砂漠の王宮
と、薬師コパティカ・ペパティカ

適切な食事と休息により、王の病状は抑えられておりました。
彼は国に医術の学び舎を建て、薬師や御典医をはじめ多くの医の者たちに議論させ、
お互いに啓蒙させたのでございます。

さらには医学の徒のみならず、歴史や動植物、天文に到るまでの百識の者たちが
コパティカ・ペパティカが残していた薬と、まつわる文献を吟味した結果、
遂に薬の材料、そして調合法に到ったのでありました。

一切の混じりけの無い水にウーフワーフの実を漬け込み
そこに病を患い、きっかり三日目の男女の血を混ぜる……

これが疫病に抗する薬の秘密です。

ウーフワーフの実など聞いたことが無い。
それに病を得て三日目とな……いかにして見極めるのか?

完全に純粋な水というのも、また難題です。
やはり一筋縄ではいきそうには有りません……

薬師は強い決意を帯びた瞳で王に応えました。

しかし、ここまでこれたのです。
私は全ての難問を越えて行けると思います。

東ではウーフワーフが実を結ぶと聞きます。
かの地へ出向くことをお許しを戴けませんでしょうか?

王は快く許されましたので、コパティカ・ペパティカは旅立つこととなりました。
そして彼女の旅の共には、王が長らく信頼を置く人物がつくことになったのです。

それは彼女を王の元へと連れて来た、あの密偵でございました……。

東の果て
薬師コパティカ・ペパティカと、王の密偵

今では誰もが知る通り、ウーフワーフは世界中に生息している低木の類でございます。
しかしその実となると話は違います。

ウーフワーフは葉が落ちればそこから根を下ろして増えていくわけでございますが、
実を成すこともできるのです。
ただし、それには条件がございまして雄株と雌株がそろっておりなければなりません。
世界中に広がっているのは雌株であり、雄株となると限られた高地にしか生えていないのでした。
しかし逆に空気の薄い高地では雌株が育たないのでございます。

しかもコパティカ・ペパティカの時代には、まだウーフワーフは知られざる植物でございました。
その実を得ようというのですから、これは大変な難問であったと言えましょう。

植物学者たちは言っていました。
ウーフワーフは皆、東の地より来たると。

東の果てには天を衝く山々がそびえているという。

空を支え、雲を戴くその頂ならば、
ウーフワーフの雌株も生えているに違いなかった。

私と薬師が砂漠の国を発ち、月が何巡りもしたころ、
やがて東の空に険しい山の連なりが見えてきた。
そして山の麓までやってきた時、その地に住む老人が我々を見咎めてこう言った。

お前たちが手にしているのはウーフワーフの雌ではないか。
山に入れるわけにはいかん。

我々はウーフワーフの実が必要なのだと説明したのだが、
老人は無駄なことをと、笑うばかりだった。

なぜゆえにウーフワーフが雌雄交わらぬのか
知らないと見える。

……よかろう、話して進ぜよう。
実を求めるなど、無駄なことと解ろうものよ。

 東の山麓に住む老人の話

未だ形を成さぬ世界の中
揺蕩う二人の男女

まだ世界が作られてなかったころ、全てが混ざり合った渾沌の中に愛し合う二人がおりました。
やがて神が世界を作った時、二人は不運なことに天と地に別れてしまいました。
しかし決して交わらぬ定めにありながら、二人はそれでもお互いの姿を求め合ったのです。

天に居る男は地を目指して雲間を降りていきました。
地に居る女は天を目指して高い山へと登っていきました。

男はやがて太陽の光となって地上に降り注ぎました。
ところが女は、山の頂に積る雪となっていたのです。

男の想いは強すぎて、雪を溶かしてしまいました。
二人は寒く厳しい冬の間しか共にいることができず、そこでは何も育たないのでございました。

哀れに思った雲が二人を包んでやりますと、光は弱まりました。
こうして、太陽の光は雪と添い遂げることができたのです。

やがて二人は子である植物を成し、さらにその子をも授かりました。それがウーフワーフと、その実なのです。

しかしウーフワーフの実は両親の相反する力を受け継いでおりました。

ウーフワーフは雲の中でなければ実を成すことができません。
そこでなければ生きることを許されないことを知っているのです。

ですから、雲の中から出た途端、哀れな子はひなびて死んでしまうのです。

やがてウーフワーフは世界中に広がっていきましたが、未だに実を成すことはありません。
生まれたあの高き峰の、雲の中を除いては。

理解できたか?

