10月7日(金)、当時は会社が蕨の公団住宅を独身寮として借り上げていて、各戸に2人ずつ、全部で10人くらい住んでいました。出発を明日に控えた金曜日、寮で会社の仲間が壮行会を開いてくれました。
といっても寮の僕の部屋にみんなで酒やつまみを持ち寄って飲むというもので、別に理由が無くても当時はよくそうやって集ってましたがね。
ふすま一枚隔た隣は同室のK君の部屋で、ふすまを取り払うと10畳くらいになるので結構広々としています。K君はしばらく一人暮らしができると喜んでいました。
その壮行会の中で一番の話題になったのが「N君の伝説」です。

寮の仲間にN君というのがいました、当時わが社はニューヨークに事業所を開いており、半年ほど前、彼はそのニューヨークに配属が決まりました、しかし彼はNYに出発する日の朝、少し寝坊をしてしまい、その遅れを成田までタクシーで行って挽回しようと考えたのですが、それが悲劇の始まり・・・
彼の乗ったタクシーは首都高で運悪く渋滞につかまり時間ばかりが無情に過ぎて行きます。「このままでは出発便に間に合わない」と焦った彼は「とにかくまず何としてでもこの渋滞から脱出しなければ」と思い行動を起こします。
まずトランクに積んだスーツケースを会社まで届けてくれるよう運転手に頼み、必要最小限の所持品を持ってなんと首都高の途中でタクシーを降りたのです、そしてそこから一番近い出口を目指して首都高の路肩を走り出したそうです。彼のもくろみでは、とにかくこの渋滞の首都高を脱出し、最寄の駅から地下鉄に乗り成田を目指すつもりだったそうです、しかしたぶんこの時点でN君の頭の中はパニックのため、もはや正常な判断力を失っていたことでしょう。はじめから電車で行ってもぎりぎりだったのに渋滞で無駄な時間を浪費した後です、結局彼は飛行機に間に合わず、泣きながら会社に戻り、上司にこっぴどく叱られたうえ、出発は1週間後に延期ということになりました。
N君はそんな話を身振り手振り大阪弁でみんなにしゃべるとても愉快なやつです。
余談はさておき、そんな話で壮行会は盛り上がり、夜は更けていきました。
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