・・・にっぽんいち・・

2002.5.9

「にっぽんいち」という言葉から思いつくものは、人それぞれであろう。
10人の人が集まれば、10の「にっぽんいち」、100人集まれば、100の「にっぽんいち」。
よかろう。それはそれでよかろう。
しかし。
はたして、それらの「にっぽんいち」が、すべての人を「なるほどこれは『にっぽんいち』だ」と、納得させられる「にっぽんいち」であるのか?
はなはだ疑問であると言えよう。
それでいいのか?
いいけど。
まぁ、いいけどさ。
私が思う「にっぽんいち」は、これである、というのをお見せしよう。
誰も文句は無いはずである。
逃げも隠れもしない「にっぽんいち」。
これこそ「にっぽんいち」。
「にっぽんいち」のお手本。
「にっぽんいち」の老舗。
「にっぽんいち」本舗。
…まえおきが長くなっちゃいましたが、ご覧下さい。

「にっぽんいち」といえばやっぱりこれ。
富士山

 私の実家のある静岡県側からほぼ全景を撮影。
 神々しいお姿に、わが家では「ふじさん」と呼ぶのは失礼ではないかという意見が出て、「これからは『ふじさま』と呼ぼう」ということで意見の一致を見た。

接近

さらに接近!

五合目まで登るとこんな感じ

五合目から下界を臨む。

「あっはっはっ!下界の人間が皆アホに見えるぞ!あっはっはっ!」
…なんて気分には全然ならない。そもそも人間なんて見えない。

 私は富士山のふもとの町で生まれて、高校を卒業するまでそこに住んでいた。
富士山があるのがあたりまえであった。不思議でもなんでもなかった。
しかし。
町を離れてから何年か後に、帰省して久しぶりに富士山を見た時、突然思い知らされた。
「富士山はでっかい」
町なかからあの、でっかい山が見えるというのはかなり異質な光景だということに気付いた。
たとえばこんなふうに…

電柱やら建物と一緒に見ると、でかさが実感できる。
町中どこへ行ってもこんな感じなのだ。

こんなふうに。

さらにこんなふうに(ちょっと外人好みの風景)。
こんなでかい富士山ですが、これからもよろしくお願いします(無理矢理まとめ)。

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