2010年2月6日(土) 「くじゃく文庫」から「おはなしきゃらばん」へ、そして・・・・

 今、文庫に入れる本の登録作業をはじめている。ラオス語の本は、図書館の仕事の経験のあるラオス人の友人に手伝ってもらっている。日本語の絵本は、私がやっている。

 日本語の絵本の入手先はさまざまである。出版社からいただいたもの。著者からいただいたもの。友人たちから、また呼びかけて頂いていただいたもの。また私が購入したものもあるが、一番数が多いのは、「おはなしきゃらばん」からいただいたものである。「おはなしきゃらばん」は、私が最初に就職したところ。名前の通り、日本のあちこちの(私がいた当時は、関東と東北)の幼稚園、小学校を巡回し、子どもたちに、人形劇や語りで、おはなしを語り聞かせるという活動をしていたグループ(教育財団)である。

 「おはなしきゃらばん」で、私が実際に活動させてもらったのは、日本で1年3か月、その後、タイの難民キャンプに派遣され、2年ほど働かせてもらった。私の「その後の人生」の基礎を教えてもらったのが、おはなしきゃらばんだと思っている。昨年秋、そのおはなしきゃらばんが解散となったというのを聞き、本当にびっくり、寂しい限りであるが、私は、以前、おはなしきゃらばんの文庫を整理する時に、たくさん本を頂いたのだった。
「ラオスの子どもたちに使ってちょうだい」ということで、本当にたくさんの本を頂いた。
 
 今日、登録作業中、「よかったね ねずみさん」という絵本を開いたら、絵本の最初のページに、「くじゃく文庫」というハンコが押してあり、昭和44年8月13日という日付が入っている。「くじゃく文庫」とは「おはなしきゃらばん」の前身で、はじめに、創立者の石竹光江さんたちが、東京吉祥寺の井の頭公園で、読み聞かせ活動をはじめた時の文庫の名前だと聞く。そして、そのハンコの上に、「おはなしきゃらばん」のハンコが押してあり、昭和49年10月25日と日付がある。「くじゃく文庫」で使った本を、「おはなしきゃらばん」創立時に、登録し直したのであろう。その同じページに、私は今日、「ドンパレープ子ども図書館」とラオス語のハンコを押した。2010年。
 なんという年月を越えて、何人の子どもたちの手を経て、この絵本は、このラオスの子どもたちの手に届くのであろうか?
 昭和44年とは、1969年。つまり、41年前に、くじゃく文庫で使われ始めた本が、「おはなしきゃらばん」を経て、今、ここにあるのである。子どもたちに絵本を読み聞かせしよう、おはなしを届けようと、心と時間をくだいた大先輩たちの思い、熱い思いが、伝わってくるような気がして、今、私はとてもドキドキしている。

「おはなしきゃらばん」はなくなってしまった。でも、こうして、頂いた絵本を通して、私は数々の大先輩たちに負けないように、「おはなしきゃらばん」の思いを、この「川のほとり文庫」で、子どもたちに届けていけるようにがんばろう。

 本当に、おはなしきゃらばんで、いろいろ教えていただいた、故・石竹光江さん、そして、昨年暮れに亡くなられた、最後の長であられた、渡辺祥子さん。本当にありがとうございました。
 この場をお借りして、本当に、こういう活動と出会わせていただいたこと、お礼を申し上げたくなりました。ありがとうございます。





2月7日(日) 竹の葉

 先日・・・もう10日ほど前になるか、竹を植えた・・・と書いた。根っこはついているが、土の上に出ているのは、ただの竹ざおに見える。葉も枝も何もないのである。
 毎日、まるで、土にぶっさした竹ざおに水をやっているようで、水をやりながらも、なんとなく、空しい感じがしていた。
「このまま、竹ざおのままなんじゃないだろうか?」
 それが、である。小さな葉が出てきた。
 竹ざおが芽吹いた!ような・・・・その小さな芽吹きが、嬉しい。
 
 庭の土も、水を毎日まくうちに、種を植えていないところからも、いろいろな芽が出てくる。ただの雑草もあろうし、いつのまにか、ズッキーニやかぼちゃの芽が出ていたり・・・また、市場で買ってきたセロリの根っこをまた植えておいたら、すぐ葉っぱが出てきている。1回で2度楽しめる・・・ようでいいな・・・と根っこつきの野菜を買ってきて、葉は食べて根っこを植えてみたり・・・。ノイがまいたニンニクもぐんぐん芽を出している。

 育て育て!緑で鬱蒼とした図書館になれ!ついでにおいしいものもたくさん実れ!






