※骸の気が違っています。気持ちR-15。
その狭い室内に、窓らしい窓は無かった。唯一の光の発生源ともいえる天上にぶら下がった電球はちりちりと放つ光に強弱をつける。今にも消えてしまいそうなほど、それは儚かった。自分もきっと、あの電球みたいに儚い命になるんじゃないかと少し恐怖した。
直後、腹部に痛みが走る。おへその辺りに思いっきりつま先がくい込んだ。
「がハッ…!」
堪えきれずに咳き込むように息を吐いて、蹴られた衝撃で地面をごろごろ転がった。ちゃりちゃりとなる鎖は私の首にかかっている首輪につながっていたので、それが引っ張られるとつられるように私の首が引き上げられた。
おずおずと瞼をあげる。腕を伸ばせば届きそうな距離にいる骸様は、口の端を吊り上げるようにしてちいさく哂っていた。
髪の毛を鷲掴みにされ、ぐいと引き寄せられた。私の顔のすぐ数センチ先に、骸様の顔がある。
「痛いなら痛いと喚いてもいいんですよ?」
くふ、と笑って私にそう告げた。オッドアイが微かに細められて、ややあってから首をかしげるようににこりと笑う。途端にぞくりと背筋を悪寒がこみ上げた。
骸様は、私が泣いて痛がることを喜んでいる。「痛い」なんて言ってしまったら何をされるかわからない。もしかしたら手足の骨を折られるかもしれないし、お腹の上から子宮や内臓を蹴られて潰されるかもしれない。だから絶対に、言ってはいけない。言ったら最後、殺される。だから、口も開かない。ただ骸様が私を甚振るのに飽きることを待つだけだ。
「ほんと、強情ですね」
鎖を思いっきり引っ張られ、勢いよく立たせられるが、それ以上に鎖を高く持ち上げられた。足が地面につかない。苦しくて首輪を握り締めた。皮製の首輪は鍵で取り外しできるようになっているから、いくらもがいて首に爪を立てても苦しみは癒されることは無かった。呼吸ができない。苦しい。目をかっ開いて天井の電球を見上げた。視界がちかちか瞬いて、白く霞む。脳が酸素をほしがっているが、それがうまくできなかった。けれども、決して地面につかない足をばたつかせはしなかった。
「苦しいなら、暴れたらどうですか?」
伺うように骸様は哂った。鎖につながれた私を軽々と細い腕で持ち上げてしまう骸様に、恐怖すら覚えた。彼に本気で殴られたら、きっと骨は折れてしまうだろう。
骸様がにやにやと微笑む。とうとう視界に何も映らなくなり、暗転するかしないか、すんでのところで私は開放された。その高さのままいきなり鎖を離して落とされたから、バランスを崩して地面に倒れた。お腹に骸様の蹴りが入って、痛くて仕方なくて喉の奥から何かを吐いた。血だった。
「クハハ、臓器でも損傷しましたか?」
しゃがみこんで私の顔を伺う。私は何も言わずに、黙って骸様を見上げた。それが気に食わなかったらしい。私はコンクリートの床に思いっきり頭を叩きつけられた。脳みそがぐらぐら揺れるが、失神はしない。
「つまらないですね…何か言うなり反抗でもしたらどうです?」
骸様が私の傍にしゃがみこんで、首輪に指をかけてを引っ張った。ちゃり、と鎖の音が静かに響く。首に爪を突き立てられ肉を切り裂かれたが、私は必死に痛みを堪えて唇をかんで、少しだけ顔をしかめた。それがまた、気に食わなかったらしい。骸様は小さく舌打ちした。
「暴れないし声も出さない。そんならいっそ、手足を切断して舌でも抜いてやりましょうか?」
その言葉に、思わず目を見開いて反応してしまった。しまった、と後から思ったがもう遅かった。骸様は嬉しそうに笑って、舌なめずりをした。
「…手足の指の骨を砕いてから、切断しましょうか。そうしたほうが痛いでしょう? 舌は先端から徐々に切り取っていけば、も涙くらい流すでしょうし」
嫌だと言いたくても言えなかった。ただ恐怖で身体が震える。
