1. カイ:チャンハン     10月26日(日)
2.メリーと鶏


カイ・チャンハン                                                                                     2008年10月26日(日)

 家に、オンドリが1羽、メンドリが4羽いる。ヒヨコをもらってきたのが、いつのまにか立派な成鳥になった。

 裏の軒下に、4つ籠が吊ってあって、そこに鶏が卵を産んでいる。だいたい、鶏が飛べないものだと信じていた私には、鶏の巣(といっても、人間が置いた籠だが)が高いところにあるのも、なんだか不思議な光景なのだが、とにかく、メンドリたちは籠までちゃんと上がってそこで卵を抱いている。2日ほど前、ピヨピヨという声が聞こえてきた。ヒヨコがかえったのだ。

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 今日、初めてのぞいてみた。、茶色のヒヨコと黒のヒヨコがピヨピヨいっている。茶色いメンドリと黒いメンドリが、一緒に温めていたようで、どちらがどちらの子どもだか、色を見たらすぐわかるが、当のメンドリたちは、あまり頓着しているようである。

 ノイが籠の中から、ヒヨコが生まれ出た後の割れた卵を捨てている。

「あれ、アリがついている」と、ノイは割れかけたままで、きっと力が足りなくて、まだヒヨコが出てこられない卵を見つけると、フゥッフゥッと吹いてアリを取ってやると、卵をむきはじめた。中に本当にヒヨコが脚を折り曲げて・・・・当たり前だけど卵型におさまって、入っている。

「生きてるの?」「生きてるよ」

 目をつぶったヒヨコはまだ、卵型のままでふわふわのヒヨコではないが、それをノイはメンドリの下に返してやった。

「大丈夫なの?」「わからないけど、親が温めればきっとね・・・」

「こういうことがスゴイと思うんだよなぁ」と私は一人でつぶやきながら、ノイの背中から見ていた。私にとっては、卵はスーパーのパックの卵でしかないから、ノイが未熟児ならぬ未熟ヒヨコを救ってしまうようなことを「ごく当たり前」にするのが、びっくりでたまらない。ノイは小さな頃から、ずっと鶏を身近に見て育ってきたのだろうから、本当に手なれたものである。

 残りの二つの籠には、片方には5つ、片方には16個も卵が入っている。

IMG_1091.JPG「残りのメンドリ2羽分の卵だよ」

 2羽のメンドリが代わる代わる卵を抱いているそうだ。

「ヒヨコが少し大きくなったら、親鳥が連れて降りてくるよ」という。



 と、ここまで書いているところで、今、犬のメリーがわんわんわんわんやたら吠えていて、鶏がコーッコッコと激しく鳴いている。裏を見に行くと、どうやって高い籠から降りたのか、落ちたのか?黒いメンドリとヒヨコが数羽、下に降りている。メリーが激しく吠えついている。メンドリはヒヨコをかばい、激しくメリーをつつこうとしている。「メリー、メリー」と私はメリーを捕まえようとする。メンドリがメリーを追いかけ、私がメリーを追いかけ、今度はメリーがメンドリを追いかけ、私がメリーを追いかける。メリーはひよこをくわえようとしている。そこをやっと捕まえると、「ヒヨコに手出ししちゃダメ!ダメ!」とメリーを何度も何度もぶった。ヒヨコは塀の隅にかたまっている。犬をようやくつないで、私もメリーも興奮後憔悴気味である。私にとっても、子犬のメリーにとっても、産まれたてのヒヨコに出会うというのは初めての経験なのだ。私は子犬並みか・・・と思うが、実にそうで、日本で、子どもが鶏に4本脚を描いたという話を笑えない気がする。実際に体験していないことは、知識でわかっていても、実は全然わかっていないことが多いことを、ここラオスにいると、よく思う。

 さて、カイ・チャンハンというのは、見かけは普通だが、中身のない卵のことだそうだ。3つほど、ノイがとってきた。振ってみたらわかるそうである。「液だけでヒヨコにならない」と。これか・・・モンの民話の中のよく出てくる、ケェ・コォというもので、実は私はこれまでこれが何かわからなかった。なるほど・・・鶏と日々接しているモンの人であれば、中身のないものの表現として悪口なんかにつかうようなあ・・・と急に腑に落ちたみたいに、わかった。




メリーと鶏

 さて、メリーと鶏騒動の続きである。

 つながれたメリーはしばらく人生の悲哀を味わったように吠えていた。私もメリーとの格闘で憔悴してしまった。また裏に行ってみると、メンドリが、ひとつの籠にいたヒヨコたちをみんな連れて、下に降りている。ヒヨコたちの地上の生活が始まったのである。もうメリーを離すわけにいかない。

「今日は、おまえにとっても大変な日だったね。でも、私にとってもそうだよ。お互いに初めてなんだから、大変なのよ」と、私はメリーに言う。

 ノイが帰ってきてからも、メリーはしばらくつながれて不満そうにしていたが、いつのまにか、また放されていた。私が本気で怒って叩いたのが効いたのか?ヒヨコには手を出してはいけない・・・とわかったらしい。それでも、誰も見ていないと、まだヒヨコたちにちょっかいを出そうとする。メンドリは思い切り身体をふくらませて、ヒヨコをかばい、私も、「メリー、ダメ!おまえはまたぁ」とぶとうとすると、メリーは走って逃げ、さっさと玄関の前に座り込んでゴムぞうりなんかを噛んで、しらばっくれた顔をしている。メリーにとっても、生まれたてのヒヨコは不思議でたまらないのだろう・・・・

 さて、私の方は、例のカイ・チャンハンが日本語でなんていうものなのだろう?と気になって仕方がない。無精卵?違うよねぇ・・・と、ネットなぞで見てみたら、日本でスーパーで買う卵のほとんどが無精卵なのだそうで、それはメンドリだけで産む卵なのだそうである。有精卵とは栄養価もほんとんど変わらないという。でも、カイ・チャンハンの方は、白身と黄身が分かれていなかった。きっと同じものではないのだろう・・・ノイに言うと

「うちで飼っている鶏は、ガイ・タマサート(自然の鶏)だから、オスとメスがいないと卵を産まないよ。おまえの言っているのは、飼料を食べている養鶏場の鶏だよ。それとこれとは違う」と言う。
 そうなのかなぁ・・・・・どうなのだろう?
 モンの人たちが、元々タンパク質の足りない食事なのに、卵をあまり食べないのはなぜだろう?と思っていたが、自分の家に飼っている鶏の産んだヒヨコが生まれ出てくるとわかっている卵は、あまり食べられるものではないな・・・・と、なんとなく納得してしまったのである。