オトーラの書TOP
「文書の書」目次

就活の女神 2009.12.27 

私が勤めている会社は、秋から冬にかけてが繁忙期で、その時期になると短期のアルバイトを雇う。
仕事は、カレンダーの包装を中心とした構内軽作業。
女性のアルバイトはほとんどが主婦だったが、2008年の秋には珍しく女子大生のアルバイトがひとり雇われた。
「女子大生」という肩書きは、我々オールナイトフジ世代の心の奥底を疼かせるが、初日の朝礼に現れた彼女は、私の心の奥底にまったく別の疼きを発生させた。

外見はなんて言うか、ドラえもん体型ののび太くんで、ショートカットに黒縁の眼鏡。
声としゃべり方は瀬川瑛子そっくりのおっとりした感じ。
そして何より私の心(っていうかその場にいたすべての人の心)を直撃したのはその服装だった。

短期アルバイトの人には会社の作業服は支給されず、自前のエプロン着用ということになっているのだが、彼女が着ていたエプロンというのが強烈だった。
彼女のエプロン全面には、フェルト製であろう、手作り感満載の、馬鹿でかい、多分等身大のアンパンマンが貼り付いていたのだ。

女子大生の胸元から膝の辺りまでを覆うアンパンマンの等身大全身像。
彼女が歩くとアンパンマンも歩く。
彼女がしゃがむとアンパンマンもしゃがむ。
さぁ、ぼくの顔をお食べ、愛と勇気だけが友達さ。就活の女神




私の心は疼いた。疼きまくった。これからは彼女を見るために会社に来よう。次は等身大のしょくぱんマンが見られるかもしれない。砂漠のような職場にも、少しは潤いがもたらされるってもんだ。
ところが。

「ちょっとそのエプロンなんとかなんないの〜?」

朝礼が終わって仕事を開始する時に、パート頭のタケさん(仮名)が言った。
なんてこと言うんだ、そのままでいいじゃないか。
確かに働きにくそうで目障りだが、だからこそそのままでいいじゃないか。
瀬川瑛子の声が答える。

「これしかないんでつ〜」

なんだ。これしかないのか。しょくぱんやカレーパンはいないのか。なんだ。

***

登場は強烈だったが、普通のエプロンを着用して何日か働いているうちに彼女は職場に溶け込んでいった。
仕事上若干の失敗やもたつきはあったようだが、基本的にはおとなしい、目立たない子だった。

年が明け、繁忙期もおさまっていき、彼女も今日でバイトを辞めるという日がやってきた。
聞いたところでは、4年生だった彼女は、割とよく知られている会社に正社員として採用が決まったそうだ。

なんだか感心してしまった。あのおっとりした子が就職難が叫ばれるこの時期に正社員として採用。
アンパンマンのエプロンと、瀬川瑛子のおっとり感から、社会的適応力に欠けるのではないかと勝手に思い込んでいたが、私の印象などよりよっぽどしっかりしていたのかもしれない。

***

春が過ぎ、夏が終わり、今年もまた忙しい秋がやって来た。
世界的な不景気の中、例年に比べて仕事はやや薄いが、やはりバイトを雇わないと手が足りない。
職場に新しい顔がちらほら増え始めた。
あれ?

その中に。

あれれ?

彼女が。
なんで?

タケさん経由で聴いたところ、採用された会社は辞めてしまったとのこと。
あらま。

やめた理由など詳しくは訊かなかったが、なんだかここで、社会的適応力に欠けるんじゃないかな〜、という私の印象が再び像を結んだ。
勤まらなかったのかな〜という推測が立ち上がった。

人間像も期待、いや想像通りに収まり、前回以上に彼女は目立たない、普通の存在になっていった。

そんなある日。
あれは、今年もめでたくボーナスが支給され、パートさんバイトさんにもそれなりの臨時の支給があった、そんな12月上旬の木曜日の午後だった。

外での用事を済ませた私が事務所へ入ろうとしていたところに、彼女が自転車を漕いでやって来た。
毛糸の帽子をかぶり、頬がやや上気している。

私と前後して事務所に入った彼女は事務のおばさんに言った。

「就職が決まりました。採用になりました」

彼女は午前中バイトをして、午後から面接に行っていたそうだ。
そこで採用となり、急ではあるが、明日から出勤ということになったそうだ。今度の仕事は薬局の事務。試用期間はあるが、正社員としての採用とのこと。ほぇ〜。
バイトとしての期間は残っていたが、そういうことならバイトはこれでオシマイということに。
たまたま居合わせたパート頭のタケさんに「ボーナス泥棒」と言われながらもニコニコしている。