「千種、ペンチとナイフ――できれば切れ味の悪いヤツを持ってきてください。」
――骸様は、本気だ。ここで「やめてほしい」なんて言ったらきっと骸様はそれを実行するだろうし、かと言って何も言わなければ言わないでそれを実行するだろう。私にはどちらも選ぶことができなかった。
ドアがはめられていたとこに、千種くんがペンチとナイフを持ってやってくる。私は思わずぎゅうっと目を瞑ったが、千種くんが室内に足を踏み入れる気配は感じられなかった。私と同じように違和感を感じたのか、骸様は低い声で「千種」と名前を呼んだ。千種くんはやや渋るような様子を見せてから、骸様を真っ直ぐに見つめる。
「…お言葉ですが骸様、それ以上やったらが死んでしまいます」
淡々とした静かな声に、骸様は鼻で笑った。そして私の傍から立ち上がって、千種くんのほうに歩み寄る。ぱぁん、と切れのいい音が響いて、思わず身をすくめた。見上げると、千種くんの頬は真っ赤だった。
「僕に歯向かうようなら、千種でも容赦しないですよ」
静かに怒鳴るような低い声に、一気に空気が重くなるのがわかった。この人の力は絶対的だと、そして私と骸様の力の差がありすぎることを、否応なく理解させられる。彼に逆らうことは一生できないのだ。
骸様が踵を返して私のそばまでやってくる。しゃがみこんで、ぼろきれみたいな服の袖をひっぱって、人差し指を掴んだ。
「まずは爪を剥ぎましょうか」
くふふ、と至極嬉しそうに笑ってペンチで人差し指の爪を挟んだ。一気に全身の体温が下がっていくのがわかる。骸様が伺うように私を上目遣いで見つめた。それが恐ろしくて、思わず目に涙が溜まった。すると骸様が少しだけ目を見開いてから、柔らかく微笑んだ。それはとても嬉しそうに。
指先の鋭い痛みに、息を呑んで反射的に身をすくめた。目の前に電撃が走って、ちかちかした。爪で覆われていた部分が外気にさらされたせいか、火傷したみたいに指がヒリヒリと痛んだ。
涙が出たけど、悲鳴はあげなかった。それが気に食わなかったのか、骸様がいきなり口の中に指を突っ込んできた。舌を指でつかまれて引き出される。
「……っ!?」
舌に爪がくい込んで痛かった。骸様は指に力を込めたまま――むしろ、どんどん力が強くなっていく気がする。指の痛みなんか驚きで吹き飛んでしまい、舌を引っ張られたまま、骸様を見据えた。
骸様の手には、錆びて刃こぼれしたナイフが、握られていた。骸様は私を伺うように見てから、舌にナイフの切っ先を当てる。思わず身構えてしまった私を、骸様は嬉しそうに笑って見つめた。
こわい。おそろしい。そんな言葉が頭の中をぐるぐる回るけど、何もいえなかった。ぎゅうっと目を瞑って、身体を強張らせた。
「……、」
骸様が小さく溜息を吐いたのを聞いて、私は恐る恐る目を開けた。掴まれていた舌を開放されて、ナイフが床にからんと落ちる。
「どいつもこいつも、どうして僕の邪魔をしたがる…!」
骸様はいらついたように舌打ちをして、颯爽と部屋を出て行った。外のほうで盛大にガラスが割れる音がして、誰か侵入者がやってきたんだと思った。ゆっくり深呼吸して、息を落ち着かせた。足音がしたから顔を上げると、千種くんと犬くんが救急箱を持って部屋の入り口に立っていた。
千種くんは無言で、爪のはがれた私の指を手当てし始めた。消毒液がしみて思わず身をすくめると、千種くんは小さく謝った。犬くんは手当ての間ずっと私の頭を撫でてくれていた。
しばらくて手当てが終わると、千種くんが消毒液とかを救急箱にしまいながら、ぽつんと言った。
「…骸様は、けっして、の事が嫌いとか、そういうわけじゃない。…だから」
骸様のことを、見捨てないでほしい。真っ直ぐにそういわれて、私は小さく微笑んで、頷いた。
2007/01/08