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第二話
「 リ ス タ ー ト 」
夏休み突入前の最後の学校行事、終業式を乗り越え、直樹達は最後の試練に立ち向かおうとしていた。
「はい、今から成績表を配る。心の準備が出来た奴から取りに来い」
魔王(担任教諭)は教卓に鎮座し、直樹達生徒を見渡す。直樹は動かない。心の準備が出来ていないからだ。
「じゃあ俺、一番乗りぃ!」
誰もが黙って座る中、幸人が名乗りをあげた。その光景に、誰もが度肝を抜く。恐らくこのクラスの誰よりも心の準備が必要なはずなのに、誰よりも早く受けとるとは。しかし魔王は逆に、ニヤリと笑う。
「愚か者め」
魔王の嗜虐的な笑みを見ると、そう言っているように見えなくもない。そして、
「最初は辻井か。先生から一言言わせてもらおう。テストは赤点でも、授業態度を改めような」
そして幸人に突きつけられる現実。それはあまりにも凄惨なものであった。
「焼け野原ぁああああ!」
天を仰いで絶叫する幸人。魔王は愚かな人間を一人、絶望の中に陥れた。魔王はその後も訪れる生徒を次々に絶望に陥れていくが、当然中には例外もいる。
「ママぁあああ! やったよ! 僕はやったんだぁあ! プラモ買ってくれるよねぇえ!」
「ふ……日ごろの努力が実った」
「あら皆さん、ご愁傷様ですわぁ」
勉学に励んで経験値を蓄えていた者にとっては、こんなもの試練でもなんでもない。
しかし現実はゲームのようにいかない。ボタン連打や何やらでレベルが上がるわけがない。工程が面倒なのだ。誰もが勉強出来る才能を持ちながら、誰もやろうとしない。結果、「俺はやれば出来るんだよ」という言い訳をする者が増えるのである。
「うひゃぁ……全く変化無し」
成績は3が多くを占める中、所により4があったり2があったりする。平均すると3。果てしなく並だ。
「ちょっと勉強すればすぐに伸びると思うんだけどな。直樹は勉強嫌い?」
隣の席に座って頬杖をつく美冬が、コンタクトレンズを通して直樹を見る。
「いや、嫌いではないのだけど……より好きなものがあると……そっちに行っちゃうっていうか」
「このゲーマー」
「うぐ……」
美冬は立ち上がり、嘆き悲しむ敗北者を無視して魔王のもとに向かう。魔王は成績表を出した。美冬はそれを閉じたまま自分の席に戻り、座って瞑想。そして開こうとしたとき、
「我がライバルの成績をチェーック!」
「っ!」
幸人がそれを掏った。その手口は実に巧妙であった。
「返せ!」
「フハハハ! どうれ、ほほぉ! 数学は4、国語は5、理科は1? おいおいどうし、たぁあああああああ!」
美冬の必殺技、『ボロ雑巾』が幸人に炸裂し、悲鳴をあげる幸人。後ろから両方の二の腕をねじる技で、極まれば相当痛い。
「お楽しみを奪ったこの怒りぃ!」
「ごめんなさぁぁぁあああああい!」
幸人は技からの解放と共に気を失った。そして二十秒後に目を覚ました。
「ふん。せっかく楽しみにしていたのに」
「まぁまぁ、……でも理科だけ1って、何で?」
「……直樹、……蛙の解剖って……嫌だよね」
「そ、そうですね」
「ゲコちゃん……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
机に突っ伏して何かに謝り続ける美冬。直樹はそれ以上詮索することは出来なかった。
その日の夜。直樹は家で、仄の作ったカレーライスを食べていた。甘くも辛い、絶妙な味わい。隠し味は、
「それは秘密だよ」
残念ながら分からない。
「ねね、お兄ちゃん。今日ね、ラブレターもらったんだ」
食べ終えてまったりしていると、仄が話を切り出した。
「また? この間もらったばかりじゃないか。……ストーカーじゃああるまいな」
「あはは。そう思ったんだけどね、手紙の内容はいたってまともだよ」
「なら安心」
直樹はそれ以上追究はしない。が、仄は何故か不満そうな顔をした。
「……とぉ!」
うつ伏せに寝転がる直樹の背中にかぶさるように、仄は飛び乗った。
「うぉわ? どうしたの仄?」
「それだけなの?」
「はい?」
「だから、お兄ちゃんは妹に恋人が出来るかも知れないっていう一大事を前に、何もしないの?」
「何もって……何をすれば良いのさ?」
「〜〜、」
仄は直樹の両肩に手を置いた。
「『そいつは信用出来るのか』とか、『俺の仄は決して渡さない』とか、そういうのは無いの?」
「ないよ。だって、仄が信用しているなら何の問題も無いんじゃないの?」
「そ、……そういうこと言うの……反則」
言葉に勢いを無くし、仄は亀の子のように直樹の背にべたりとくっついた。
「……何が反則なのか分からないけど、あの、仄? 食べたばかりでこの体勢は少しキツイのだけど?」
「んぅ? もうちょっとだけぇ」
仄は安らいだように目を閉じ、そのまま眠ってしまった。当然直樹は困った。
「ぐぅ、重くはないけど、この体勢はぁ、正直キツ……い……仄? ……って、仄? 何寝てるの?
