ラオスのお正月           2012年4月15日(日

  
 今年のラオスの正月は4月13日〜15日であった。ラオスのお正月は、もっぱら水かけ祭りとして知られているだろう。暑いさかり、みんなが大騒ぎして水をかけあう。ラオス人パワー炸裂!という感じで、みんな無礼講の水かけ!酒を飲んで大騒ぎ・・・連日繰り返す。どこへ行っても水浸しになるので、外国人はけっこう辟易として、ラオス脱出する人たちもいる。私も、けっこうもう十分だな・・・という感じなのだが、ダンナがラオス人だから、やっぱりいなくてはいけない。特に、今年はダンナのノイの実家が「ブン(法事みたいなもの)」をするといい、13日14日と、ビエンチャンから40Kmほどの農村にある実家へ行ってきた。

 家に着いてみると、村のおばあちゃんたちが集まって、カオトム(ちまき)を作っている。バナナの葉で、もちごめ、小豆、砂糖、ココナッツを混ぜたものを包むのである。私も一緒に座って、やってみる。しかし、やはり、うまく包むのにはコツがあるらしく、そうは上手にできるものではない。おばあちゃんに教えてもらいながら、なんとか包んだが・・・・
「今日は、ホー・カオトム(ちまきを作る)日よ」と言う。たくさんのちまきを作るのだから、これは1家族でできるものではない。こうして、村だからこそ、できるのだろうなぁ。


 

 ちまきを包むのは、バナナの葉。そしてしばるのは竹を割いたひも。その中に、もちごめ、小豆、椰子の実など・・・そこらへんにある、自然のものから作る・・・それがカオトム(ちまき)である。



 ちまきをひたすら作るおばあちゃんたちの横で、男たちは飲みはじめている。子どもたちは水かけをして遊んでいる。
 家の前は、村の役場になっているが、大音響で音楽をかけ、みんな歌い踊っている。負けじとノイも音楽をかける。踊れや歌えや飲めや・・・



 暗くなるまで宴会は続き、もう疲れて、お父さんはひっくり返って寝ている。しかしである、それからが、明日のブンの料理の準備だ。私などは、もういい加減ビールも入って、「こりゃ、眠いだろ」と思っているのだが、ノイとノイのお姉さんや妹たちは、きびきびと、肉を切ったり、野菜を蒸したり、明日のための準備をはじめる。また、明日は、お坊さん8人にお料理を出し、その後、托鉢を家で行う。その托鉢にくる村の人たち数十人分のごちそうも作らなくちゃいけない。
 私などは、何をやったらいいのか・・・・おろおろするばかりで、わからないので、せめて、お皿洗いでもするしかない。お皿洗いの後、ジェオ(唐辛子味噌みたいなもの)にするための、なすやら唐辛子を炭火で焼くのの番をしようかと思ったが、眠くて舟をこぎそうになる。炭火に頭を突っ込んだら大変だ。
「もう、さっさと寝ろよ」と言われて、先に寝ることにした。実の話、私がいてもいなくても、どうせ役にゃ立たないのであるが、実際、疲れていたので、寝られてうれしかったが、でも、ラオスの人たちの「宴会パワー」は、すごい。特に、準備から本チャンから後片付けから、全部やるのは本当に大変なことなのだが・・・・昼間も、容赦なく飲んでいたのに、その後、こうして、夜遅くまで料理もしっかりやる・・・・・特に、女の人たちのパワーに圧倒される。

 翌朝、私は5時に目を覚ましたが、みんなとっくに起きている。
 お坊さんにお出しする食事は、「ガオニュアン(9種類)?」という食事で、肉あり、野菜あり、魚あり、デザートあり・・・・近所の女の人たちの助っ人も入り、にぎやかに準備が進んでいる。私は、またまたどうしたらいいのかわからないので、うろうろしていると、ノイのおばあちゃんが、ちまきを拭いている。
「ちまきを拭くの?」と尋ねると、「ちまきを包んだバナナの葉についた汚れを拭くんだよ」と言うので、一緒に拭くことにした。これなら、私にもできそうだ。でも、たかがちまき一つでも、こうして、包むところから最後に拭くところまで手がかかるのだから・・・本当に大変だ。
「ブンって、大変だね」と言うと、おばあちゃんは
「そうだよ。ブンは大勢いないとできないね。だから、最近じゃ、少なくなってきたね」と言う。
 と言っても、私に言わせれば、ラオスはブンだらけである。でも、確かに、一家だけでできるもではなく、特に、うちみたいに、夫婦だけの家などでブンをやることは難しい。以前、自宅でやった時には、ノイの両親、お姉さん、おばあさんが助っ人に来てくれたが、一家だけでも難しい。隣近所のコミュニティのつながりがしっかりしていないと、ちゃんとしたブンはできないだろう。おばあちゃんから若い世代までが揃っていてできるものだろう・・・・・最近、ビエンチャンでは、料理に関しては、ケータリングのサービスが出てきた。都会の若い夫婦だけの家などでは、やはり、ケータリングなどを利用しないと、ブンは難しくなってきているかもしれない。




