2011年5月7日


 この度、ゴールデンウィークを利用して(ラオス帰りの私には、本当は関係ないのだけど)、東北に行ってきました。
 ラオスの図書館活動も援助して下さっている、石川県小松市の那谷寺の方々が中心となった「清水基金」からお誘いを受け、一緒に、『読み聞かせ』の活動ということで、参加させてもらった。

福島県のいわきの避難所を2か所。

4日に行った江名小学校


 江名は漁師町だという。
 海沿いに住む人々が津波で被災されたのだ。大勢の人々が被災され、体育館で生活をしている。体育館の舞台の方にはたくさんの援助物資が積み上げられている。段ボールを並べて仕切った中が、それぞれの家族の空間だろう。布団が敷き詰められている。

 ゴールデンウィークのせいか、ボランティアのラッシュなのだろう。埼玉から来たシスターたち、よさこい節?ソーラン節?のグループ、あれこれのボランティアの人たちが入っている。私たちもそうだが・・・・こうして1日だけ入るボランティアなんて、いいのか悪いのか・・・・と少し思いながら・・・・私たちも、体育館の外にビニールシートを敷かせてもらい、持ってきた絵本などを広げる。
 一緒のグループの北川さんは、民族楽器の名手で、その音に子どもたちが集まってきて、それぞれに楽器を手に取り、音を出したり、遊びはじめる。

 私の方は、絵本を読み聞かせのつもりで来たのだが、なかなか子どもたちは絵本を手に取らない。
 お母さんに押してもらいベビーカーに乗っている5歳くらいの男の子がいる。障害のある男の子だった。
「絵本見る?」と、「おおきなかぶ」の絵本を持っていってみると、お母さんが
「あぁ、うちの子はこの絵本が大好きなんですよ。うちにもあったけど、津波に流されてしまってね・・・」と。
 しんちゃんという。
 しんちゃんは、おじいさんがかぶを引っ張るページになると、自分の両腕を抱えるようにして、「うーん、うーん」と力を入れる格好をする。引っ張るところが好きなのだろう。読み終わって、
「他の絵本を見る?」
と言っても、しんちゃんは「ううん」といい、おおきなかぶを指しては、「あった!」と言う。そこで、おおきなかぶのページを再びめくり、ひっぱるところになると、腕を抱え込んで、うーんうーんと歯を食いしばる。
 しんちゃんは、私が「おおきなかぶ」の絵本を読み終わり閉じて置いた途端、また、「あった!」と、その絵本を指差し、何度も何度も、私はその絵本をめくった。
 しんちゃんは、本当は歩けるのだそうだ。でも、床に下ろすと、「あっという間にどっかに行ってしまうんでね」とお母さんが言う。避難所になっている体育館での集団生活。その中で、他の人に迷惑をかけちゃいけない・・・と気づかう生活は大変だろう。
 しんちゃんには、みんな顔がそっくりの中学生のおねえちゃんを筆頭に、2人の兄ちゃんがいて、4人きょうだいだ。兄ちゃんたちは、なかなかのやんちゃで、えのぐでお絵かきをする時には、自分の手足にえのぐを塗って、すっかりえのぐだらけに汚れた。それを、怒りもせず、じっと見ているよく日焼けした男の人がいた。
「母ちゃんに怒られっぞ」と、ちょっと愉快そうに言って、しばらく見ていた。松葉づえをついていた。津波の時、怪我をされたのだろう。きっと、豪快な漁師のお父ちゃんだろう。