もう少しっていう時間間隔じゃないよねこれ? ウェイクアップ仄! このままじゃ起き上がれないから!」
そのとき、電話が鳴り響く。
「まずい! ……くっ、出来るだけこの技は使いたくなかったけど、今は四の五の言ってる場合じゃあない!」
仄を押しのけて起き上がり電話を取りに行く。……という方法ではなく、ゴキブリのごとく床を高速で這って電話のもとに急ぐ。妹の眠りを妨げないための処置である。
「も、もしもぉし!」
直樹が必死で受話器を取ると、電話の向こうにいる人物が興奮気味に叫ぶ。
「直樹! 海に行こうぜ!」
声質から電話の主が幸人だと判断した直樹は、ホッとした。
「幸人か。……え、海? それまた急な話だね」
「本当突然だけどさ、我慢出来ねぇんだわ。海に行きたいんだよ俺。夏休みといえば海だろ? 常識だろ?」
「常識……なのかは知らないけど、気持ちは良く分かるよ。そうだねぇ、海は良いよねぇ」
「だろ? 直樹もそう思うよなぁ? 美冬誘ったんだけどさ、『あんたと海など嫌だ』ってよ、寂しかったんだよ。直樹、明日行けないか?」
「あ、明日? 急すぎない? 下調べとかはしないの? というかどこの海に行くの?」
「明日の午前五時四十分発、○○駅着の電車で一本だ。強行の海開きだ、気を抜くんじゃねぇぞ!」
電話は何の予告もなしに切られた。直樹はしばらく受話器を耳に当てたまま硬直した。
「……いやいや、明日って……えええ?」
無計画、猪突猛進、そして有言実行。それが幸人である。彼が海に行くと言ったなら、たとえ風邪をひいても、這って行くだろう。
「と、とにかく、海か。……仄に一応言わなきゃな」
直樹は仄を優しく起こすと、海行きの旨を伝えた。目を輝かせた。
「うわぁあ、楽しみだよ! 僕も行って良い?」
「ん、多分大丈夫。というか、幸人も数が多ければ喜ぶだろうし」
「やったぁ! 初日から宿題処理だと思って憂鬱だったんだよぉ」
仄ははしゃいでいた。直樹はそれを見て、言いようの無い充足感に満たされた。
scene2
翌朝午前五時十分。駅前にはベンチに座って眠る直樹の姿と、彼を起こそうと奮闘する仄の姿があった。
「眠くて……死んじゃうぅ」
「お兄ちゃん起きてってばぁ! ……はぁ。そうだった。お兄ちゃんは普段こんな時間に起きないんだった」
仄は溜息をつく。彼女は授業の予習復習、朝ごはんの支度のために早起きなのだ。
「すぅ、すぅ……」
「……」
仄は起こすのを諦めた。そして兄の寝顔を眺める。無防備すぎるその寝顔を見ていると、不思議と笑ってしまう。そしてその横に座る。少しずれている前髪を、元通りに梳かす。見事に目が隠れてしまった。
「……」
不意に仄は、昨日話していたラブレターを取り出し、中身を見る。ごく普通の、純粋な想いが込められたものであった。
「やっぱ、駄目だ。僕は一生恋人が出来そうにないや」
仄は再び直樹を見る。そして手紙を破った。
「何を神妙な面持ちで手紙を破いているんだね? 仄ちゃん」
仄の前に、ラフな服装の少女が立っている。美冬だ。
「あ、美冬さん」
「やれやれだ。妹が起きていて兄が眠っているとは。少し灸を据えてやろうか」
美冬が直樹の頭に平手を振り下ろそうとするが、
「……やるな。その瞬発力、流派は何だ?」
「我流。お兄ちゃんを殴るのは駄目だよ。幼馴染の美冬さんでも」
平手の手首を掴む仄。その力は、意外にもすごい。
「ほほぉ。面白い。直樹が眠っている間に、ちょいと手合わせ願おうか?」
仄の掴み手を振り払い、美冬が構えをとる。
「良いの? お兄ちゃんが起きるまでがリミットだよ」
仄も負けじと、構えをとった。
午前五時二十八分。幸人が来た。
「全員揃ってるな。……? どうしたんだ二人とも?」
肩で息をする美冬と仄。ベンチでは直樹が未だに眠っている。二人は幸人を見る。
「「もっと早くにこーい!」」
そして同時に蹴りを放った!