ウーフワーフの実は、他の地では生きられぬ定め。
持ち出すこと叶わぬのだ。

そう聞かされても、あきらめることなどはできなかった。
ウーフワーフの実が手に入らないことには、病魔を払うことができないのだから。

我々は険しい道なき道を登っていき、やがて雲の中でウーフワーフを見つけることに成功した。
そこには見るも鮮やかに真っ赤な実がなっていたのだ。
まるで赤子のような形で、鈴が転がるような声をたてているではないか。

しかし悲しいかな。老人が言っていた通り、摘んだ実は雲が晴れると同時に萎びてしまった。
か細い悲鳴だけが残される。私には、それは生きることを許されない者の哀れな声と聞こえた。

そこへ誰かがやってきたので見てみると、それは首切り人だった。
何ということだ。王がついに御隠れになったという。
我々は間に合わなかったのだ。

悲しみは大きいが、我々とてここで立ち止まるわけにはいかぬ。
世界を覆う病魔を拭い去ることこそ、王への供養となろう。

ウーフワーフの実の難問を聞いた首切り人は、こう言った。

我らは時に、無実の者の首を落さざる得ないこともあった。
一切の苦しみ無く、死を感じさせず斬る術も伝わっている。

ここは私に任せてくれ。

首切り人の手の中で鎌が翻り、ウーフワーフの実が一つ落ちる。
はたして、あの悲しい悲鳴は上がらなかった。

雲間にあっても、その実はひなびることがなかったのだ。
ウーフワーフは雲にくるまれなくとも、生きていると信じ切っているようだった。

多くの薬を作るためには、もっともっと多くのウーフワーフが必要となる。
私は首切り人はこの地に残るよう頼んだ。引き続き収穫を続けてもらいたかったのだ。

そして薬師と私は、最初に刈り取られた実を携えて次の地へと向かうことになった……。

西の果て
薬師コパティカ・ペパティカと、王の密偵

次に必要なのは、完全に純粋な水だった。
我々は一路、西の果てへと向かう。

地質学者たちは言っていました。

この地にこそ
ひたすらに透明で、一切の生き物が存在しない湖があると。

何者も住まわず、まったく濁ることがない。
つまり一切の混じりけ無く、純粋な水ということではないだろうか。
いずれにせよ、行ってみるしかないのだ。

だが、それを聞いた土地の老人は
無駄なことをと笑った。

無駄じゃ無駄じゃ。

一たび汲み上げ、持ち出したが最後
その純粋さは失われてしまうのだ。

そう言われたところで、ここまで来て諦めるわけにはいかぬ。
とにかく湖をその目で見ようと、我々は進んでいった。

やがて件の湖は見つかった。この世の果てを成す山塊のふもとに洞窟があり、
その奥に清らかな水をたたえる湖があったのだ。
陽はなくとも燐光が洞窟を照らしており、底までもはっきりと見通せる。
だが、生き物の姿は一匹ともない。
流れ込む川は見当たらず、同じように流れ出る川もないようであった。

試しに水を汲んでみたが、洞窟から出るとあっという間に器の水は濁ってしまうのだった。
笑い声が聞こえたので振り返ると、そこには先ほどの老人の姿があった。

この冷たく、純粋なる水は地の底より湧き上がっておる……。
冥府よりいずる水なのだ。

この地にはこんな言い伝えがある……。

 西の山麓に住む老人の話

陽の差さぬ洞窟の中
死を求める一人の男

この大地ができてからというもの、この湖は陽の光を浴びたことはない。
冷たく透明な水には一匹たりとて生ある存在はなく、
いつしか冥府へとつながる泉と呼ばれるようになった。