何が9種類なのかはよくわからないが、いろいろな材料からの料理をそろえたお坊さんにお出しする食事。



 さて、そうこうするうちに、もうお坊さんたちが来る時間となる。お母さんもあたふたとして、「あれ、お坊さんの前には何をそろえたらいいんだっけ?何がいるの?忘れちゃったわ」などと、おばあさんに聞いては走り回っている。お母さんでもこうなんだから、次の世代になったら、もっと大変だ。

 お坊さんたちは、もう家の前にやってきて、家の戸口のところに置いてあるお供えもののところで、お経を唱え始めた。あれ?知っている人だ・・・とお坊さんの一人とどこで会ったことがあるんだろう?と考えていたら、ノイのお父さんの飲み友達のおじさんである。毎回来るたびに、真っ先にやってきていつも酔っ払って踊っているおじさんが、お坊さんになっていた.。本当にそうかなぁ?と首をかしげながら見ていると、お経が終わって通りすがりに、私に「マー・ボ?(来たのかい?)」と声をかけた。やっぱりそうだ。
 ラオスでは、お坊さんは妻帯してはいけない。だから、結婚している人は、一応、離婚してから、寺に入る。このおじさんが、どうして、この年齢にいたってお寺に入ったのか? それとも一時期だけなのか?はわからないけれど・・・・
  


 家に入る前に、戸口でお経を唱えるお坊さんたち。ちなみに、外に置いてあるお供えはバナナの幹をはいだものを器にし、赤やピンクに染めた糯米、小魚、もみ、たばこ、ろうそく、花などが入っている。思うに、これは土地の霊にささげているのではないか?(聞いていないので、今度聞きます)、ラオスの仏教の儀式には、多分に、日本でいうよろずの神・・・土地や自然の霊・・・に対するお祓いや祈りの要素が含まれているように思われる。



 村の人たちも集まって、お坊さんたちのお経、そして、食事・・・そして、托鉢・・・・その後に、家族の幸せと健康などを祈ってのスークワンを行った。やってきた村の人たちが、みんな、祝福の言葉を述べながら、糸を手首に結んでくれる。ラオスではよくおこなわれる儀式だが、やはり、うれしいものである。


 お坊さんが帰られてからは、村の人たちを呼んでの食事、宴会となったが、その前に、昨日、カオトム(ちまき)を作ってくれたおばあさんたち、また今日来てくれたお年寄りたちの手と足に、みんなが、健康と長生きを祈りながら、水をかけていく。「いつまでもお元気で、長生きしてくださいね」と言いながら水をかけてさすると、「あんたも幸せにね」とか言いながら、頭をさすってくれる。なかなか心にしみる。なるほど、水かけ祭りとは・・・・ただ水かけをして遊ぶのではなく、仏様に水をかけ、こうしてお年寄りに水をかけて、祈る、願う・・・・というものなのである。
 
 もう一つ、家族だけで行う、ソンマ?という儀式があった。子どもたち全員が、両親そしておばあさんなどに感謝の言葉を述べ、贈り物をおくるのである。ノイは8人きょうだいだが、一番したの妹が代表して感謝の言葉を述べ、みんなからの贈り物(お金)を両親に渡す。決まった形式があるのだろうに、みんないつもほろっと涙を流す。ラオス人はあまり泣かないのに、本当にこの時には、子どもたちも親も目を赤くしている。いつもはやんちゃな末の妹は、今回は、お姉さんお兄さんたちにも、「ほんの気持ちよ」と言いながら、一人1ドルずつのお金を、お礼の気持ちを述べながら渡した。妹はその後涙をふいていたし、お兄さん、お姉さんたちも目を赤くしていた。決まった形式のこととはいえ、やはり肉親への感謝の言葉は、あまり言えるものではない。なかなかいいものである。
 
 ラオスにいても、外のものとしている時には、こういう家族のお正月に出会うことはなかった。ラオス人と結婚したからと言って、なかなか同じように家族の一員という風にはいかないし、嫁として何もできやしないが、でも、こうして、家族の儀式に関わらせてもらって、はじめてわかることってあるのだなぁ・・・とつくづく思う。

 まぁ、その後は、飲めや踊れや、水浸し!である。





でも、素敵なのは、この婆ちゃん、爺ちゃんたちの笑顔!ラオスでは、歌えや踊れやは、若者の特権ではないのである。年取ってからも大騒ぎする。年甲斐もなく・・・・ってこともないので、まだまだ、私もいけそうである・・・・と元気になる気がする。

と言いつつ、今日は、私は外にでずに家にいる。家一歩でたら、水浸しになるし・・・・まぁ、今日は一休み!と四面楚歌?のように、周りから大音響が聞こえてくる中パソコンに向かったわけだ。
 ラオス人のダンナは、友達に誘われていそいそで出かけて行った。ラオス人の宴会パワーはほんと、すごい。