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第三話
「 二 日 目 の 襲 撃 者 」

「何でやねん」
 弥生が手首のスナップを利かせて秋人の右胸を叩く。
「ううん……惜しい。あと一歩が足りない。もう少し痛くしても大丈夫だから、それを意識してもう一回」
「はい!」
 秋人は脱出を諦めていた。とにかく雀に漫才を見せない限りは、この館から脱出する術がないのだから。
 それに秋人は現状を楽しんでいた。幽霊に漫才を見せるなどという千載一遇のチャンスに気付き、逃げることを止めて従事する方が面白いと判断したためである。
「いやぁ、あつはなついですねぇ」
「そうですねぇ。懐かしいですよねぇ」
「いやいや、今のは突っ込みを入れなくちゃあ。俺が何て言ったのかを思い出して」
「え? ……あ! あんさんそりゃあ、夏は暑いねでしょうがぁ」
 弥生が突っ込みを入れる。その突っ込みに秋人は、
「これだ! 今の突っ込みの感覚を忘れるなよ」
「やっと出来ました……」
 一日目はネタ作り云々よりも先に、漫才の基礎を叩き込んでいた。
 秋人とてプロでも何でもないが、漫才はどうすれば成り立つのかくらいの知識は持ち合わせている。対して弥生は漫才の基本中の基本である突っ込みが上手い具合に出来なかったので、指導に時間を割いたのであった。
「よぉし。ちょっと休憩挟むか」
 『そう思っておられるだろうと、私、紅茶を淹れてまいりました』
 甲冑さんことオルランドが、お盆の上に紅茶の入ったマグカップを持って現れた。
「……甲冑にはもう驚かないが、俺はこの館に紅茶があった事のほうが驚きだよ」
 『まぁまぁ。そんな細かいことは気にせずに。どうぞ』
 オルランドの淹れた紅茶を覗き見る。乳白色で、何やら得体の知れない色をしていた。
「……弥生。紅茶を飲んだ瞬間に、突っ込みを入れるぞ。……多分、味は保証出来そうに無いからな」
「あの、オルランドさん。この紅茶、ミルクティーなのですか?」
 『いえ。牛乳は無かったのでそのままです』
 何をそのまま淹れたらこうなるのだろう? そう突っ込むべきか、それとも甲冑が何故ミルクを知っているのかという突っ込みをいれるべきなのか、秋人は判断しかねた。とにかく飲んでみないことには話が進まない。秋人はそう結論付けると、紅茶を一口飲む。
「……」
 俺は俺を見下ろしていた。そうか……これが幽体離脱か。薄れゆく意識の中、秋人は弥生の、「しっかりして下さい!」という突っ込みを聞いた。
 ただ、何故それが宙にいる秋人に向けられたのかは謎だった。

 秋人が覚醒したとき、二日目の朝になっていた。
「まずい。まだそんなにネタを考えていないのに」
 薄日差す、埃にまみれた一階の寝室から起き、弥生を探す秋人。
「やぁ。ネタは浮かんだのかな?」
「おうわぁあ!」
 扉を開けた瞬間視界を占めたのは、雀の笑顔だった。
 天井に足を着いた状態での笑顔は、和やかさではなく驚きを与えた。
「びっくりするなぁ全く!」
「ごめんごめん。……で、ネタは浮かんだかしら?」
「……まだ」
 雀は床に足をつけると、秋人の頭にチョップをいれた。が、
「……痛くない……だと?」
「ふふふ。これぞ、私の編み出した突っ込み技、空チョップ! 他人から見れば痛そうなチョップでも、実際のダメージは皆無! ……どう? 凄いでしょ?」
 褒めて褒めてといった眼差しで雀は秋人を見る。秋人は雀の頭を撫でたかったが、幽霊なのでそれは叶わない。せめて撫でるふりをと、空撫でした。
「……そうだ、思い出した。お前幽霊なのに、何で俺を叩けるんだ? 壁をすり抜けたりしているから、触れないと思うのだけど?」
「言ってなかったっけ? あなたたちの定義している幽霊の概念と、実際の幽霊の概念は違うの。幽霊は空気を操れるの。以上、説明終わり!」
「えぇえ……もう少し説明してくれてもバチは無いと思うぞ?」
 不満の声をあげる秋人だが、雀はついとそっぽを向いた。
「これ以上を知りたいのなら、連れの子に聞けば分かるよ。闇夜ちゃんだっけ?」
「弥生だ」
「そうそう。じゃ、私はこれで失礼するわ」
 雀はずぶずぶと床に沈みこんでいった。
「……そういや、あいつ普段は何しているんだろう?」
 秋人は疑問がまた一つ増えたが、今は弥生を探すのだったと思い返し、疑問を吹っ切り捜索を再開した。