2010年2月9日 「アンディとらいおん」 に思う
 
 今、図書館に入れる、日本から持ってきた絵本を、ラオスの子どもたちが見るという視点で、改めて少しずつ見直してみたいと思っている。今日は、「アンディとらいおん」(福音館書店)を改めてゆっくり見た。ジェームズ・ドーハーティ文・絵。訳はなんと、赤毛のアンとか、若草物語とかを訳された村岡花子さんである。初期?に日本に紹介されている絵本は、本当にすごい人々に訳されているなぁ・・・と思う。
 改めて読みはじめて・・・まず、アンディが図書館に行くところから、この絵本のお話は始まるのであるが、図書館はアメリカならではのとっても立派そうな建物なのに、アンディは裸足だ!
「今のラオスの田舎でなら、ありうるけど、アメリカじゃ、今、こんなことないだろう」と思って、改めて、出版年を見た。1938年である。そうか・・・・そうだよなぁ・・・・そのアンディのおかあさんの服は長いドレスである。この絵本の舞台は、「風とともに去りぬ」とか、そんな雰囲気と似ている。そのような時代なのであろう。(・・・・とか書いたものの・・・あれ?南北戦争って・・・・いつだっけ?と思い、調べたら1860年ころであった。そうか・・・ちょいと時代違いだったと思いつつ、風とともに去りぬを調べたら、1936年に出版されたそうだ。このアンディとらいおんの出版年と近い。。まぁ、とにかくそれ以前の時代の話であることは確かである。)
 アンディが顔を洗うのも、水道ではなく、バケツで汲んできた水を、洗面器に入れて洗っている。これは、ラオスでも、田舎の村では、やはり水道がないから、その子らと同じ風景だ。その家の周りには鶏がいる。その風景もラオスと変わらない。

「アメリカも昔は、いっしょかぁ・・・・」と、急に私は、この絵本に親近感を持ってしまった。

 アンディは学校へ行く時も、ライオンに出会うときも、市長さんに勲章をもらう時も、絵本の中でずっと裸足。他の子どもを見てみると、裸足の子も、靴をはいている子も、ローラースケートを履いている子も混在している。きっと、そのころはそうだったのだろうか?
 今の日本の私たちは、裸足では外は痛くて歩けない。足の裏がそうなってしまっているのだ。でも、ラオスの山の子どもたちなんかは、裸足で平気である。もちろん、親に「靴をはけ!」と言われて、ゴムぞうりなんかは履くし、学校に裸足では行かないけれど、小さい頃から、平気で裸足で歩きまわっているから、裸足でサッカーやっても平気なのである。ヴィエンチャンでもここらの小さな子は結構、やっぱり裸足で歩きまわっている子もいる。・・・・つまり、この絵本が描かれた頃は、アメリカでも裸足で平気で歩きまわる子がいる時代だったのだろう。アンディが、いつも、ポケットにくぎぬきを入れていて、ライオンの前足にささったトゲを抜こうとする力強さなんかは、今現代の子には見られない。これは、今のラオスの山の子同様に、ちゃんと生活の中で、水くみしたり、トンカチを握ったり、家族の中でちゃんと役割を持って生きている子だと・・・・思ってしまった。

 もちろん、ライオンを助けたというこのお話は、「本当」ではなく、アンディが、図書館で借りてきた「ライオンの本」に、真剣に夢中で入り込んでいる、アンディの頭の中の想像の出来事かもしれないのだけど、その、真剣な入り具合も、テレビやらゲームがない時代の子どもなのだと思う。

 この本は、ニューヨーク図書館の入口に座っている2匹のライオン(その像が今もあるかどうかは知らないが・・・)に捧げられていて、つまりは、図書館で、たくさんの本に出会うことができることへの、そして、その本に子どもたちが、なんと大きく心を動かされ影響を受けることか・・・という感謝と、讃歌のような気がしてきてしまった。
 黒と茶色の2色だけの印刷だけど、本当に、裸足のアンディと裸足のライオンの足の力強さと勢いが迫力のある絵本である。
 ラオスでも最近は、いろいろ絵本が出てきているけれど、真に力のある物語と絵であれば、妙に色刷りにしなくても、子どもたちの心の中では十分、色刷りになると思った。

