2012年1月
1月22日(日) 少女それぞれ
図書館が終わる頃、中学2年のスムがやってきた。かなりおんぼろだがバスケットボールを持っている。前は、ほとんど1日中、詰めるようにやってきていたが、最近は少し顔をのぞかせるくらいだ。
「バスケットやってるの?」
私は久しぶりにボールを持ってみた。あぁ、なんだか、こういうボールって学生の時に感触だなぁ・・・・私は、大変に下手っぴであったが、高校の時はハンドボール部であったのだ。
とか言いつつ、ただそのボールをついて、「あんたがたどこさ」を久々やってみたのであったが・・・
スムは、
「土日はね、毎朝、学校に行って練習するの。バスケと、バレーと、サッカーがあって、私はバスケやっているのよ。」
「大勢来てるの?」
「うん。先生はね、この前の国体(のようなスポーツ大会)のチームを指導している先生なのよ」
「へぇ、あんたたちの学校の先生なの」
「うん。毎回2000キップ払うと教えてもらえるの」
参加者からは、毎回1人2000キップとるというのは、課外授業となるからだろうか・・・・
「明日からは試験休みで、1週間休みだから、毎朝、練習があるのよ。上手になりたいから私毎日行くの」
とスムは言う。
「好きだから、やってるんでしょ? スポーツはうんとやったらいいよ」」
「うん」
とスムはうれしそうにうなづいた。
あぁ、中学生だなぁ・・・・図書館からは最近、足が遠のいているけれど、中学生らしくスポーツをやったりしてるんだなぁ・・・・
午後、久しぶりにオオンも顔をのぞかせた。スムと同じ学年だったのに、中学をもうやめてしまって、近くのカラオケやで働いている。
「お金ためたら、また学校に行くの」
と言っていたが、ますます化粧が濃くなり、えらくヒールの高いハイヒールをはいている。
「ネイルやってもらおうと思って、こっちに来たんだけど、人がいなかったのよ」
などと言う。爪も伸ばしている。図書館では、本を見るわけでもなく、そのまま帰って行った。
同じような年なんだけどな・・・・・つい最近までは、同じような子どもだったのにな・・・・オオンが学校をやめるときに、引き止めきれなかった。なんとなく、予想はついていたのだ。カラオケやなどで働けば、やはり、どうしても、大人になろうと背伸びする・・・・・
そんなオオンを見た後に、スムに会ったので、その普通の中学生らしさにほっとしたのであるが、子ども時代を、年なりに過ごし、少しずつ大人になっていく・・・・ことができる環境にいる・・・・それだけでも幸せなのだな・・・そうできない子どもも結構たくさんいるのである。
2012年1月29日(日) あれこれ、愚痴っぽかったり・・・・がんばろうと思ったり・・・
中2で学校をやめてしまった女の子ナン・ノイが、たくさん20冊近くも本を借りている。(薄っぺらい本が多いが・・・)
「それ、全部読むの?」
「うん」
「だって、うちの家族がみんな読むんだもの。お父さんも読むし、お母さんも読むし、お姉さんも読むしね・・・」
と言う。
両親は、竹を編む仕事をしている。竹を編んで壁を作ったり、すだれを作ったりする仕事だ。これまで、きっと本とは関係のない生活をしていた人たちだろうが、今、ナン・ノイが本を借りていくと、みんなが手にとって読むという。お姉さんの一人は高校で勉強している。もう一人のお姉さんはやはり中学でやめて、縫製工場で働いていたけれど、やめてしまって、今度タイに働きに行くのだという。
「なんで、あんた学校やめちゃったの?親がやめろって言ったわけじゃないんでしょ?」
ナン・ノイは、へへへと笑い、「やめちゃったのよ」とだけ言ったが、その後ボソッと
「学校へ行っていると、あれこれお金がかかるでしょう・・・」と言う。
ナン・ノイの弟のアンは小4だが、図書館に来る子だが、うちの図書館で一番没頭して本を読む子である。この日も、夕方最後まで残って、5冊、読みでのある本を借りていった。
「ぼくは、高校まで勉強するんだ」と言う。
「そうだよ、あんたは、こんなに本が好きなんだし、結構、成績もいいんでしょ?」
というと、、「まあね」と笑う。
「勉強は、できる時でないとできないんだから、がんばりなよ。働くのは、あとで死ぬまでうんと働かなくちゃいけないんだから、急ぐことないんだよ」
と私。彼には、少々経済的にきつくても、勉強を続けてほしいと思う。
アンは、図書館がはじまった1年半前には、まだ、たどたどしく、字を追ってやっと絵本を読むくらいだったのに、今は結構分厚い本を借りる。こんな子が、どんどん先に読む進めるように、いろんな本が出ていればいいのだが、ラオスは、まだそこまで本が追っかけて行っていない気がする。
最近になって、改めて読んでいるのだから、お叱りを受けそうだが、石井桃子さんの「子どもの図書館」(岩波新書)を読み直している。杉並に石井先生が開かれた「かつら文庫」の記録であるが、文庫ができたのが昭和33年。私が生まれる前である。ちょうどそのころの、日本の子どもの本事情は、まだまだこれから・・・という状況であった。今のラオスよりは、それはくらべものにならないほどいいとしても、それでも、絵本などは、まだまだ出版されはじめた頃であり、今、当たり前に読める絵本が、まだ訳されていない状況にあったことを考えると、今の日本の状況よりは、ずっと近い状況にある・・・・ような気がして、今、この本を読むと、とても親近感を感じ、また、大変に勉強になる。
ラオスでも、絵本などの出版が、以前よりもずっと数は増えているとはいえ、まだまだお粗末なものが多い。特に、絵本に続く読み物が、あまりないように思える。図書館で、子どもたちに読んであげていても、確かに小学3〜4年生くらいから、夢中になりそうな読み物が、ぐっと欠けてしまうのが、
残念である。
私のラオス語能力が低いために、ラオス語の本に対してのえらそうなことは言えないが、子供向けの本に対していえば、確かに、もっと質の高いものが増えてほしい。
ラオスで、子ども文庫をはじめたはいいけれど・・・・まだまだ・・・・いろいろな状況が、まだまだ。
やはり、なんとなくめげそうになる今日この頃。
また、当時の日本の状況とも違うのは、今、ラオスでは、テレビ、ビデオ、ゲーム・・・・そのようなものは、どんどん入ってきているということ。外国から入ってきて、そのまま言葉を超えて入ってきてしまう、そのような刺激物に比べて、「本」の伸び具合が弱いということ・・・そんな現代ならではの事情もあるがために、図書館活動はますます苦戦となるわけだ。
石井桃子さんが、「子どもの図書館」で書かれていたことだが、その当時、欧米の児童図書館の状況と、日本の図書館の状況のあまりの違いをなげいて、当時の日本の不足だらけの状況を言うと、欧米の児童図書館員の女性たちは
「How exciting ! How Challenging ! 」
と言ったそうです。「なんてやりがいのある!」
困難を活力にかえろ!ということか・・・・・
先達たちのようなえらいことはできないけど・・・現場に身を置いていることは、幸せである。あぁ、ぐずぐず言わずに、やっていくしかない。
あれこれ、ぐずぐず考えたりもするが、道端で出会った時、子どもが
「ねっ、また土曜日、本、お話してね」
と言ったりする一言を聞くと、それだけで、「あぁ、またがんばろうか」という気になるわけである。
まっ、ぐずぐず言わんと、やるしかない!