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第一話
「 館 の 幽 霊 」

 それは国城秋人が、学校で噂話を耳にしたときから始まった。
「知ってるか? 焔町の山奥にある古びた館の話」
「ううん、知らない。まさか幽霊が出るとか?」
「おう。出るらしいぜ」
「うわぁあ」
「必ずあるな、そういう出自不明の根も葉もない噂話」
「冷めた口調で言うなよ」
 蝉の鳴声が五月蝿い放課後にその話を聞いた秋人は、夏休みにその館に行ってみることに決めた。夏休みまであと二日。秋人にとって夏休みは特別に面白い期間である。面白いことが何も無くても、自力で面白くする性質だ。
「なぁなぁ、その館って何所にあるんだ?」
 そのためならば手段は選ばない。中学三年のこの時期まで一度も会話したことの無い三人組の会話内に割り込んだ。
「え?」
「おう、ここから見えるだろ。ほら、あの山だ」
 噂を話していた男子が、窓を、正確にはその先に見える遠くの山を指差した。
「あれか」
「まさか行くつもりか? 俺もついて行くぜ」
「お前は夏休み、私と補習だ」
「何で!」
「二年の時と同じように成績が焼け野原だったんだぞ? それでも遊ぼうというのか?」
「成績なんて!」
 反論しようとするが、単行本を読み進める女子が更に追い討ちをかける。
「進学したいなら黙って言うことを聞く。返事は?」
「……はい」
 秋人はそそくさと退散した。
「またねー」
 三人中一人の男子だけ、秋人を見送った。

「よし。非常食おーけーっと」
 自宅に帰った秋人は、リュックサックを取り出し、その中に必要な品物を入れていった。
「っとと、そういえば相手が悪霊だとかの話を聞いていなかった。……まぁいいや、なるようになるだろ」
 秋人は念のため、仏壇から線香を一本しっけいした。
「あとは懐中電灯、……くらいかな? あ、道づれ仲間探さなきゃ。一人で行ってもつまらねぇし」

 翌日になって秋人は学校で同士を募った。しかし受験シーズン真っ只中のこの時期に、賛同してくれる者などいなかった。
「しかたねぇ。俺一人でも行くか」
 屋上で一人、沈み行く夕日を眺めながら秋人はたそがれていた。屋上には誰もいない。誰もこんな暑い場所に好んで来ない。
「アキト君!」
 否、もう一人いた。短めの黒髪をした体の小さい女子が一人、てとてとと秋人のもとに駆け寄った。
「何だよヤヨイ。まさか、一緒に行きたいとか?」
 体の大きい秋人と並ぶと、凸凹コンビも良いところである。女子、佐伯弥生は息を大きく吸った。
「館に行くのでしょう? 止めた方が良いよ。我が神、アミュエディーア様の神託によれば、あそこには凶悪な魔物が潜んでいるらしいの」
「相変わらず訳の分からない神様の言う通りかよ」
「訳の分からない神とは失礼な! アミュエディーア様は偉大にして」
「はいはい。……でも行くぞ俺は。神様が駄目だと言っても、俺は行くぞ。楽しい夏休みを更に楽しくしたいんだよ俺は」
 弥生との話を終え、屋上の出口に歩み始める秋人。
「どうしても?」
 最後通告か、弥生は秋人の背に声をかける。
「どうしてもだ」
「……なら私も行く!」
 秋人は、歩みを止めた。振り返れば、弥生が十字架を握っている。しかしその十字架には先端の突起が無いため、Tの形をしていた(秋人はこれを、T字架と命名)。
「我が神アミュ」
「面倒臭いから『我が神』でいいよ」
「我が神は幸い、真実を映し出す神通力ちからを持っております。神を信仰する私も、微力ながらそれが使えます。私がいれば、霊を見る事が出来るはず」
 傍から見れば、「頭をやられたか?」と思わざるを得ない怪しげな会話の応酬だが、秋人はそんなことよりも夏休みの方が重要なために気にしない。そして弥生は、自分の事を怪しい奴だと微塵も思っていない。
「そうか。幽霊が見えれば面白いかもな。よし」
 秋人は弥生のもとに歩み寄り、肩に手を置いた。
「行くか!」
「うん!」
 決行は翌日、午後九時。館到着時刻は約一時間。集合場所は秋人の自宅前。

