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第一話
「 日 常 」
ver.2008/04/27

 人は多くを望まない。世界平和を真剣に望む者は、果たして何人この世界にいるだろう? 皆、目先のことに手を差し伸べることで精一杯だ。視野を広くすることは出来ない。

 エミリーは一人、光速宇宙船の中で泣いていた。彼女には、両親がいて兄もいた。しかし独りだった。
「……良いもん……私はやり直すんだから。私が本当に欲しいものを、手に入れるんだから」
 宇宙船にはエミリー独りだけ。操縦は全てオート。行き先は、
「宇宙にもろくに進出していないあの星なら」
 青い星、地球。

 地球に着陸するまでに、大気圏突入や宇宙船発見などの騒ぎを起こさないために、セレーヌ星の科学力を行使した。重力を和らげること、完全ステルス機能、無音処理、宇宙船の小型化。
 これらのことは、セレーヌ星では当たり前の機能だ。
「さて。……残るはこれだ」
 着陸したのは、日本。取り出したるは、
「これで、私のデータがこの町の人々に浸透する……」
 怪しげな装置。エミリーは、それを起動させた。
「ふふふ……」
 エミリーは、怪しく笑っていた。

 第一話 日常

 地球上に数多ある島の一つ、日本。その関東地区にある焔(ほむら)町住宅街の内一軒。イビキをかく少年が一人、二階の自室で眠っていた。
「必殺! ギガンティックマグナムドライブぅ! ……ううーむ……むにゃむにゃ」
 はだけた寝巻きと寝癖の凄まじい黒髪から、寝相の悪さが伺える。そんな彼を起こすために鳴る目覚まし時計の努力を、彼は知らない。知っているのは、妹の努力だけだ。目覚まし時計の音を聞きつけ、何者かが階段を駆け上がる。その者、扉を開きて兄を起こす覚醒者なり。
「あっさだよー! 朝! 昨日の雨が嘘みたいな朝!」
 そしてその者はまた、未だ覚醒せぬ兄にとって、眠りの世界にいずる侵略者なり。侵略者より身を守るため、彼は布団深くに潜る。
「んふふ、無駄な抵抗をしたね。えいやッ!」
 笑顔満点で兄のベッド目掛けて跳躍。布団の上にのしかかり攻撃を仕掛けた!
「んどわぁぁあ!」
 侵略者の必起技、『仄スペシャル』が炸裂し、奇声を上げて兄は起きた。前髪が目を隠しているので表情は読み取りにくいが、息の荒さから動揺が伺える。
「おはよう、お兄ちゃん」
 笑顔満点の可愛らしい妹は、兄の顔を間近で見る。
「お……おはよう」
 大儀は妹にあり。故に兄は怒る事が出来ない。
「寝癖、目やに、着替え、持ち物点検の後リビングに直行。オーケー?」
「い、いえっさ〜」
 あまり威厳の無い兄……直樹は、洗面所の鏡の前に立つ。しまりの無い中性的な顔つきが覗いてきた。だが目が見えない。冷たい水を出して最初にしたことは、顔洗いだ。夏休みを一週間後に控えたこの時期、水は心地よい。一通り身だしなみを整えると、再び自室に戻り、夏用学生服を身に纏い、リビングへと向かった。
「改めて、おはようお兄ちゃん」
 出迎えたのは、制服の上にエプロンを身に着け朝食の用意をする、妹の仄(ほのか)であった。肩まで届くサラサラの黒髪に幼い顔立ち。背は直樹よりも少し低く、起伏の目立たない体をしている。
「おはよう」
 朝食の内容は、目玉焼きとベーコンをトーストの上に乗せたもの。これを用意したのは仄である。両親はまだ直樹たちが小さいときに事故で亡くなっていて、仄との二人暮し。家事は全て仄が取り仕切るが、直樹は手伝おうとしても手伝わせてもらえない。
「ねぇねぇ、今日はピンクがラッキーカラーなんだって。お兄ちゃんは青だって」
「ふぅん。何か青いものあったっけ?」
「マフラーは?」
「この暑い時期に?」
「湯たんぽ?」
「中に冷水でも入れればそこそこ役立つかな? いやいや、その前に持ってくのが面倒だって」
「えへへ、それじゃあ何にもありません」
「ま、青ならどこかで見れるし、それで良いや」
「そだね」
 朝食を終えると、直樹と仄は学校に向かう。照り返す日差しに、やかましい蝉の鳴き声。蝉の抜け殻が、熱いアスファルトに転がっている。
「蝉ってさ、あぶら蝉とミンミン蝉しか見たことないなぁ。実際はどれだけの種類があるんだろうねぇ」
 手でひさしを作り、日を遮りながら仄は話しかける。
「さぁ。昆虫博士じゃないから分からないけど、十種類はいそうだよ」
「にゃぁにゃぁ蝉とかいるかな? 猫に襲われないために猫の声を真似るの」
「いるわけないとは言えないな。世界のどこかにはいるかもね」
「いたら家に住ませたいなぁ、うちは猫飼えないから、気分だけでも猫まみれになりたいよ」
「猫まみれって……何匹飼うつもりなの?」
 そんな他愛ない話をしていれば、学校が見えてくる。歩きならここまで二十分ほど。自転車なら十分もかからないが、仄が何故か嫌がるので、歩くことしか選択肢はない。
「じゃあここで。またね、お兄ちゃん!」
「しっかり勉強頑張れよぉ」
 仄と別れ直樹は、教室に向かった。