ある時、死を望んでやまない男がこの地を訪れ、湖へと身を投げた。
結局彼は死ねずに戻ってきたが、すべての記憶を失っていた。

住んでいた地を忘れていたので、彼はここで暮らすことになった。
名前も忘れていたので、皆はモラレッツァールと呼んだ。「戻ってきた者」という意味だ。

彼の眼には死にゆく者が見えるようで、何人かの死を言い当てた。
おりしも病が流行っており、多くの者が死んでいった時分。
当然ながら、誰もが彼を避けるようになった。
死ぬ運命にあると告げられることを恐れない者など、いやしないのだから。

すると不思議なことに、荒れ狂っていた病が消え失せたではないか。
あれほど続いていた死は消え失せたのだ。
彼こそが、人を殺めていたのではないかと皆が疑い始めた。

しかし誰も彼を捕えようとはしなかった。いや、彼の前に出られないのだ。
あの死を招く瞳に見入られたら、死んでしまうのだから……

やがて通りがかった死神が、モラレッツァールの話を聞いて彼の元へと出向いた。
そして一目見るなり、

そして死神は直ちにモラレッツァールを連れさってしまった。

死こそ純粋さの秘密なのだ。
全ては死に絶え、そこには水のみが残る。

冥府とのつながりを絶たれた水は
最早純粋足りえないのじゃ。

老人は器の中の濁った水を示し、去っていった。

だがやれることはやらねばならない。
薬師は湖の水を汲み、洞窟の中でウーフワーフの実を漬けた。

摘み取られたウーフワーフは、自身が知らぬとも死せる存在。
水に拒まれることなく、ウーフワーフの薬効が広がっていくのが私にも判った。

薬師は器を厳重に包み、日の光に当たらぬように処置を施す。

私は、世界中の誰もが秘薬を作り、
病に抵抗できるようにと考えてきました。

ですが、今のままでは
この湖を押さえた者が全てを握ってしまいます。

確かにその問題は何とかして解決しなければならない。

洞窟を後にした私と薬師が悩んでいると、そこに何者かがやってきた。
それは料理長だった。

王が死んだことを許せぬ王妃が、二人を捕らえるために兵を派遣したという知らせをもってきたのだ。
我々の行き先は国の者たちは知っていたから、やがてここへも兵は辿り着くだろう。

水の難問のことを聞いた料理人もまた洞窟へ入り、件の水を調べた。

これは確かに驚くべき純度の水だ。
我らが砂漠の国に伝わる術でも、ここまでの水は作れまい。

水を作るとはどういうことだろうか?
我々の疑問に、料理長が答える。

我が国では川の水はそのままでは飲めぬ。湧く泉もまた同じ。
食に適した水を作ることは我々にとって必須なのだ。

食材によって適した水もまた異なる。
良き料理のためには、水の調整こそが肝要なのだ。

そして彼は続けた。
今、純粋なる水を知った。ならば砂漠の料理人の名に懸けてこの水を作って見せようと。

世界のどこでもこの水を作ることができるのならば、
秘薬が悪しき権力者に握られることは避けられるだろう。

料理長は水を作るために故郷砂漠の国へと引き返すことにし、
我々もまた、旅を続けるためにこの地を後にしたのだ……。

世界の中心
薬師コパティカ・ペパティカと、王の密偵

病を得てからの期間を違わず知る術となると
我が国の医師たちとて無理難題と言ってました。
御典医どのでさえ、そのような術を知らぬと言うのです。

我々は、古今東西のあらゆる智が収められているという古き図書館を探し流離った。

言い伝えによれば、それはかの「壺の王国」があった地にあるという。
そこには、我々が求めてやまぬ医の知識が残されているはずであった。

深き谷間を奥へ奥へと進んだ所、大きく窪んだ孔の縁に、その入口はあった。
古の時代に立てられたというその扉は塞がれていたが、
そこでは一人の年老いた司書が、我々を待っているかのように立っていた。

