5時間目のハジマリ、屋上にて。
「あっれー? 黒須センパイじゃないですか」
 授業をさぼるために紙パックの緑茶片手に乗り込んだそこには先客がいた。霧ちゃんミキちゃんコンビいわく、セクハラ大魔神の黒須太一センパイ。そんな黒須センパイは床にぐったり寝転んだまま、おおおと死にそうな声を出して片手をあげた。本日の最高気温28度。9月とはいえ真夏日である。日光を遮る物がない屋上は暑い。もしかして、脱水症状おこしかけてるんじゃないのこの人。
「うわ、生きてくださいセンパイ! 命の水ですよ」
 駆け寄りつつ緑茶の入ったパックをセンパイに渡した。黒須センパイは上体を起こしながら片手でそれを受け取って、ストローでぐびぐびと豪快に飲む。ずごごごご、と音がしたあたりらへんでセンパイはビールを飲んだオジサンみたいにぷはーと息を吐いてまた床に沈んだ。と同時に空になった紙パックが床に投げ出される。まるっこい綺麗な瞳が私を見上げてきて、虚ろそうな瞳がだんだん澄んだように綺麗になる。それからにんまりと、至極幸せそうな厭らしい微笑み。
「夢のような純白が見えております」
 げへへ、と笑うセンパイはどっからどう見てもまるでオジサンだ。ミキちゃんいわく、これが黒須センパイの“セクハラモード”なんだろう。…もったいないなあこの人。顔はいいのに。
「はは、もっと見ますか?」
 スカートの裾をつまむと、黒須センパイはまるっこい目をさらに見開いてから、顔を真っ赤にして両手で顔を覆い隠してうおおおおとゴロゴロもだえはじめた。どうやらセンパイのツボにクリーンヒットしたみたいだ。面白いなあ、このひと。
「は、ハレンチですよっ。逆セクハラですよっ」
 ごろごろごろと転がりながらも、指の間からちゃっかり私のパンツを見ている辺りがアレですよね黒須センパイ。っていうわけで床に座り込むと黒須センパイはあからさまにがっくりした。そうしてゴロゴロと戻ってくる。
「お前、サボりなのか?」
 セクハラモードから優しいモードに変わったセンパイは開口一番にそう言った。そうですよーって床に転がった紙パックを取って、屋上のベンチの横にあるゴミ箱へと投げた。紙パックは綺麗な弧を描いて見事にゴミ箱の中へ入る。さすが私。
「そういう黒須センパイもサボりですよね」
「うん」
 こくんと素直に頷くセンパイ。そしてごろごろーっと近寄ってきてスカートをめくろうとするので慌ててその手を叩き落とした。ぱちーん、といい音がする。黒須センパイの手の甲が真っ赤になって痛そうだったけど、自業自得ですよって気にしないことにした。
「酷い…いたいよう」
 泣きそうな声を上げて黒須センパイは私に背中を向けるようにして寝返りを打った。しくしくしく、と陰鬱な声が聞こえてくる。
「鬱陶しいですセンパイ。静かにしてください」
「ひ、ひどいっ! ある意味霧ちんよりキッツいよ!」
 うわあーんと泣きながら、泣くまねをしながら、腰に手を回してくる。太ももに黒須センパイの頭がのっかった。ビックリして思わずそれを退ける。抱きついてきた黒須センパイの手が離れて、黒須センパイの頭が屋上の床とぶつかって、ゴツンと痛そうな音を発する。いてて、と前頭部をてのひらでおさえる黒須センパイ。
「うわ…ごめんなさい。でもいきなりはアレですよ誰だってビックリしますよ」
「うん、それは俺もちょっと思った。反省してる。だから太ももを僕にお貸しください」
「嫌です」
「ギブミーのフトモモー!」
 おおおおんと叫ぶ黒須センパイ。どうやらエロい事しか頭にないらしい、エロエロ大魔神だ。この人ものすごい重症だ。大丈夫かなあ。この現代社会で生きていけるのかな。ていうか、いつまで叫んでるんだろう。先生にばれちゃうじゃんか。
「センパイセンパイ。静かにしてください。先生がきちゃいますよ」
 黒須センパイのYシャツの裾を引っ張ると、センパイがしょんぼりした感じで私を見てから、陰鬱そうなオーラをまとってうずくまった。本気で落ち込んじゃったのかなあ?
「あわわ、ごめんねセンパイ。私の太ももで膝枕なんて気持ち悪いだけですよ。機嫌直してください」
 あたふたしながら黒須センパイのYシャツをひっぱるけど、黒須センパイはつーんと素っ気無い態度。…そもそもの話、なんで私が黒須センパイの機嫌を取らなきゃならないんだろう。私何にも悪いことしてないのに。寧ろ黒須センパイのほうがしてると思うんだよなあ。セクハラとかセクハラとかセクハラとか。――あ、セクハラしかしてないや黒須センパイ。
「俺の人生の16%はの太ももでできている」
「意味がわかりませんてば。ていうか16%て結構低いですよね」
 いい加減機嫌直してくださいよーって言ってもやっぱりつーんとしたままの黒須センパイ。むう、とセンパイの背中とにらめっこする。顔に似合わず身体はがっちりしてるんだもんなーこの人。Yシャツをつまんでた手をはなして、そろりとセンパイのお腹に手を回してこてんと横になってみた。先輩の背中に額を押し当ててみる。男の人特有というか、すーっと爽快な匂いがする。それとセンパイ自身の汗の匂いも。そんなセンパイは一瞬だけビクリと身体を震わせて、かっちりと固まってしまった。このひと、自分がするのは慣れてるだろうけど、されるのには慣れてないんだよな。
「くっついてると、あっついですね」
 あははとのんきにそう言ってみても返事はナシ。無言の空間に、みーんみんみんちきちきこーちきちきこーってセミの鳴き声が響いた。
「センパイって華奢そうに見えてそうでもないんですねー」
 わははと笑いながらセンパイの身体を抱き寄せてみると、ちょっ、て焦ったような声が聞こえた。
「俺いまものすごいときめいてる。心臓ドキドキしてますよ」
「奇遇ですね、私もちょっとときめいてますよ」
「あー…いやなんというか、海綿体が今にも急成長しそうです」
「そこは人として抑えてください」
 ちょっとだけ身の危険を感じて腕の力を緩めると、黒須センパイがごろりと寝返りを打った。うわぁ!と言いながら引き気味になるけど腰をがっちり掴まれる。抱き寄せられて思わず身をすくめた。首の下に腕が差し込まれる。この体制は、あれですよ。昼の1時半からやってるドラマに出てくるようなアレですよ。腕枕ですよ奥さん。…あーだめだ、ちょっと混乱してきた。落ち着け、落ち着け私。
「センパイ、からかうのもいい加減にしてください。怒りますよ」
「いっとくけど俺はマゾなので、怒声は快感に変わりそして…」
「あーもう。セクハラで訴えますよ」
 むっとしながら黒須センパイを見上げると、対する先輩はえへ、と子供っぽくはにかんだように笑った。だめだ、この笑顔勝てないよ。
「そもそもからかってるのはのほうだろ? この年上キラーめ」
「そういうセンパイこそ女の子キラーじゃないですか。放してくださいお願いですから」
「いやだね」
 こ、この人は…っ! 慌てて黒須センパイの胸板を押し返してみるけど、びくともしない黒須センパイ。むしろちょっとにこにこしながら身体を近づけてくる。そして固定。秘儀黒須固めの完成である。正直嫌だ。
「あーもー! はなしてくださいよー」
「こら、暴れるなって」
 じたばたするけど黒須センパイは私から離れまいとめげずに抱きついてくる。一進一退の攻防をしてるうちに、両者のこめかみから汗が一筋流れ落ちて、気付いたらちょっとばかし汗だくになっていた。あっつくて暴れる気も起きなくて、仕方なくというか、大人しくそのまま目を閉じる。脳裏に焼きつく、センパイの満足そうな顔。
「えへへ、俺は今とてもしあわせですよ」
「…そうですか、よかったですね」
 呆れたように溜息を吐いてみせると、「つれないなあ」と黒須センパイが小さく呟いた。