 翌日。終業式が終わり、秋人はわくわくしながら、そのときを待つ。秋人は両親に、友達の家に遊びに行くと言った。月並みな言い訳だが、二三の問答で承諾がとれたので、王道もたまにはありだなと、秋人は思った。
「ヤヨイまだかなぁ」
 秋人はガタイが良く、大人びた顔つきをしている。しかし心は未だ少年のそれだ。細い目がキラキラと輝いている。夜の八時。チャイムが鳴った。
「お? 早かったな?」
 秋人はリュックを背負い、玄関の戸を開けた。
「こんにちは」
 右手の親指を自分の額につけた状態で、弥生は玄関口に立っていた。
「おっす。ところで、親には何て言った?」
 妙なポーズについては言及せず、秋人は尋ねた。
「親はいないよ。一人だもの」
「そうかそうか、単身赴任かなんかか。よし出発!」
「おー!」
 弥生は両手の親指同士をくっつけた。
「……宗教の挨拶か何かか?」
「うん」
「そか」
 秋人は細かい事を気にする男ではなかった。

 夜の道を歩いていると、時々花火の破裂音や、夏虫の鳴声が聞こえる。乾燥した空気と暑さで咽が渇いてくる。秋人は二百円を取り出し、近くにあった自動販売機で『デストロイオレンジ(美炭酸)』というジュースを一本購入した。
「ヤヨイ。何か飲むか? 一本なら奢るぞ?」
「え? ああ、いいです。気にしないで下さい」
「遠慮するなよ。じゃあ……これだ」
 『ロストバニラ(果汁1%)』を購入し、弥生に手渡す秋人。
「あ……ありがとう」
「良いって事よ。……うぼぁあ! 何だこの胃の中ではじける……これが、美炭酸……っ!」
 咽の渇きを癒すと秋人は、山へと向って歩く。弥生はジュースを飲まずに、手に持っていた。
「ところでヤヨイ、荷物何にも持ってこなかったのか? 万が一の事があったらどうするんだよ」
「平気です。我が神が、見守ってくれています」
「……」
 秋人は弥生を見た。上下共に清潔感溢れる白い服。上はノースリーブ、下はスカート。サンダルまで白い。
「汚れるぞ?」
「平気です」
「そか」
 本人が平気というならばと、秋人はそれ以上何も言わなかった。
 町から遠ざかり、虫の鳴声が絶えない山の森の中。
「聞いた話だと、この近くなんだよな。ヤヨイ、服汚れて……いないな」
 秋人が振り返ると、何事も無く歩く弥生がいた。服が汚れている形跡はない。
「ちゃんと着いて来いよ。はぐれたら一巻の終わりだ」
「うん」
 しばらく山中を歩くと、開けた場所に着く。そこには大きな、それでいて古びた館があった。
「いかにも、……って感じの館だな。本当に幽霊に会えるかもしれねぇぞ。ヤヨイ、幽霊は怖いか?」
「いえ。特には」
 弥生は首を横に振った。
「じゃあ……」
「突入ですね」
 蔦の這う壁に、苔がびっちりついた置物の石像。雨水がたまり、藻の生え、最早本来の役目が果たせない噴水。二人は錆び付いた門をゆっくりと開け、館の領内に足を踏み入れた。気温は変わらない。が、秋人は背筋がひんやりとしてきた。
「予想以上に怖いな」
「それなりに……怖いね」
 大きな扉が半開きの状態で固定されている。中からは闇が滲み出ていた。手招きをしていた。秋人は臆したが、すぐに恐怖を捨て去り、扉の向こうへと足を踏み入れた。