「十分前行動――!」
幸人は勢い良く吹っ飛ばされた。
「な、な、何だ? どうしたんだ二人とも? 特に仄ちゃんはそんなにバイオレンスだったっけ?」
「ん……おはよう……どうしたの幸人?」
幸人の叫びに起きた直樹が、寝惚け眼で幸人を見た。腹を押さえている。
「ん、いや実は」
解説しようとする幸人だったが、直樹に背を向けた状態の二人は彼に「喋るな」と合図する。仄は人差し指を口元に立て、美冬は親指で首を切るポーズをした。二人とも目が怖い。
「……や、やー、昨日西瓜とか食べ過ぎて腹痛をおこしちまったんだよ。てへっ」
命惜しさに嘘をつく幸人。顔面蒼白だ。
「ふーん……」
直樹はまだ眠そうだが、全員が揃ったので仕方なく起きることにした。
「海」
幸人は果てしなく青い水平線を眺めている。
「海こそが、夏の始まり」
両腕をいっぱいに広げ、大きく胸を仰け反り、天を仰ぐ。その顔は幸せに満ちていた。
「水着のお姉様方がおられる聖域」
ひたすら海を賛美する。
「そして輝く白い砂浜。それは」
「ごちゃごちゃ言ってないで海に入る」
美冬が淘酔しきった幸人の頭にチョップをいれた。全員水着に着替えていた。
直樹は特徴の無い水泳下着、幸人は派手な色のバミューダパンツ。仄は少しフリルのついた水色のビキニ、そして美冬は学校指定スクール水着(紺)を着ており、胸元にある布製名札には『美冬』と書かれていた。
「何故に達筆? 普通そこには『みふゆ』って平仮名で書くところだ! ニーズを理解していないのな!」
幸人は悲観に暮れたが、当の美冬は幸人に冷ややかな視線を浴びせた。そして口の端を少し吊り上げる。
「ふふふ。そういった変態の魔手から我が身を守るための措置。ニーズを理解はしているさ、『萌え』も知っているさ。……だからこそ、期待に添うことはしない」
「鬼じゃ! ここに鬼がおるわぁ!」
幸人は拳を握りしめ、歯軋りをした。何が彼をそうまでさせるのか、松谷兄妹には知る余地がなかった。
さて、その後四人は昼御飯まで遊び倒した。まずは定番の水かけ。
「サザンクロース!」
幸人はただの水かけを、必殺技を叫びながら行っている。
「スプラッシュウォールっ!」
直樹もそのような感じで、テンションをハイにしている。それが終わったら、
「決着を……つけようか」
「そうね。一学期の総決算にしましょうか」
視線のぶつかり合いにより弾ける火花。幸人と美冬の、夏休み最初の決戦が始まる。対決種目は遠泳。
「海には必ず、『これ以上進んではいけません』的な標識が浮いている。そう、あれだ!」
幸人が指し示した方角は、誰も泳いでいない区域。そこは深く、足がつったら誰も助けられそうにない。そんな場所に、ブイが浮いている。
「ここからアレをタッチし、そしてここまで戻る。競争だ。くくく、美冬は泳げるのかな?」
「愚問ね。これくらいの距離なら、何の問題もないわ」
「では審判は直樹にしてもらおうか! こいつの手にタッチしたら勝ちだ!」
「分かったわ。じゃあ仄ちゃん、開戦の合図を」
砂浜でクラウチングスタートの構えをとる二人。仄は決戦スタートを告げた。二人は同時に砂を蹴り、駆け、海に飛び込み、猛烈な勢いでクロールを泳ぐ。二人の差はない。このまま競争が終われば、間違いなく同着だ。
「お兄ちゃん、なんか波が……」
「あ」
しかし、二人の行く先には、うねる様に押し寄せる波の群れが阻む。
「なんじゃこりゃぁあああ!」
波に飲み込まれる幸人。
「幸人? おい、大丈夫か!」
併泳していた美冬は、ライバルの異常に気付いたのか泳ぎを中断。波に飲まれた幸人を救う。
「あ、助かったみたい。良かったぁ」
「まぁ、あの二人は殺しても死なない気がするし」
「そうなの?」
「そうだよ」
咳き込む幸人。
「げーっほ! ごほ! げほ、げほ!」
「漫画のような咳き込みをするな。実際言うと変だ」
「うるっせ! ……でも、ありがとな」
「さぁ、勝負再開だ」
さらりと告げると美冬は再び全力で泳ぎだす。