 男の子が一人、絵本をめくっている。
「どんな本でも読んであげるよ」というと、「11ぴきのねこ」のシリーズの本をみんな。それから「くわずにょうぼう」を選び出して、「全部読んで」という。
 たくやくん・・・というその子に、次々と、絵本を読む。時々、たくやくんは、何か気になることがあるのだろう。「ちょっと待ってて」と言って、大急ぎでどこかに走って行って戻ってきては、また絵本に見入る。
 小学校の担任の先生が、声をかけてきた。
「よかったねぇ、たくやくん。お話してもらってるの?」
 すると、たくやくんは
「違うよ、いじめてるんだよ」と言う。なかなか、あまのじゃくらしい。
 たくやくんは、自分の選んだ絵本を最後まで聞くと、
「もういい、でもさ、おもしろかった」と小気味よく言うと、立ちあがった。
 帰り際に、たくやくんに、「ありがとね、お話聞いてくれて、うれしかったよ」と言うと、
「ううん、聴いてなんかなかったよ。絵本、見てただけだよ」と、また憎まれ口をたたいた。
 私は、くすくす笑いたくなった。

 さて、夕方、しんちゃんのお母さんは、しんちゃんをベビーカーに乗せ、二人の兄ちゃんを大声で呼んだ。
「あんたたち、風呂、入りに行くよ。しんちゃんをお風呂いれるの手伝ってよ。母ちゃんも一緒に入るからさ」
 二人のえのぐだらけになった兄ちゃんたちは、え〜とか、ぶぅぶぅ言いながら、お母さんと一緒に歩いていく。
「すみませんね、えのぐらけになっちゃって」と言うと、母ちゃんは
「いいんですよ、どうせね。昨日汗だらけだから、風呂入れって言ったのに、入らなかったから、どうせ、今日は風呂入らなくちゃいけなかったからね」
と豪快に言った。親戚の家のお風呂を借りるのだという。子どもたちは、いつもこうして家でも手伝ってきたのだろう。しっかりした家族の絆。

 漁師町の家族の暮らし。きっと、家の中でも、母ちゃんの大声、子どもたちのやんちゃな声が響いていたのだろう。でも、その家はもう流された。漁師の暮らしも。
 いったい、いつまた家族の普通の生活を取り戻すことができるのだろうか。

 


5日、宮城県の南三陸町

 宿泊させて頂いている古川の弘法寺から、車は道路を走って行く。大崎市の古川は、内陸部である。壁がはがれおちたり、古い家は倒壊した家、倒れたお墓など、たまに見かけるが、全体的に大きな被害は見かけられない。のどかな田園風景。もう満開ではないが、山桜、菜の花、れんぎょう、チューリップ、芝桜・・・・そして、新緑・・・北国の春は、一気にやってくるのだ。
 穏やかな風景・・・・のどかな山の村の景色・・・・それが、一気に変わる。
 いきなり、瓦礫・・・・・・えっ!なんで?今まで、あんなにのどかな風景だったのに・・・
 道を曲がったとたん、川の回りに瓦礫が広がった。そして、一気に、瓦礫だらけの、津波によって破壊されまくった南三陸町が一面に広がる。
 海はまだ遠い。津波は、こんなにも破壊力を持って、川を遡ったのか・・・
 
 テレビでも見た、南三陸町の防災センターの鉄筋だけ残った建物も見えた。あの中で、女性職員の方は、みんなに避難を呼びかける放送をし続けて、ご本人も亡くなったという・・・・海のすぐそばではない。川を遡った津波。
 まるで、鉄くずのようになった車、高い建物の窓枠にひっかかる布団や畳・・・遠くに見える大きな病院・・・・あぁ、建物はしっかり残っている・・・・と思ったけれど、近くに行ってみたら、4階の窓も破壊され、水は窓を突き抜け、反対側の窓から突き抜けて、通ったのだ。