いずれ、ここに来られると思っておった。
あなた方が求めるモノは存じておる……ついてくるがよい。

書棚の間を進み、幾つもの階段を降り、やがて司書は我々を一つのテーブルへと導く。
そこには一冊の古い写本があった。

その表紙には、壺の紋章が施されているのがわかった。

かつて、今と同じように
病が世に放たれたことが幾度もあった。

だが……立ち向かう者もまた、いつの時代にもいたのだ。

 古の図書館の老司書の話

暗い穴倉の中
病を得た医師が一人

遥かな昔、医学が発達した国があった。
伝説によればその国の開祖は神話に名高い壺の王の血を引いているという。
何でも封じ込めることのできる壺……

人々の苦しみの元を次々と封じていった王の所業は偉大ではあったが
その試みは迂闊でもあった。
いつしか壺は溢れ、原初の昔より閉じ込められていた「病」までもが解き放たれてしまったという。

壺を失った王は深く後悔し、自らの力で人々の苦しみを取り除かんと決意した。
その思いは子へ、そのまた子へと受け継がれていき、
やがて新たな王国を打ち立てるに至ったのだった。

その国は何よりも医を重んじ、人々は健やかに暮らしたという。

一人の医師――名は伝わっていない――は言った。
病魔に対抗するための薬こそが、病魔に力を与えていると。
一時は薬で抑え込まれたように見えていても、いつしかそれも効かなくなるのだ。

彼は正しかった。

その国の医を以てしても、未だ病魔を完全に駆逐することは叶っていなかった。
やがて力をつけた病魔は国を脅かし始めた。徐々に病人が増えていったが、効く薬は無かった。

彼も他の医師たちと同じように、病魔に抵抗すべく昼夜問わず働いた。
多くの者は、より強力な薬を作ろうとしたが、彼は違う道を探った。
あたたかく新鮮な食事、清潔で快適な寝床。日の光をできるだけ取り入れ、病んだ空気を入れ替える。
彼は病魔がそもそも近づけないような環境を提唱したのだ。

それは既に病気になった者だけでなく、今後病魔が歯牙にかけるであろう者を護る術だった。

その考えが面白くなかったのだろう。
病魔は彼を標的に選んだ。医師であった彼は、病人と接触する機会も多かったのだ。

彼は即座に自分が病魔に侵されたことを感じた。
このままでは自分自らが病魔を運び、多くの者を危険にさらすことになる。

弟子たちに後のことを申し付けると、彼は穴倉に閉じこもった。

師が既に覚悟を決めていることを読み取った弟子たちは、涙ながらに扉を閉めた。
そして師の教えを実践するため、病に伏せる国中へと散っていった。

そして九十日が過ぎ、穴倉の扉を開いた彼らは師の亡骸を見つけた。
亡骸は机に向かった状態で、穴倉の床は紙で覆われていた。

暗い穴倉の中で、彼は病魔が己を蝕む様を、自らに起きた症状を全て事細かに書き残していたのだ。

彼が遺した書付は弟子たちによって一冊の本に編纂された。
やがて国中の医師たちがそれを参考として病に立ち向かい、国は病魔を退けることに成功したという。

国を救ったその本には壺の紋章――かつて病に立ち向かった者の象徴――が施され、
後世へと受け継がれていったのであった……。

ワシはこの地で隠棲する身ではあるが、
世を襲う病のことは聞き及んでおる。
おそらくここに書かれた病が、今再び蘇ったに相違あるまい。

必要な個所を書き写し、国へ戻るがよかろう。
この世界はまだ、疫病に蝕まれるには早すぎる……

まさしくこれこそ、かの壺の王の子孫が書き残したという医学の書だったのだ!
医の心得があった薬師は手早く、しかし慎重に目指すページを探した。

再び老司書に導かれ、幾つもの階段を登り、書架の間を戻る。
あとは国へ戻り、必要な患者の血を得るのみ。

だが、そこには兵士の一団が我々を待ち構えていたのだ。
彼らは王妃の命令を受け、二人を捕らえに来たと声高に言い放つ。

そこへ駆けつける者があった。御典医だった。

皆の者、待ちたまえ!
彼らに縄をかけているような場合ではない

病魔が……病魔が王妃までも捕らえてしまった!