2月24日(水) あれこれ---


 しばらく、山の方の村にいっていたりして、あまり文庫の準備は進展なしだが、いない間も、ラオス人の友人のKちゃんが、ラオス語の本の登録作業などをやっていてくれている。
私自身が、3月は日本に戻るので、ここの文庫のオープンは、4月、ラオスのお正月前後となりそうである。
 昨日、夕方、
「ちまきを作ったからあげるわ」
と、バナナの葉の包みを、何人もの女の子たちが、渡しにきた。最初は、本当にちまきかと思ったが、よくよく見るとどうも、「ごっこ」らしい。
「チョコレート味よ」とクスクス笑いながらいうので、ははぁ・・・やっぱりごっごだ・・・と、
「ここで開いてもいい?」「いいわ、いいわ」と、嬉しそうに言う。開いてみると。中から土が出てきた。ハハハ・・・・とみんな大笑い。でも、ちゃんと包んで、ちゃんと、竹ひもでくるんでいるあたりは、上手。おかあさんのやっているのを、見ているんだろう。
 その子たちが、「もう、図書館、出来たんでしょ?あと、何が残ってるの?」というので、(いろいろ、準備はあるんだよ・・・と思いつつ)、
「私がさ、3月日本に帰っていないからね。日本から戻ってきてからね。ラオスのお正月には帰ってくるよ」と言うと、
「日本のお正月は4月じゃないの?」
「日本の正月は1月だよ」
「なら、もう終わったじゃない。帰らなくていいじゃない」
「そういうわけには、いかないもん」
などという会話。
「でももう、できてるじゃない。あっそうか、看板がないのか」と女の子。
「そうそう、看板もまだないしね・・・・」と。

 それからひとしきり、遊ぶ。いろいろと遊びを知っている。しゃきしゃきしている、ピーという女の子が、先導になっているが、鬼ごっこのあとに、「感電する人」「笑う人」「泣く人」「椰子の実が頭に落ちてきた人」などという掛け声に合わせて、みんながその動きをするのである。私はその指示が聞きとれないことがあるので、子どものマネをしてやってるが、いきなりみんながしゃがんで、「ベーべーベー」と言っているので、ヤギのマネかな?と思ったら、「ブレー、ブレー」でこれはしゃがんで大をしているマネでした。ハハハ・・・・
 夕方になってひとしきり遊ぶには、私が子どものころもそうだった。家の前は小さな路地で、子どもたちが、暗くなるまでひとしきり遊んだ。道路はチョークのいたずらがきだらけだった。もう、東京ではもうあまり、見かけられない。うんと小さい頃は、電信柱についた電灯をひねってつけたり消したりした覚えがあるのだけど・・・

 庭の草花は数を増やしている。面白いのは、あさがおが、あっという間に、芽を出し、全然つるが伸びないうちに、つぼみをつけている。やっぱり、日本の植物には、こちらの気候は暑すぎるのだろう。
「何が何でも、花をつけてしぼんで、さっさと枯れるわ!」という勢い。朝顔にも気の毒なことだ。

 以前、日本からもってきた「つる菜」も芽を出した・・・と書いたが、大きな間違えで、あちこちにやたら芽を出しているのは、マックフン(パパイヤ)であった。これは、パパイヤを食べた時に、中の種をばらまいたもの。1個の実に、何百かの種が入っていそうだから、もう、所せましと芽を出している。でも、パパイヤにも男の木と女の木があるそうである。ノイが
「ぼくが植えると、どうも男の木ばっかり育つんだよなぁ」とぼやいている。男の木には当然、実がならない。さてさて、でもこれだけ芽が出ているんだから、少しは女の木もいるだろう・・・・.
 あと、勢いのあるのは、かぼちゃだ。これも、食べた後の、種をまいたものだけど・・・・こんな土地で、どれだけ育ってくれるだろう。

 目指せ!緑と花と自給自足?のできる図書館!なのであるが、まぁ、自給自足は無理だろうけど、パパイヤくらい、たまにおやつに出せるようになればいいな。
 
 さて、ヴィエンチャンは暑くなりはじめた。3月は乾季の終わり。4月からは雨も降りだす。緑はあっというまに大きくなるだろう。1か月、空けて戻ってきた時のことが、今から楽しみである。