 車は坂を上って、旭丘コミュニティセンターという小さな集会所へ向かい止まる。その坂の上には、普通の家々が、なんの被害も受けずに(見かけでは・・・)残っている。きれいに普通の家々がある。でも、ほんの数十メートル下ったところは、津波で流された瓦礫がつもり、車も打ちつけられている。
 車を降りると、3人のお婆ちゃんたちが、にこにこと迎えてくれる。
「まぁまぁ、ご苦労さまですねぇ。ありがとうございます」
 などと言われ、恐縮。何度も通ってきていらっしゃる、高野山からいらしている太ったお坊さんには
「まぁ、メタボさん、あんた、少し痩せたかねぇ?」などと言って、みんな大笑い。
「今日、メタボさんが来るから、ほら、この人ったら、昨日髪染めて、今日、念入りにお化粧しちゃって、色気づいちゃってさぁ・・・」
などと言っては、またまた大笑い。一人のお婆ちゃんは歌い出し、踊って見せると、
「若い頃、私は、会社でこんな演芸をやって笑わせたもんだよ」
と、一芸やってみせてくれ、私たちは本当にお腹を抱えて大笑いした。
 まったく、楽しいお婆さんなのだ。でも、ちょっと話を聞いてみると、おひとりは、住んでいた家は津波に流され、2階だけが船のように浮いて津波に流された。2階にいたお婆ちゃんは助かった。
「おひとりなんですか?」と尋ねると、「おじいさんとね、二人亡くなったよ」と。
 他のお婆さんも、家に水が入ってきて、ようやく裏山の崖を上って助かり、水浸しのまま、このコミュニティセンターに逃げて来て、震えて一晩あかしたのだという。
「寒かったからねぇ」と。
「うちはね、大きな家だったのよ。もう、ないけど・・・・・」
 この冗談ばかり言って笑ってばかりいるお婆ちゃんたちは、みんな家を流され、家族を流されたのだ。
「笑ってないとね、やってられないからね・・・」と、婆ちゃんは言った。

 センター前の小さな公園にビニールシートを広げて、絵本を並べた。子どもたちの多くは、今日は、子どもの日だし、どこかの団体に連れていってもらって、映画を見に行ったのだそうだ。それでも、数人の子どもたちがやってくる。
「お絵かきする?」と聞くと、4人の小さな子どもたちが、おえかきをはじめた。
 3歳のおしゃべりの男の子が、かわいらしい声で、
「ぼく、1、かけるよ。2もかけるよ」などと言いながら、ぐにゃぐにゃの線を紙にかきながら
「あのね、ぼくんちね、津波こなかったよ。高いところにあるから」と言う。
「でもね、幼稚園、もうないの」
といった。幼稚園は津波で流されたのだ。
小学校2年生のまどかちゃんは、
「うちね、お風呂入れるんだよ。おじいちゃんが薪風呂作ったの」。
すると、隣で、お絵かきをしている、小1のりんちゃんが、
「えー?」と言う。りんちゃんの家は、まだお風呂がない。
 ここに電気が戻ったのは、つい最近だそうで、まだ水道は回復していない。給水車が来るのだろう。りんちゃんの家では、まだお風呂は入れないのだろう。
「でもね・・・」とりんちゃんは「でも、うちは、洗濯機使えるようになったからね。でも、洗濯機使うと、お水いっぱい使うから、お水足りなくなるの」と言った。
 これまで、電気・水道なんて当たり前・・・・で育ってきた子どもたちが、今、出会っている試練。でも、子どもたちは、きっとその現実と向き合い、しなやかに受けとめていくのだろう。でも、この子たちは、家を失った子たちではない。坂の上の家に、運よくも住んでいた子どもたちである。

 公園で遊んだ後、センターに作られた避難所で寝泊まりしているお婆ちゃんたちを訪ねた。私たちに、お菓子をくれ、お茶を出してくれる。冗談を言い合うお婆ちゃんたちが、北川さんが奏でる「川の流れに?」という曲に、みなこらえきれずに、泣いた。
「川が…川が、こんなことになるとは・・・」と。
 みんな・・・・本当に、辛さを心に、顔では一生懸命笑っている。
 
 本当は・・・・・楽しいわけがない。すべてを失われたのだ・・・・故郷のすべてを・・・・家族を・・・・家を・・・・これまで築いてきたものをすべて・・・・・
 もし、自分の身にふりかかったとしたら・・・・私は、こんなに強く生きていけるだろうか?
 でも、みんな、きっと、他人を気遣って、一生懸命明るくふるまって生きている。

 人々はなんて、強いのだろう。そして、なんて、やさしいのだろう。