the Last Supper

the Last Supper

タイトルは『the Last Supper』即ち最後の晩餐ってわけだ。
見ての通り、最後の晩餐を食べているのはトナカイ達である。
一見ほのぼのとしているようでいて、実はかなり重いテーマだった。(^^;
明日の朝にはこのうちの何頭かが食肉となってしまう。そんなシーンを描いたつもりである。

テーマがテーマだけに、構図も静的なもの、フェーマスで教わった通りの神秘的な縦の線も入れてみた。オーロラもかなり静かだけど、内に秘めた激しさみたいなものを想像しながら描いた。
去年は構図で思い切り失敗したので、今回は特に構図にこだわった。
その結果、おとなしすぎる絵になってしまったかもしれない。(^^; なかなか上手いこと行かないもんだ。
最初は人物の表情を描こうと思ったが、あえて人物を全面に出すのをやめ、全体の空気感を大切にしたかった。

トナカイの死を連想させるテーマだが、決して暗鬱なイメージではなくて、その反対にある生を意識した。殺生することが残酷であるということを言いたいわけではない。

以下は、私がカボス圧7月号に掲載した文である。

トナカイは彼らにとってなくてはならない存在である。
家畜であり、友であり、食料となる。
その毛皮をまとい、角で細工物を作る。

トナカイ達は多くを要求しない。
なのに、多くのものを人間にもたらしてくれる。
トナカイは、肉も骨も余すところなく彼らの生活の糧となる。
決して無駄にする部位などない。

それが、彼らなりのトナカイに対する敬意であり、
弔いなのだろうか。

フィンランドのサーリセルカでサーメ人宅を訪問したが、ひとつだけ聞きそびれたことがある。
トナカイを殺す時、彼らは何を思うのだろう?

この絵を描きながら、色々なことを想像した。

トナカイに餌を与えるサーメ人の親子。その晩は普段より少し多めに餌をやっているようだ。
少年は10歳くらいだろうか?物心はついているはずだから、明日の朝起こることも分かっているはずである。
餌をやっているトナカイも、もしかしたら少年と同じくらいの年かもしれない。

トナカイ達が気付いているかどうかは不明だが、自分達の運命をそのまま受けとめようとしているのかもしれない。
もしも彼らの言葉が分かったら、「餌をくれるからここにいるのさ」そんな台詞が聞こえてくるかもしれない。
トナカイ達は人間の生のために死す。
そんな命の重さを、サーメ人はよく知っているのではないだろうか?
ひとつの命が別の命となって、生き続けて行く。
永遠に消えることのないオーロラのように。