 第一話―bサイド 堕ちて戻って

 血に染まったような紅い空。土ではなく砂利が地平を埋め尽くし、血なまぐさい臭いが鼻につく。 國鷹くにたかすずめは死後の世界にいた。言うなれば地獄だ。
「うわ……」
 雀は名前の通り、小さい。十六だというのに小学生並の身長体重、体つきも凹凸がない。髪は長く腰まであり、童顔。何度も小学生に間違えられたことがある。鬼がいるのを見て、雀は思わず言葉を漏らした。鬼が全員、フォーマルスーツを着ていた。
「死亡なされた御方ですね?」
 雀に鬼が近づき、馬鹿丁寧に挨拶をした。赤い肌で尖った耳と二本の角があり、ぎょろりとした目を雀に向ける。
「あ、……そうみたい」
 雀は死んだという自覚はなかった。ならばここはどこだろう? そう思ったときに真っ先に出た単語は、
 (これは夢に違いない)そう、夢だ。
「でしたら、こちらへお越し下さい。手続きの後に裁判が開廷されますので」
「え……あ、はい……(さ、裁判?)」
 鬼に案内され砂利道を歩いた先に、おどろおどろしい城がある。雀は生前に見た江戸城を想起した。
「こちらです」
 立派な門を通り過ぎ、更に真っ直ぐ進む。すると、青い肌の鬼が男を羽交い絞めしていた。
「やめろ! 死ぬ価値も無いなんて! そんな、もう現世に戻りたくないのに!」
 男は喚きたてるが、
「なに、現世は良いじゃあないですか。閻魔様が決をとっていたなら、あなたは地獄逝きでしたよ」
 青鬼は至って冷静に返した。雀は不安になった。
「……私もああなるのかな?」
「どうでしょうか。あなたが生前余程悪行を積んでいない限り、極楽逝きは間違いないでしょうね」
 赤鬼は案内を続ける。城の中に入ると、赤鬼は一枚の紙と一本の筆を渡した。
「こちらに、生年月日とお名前、そして現世への未練をお書き下さい。それが済みましたら、私にお渡し下さいませ」
 言われるがままに雀は記入し、提出した。
 『國鷹雀様。開廷のお時間です』
 瞬間アナウンスが流れ、赤鬼に案内された。
「ここが、法廷?」
 広さは百人近く収容してもまだ余裕がある程。法廷を見守る者は皆一様に鬼。
「怖がらずに。さあ、閻魔様代理のもとへ」
「だ、代理?」
 赤鬼の言葉に雀は問い返した。
「そう。閻魔様は過労のために、現在他国の天国にて療養しております。ですから代理として」
 『ごちゃごちゃうるせぇぞ赤鬼! さっさと連れて来ねぇか!』
「は、はい!」
 閻魔様代理の声が、赤鬼を萎縮させた。雀は前に進む。
 『てめぇか。今回の死人は。何々、未練は「究極の漫才が見たい」だと? ……てめぇ、なめてんのか? しかもまだガキンチョのくせに鯖読むたぁ良い度胸じゃねぇか。十六だと? 十に達してるかも怪しいじゃねぇか』
「何よ失礼な! あなただって閻魔様代理って大層な肩書き持ってるくせに、ガキンチョじゃない!」
 『てめぇ……地獄送りにされてぇのか?』
「閻魔代理! 私的な判断で地獄送りにすると、閻魔様に十年間釜茹でにされますよ! それに元は貴方が喧嘩を吹っかけたのが原因なのですから!」
 閻魔様代理の側近が言うと、
 『わかってるよ。じゃあ決議する』
 閻魔様代理は処遇を発表した。



「……ってことがあったわけよ。処遇は何だと思う? じゃあそこの男子!」
 暗い館の中で雀は、正座している秋人と弥生に話しかけていた。
「わからねぇ……けど、ごめん。謝るから館から出してくれねぇか?」
「だ〜め」
 雀は上下共に、フリルのついた純白の服を纏っている。そんな彼女は、床から1m程離れたところで静止していた。おずおずと手を上げる弥生。
「じゃあそこの君!」
「あの……せめてお祈りを……午後十一時十一分に東へエアキックしないと、我が神に呪われてしまうのです」
「……どうぞ」
 雀は弥生のことを、悲しい目で見た。
「で、何だよ。俺たちをここに閉じ込めた理由と、お前の未練って」
「その二つはリンクしているのよ。私はね、成仏するために漫才が見たいの。最高に面白い漫才が!」
「ま、んざい?」
 秋人は呆然とした。そんなことのために未練がましくここに幽霊として存在しているというのかと思うと、悲しくなってくる。
「でも、私はこの館から出られない。加えてここにはテレビが無いから漫才がそもそも見れない。……でも、運が良い事に君たちがこの館に来てくれた」
 ふわりと自然に、雀は上昇した。
「見えない……」
 スカートがひらひらとはためいていたが、秋人は肝心のものを見る事が出来なかった。
「つまりは漫才を一本作って、私に見せて欲しいの。期間は三日あげるから。……もしも出来なかったら、館に無断で入った罪を、償ってもらうわよ」
 秋人と弥生の意見を完全に無視する雀の発案。しかし二人はやらねばならなかった。こうして、二人の夏休みに課題が一つ、追加されたのである。

続く

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