「……って、ちょっと待てぇ! ここは普通絶好のツンデレポイントだろう! 『ばっ、馬鹿。あんたのために助けたんじゃないんだから///』とか言う場面だろ!何でそれに気付かない!」
顔を出しながらクロールをする幸人は、鬼気迫る勢いでまくし立てる。
「幸人、『///』は使うな。何だか安っぽい小説になってしまうだろう。因みに『♪』も無しだ」
「知らねぇよ、そんなこと! 大体これは小説じゃなくて現実だ!」
「大体、私はツンデレではない。お前にツンこそすれ、デレなど」
美冬は鼻で笑った。
「有り得ない」
二人が問答するのを見ていた兄妹は、
「ねぇお兄ちゃん。何だか泳ぎながら喧嘩してるよ。器用だね」
「頼むからああはならないでくれよ仄」
ブルーシートの上でジュースを飲んでいた。
scene3
そんな感じで時間は流れ、昼御飯。ブルーシートの上に四人は集まる。
「そういえば、今日の昼飯は仄ちゃんが作ってくれたんだよなぁ」
「はい。一生懸命作りました」
仄はブルーシート上に弁当の入ったタッパーを並べていく。
「さっすが仄ちゃんだ! どっかのガサツ女とはえらい違いだ。なぁ、直樹」
「え?」
直樹は、ちらと美冬を見る。目つきが少し怖い。結局遠泳勝負が負けだったこともあるが、返答しだいでは直樹を絞め殺さんと言わんばかりの目だ。
「……いや。美冬ちゃんは料理出来るよ」
「マジか?」
直樹の返答に幸人どころか当の美冬まで驚く。
「ちょっと直樹、私は料理なんか出来ないよ?」
「え? 前に一回だけお手製弁当食べさせてくれなかったっけ?」
「……」
美冬は考え込む。幸人はタッパーを開けて食べだし、その美味しさに仄を褒め殺した。
「あ」
美冬は思いついた。
「ああ〜……あ」
何やら一人で納得しようとする美冬に、直樹は尋ねる。
「何か思い出した?」
「ああ」
美冬は頷いた。仄が「それお兄ちゃんのですからぁ」と幸人を制止している。
「中学入りたてのころか。確かに一回。……しかし、よく覚えていたな。あんな美味しくも不味くもない、つまらない料理のこと」
「そう? 結構美味しかった覚えがあるんだけどな」
直樹はタッパーにあったたこさんウインナーを口に入れる。塩胡椒が強めで美味しい。
「……まぁ。あれで良いのなら。……リクエストするのなら、ナオ君には特別に作ろう」
「ありがとう。あ、幸人! それ僕の!」
「ふははは! 弱肉強食だぁあ!」
こんなときもテンションが高い幸人と直樹の弁当取り合い合戦が繰り広げられる。仄は二人が、自分の料理のことで争うのがうれしいのか、ニコニコしていた。
「……は」
美冬は右掌で顔を押さえた。
「『ナオ君』って、なんだよそれ。古い呼び方してしまった」
かいてもない赤っ恥に、美冬は頬を蒸気させた。
昼御飯が終わり、直樹達が再び海に繰り出そうとしたときだ。
「ねぇ君達、私も混ぜてくれない?」
華奢で金髪の少女が、直樹達の前に現れた。直樹達の知らない少女だ。
「うぉ、美少女!」
幸人が驚きに後ずさる。直樹と同じくらいの背丈で、顔立ちも整った可愛らしい少女だ。
「外人さん?」
しかしどこか日本人離れした物腰と外見に仄が尋ねると、少女は肯定するように頷く。
「私は別に構わないが……直樹はどうする?」
「……」
直樹は、少女を直視していた。だが前髪が目元を隠しているので、周りからは硬直しているようにしか見えない。
「直樹? どうした? あまりにも美少女だから氷ついているのか?」
「お兄ちゃん?」
次に直樹は自身の右こめかみを押さえる。
(僕は、この子を知っている。知っているはずだ。なのに何一つ『思い出せない』)
「直樹、どうしたの?」
美冬が心配を始める。
「いや、……何でもない」
(落ち着け。動揺しても始まらない。単に僕がおかしいだけかも知れないし)
直樹は共に遊ぶことを承諾し、見(けん)にまわる。仄と美冬がすぐに打ち解け、女の子同士で話を広げている。
「おいおい直樹! 何だこのパラダイスは! 仄ちゃんは可愛くて、美冬……は、性格はああだがスタイル良くて、あの子はもう……こう……グッと来る感じが!」