「直樹ぃ! お前は妹萌えを理解出来てるよなぁ!」
 教室に入るなり、一人の少年が直樹に抱きつく。
「え、えぇ? 妹……何?」
 困惑する直樹だが、お構い無しに少年は捲くし立てる。
「あんなに可愛い妹がいるお前なら分かるだろ! 妹に、萌えるか否か! 俺はそれを聞きたい!」
「えっと……ごめん、未だに『萌え』の定義が分からないから何とも返答が……」
「萌えはなぁ! 定義とか、……そんなちゃちなもので括れるものじゃあないんだ!」
「は、はぁ」
「今度じっくり教えてやる! 今俺はそれについてのディベート中なんだ!」
「……えー」
 この無茶苦茶な少年、直樹の親友にして同学年、辻井幸人(つじいゆきと)。薄茶の髪はぼさぼさでまとまりがないように思えるが、彼なりのファッションなんだとか。背は直樹より高く、水泳部に所属しているためか肌は少し焼けていて、細身ながら筋肉はしっかりしている。
「おはよう、直樹」
「あ、おはよう美冬ちゃん」
 その左隣、読書中の少女が直樹に気付き、挨拶をした。楕円形の眼鏡をかけていて、どことなく知的な印象を受ける。
「朝っぱらから、馬鹿の会話ご苦労様。それで、頼んでいた宿題の半分は、当然出来ている?」
「あぁ、うん。これだね」
 直樹は席につき、鞄から一冊のノートを取り出した。
「上出来だわ。あとは私の持ってきたノートの内容と合わせれば、今回の宿題は完了ね」
「でも先生も変わってるよね。二人で協力しての宿題だなんて」
「協調性を高めるためだとか、そういった類の作戦でしょ」
「そうだね」
 この少女、直樹の幼馴染である月島美冬。背は直樹と同等で体格は華奢。腰まで届く艶のある黒髪に端正な顔立ち。しかし一見で騙されるなかれ、彼女はおしとやかな文系少女ではなく、総合格闘部所属の格闘娘なのだ。男よりも女にモテる。
「さて。写し終わった今、私と直樹に怖いものはないわ」
「どっからでもかかって来いって感じだね」
「あー疲れた。あとで部活に行ってガンガン倒しまくろうっと」
「誰を?」
「新入りたち」
「ほどほどにね」
「おー」
 笑顔の美冬は親指を立てた。これは絶対全力だなと思い、直樹は合掌した。そしてホームルームが始まり、連絡を二三受けた生徒達は、その後の授業に勤しむ。そして午前中の授業が終わった。
 そして、決戦が始まる。