「あ、おはようございます」
 弥生は食堂で昇○拳をしていた。
「おはよう」
 そのことについて、秋人は特に言及はしなかった。
「つかぬこと聞くけどさ、あのあと飲んでみたか?」
「いえ、私も気絶したらまずいと思って、飲みませんでした」
 その紅茶は秋人を気絶に追いやったのだ。そのあと興味津々で飲む阿呆はいないであろう。我ながらバカな質問をしたと、秋人は反省した。
「気絶している間に、私突っ込みの練習をしていました。そして完成したのです! その名も秘技、魔神眼突っ込み!」
「何なんだその中二臭いネーミングは?」
「中二?」
「いや、なんでもない」
 首を傾げる弥生だが、秋人は軽く受け流す。
「それより、突っ込みが出来るようになったのなら次はネタ作りだ。……ってか、そもそも昨日まで漫才の事知らなかったから、作れるわけないよな?」
「ええ。残念ながら」
「仕方ない。ネタは俺が考えるから、弥生は……」
 何をしてもらおうか思案する秋人。そこに、
「ネタ作りの前に、やってもらいたい事があるの」
 雀が床から頭を生やした。突然の出現に驚く秋人。
「やってほしいことですか?」
 対して弥生は至って冷静だった。
「そう。……奴らが来るの。だから手伝って頂戴」
「奴らって誰だ? というか、ネタを作らなくちゃあいけないんじゃないのか?」
「そうしたかったんだけど、予定が狂ったの。脅かさないといけない奴らが来たの」
 ネタを作れと言ったり、手伝えと言ったり、どっちなんだよと不審な眼差しを雀に向ける秋人。
 その目を、雀は潰した。
「んきゃぁあああ!」
「文句は言わないの。……それに奴らが来れば、あなたも納得するはず」
 赤く充血した目を雀に向けた秋人は、出て来る涙をふき取った。
「いつつ……分かったよ、手伝えば良いんだろう? それでまず、『奴ら』って誰だ?」
「悪霊の類ですか?」
「人間。……しかもとびっきり厄介な」
 うんざりしたような雀の態度に、弥生と秋人は顔を合わせて首を傾げた。

 二人は雀に案内されて、一階の開かずの扉前に来ていた。雀が重い扉をすり抜け、内側から開錠し、二人を招き入れる。
「昨日来た時に気になっていた場所だ。……何があるんだ?」
「こういうとき……見られたら困るものとかがしまってあるのですよね」
「例えば?」
「正気の沙汰ではない、尋常ならざるマグワイ方をしている男女の写真を収めた本とか」
「何でそんな本を、こんな厳重にしまう必要があるんだよ。大体雀は女だろう? そんな本なんか無いだろ」
 扉の向こうには、下に続く階段があった。暗い、明かりの無い階段だ。
「分かりませんよ? 幽霊を何年もやっていると、欲求不満になるんじゃないですか?」
「世界一罰当たりな発言だな」
「そうでしょうか?」
「弥生の理論なら、この世の幽霊は全員淫らな欲求を内に秘めていることになるぞ? 墓地でうらめしやぁとか言っている暇無いぞ?」
「欲求がたまりにたまると、鬼になったりするんじゃあないですか?」
「……というか、弥生。すごいな。あまりに品の無い話題なのに、臆することなく話すなんて」
 階段にある手すりに頼り下っていく秋人。弥生は手すりに頼ってはいるが、秋人と違ってスイスイと降りていく。
「……夜目が利いたりするのも、神の御加護ってか?」
「え? ……あ、いえ、これは生まれつきです」
 どこまで降りるのかと秋人が考えていると、遂に階段を下り終えた。そこは暗闇の詰まった広間であった。
「危険だからここで待っていて」
 雀がそこに消えていった。
「結局何がしたかったんだ? ……まぁいいか。弥生、歩くぞ」
 懐に隠していた電灯を点ける秋人。辺りを照らすと、
「……なんじゃここ?」
「これは……」
 そこには無数の遊具があった。どれもこれも幼児用の物であった。


 第三話  bサイド  生前の思い出

 伝染病が流行った。原因不明の病、増殖する感染者。
 雀は死者の山が焼き払われるところを見た。
「雀。ここはもう駄目だ。せめてお前だけでも生きなさい」
 父は、雀を地下深くの無菌室に閉じ込めた。父親も、母親も、侍女も、執事も、……全員感染していた。
 雀が寂しくないよう、父は遊具を入れ、食料も用意させていた。
 そうして娘を守ったつもりだったのだろう。しかし雀は、名前と違って兎であった。寂しかった。ただ、寂しかった。日々、物言わぬ甲冑に話しかけ、気狂いしそうな日々をすごし、
 やがて死んでいった。

 伝染病に対する新薬が出来たとき、父は始めて、娘の亡骸を目の当たりにする。自分の犯した罪に耐えられず、彼は館をあとに、去っていた。

 この館は、雀のために残された墓標なのである。

続く

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