御典医は旅の成果はどうであったかと訊ねて来た。
そこで我々は、薬の材料が手に入ったこと、あとは血のみが必要であることを告げた。

先に書き写した記述に目を通し、御典医は兵士の一人がまさに病を得て三日目であることを見抜く。
そして王妃の危難を知った兵士も、必要な分の血を採られることに応じたのであった。

砂漠の王宮
病に伏す王妃

夫である国王を救えなかった薬師とその一派を捕える命令を発した王妃ではあったが、
今や彼女も病魔に魅入られていた。

臥せていた彼女の元へ報せが届いたのは、日も暮れようという黄昏時であった。

遂に捕らえたか。
役立たずの、口先だけの山師めが。

さあ引っ立てて参れ。私自ら裁きを下してくれる!

しかし、我々二人に縄にかけられてはいなかった。
兵は我らの後についているのだ。

怒りをあらわにする王妃に、薬師がこう告げる。

お怒りはごもっともです。
私たちも間に合わなかったこと、悔んでおります。

しかし、貴女様は救うことができます。
……これも、今は無き王の理解あらばこそ。
王が貴方の命を救ったのです。

そして、私も続けて言ったのだ。
今は亡き王の忠実なる僕として、その想いに報いるために。

薬師コパティカ・ペパティカは完成したばかりの薬を王妃に与え、
王妃も無き夫の意志を受け止めました。

やがてウーフワーフの実が届き、この地に植えられました。
実から芽吹いたウーフワーフは新たな実を成したのでございます。

そして純粋な水を作り出すことにも成功し、
さらには三日目の症状を見定めるだけの技術を持った医師も育っていきました。

全ては快癒した王妃の庇護のもと執り行われ、
かくして世界は病魔を退けることができたのでございました。

この偉業を以て、薬師コパティカ・ペパティカの名は世界に知られ渡り、
後の世に「グラン・メディカ」――偉大なる医の者として
末永く語り継がれることとなったのでございます……。

……この記述を読み解けば、世に蔓延る病をくい止めることができるかもしれない。
私の想いは生まれ故郷『ある街角の物語』へと向けられていた。

書架坑の番人である老人は、この物語を隔離しようと考えている。
世界を護る者としての視点なれば、当然の判断なのかもしれない。

 



私は閉じた『グラン・メディカ』の下巻を机に置いた。
既に箔押しの準備は整えられており、老人は手慣れた手つきで仕事を始めた。

これらの物語に癒しの薬が行きわたるには時間がかかるだろう。
放っておけばまた、他の物語へ悪い影響を及ぼす。そうなる前に隔離しなければならないのだ。

こうして連作『ユメミヤ劇場』の編纂は終わった。
狭く切りとられた世界ならば、癒すのにもさほど時間はかかるまい……それでも数十年はかかるだろうが。

彼が言うには、ユメミヤのような存在によって、これまでも世界は度々揺るがされて来たという。
そして同じような連作をいくつか見せてくれた。連作の数だけ、世界は救われてきたのだ。

先代の老人――彼はリィ・ガルーと名乗った――は、私に管理者を任せたがっていたようだった。
思い出せば確かに顔色も悪かった。あのまま世界の管理を続けていくのは難しかったのかもしれない。

……それも遥か昔のことだ。
私はと言えば、今も自分の生まれ育った街でペンを握っている。

結局、私は彼の申し出を受けなかった。
ユメミヤがやったことは許されるものではないことはわかっていた。
だが……あの時、私は自らの手に残る痛みを無視することはできなかったのだ。

『ある街角の物語』では、病の蔓延はまだ収まっていなかった。
私の手を打ち据えた領主も病魔に連れ去られていた。

その後直ちに『グラン・メディカ』の記述が見直され、最新の研究とのすり合わせが行われたようだった。
数多の医を志す者たちの試行錯誤の末、ついに新薬が作られるに至ったのだ。

多くの命が失われたが、それ以上の命が救われた。
我が旧友たる町医者もその偉業に携わった一人だった。

新たに立った領主は、病の前には誰もが平等だったと宣言し、多くの改革を行った。
結果、階級制度が見直され、多くの自由が保障されたのだった。

今、私が書いている物語――ある携帯劇場師の話――も、かつては認められなかっただろう。

あれから書架坑へは行っていない。たとえ再び訪れたいと願っても、私には道を見つけることすらできないだろう。
『ある街角の物語』も、そこに住む私も、小世界『ユメミヤ劇場』に内包されているのだから。



 < おしまい >