scene2

「真夏の冷えた牛乳……それは、」
「戦火を撒き散らす魅惑の飲み物」
「しかし悲しきかな、それは各人一つのみに許された」
「何馬鹿な真面目討論しとんだ!」
 一学期最後の給食を前に、数名の男子がお盆に載った牛乳瓶を見て語っていた。おかわりの対象には本来ならならないものだが、今日は欠席者が一名いたため、牛乳瓶が一本残っている。これを飲むためには、誰よりも速く給食を平らげ、誰よりも速く牛乳瓶の入ったケースに辿り着き、誰よりも速く取らねばならない。
「美冬ちゃん、……牛乳ってそんなに魅力的?」
「この暑い時期の給食牛乳は、いつにも増して」
 美冬は目の前に置かれたお盆に載った献立を確認していた。出来るだけ速く食べるためには、何をどんな順序で食べねばならないかを、考えなければならない。美冬だけではない。牛乳を飲みたい者ならば、同じことを考える。
「直樹、聞かせてくれないか? どれをどんな風に食べれば効率が良い?」
「え?」
 直樹は今日の献立を見る。わかめご飯、大きなから揚げが二つ、温野菜サラダ、ごぼうの味噌汁、冷凍みかん。
「……どうしても牛乳じゃなきゃ駄目? 今日の献立、全部美味しそうだけど?」
「駄目。良いこと直樹? これはね、」
 美冬は平手と拳をあわせた。
「戦いなの」
「戦い……なんだ」
「うん」
 給食は、全ての配膳が行われた後に、二分の間を置いてから行われる。
「じゃあ……温野菜サラダをわかめご飯に混ぜて、から揚げと共にかきこんで、咽が詰まったらごぼうの味噌汁、最後のみかんは僕が皮を剥いとくよ」
「確かにそれが一番良さそうだわ。……あとは、私のこの足か」
 最後列に座る美冬は、最前列付近に置かれているケースまで、食後全力で走らなければならない。
「幸人さえいなければ、この戦いは楽勝なのに」
「幸人かぁ」
 美冬にとって最大の敵、それが幸人だ。最前列に座り、食べるのが速く、そして無類の牛乳好き。
「幸人攻略は並じゃない。でも、ここで退いたらいけない」
「……僕には、牛乳でそこまで熱くなれる理由が分からない」
「分からなくて良い」
「じゃぁ首絞めるのやめて」
 そして、開始の合図が行われる。誰もが知っている、生き物に対する感謝と謝罪の言葉。
「いただきます」
 このクラスの牛乳好きは全部で十人。その十人は、素早くご飯をかきこむ。あらかじめ言っておくが、この中に生き物に対する感謝と謝罪の気持ちを持った者は誰一人いない。その音は凄まじく大きく、教卓で給食を食べる教師も少し驚いている。
「がっ、がっ、んぐ、ごくん」
 この牛乳争奪戦を制するには、三つの条件が必要だ。
 一つ、献立の中に嫌いな物が無いこと。
 二つ、デザートの皮むきは別の人にやってもらうこと。
 三つ、牛乳に対する愛情があること。
「ん! げほ! ごほ!」
 途中で脱落者は出る。。一度でもペースを乱せば、そこには最早希望は無い。
「がっでーむ!」
 心底悔しそうな脱落者を哀れむ時間も無い。大抵は温野菜で挫けるが、美冬と幸人はここまで互いに一歩も退かない。
「僕も頑張らなきゃ」
 直樹には、蜜柑の皮むきという重要な使命がある。
