フィンランド旅行記(1/4)

1.出発

1月3日、日本時間午後2時、フィンエアーにて成田からへルシンキに向け出発した。
航路は、ロシアに入りシベリア上空の北極圏をかすめて飛ぶ最短距離をとった。
座席は左側の窓際であった。

下には、ロシアの広大な地形が広がっていた。うねり、絡み合いながら流れる河川、荒涼とした大地。

飛行機が北上していくとまもなく、それは氷のマーブル模様に変わった。とても人が住めるような場所ではない。
まだロシアのほんの入り口に過ぎない。シベリアはまだずっと先である。日本がいかに恵まれた土地であるかが分かる。

PIC00003/ロシア上空(東南部)

PIC00004/ロシア上空



シベリアに入る頃には太陽はかなり低いところまで落ちていた。
眼下に広がる一面の雪山を見ていた時、スチュワーデスに注意され、ブラインドを半開きにした。日差しが機内の奥深くまで入り込んでしまうからであった。
ちなみにフィンランドのレヴィではこの時期、午後2:30頃には日が沈むらしい。

一眠りして窓を開くと太陽は地平の下に沈んでいた。
下は一面の雲海。前方に赤く光るところがある。どうやら湖があるらしい。
窓には氷の結晶ができ始めていた。

まもなく、地平がオレンジ色に染まった。
反対側の窓からかすかに覗く空ははだいぶ暗くなっている。
オーロラは見えるのかな。

PIC00005/ロシア上空

PIC00007/ロシア上空



北極圏に入ると、見渡す限りの雪原が広がっていた。
雲海にも見えるが、川が蛇行しているのが見える。
いつのまにか赤い光も消え、数箇所に光の固まりを発見。町の灯りにしてはやけにこじんまりと分散しているように思えた。
海を発見。湾岸線がしっかりと見てとれた。

日本時間午後9時、太陽がわずかに水平線を越えて上っていた。
そろそろフィンランドに近付いてきた。現地時間は午後2時。
下にはひたすら雲海が広がっていた。天気が悪いのであろうか?
眠気がピークに達してきた。



ようやくヘルシンキに到着した。
雲が地上数百メートルまで厚く覆っていた。着陸の際、揺れはしなかったが、ぎりぎりまで地表が見えなくてハラハラした。さぞかし地上管制がしっかりしているのだろう。
でも、

本当に地面が存在していて良かった。



空港のロビーや連絡バス乗り場で一人旅と思われる子供を空港の人が引率しているのを 何度か見た。どうやら、ここは子供には優しい国らしい。

国内線エアターミナル行きのバスに乗ったとき、対向車のバンと10cm足らずの間隔ですれ違った。しかも路面は凍っていて、両者ともスピードを落とさなかったので、思わず悲鳴をあげてしまう。同乗の日本人観光客も絶叫していた。
乗っているのは、数名を除き日本人ばかりだった。

キッティラ行きの飛行機が出発したのは現地時間の午後7時20分だった。
飛行機の窓からオーロラを見ようとしたが、見られたのは流れ星ひとつのみであった。幸先のよいスタートとなればよいのだが。

キッティラに降りた時は雪が降っていた。滑走路も全面雪で埋まっていた。
国際線同様、揺れはほとんど感じられなかったが、着陸直後に乗客から拍手が起こったのには驚いた。

ヘルシンキもそうだったが、キッティラ空港の建物も斬新(?)でフィンランド人のセンスをちょっぴり疑ってしまった。
キッティラでもうひとつ驚いたのは、荷物を取った後荷札とのチェックが行われないことであった。これでは、誰の荷物を持っていっても分からない。
田舎だから窃盗などはほとんどないのかもしれないが、飛行機乗り継ぎの際に荷物が紛失するのはよくあるらしく、案の定日本人観光客の1人が荷物をなくしていた。大抵の場合、別の便に紛れたりしていて、夜中には戻ってくるようであるが。

とりあえず、現地の日本人スタッフに迎えられ、バスでホテルに向かう。
小さな男の子が客の荷物をバスに積んでいたので、手渡す。そのとき気付いたのだが、男の子ではなく女の人だった。私たち日本人の方がまだ体格がいいのに、申し訳なかったなと思った。しかもその女の人は、大型バスの運転手でもあった。