何ものだ、石を積んだのは。また、その石の間より殺気が立つのは何ゆえだ」とたずねると、「ここは魚腹浦と申します。先年、諸葛丞相が蜀へお入りの節、ここまで進まれますと、砂地に石を並べて陣の形を作られましたが、それからと申すもの、いつも雲のような気が石の間から立ち昇っております」。
陸遜はそれを聞き、馬にまたがり数十騎を従えて石陣を見に行った。馬を坂の上に立てて眺めれば、四方八方にすべて門がある。陸遜は「これぞ人を惑わさんとの術。何の役にも立たぬわ」とあざ笑い、数騎を引き連れ坂を下ると、石陣の中に入り込んで見まわった。「日も暮れました。都督、早くお引き揚げ下さりますよう」と部将に言われ、陸遜が陣を出ようとした途端、すざまじいつむじ風が吹き出し、しばしのまに砂を飛ばせ石を走らせ天地をおおうて荒れ狂うと見れば、怪石が剣のごとく鋭く角立って高くそびえ、砂地にあるいは横たわり、又そそり立って、山のごとくたたなわり、岸うつ浪の音は剣や太鼓のひびきのごとくである。陸遜が「まんまと諸葛亮にしてやられたか」と仰天し、急いで引き返そうとしたが、出口がみあたらない。
その墓の中央には黒い岩に彫られた巨大なゴルゴーンの首がある。憎悪に天を睨む目は暗闇の中にきらめき、開いた口には歯が白々と林立し、顳には翼が生え、眉の上にはヘビが絡み合っている。それを見た者は恐怖に囚われたことを認めざるを得ない。そして、なにか聞こえたかのように思う。
だから、悔い改めよ。さもなければ、私は瞬く間にお前のもとへ行って、太刀のように鋭い私の口でもって、彼らと戦うであろう。[聞く]耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞け、勝利する者には、私は隠されたマナを食べさせ、白い小石を与えよう。その小石の上には、それを受け取る者以外は誰も知らない新しい名前が書かれているのだ。
巨石に対する信仰は各地にみられるが、なかでも隕石が多くの人びとの信仰を集めている。ジーベンビュルゲンで一八五一年に空から落ちてきた石についての報告がある。この石が割れて開いたとき、そのなかに世界の終末を告げる言葉が書かれていたが、やがて再び閉じてしまったという。
しかし、フロデはなおも怒鳴って、自分に必要なだけ十分に挽きだされたと思うまでは、女たちに休息を与えようとはしなかった。すると女たちは荒々しく石臼の柄をつかんで叫んだ。「起きろ、フロデ、そしていまおいらの歌う声をきけ。おいらはフロデに向かって軍隊を挽き出すぞ。おいらはフロデの館に火を挽き出すぞ。おいらは多くの人々の上に死を挽き出し、ハルフダンの死に対して、フロデに復讐を挽き出すぞ」
そういって女たちが石臼を廻すと、石は砕けて、臼は崩れ落ちた。そして女たちはフロデに向かって叫んだのである。「これで十分に挽いたぞ。もう石臼は止まっていいのだ。お前の奴隷女は、お前の必要なだけ長く臼の柄をつかんでいたよ」
「いったい――いったい彼女はだれだ?」ハワード・スタインリーサーがどもりながらいった。
「ああ、神さま! マグダリンだよ、きまってるじゃないか!」ロバート・ダービーがさけんだ。
「彼女のことなら、ちょっぴりおぼえてる。よくわからない女だったな。挑発的な蛾のように色目を使うくせに、首をたてにふらない。いつぞやの晩は、その合図を誤解したおかげでひっかかれて、あやうく顔をなくすところだった。彼女は空の橋があると信じていた。たくさんの神話に出てくるあれだ。しかし、そんな橋はない。まあ、しかたがないさ」
「あの娘は死んだんだぞ! ちくしょうめ! いったいなにをしてるんだ、そこらの石をほじくって?」
「たぶん、これらの石のなかでは、彼女はまだ死んでいないんだ、ロバート。これらの石がどうかならないうちに早く読んでしまいたい。さっき下に落っこちて割れてしまったあの笠石、もちろん、あんなものはありえない。あんな地層はまだ生まれてないんだからね。前からぼくは未来を解読したいと願ってきた。これは千載一遇のチャンスだ」
「このたわけ! あの娘は死んだんだぞ! だれもなんとも思わないのか? テレンス、その発見で大騒ぎするのはよせ。ここへ下りてこいよ。あの娘が死んだんだぞ」
「いや、上がってこいよ。ロバートとハワード」テレンスはゆずらなかった。「こわれたものはほうっておけ。そんなものに価値はない。だが、これはだれも見たことがないものだ」
「エジプト人の上に、まさに落ちようとした時に、モーセの執りなしによって、空中にかかったままになった熱い雹の石は、今やカナァナイト人の上に投げられた。」これらの言葉は、イスラエル人がエジプトを出会た当時空に現われた彗星の尾から出た隕石の一部が、約五〇年間、天球上にとどまり、ヨシュア時代になって、太陽と月が丸一日間立ち止まった、その日の午前に、ベス・ホロンの谷に落ちたことを意味する。
ユダヤ伝経およびミドラシュに記された言葉は、同じ彗星が約五〇年後に再来したことを暗示する。これは、もう一度、地球の近くを通過した。この時には、地球の極を逆転こそしなかったが、地軸を、かなり長い間、傾けたままにしていた。ラビたちの言葉を借りれば、世界は再び、「つむじ風の中に潰れ」、「すべての王国はよろめき」、「地は雷の音によって、ゆれ震えた」。恐れおののいた人類は、もう一度、一〇人につき一人の割合で殺され、この怒りの日においては、死体はさながらがらくたの如くであった。
第4次世界大戦は石とこん棒で戦われるだろう
石を投げるは、この世界を投げすてるも同然。
――ドワーフの諺
(訳 不明)
*いしのなかにいる*
ミケランジェロは、出来栄えが芳しくないと思えば、よく制作を途中で放棄した。彼は、制作中の大理石像に対しては脱出しつつある神という意識をもちはしただろう。けれどもうまくいかなければ、未完の残欠は「余計なもの」に転落する。うまくいったとしても、そこに表現された聖性は、素材=大理石に基づいているのでなく聖なるイメージ=キリスト教に基づいている。彫刻技術は芸術=アートでなく儀礼=サクラメントに奉仕するのであって、大理石が大理石のままで聖なる存在とみなされることはない。理想の大理石は例えば〔ダヴィデ〕像になったそれであって、大理石が大理石のままで理想と見做されるわけではない。
試金石にはふつう黒味がかかった碧玉が用いられたが、ローマ人によく知られていた「リュディアの石」はこれである。試金石は金の含有量を調べるものだが、十七世紀、トマス・フラーは次のように言っている。「人間は試金石をつかって金をはかるが、金は人間をはかる試金石である」
一 石には破・損・減の三失なき故祝儀となる
一 石は清浄ゆえ幸をひく
一 石を飾れば座敷の景色を浄める
一 石は目を楽しましめ心を養う
一 石を飾れば魔を近づけず
一 石には名山の姿を備える
一 石はその座の祈祷となる
一 石は堅きものなれど人心を和らげる
一 石は閑寂と静けさを持つ
一 石は冷然として感情を表わさぬ生物である
一 石には禅味がある
一 石は風雨灼熱にも泰然自若である
一 石は天然其ままであり、あるがままである
一 石には虚偽がない
一 石は神秘を持つ
一 石は寂かに聴いている