私は、失業を経験していることもあり、新聞などでも、雇用状況の記事には興味があるが、今年は去年以上に状況が悪く、新卒でもなかなか採用に至らないという話ばかりである。

それなのにこの瀬川アンパンマンは。
(ひとつめを辞めたいきさつはともかく、)一年足らずの間に2箇所も採用されるなんて。

これは、彼女には我々の知らない特技のようなものがあるとしか考えられない。
というようなことを、来年就職を控えた娘を持つ営業のヤマさん(仮名)と語り合ったが、その特技がどのようなものかは想像もつかなかった。

この件は、アンパンマンエプロン→就職→出戻りバイト→再就職めでたしめでたしという流れで軽くネタにしようと思っていたのだが、話はこれで終わりではなかった。

***

彼女が採用の知らせに来た翌週の火曜日。
その日私はある得意先に直行して、会社に出たのは昼過ぎだった。
事務所に入った私を待ってましたと捕まえたのはヤマさんだった。

「あの子さぁ、」
両手の指で眼鏡を作りながらヤマさんは話し始めた。

「朝ここに来たんだよ。もうこんなんなってそのまま倒れて死んじゃいそうなくらい俯いちゃって」
「?なんで?」
「採用になった会社、二日行ったらもう来なくていいって言われちゃったってボロボロ泣き出しちゃって」

ひょえぇぇ〜!
思わず叫んでしまった。もう何が何やら。私の想像をはるかに超えて社会的適応力に欠けているのか?そんな気もするが。

彼女のことはアンパンマンエプロンの段階から逐一妻に報告しているが、この一報は妻にも大きな衝撃を与えた。

「えーっ!!どうしたのどうするのどうすればいいの?」

私が前の会社を辞めた時も落ち着き払っていた妻が軽い混乱状態である。

「でもきっとできる仕事があるよ。幼稚園の先生とか……あー、無理かな。でもきっと何かあるよきっと」

妻は幼稚園の先生をしていたので真っ先に思いついたようだが、おっとりし過ぎてる子には向かないと思い直したのだろう。
しばらく考えていたが、いい仕事は思いつかないようだった。
まぁ、私の話でしか知らない人物の適職なんか考えつかなくて当たり前だが。

翌日。
朝礼前にヤマさんが話しかけてきた。

「娘に話したらさぁ、二日でクビになるなんて本人に問題あるんじゃない、だって」

まぁ、そう考えるのが自然でしょう。
私も妻の反応を報告したりして、

「2、3ヶ月したら厚化粧して派手なかっこでやって来たりして、あっはっは」
「やさぐれた感じでタバコなんか吸っちゃってね、あっはっは」

と笑ってその場の話を終えた。

ところが。

彼女は2、3ヶ月後にやさぐれて現れるどころか、その日(水曜日)の午前中の勤務からバイトに復帰したのであった。
いつも通りに。
いや、いつもよりややてきぱきした動きに見えたのは、あれは私の錯覚だったろうか。

こうして。
再就職の後に「二日でクビ」という哀しい結末が付いたおかげで、話としては面白くなったが、ネタにしづらくなってしまった。あまりにかわいそうで笑うとこも笑えなくなるからだ。
再就職が決まったところでちゃちゃっと書いときゃよかったなぁ、なんて思ってたある日。

「てらちゃんてらちゃんてらちゃん」

仕事が終わって帰り支度をしていた私をヤマさんが食堂から手招きした。
タケさんも一緒だった。飲みにでも行くのかと思ったら、ヤマさんは指で眼鏡を作りながら、

「また就職決まったんだって」

ぶひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ。
思わず爆笑してしまった。
今度は封筒を作ってる会社だそうだが、そんなことはどうでもいいや。

東京は地方に比べたら有利なのだろうが、この就職氷河期の中、一年足らずの間に3回めの採用。やっぱり彼女には何かある。
新聞で読む事例は、職種や待遇を妥協しても正式採用されないのが当たり前のように書かれているが、あれは一体どこの国の話だ?

タケさんには「もう戻らないようにがんばります」と言って去って行ったそうだ。
彼女がいい結果を出してくれたおかげでこうしてネタにできたが、雇用を取り巻く状勢は厳しさを増すばかり。
来年の秋、彼女が(やさぐれて)現れるのが楽しみ、いや、
心配でならない。

なんて偉そうに書たけど、彼女がバイトに戻りたくても戻る会社がなくなってたりしてね。あはは。
笑えません。


オトーラの書TOP
「文書の書」目次