「悪いな美冬、今回は俺の勝ちだ!」
「幸人勝利宣言来たぞー!」
「残るはごぼうと温野菜だ!」
「調子に乗るな! 私も残るは」
「美冬ちゃんも残り僅か! こいつは接戦だ!」
「すげえ、たった三分で、残るは牛乳一本!」
 美冬が牛乳一気飲みの体制に入る。同時に幸人はニヤリと笑い、温野菜を味噌汁に入れた!
「しまった、こんな荒業を!」
 直樹は焦る。
「体積が増えて、そのうえ青臭くて飲めたものでないはずなのに、こんな、こんなことって!」
「幸人がんばれー!」
「負けるなぁ!」
 牛乳を飲み下した美冬。同時に青ざめた顔の幸人は味噌汁を飲み下していた。
「直樹!」
「うん!」
 直樹は冷凍みかんを渡す。皮はむかれていて、なおかつ三等分に分けられている。美冬は一片を口に入れた。
「……! 冷たい!」
 歯の奥が一気に冷える。美冬はそれでも一つ飲み下した!
「だがそれは幸人も同じ……な!」
 美冬は驚愕した。幸人は、皮むき冷凍みかんを、
「こんな荒業が!」
 日の当たる所に置いていた! 夏の日差しで、凍った部分が完全に溶けている。
「残念だったな美冬! 完全勝利だ!」
「幸人完全勝利宣言来たぞー!」
「遂に決着だぁ!」
「抜かった! しかし、」
 美冬は残り二片を口に入れる。冷える、噛めない。ここまでかと諦めかけるが、直樹が救いの手を差し伸べた!
「これを!」
 温かい味噌汁を、直樹は手渡す! 美冬はそれを受け取り、飲んだ! 歯の奥の冷え冷えとした感覚が消え、代わりに温かい味噌スープが温める。そしてみかんごと飲み下し、合掌、食事終了宣言をする。即ち、
「ごちそうさまでした!」
 そして立ち上がりケースのもとへ走る!
「ふ、ごちそうさまでしった!」
 しかし幸人もまた立ち上がった!
「位置関係を呪え! 美冬!」
「最前列最大の問題児がぁ!」
 牛乳瓶に二人は同時に触れた!
「……」
「……驚いたよ。まさかあれだけの手を尽くしても同着とはな」
 同着。だが幸人は余裕だ。どころか勝ち誇った。
「さぁて美冬。『じゃんけん』だ」
「……」
 対して美冬はうな垂れた。顔には絶望の二文字がある。
「美冬ちゃん! 今日は大丈夫! 絶対勝てる!」
「直樹、お前も美冬の幼馴染なら知ってるだろう?」
「……ぐ」
 声援を送るが、直樹は閉口した。
「美冬はな、じゃんけんで勝ったことがないんだ!」
「な、なんだってー!」
 幸人の言葉に何人かが驚きの声を上げた。直樹も否定はしない。それは肯定を示していた。
「だからな、今回はサービスで、」
 ニヤリと笑う幸人。その笑顔の真意を察した直樹は、慌てて忠告した!
「駄目だ美冬ちゃん! 聞いちゃいけない!」
「え?」
 しかし、
「俺は、グーしか出さない」
 聞いてしまった!
「なん……だと?」
 美冬は混乱した。これは罠だと分かっていても、グーが気になってしまう。
「幸人の、マインドクエイク(精神揺さぶり)来たぞー!」
「心理戦、これは」
「すごく……不味い展開だ」
「惑わされないで! 美冬ちゃーん!」
 直樹の願い虚しく、
「じゃん」
「けん!」
「「ポン!」」
 結果は、無残にも幸人の勝利で幕を閉じた。