「え? う、うん」
「来て良かったぁ! 海よ! 感謝するぞぉ!」
「……」
直樹はそれどころではない。何か、拭いきれない違和感が先程からまとわり付いて離れない。
「それと直樹、お前、夏休みってどう思う?」
「何だよやぶから棒に」
「夏休み。それはな、俺にとっては長い長い放課後のような存在なんだ。分かるか?」
「聞いてもいないのにいきなりわけの分からないことを言わないでよ」
「それより遊ぼうぜ! 俺も混ぜてくれよぉ!」
幸人が行く。それと入れ違いに美冬が来た。
「本当にどうしたんだ直樹? お前がこれほど動揺するのを見るのは久しぶりだぞ?」
「うん。ちょっと気になっただけなんだ。何でもないよ美冬ちゃん」
「そうか。……私に出来ることがあるなら言ってくれよな。これでも数年間、ナオ君の友人やってんだから」
「……ありがとう」
「解決してないだろうが、遊ばなくてはね。せっかくの海なんだから」
「わわ、」
美冬は直樹の手を引いた。足がもつれて転ぶ直樹。美冬は起こし、再び強い手で引きずった。
「きりきり歩く」
「い、イエッサーぁ」
ビーチバレー、砂の城作り、等等、遊べるもので遊び倒す五人。炎天下、元気に遊びまわった。
「ぜぇ……はぁ」
「何だ……もう体力不足か……情けないぞ幸人」
「るっせ……何か、時間が経つの遅くないか?」
時計を見るが、エミリーと出会ってからまだ十分しか経っていない。あれだけ遊び倒したのにだ。
「マジかよ! やったぁあ! 何だか得した気分だ!」
「この身果てるまで遊び尽くすわよ!」
喜びを表す幸人と美冬。しかし仄と直樹は、
「変……だよね、お兄ちゃん」
「ああ。変だ。遅すぎる。いくらなんでも」
「良いじゃないですか」
エミリーが二人に寄る。
「私は嬉しいですよ? 皆さんとずっと遊べるって、素晴らしいと思います。もっともっと遊びましょう」
「……」
直樹はエミリーの極上の笑顔に、何故か寒気を感じた。
それから五人は遊んだ。止まったように遅い時間。精一杯遊んだ。その異常な時間経過での二時間後、
「あ……も、無理」
幸人が倒れる。極度の疲労がたまっているようだ。
「幸人! しっかり!」
「ナオ君……私も、もう……果てるわ」
「うにゅ……お兄ちゃぁん……」
美冬と仄も倒れた。
「皆しっかり! ほら、涼しいところに行こう!」
木陰にあるブルーシートの上に三人を寝かせる直樹。
「残念です。まだまだ遊びたいのに遊べないなんて」
エミリーは三人の心配よりも先に、残念という気持ちを前面に押し出した。直樹がエミリーの方を向く。
「……流石に時間が流れるのが遅かったみたいだね。調整ミス?」
直樹が何気なく聞く。
「そうか。やっぱり、十分の一は不味かったかな。人間の体力には無理があっ」
エミリーは、ハッとして口を押さえた。
「……まさか、こんな単純な手に引っかかるなんてね」
「ち、違うの! これは」
「皆をこんな風にしたことを謝るべきじゃないのかな?」
直樹は珍しく怒っている。エミリーは焦っていた。
「いや、あの」
「皆をこんなになるまで振り回して、『残念』? 気に入らなかったのかい?」
「ご、ごめ」
そのとき、完全に時間が止まった。エミリーも、仄も幸人も、他の海にいる人々も、波も、鳥も、雲の流れも、完全に止まる。世界が止まっていた。そんな中で、直樹だけが動くことが出来た。
「こ、……これはっ!」
辺りの様子を見る。何もかもが止まった光景に、直樹は驚愕を露にした。
『地球人。踏み込んではいけないところまで踏み込んでしまったようですね』
直樹の背後からする凛とした声。後ろを向くとそこには、上下とも真っ黒でかっちりとした服装の青年が立っている。怜悧な目つきにスッキリとした顔立ち。女のように綺麗な青年だが、今の直樹には美を嗜む余裕など無い。真っ先に口から出た言葉は、
「君は誰?」
青年は顔の表情一つ変えることなく一歩一歩直樹に近づく。革靴らしきものを履いていた。
