一瞬耳を疑った。
「涙が少ないですね」と言われたのだ。
コンタクトレンズの調子がどうもおかしくて、眼科で診てもらった時のことだ。
「涙の量を調べましょう」と、しみる目薬を注され、リトマス試験紙みたいのを目蓋に挟んで五分間がまん。
あげくの果てに五十がらみの女医に言われたのだ。涙が少ないというのはコンタクトレンズ使用者にとっては好ましくないことらしいのだが、「涙が少ないですね」と言われ、私は心の中で叫んだ。「そんなバカなっ!そんなはずないぞっ!」
涙はたくさん出るのだ。むしろ人並み以上に出しているのだ。出しすぎてるくらいなのだ。
たとえば皆さんは『ドラえもん』を知っているでしょう。
「さよならドラえもん」というエピソードはご存知だろうか?
ある日ドラえもんが急に未来の国に帰らなければならなくなって、のび太と最後の一夜を過ごす、という話。
いろいろあってドラえもんとはぐれたのび太がジャイアンとケンカになる。
いつものようにドラえもんに助けを求めようとするが、「今ドラえもんに頼ったら、ドラえもんが安心して未来の国へ帰れない」とがんばって、ついにジャイアンに「まいった」と言わせる、という話。
私は何度読んでもこの場面で泣いてしまうのだ。
こうして書いているだけで、目が潤んでくる。
映画になったのも見たが、もうなんて言うか、滂沱の涙ってのはこのことかってくらい泣いた。隣で観ていた息子にバレないようにするのが大変だった。ばれてたけど。
みなさんはアニメ『アルプスの少女ハイジ』もご存知でしょう。
あの中で、足の悪い少女クララが、いろいろあった後、立って歩けるようになったという話。
そして、父親ゼーゼマン氏の前で立って歩けるようになった自分を初めて見せるシーン。
ハイジたちが呼ぶ声に振り返るゼーゼマン氏。
椅子に座っていたクララが立ち上がる。両脇で手をとっていたハイジとペーターがすっと手を離す。
おおっ!
驚くゼーゼマン氏。
「立った。私のクララが立った!」
このあとクララは、立っただけではなく、父親のところまで歩いて行くのだが、そのシーンは涙でぶよぶよになってしまった絵しか記憶にない。
ほらまた涙がにじんで…
こんな私である。
誰の涙が少ないというのだろう?
これは誤診ではないだろうか?
医療事故を招く重大な誤診ではないだろうか?
いや。
だが、しかし。
私のこの有り余る涙は、クララやドラえもんのためにあるのであって、コンタクトレンズのためにあるわけではないのではないか?
ならば。どうだろう
いつも考えていればいいのではないか。
立ち上がるクララを。
ジャイアンに立ち向かってゆくのび太を。
それだけじゃない。
『赤毛のアン』で、じいさんが「1ダースの男の子よりアンが良かったよ」みたいなことを言うシーン。
『ガンバの冒険』で、7匹が、島のネズミを助けるために自分たちが囮になるシーン。
サイボーグ009が、アポロンに向かって「あとは勇気だけだ!」と言い切るシーン。
アニメばっかだな。
じゃ、こんなのは?
『ウルトラマンティガ』の「拝啓ウルトラマン様」で、超能力男が「僕は人間だ!」と叫ぶシーン。
『仮面ライダークウガ』で、死んだと思っていた五代雄介がよみがえった時。
…なんか偏ってるな。ま、いいか。
とにかくそういうことだ。いつもこういうことを考えながら生きていればいいのだ。
涙なんかいくらでも出してやる。
もしも東京都内で、デカいカバンを持って泣きながら歩いているサラリーマンを見かけたら、それは私である。
そういう事情なので暖かく見守ってほしい。
蛇足
『アルプスの少女ハイジ』で、文中で紹介した話の前に、クララが初めて立ち上がるという話があって、テレビで「なつかしアニメ感動の名場面集」のような番組があると、放送されるのはたいていこっちのシーンである。
先日も家族でそのテの番組を見ていたら、こちらの、初めて立ち上がる方のシーンが放送された。
それは、歩けるようになろうと、みんなで一生懸命がんばっているのだが、なかなか効果があらわれず、ある日クララがキレて、「がんばってもどうせ一生歩けないのよ!」と、弱音を吐くと、今度はハイジがキレて、「もう知らない!」と、走り去ろうとするが、ハイジのかんしゃくにビビったクララが思わず立ち上がる、というシーンである。
ここも名場面なのだが、ハイジがキレて、「クララのバカ!なによいくじなし!もう知らない!」などとなじっているところで息子がボソっと
「ハイジ言い過ぎ」
とツッコミを入れたものだから、みんなで笑い出してしまった。
物語の流れの中で見れば、ハイジがあれくらい言うのは自然なのだが、あのシーンだけ切り取って見ると、確かにかなりボロクソ言っている。
この一件で、『ハイジ』の話では泣けなくなっちゃったかも、と、ちょっと心配な私である。