scene3

「お兄ちゃん、さっきね、下駄箱の中にこんな手紙が入ってたんだよ?」
 夕暮れ時の下校時間。直樹は仄と共に下校していた。仄は直樹を見つけるや否や、喋っていた友達と別れて直樹に寄り添った。
「これって、ラブレター?」
「そうだよ」
 仄が出したのはハートのシール付きの便箋一枚。差出人の名前も書いてある。
「……どう思う?」
「え? どうって、仄は嬉しくないの?」
「嬉しくない。……好きな人いるし」
 少しふて腐れた態度をとる仄は、便箋を鞄にしまった。
「でも、やっぱり仄はもてるんだね。料理とかの家事が全部出来て、仄の将来の旦那さんは幸せ者だよ」
 自慢気に話して頷く直樹。そんな態度の彼に対して仄は、少し機嫌を取り戻した。
「そ、そうかな?」
「間違いないよ」
「えへへ……嬉しいなぁ。ありがとうお兄ちゃん」
 仄は頬を蒸気させていた。
 帰宅した二人は制服から着替えて私服になる。リビングに戻って、エアコンから送られる涼しい冷気を全身に浴びるのだ。
「お兄ちゃん、ちょっと教えて欲しいことがあるんだけど、良いかな?」
「勉強? 国語くらいしか分からないけど良いの?」
「うん」
 涼しい部屋の中二人は勉強を始めた。しかしその三〇分後には遊んでいた。
「今度こそ勝つよぉ!」
 トランプの遊戯種目の一つ、大富豪。
「手札十七枚、ちゃんとあるね。残りは裏向きに端に置いて……じゃあ始めようか」
「えい、スペードの4!」
「ほほう、じゃあスペードの7」
「縛り! ……でもまだ!」
「スペードの8で流したか」
「ふふ、お兄ちゃんに勝つために僕は今日友達に聞いたのだ! 出来うる限り切り札を残して、出来うる限りいらない札を捨てていく! ハートの3!」
 饒舌な仄を、直樹は観察した。あれは虚勢だと察する。
「なるほど。ならば」
「ハートの4? 激縛り!」
「出せない? ならば流して、次は」
「と、ととと、トリプル5? ならこっちは!」
「トリプルイレブンか。イレブンバックを考慮して」
「トリプル6!?」
「流して。ハートの10」
「ハートのイレブン! 激縛りバックだからこれは流しだね!」
 仄は少し焦っていたため、直樹が熟考していることに気付いていない。考察内容はこうだ。
 (先程イレブンが総計四枚出た……つまりこれで、仄の手札には数字の強いカードしか残されていない。しかも単発ではなく連なりが幾つかだろう。そして今の、
 『これで流し!』という言葉が引っかかる。あそこで万が一ジョーカーが出ていたらどうする? こちらにジョーカーが無いことを見越しての発言か? だとしたら、何を判断材料にした? ……決まってる、自分の手元にあるからだ。深読みのし過ぎかも知れないけど、用心するに越したことは無い)
 ここまでの思考能力を、直樹は勉強に生かしていない。
 当たり前のように手の内を読まれた仄には、勝ち目など無かった。
「勝負あり」
「く、悔しいっ! もっかい! もう一回!」
「ふふふ、何度挑んでも我には敵わぬのだよ脆弱なる勇者」
「くっ、魔王め! 絶対勝つんだ! 僕が!」
 そして今度は競技を変えて、神経衰弱。
「き、僅差で負けた」
「記憶力で我に(以下略)」
「魔王め! 僕は戦う! 命尽きるそのときまで!」
 次いで婆抜き。
「婆は右だよ」
「言葉には惑わされない! ……ああ! 本当に婆だった!」
「だから言ったのに」
「おのれ! またしても僕の負けか!」
「そろそろ限界が近いのではないか?」
 先程から二人がやっているこのやり取りは、最近見ているアニメの影響だ。
「王国の民のために、僕は!」
 この場合、仄の民は自室で並べられたぬいぐるみのことを指す。その後も爺抜き、
「これが最後のカードだ」
「う〜、ちょっとは手加減……して欲しくないし、」
 七並べ、
「また負けた!」
「なぁ仄、一旦止めよう? 頭に血が昇っているんだってば」
「やだ、勝つまでやる!」
「……ならば」
 直樹は、ポーカーを提案した。
 (これなら運任せ。仮に良い組み合わせが来ても、捨ててしまえば問題な)
「ストレートフラッシュ!」
「な、」
「フルハウス!」
「に、」
「フォウペア!」
「ぬ、」
「滅びよ魔王! ロイヤルストレート!」
「ね、ば、バカナァァァ!」
 得意な表情の仄を見ながら、直樹は仰向けに倒れた。

 この家には直樹と仄以外は住んでいない。両親は幼いころに亡くなっている。頼る親戚もいないため、両親の残した多額の保険金を糧に生活をしている。少なくとも二人が大学卒業するまでは尽きないであろう。故に二人は助け合いながら今までを生きてきた。
「……もう少しで夏休みか」
 直樹はそのまま、静かに眠った。

 翌朝、何事もなく朝が始まり、仄の例の起こし方で起床、身支度を整えて学校へ。途中仄が昨日学校で起こった面白い事柄を話し、正門前で別れて、幸人と出会い、教室に向かい、席に座り、左隣の席に座る美冬と二三話をする。
「おはよう松谷君」
「おはよう、エミリーさん」
「さんは余計、エミリーって呼んでよ」
 エミリーが話しかけてきた。
「……ん?」
 直樹はそこで一瞬、違和感を覚えた。目の前にいる少女。彼女は先週からこの教室にいる外人の少女。背は直樹と同じくらいで、華奢。そしてその美しさ可愛らしさは、誰にも劣らない。名を、エミリー・ローズバレッタ。
「……」
 知っているのが引っかかった。先週まで、直樹はこの少女のことなど一切知らなかった。なのに、今日は彼女のことが分かる。妙な違和感。
「……いや、何を考えているんだ? エミリーさんはこの前からいたんだ。そんなこと考えたって、……」
 頭を捻っても、彼女のことを認識している事実は変わらない。だが、それを知った経緯が不明確だ。直樹はどこか落ち着かない感じである。
 (……とりあえず、頭の片隅にでも覚えとこう)
 平和な日常が、少しばかりぐらついた瞬間であった。

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