「私の名前はロッテ。マスターに忠実な、人工の完全有機生命体です。マスターの邪魔立てをする者を、排除するための存在です」
「マスター……それはエミリーさんのことだね」
「イエス。……あなたは随分順応性が高い地球人のようですね。ここに連れられれば、まず確実にパニック状態となるはずなのに」
不思議そうに言葉を紡いでいるが、彼からは人間らしさが微塵も感じられない。
「ここは多分、時の狭間……なのかな?」
「正確には違います。ここは『異次元の牢獄』です」
「牢獄……僕を捕らえてどうするつもり?」
「ここはマスターの意思を曲げようとする者をしばらく閉じ込めるための牢獄。安心してください。命の保障はさせてもらいます」
「……」
辺りの景色が変わる。立方体状の、灰色の、何も無い空間に直樹とロッテはいた。
「僕は良い。でも皆はどうするの? いきなり僕がいなくなったら余計な心配をかけちゃう」
「ご安心を。先程記憶を改ざん致しました。あなたがいなくても、地球は回ります」
「……! 勝手に……勝手に僕を消した? ふざけないでよ! 何だよそれ!」
ここにきて直樹は激昂する。しかしそれでもロッテは眉一つ動かさない。
「……一週間前。私はマスターの通う学校のデータを二度改ざんしました。その中で少しばかりバグがあったようですね。あなたは微かにですが、マスターのことを覚えていました」
「だから? だから何だよ!」
「何故、覚えていたのです? あの学校からは最後、マスターがいた痕跡を完全に消去したはずです。だのに何故、あなたは覚えていたのですか? 覚えてさえいなければ、ここにこうしていることもなかったでしょうに」
「そんなの!」
直樹は真剣な口調で答えた。
「心配だったからだ!」
「心配?」
「いきなり、皆エミリーさんを忘れていて、僕もさっきまで忘れていたけど、……心のどこかで引っかかっていたんだと思う。『この世界から完全にいなくなった女の子がいる』ことを」
「理解しかねます。心の片隅ですと? 馬鹿な、私の行った記憶操作は完璧なはずです。精神論など」
「君達のいた星の理論なんて知らないよ!」
直樹は興奮しているのに対し、ロッテは平静を保っている。
「……時間です。丁度十日経ちました。あなたの知る世界が、少し変わっているでしょうが、順応性が高いあなたのこと。きっと慣れます」
「……! また……エミリーさんは自分の望む形を!」
「マスターはあるものを求めて地球に来ました。どうやら、それを見つけたようです」
「求めたもの?」
「ああ……ここでの記憶は消しましょう。あなたは何一つ聞いていないことになります。あなたは何も知らなくて良い。マスターの望みは、私が影から支えますので」
ロッテは、右手を直樹にかざす。発光。直樹は気を失った。
「ああそうか。海があんなに綺麗だったのも、空があんなに澄み渡っていたのも、砂浜が馬鹿みたいに綺麗だったのも……全部……この……侵略者の……」
目覚ましが鳴っていた。真っ白な夢から覚めた直樹は、目覚ましを止める。ここは自分のベッドの上。自分の部屋にある。自分の家の二階にある。ごく普通の家だ。
「……」
日付を見れば、夏休みは十日過ぎている。
「おはようお兄ちゃん」
「ん? あ、おはよう」
妹の仄が起こしに来る。そしてリビングには、
「……消し炭?」
「あはは……ごめんね、失敗しちゃったみたいなの」
直樹はこめかみを押さえる。
覚えていた。
「何度もやってるうちに、記憶が焼きついたようだ」
直樹は辺りを見渡す。ロッテが出る気配が無い。つまり、彼(?)は直樹のことは処理済みであると確信しているようだ。
「……どうしたのお兄ちゃん?」
「何でもないよ」
直樹の当面の目的は決まった。エミリーを見つけ出し、世界の改ざんを食い止めること。焦げたトーストをかじりながら、直樹は決意を固めた。
僕達の世界を守るんだ。エイリアンの魔手から!
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