   ◇ ◇ ◇

「…なんだこりゃ」
 5時間目から失踪した黒須太一を探すために向かった屋上にて。案の定くーすかと寝息を立てている黒須太一の横で、やっぱりくーすかと、後輩のが眠りこけていた。二人の幸せそうな顔を見てげんなりとした友貴の横、美希がにやにや小さく笑った。
「うっはぁ~、うらやましいなあちゃん!」
 とか言いながら、の隣にごろりと横になる美希。美希がべたべたの身体を触っていることには、彼女の親友の霧はあえて触れないらしい。霧は盛大に溜息を吐いて、何も言わずに踵を返して屋上を後にした。そんな彼女を見送った友貴と浩は、さてどう起こすべきかとうーんと唸る。
 べたべたべたと触られても、うーんと眉を寄せてすこしだけ身じろぎするだけのの鈍感さには、ちょっとばかし呆れるものがある。こうされても起きないということは、多分一筋縄ではいかないんじゃないか、と友貴が考えている傍で、浩がおもむろにポケットから黒い携帯を取り出した。
 構えて、ボタンを押す。一瞬の後にカシャッという音が響いた。
「なんとなく、撮ってみた」
 棒読みっぽくそういって、浩は友貴に携帯の画面を見せる。そこには仲よさそうに寄り添って眠っている太一と。何でかはわからないが、美希は映っていない。
「あとで太一にカレーパンと交換させてやる」
 にんまりと浩が笑う。友貴はうーんと唸った。
「現金を要求したほうが得だと思うけど」
「…ああ、そうか。そうだな」
 納得、といった様子で浩が頷きながら、またカメラで写真を撮っていた。友貴はぼんやり、コイツから何円巻き上げられるかなとか、そんなことを考えたのと、美希が起き上がったに叩かれて痛がるのはほぼ同時だった。

2007/02/23