三つ編み
農民の朝は早い。日々の暮らしのなかでホーシェンは日の出とともに目が覚めるようになった。いつから体内時計がそうなったか覚えもないし、誰かに教えてもらった覚えもない。子供ならもっと寝ていなさいと窘められたこともある。だが、大人たちと同じように起き、農作業を手伝うのはホーシェンにとって苦ではなかった。手伝えば手伝っただけ褒められるし、なんならお菓子や小遣いをくれる人だっている。
早起きは三文の徳だということわざを、ホーシェンは信じて疑わない。三文は端金だと馬鹿にする人だっているが、日々の積み重ねは何よりも大事だ。
――という事をつらつら説いても、暖簾に腕押しで聞く耳をもたない相手がいる。名前をナマエという。ホーシェンとは物心ついたころから一緒に遊んで育った間柄だ。彼女は今日も今日とて起床の時間に遅れている。それは今も昔も変わらない風景だ。そうして当たり前のようにおばさんに起こしに行くよう頼まれ、ホーシェンは嫌がりもせずにナマエの部屋へと向かう。
扉を軽くノックする。返事がないのはわかりきっていたし、鍵がかかっていないのもわかりきっていたので、ホーシェンは遠慮なく扉を開けた。窓際のベッドに団子状態になっている物体を認め、ホーシェンはまっすぐそちらに足を向けた。
「朝だ、起きろ」
声をかけながら、布団の塊を軽く叩く。反応がないのも想定の範囲内だったので、構わずに布団を剥いた。狭い空間から引っ張り出された寝間着の姿のナマエはむずがるような仕草を見せた後、ゆっくりまぶたを持ち上げた。
「起きたか?」
「……起きた」
あくびを噛み殺しながら上体を起こし、のろのろとベッドから降りるナマエの姿を横目に、ホーシェンは勝手知ったる様子で棚を漁る。洗顔用のフェイスタオルを取り出しナマエの手に押し付けると、ナマエは手の甲で目をこすりながら覚束ない足取りで部屋をでていった。
ほとんど牧獣の世話と大差がなく、すでに慣れきってしまって儀式化しつつある光景だった。いつだったかシャオマンに「ナマエのこと甘やかし過ぎだよ」と言われたことをきっかけにこの状況を変えようと努力をしたこともあったが、他人を変える努力をするよりも自分が順応するほうがはるかに楽だった。
ホーシェンは椅子に腰掛けて、ナマエが戻ってくるのを待つ。しばらくして、顔を洗ってすっきりした様子のナマエが部屋に入ってきた。
「ただいまぁー」
「ほら、髪やるからこっちに来て」
「うん」
ホーシェンが椅子から立ちあがると、入れ替わるようにしてナマエが椅子に腰を下ろした。ホーシェンは手袋を外して乱雑にポケットに突っ込むと、近くの小物入れから髪ゴムを手首に通し、背もたれの後ろに回り込む。それとほぼ同じタイミングで、ナマエが顔をうつむかせた。こうするとホーシェンが髪を結いやすいとわかっているからだ。
手櫛で適当にまとめてから、3つの束に分ける。ナマエの髪は柔らかくて素直なので、ホーシェンにとっては扱いやすい。
慣れた手つきで編み込んでいく。きつすぎるのはいや、ゆるすぎるのもいや、というナマエの要望を聞き入れて改良を重ねた編み方だ。本人からはおおむね満点の高評価を得ている。
三つ編みはホーシェンが小さな頃から会得している数少ない特技の一つだ。それを同年代に揶揄された事もあったが、今となってはただの昔話でしかない。
「シャオホー」
「ん?」
唐突に声をかけられたが、ホーシェンは手元から視線を逸らさずに返事をした。
「いつもありがとね」
「……いきなり何?」
「シャオホーにね、こうやって髪結ってもらうの好きだなって思っただけ」
ナマエの顔はホーシェンからは見えない。べつだん見ようとも思わなかった。
小さい頃のホーシェンは今ほど身体つきもしっかりしていなかった。同年代と比べれば華奢なほうで、小柄なシャオマンをもってしても女の子だったと言われる始末である。
それで三つ編みが得意となれば、当然、いじられた。
いつだったかはっきりとは覚えてはいないが、ほんの気まぐれに三つ編みを披露した事がある。上手だね、と笑って自分の髪も結うようにせがんだ子供は、大きくなってもあの頃のままだ。そんなホーシェンも、ナマエから見れば同じままなのだろう。
毛先をゴムで束ね、肩を軽く2回叩く。
「ほら、終わったよ」
「えへへ、ありがとー。今日の夜お礼にマッサージしてあげる」
「いいからさっさと着替えてくれ」
「はーい」
上機嫌な声を背に浴びながら、ホーシェンは部屋を出た。すぐには立ち去らず、廊下の壁にもたれかかり、しばらく窓の外を眺めてぼうっとやり過ごす。
あんなに積もっていた雪もすっかり溶け、庭木の枝にぽつりぽつりと小さな蕾が芽吹いていている。もうじき春がくる合図だ。
扉が開く音がして、ホーシェンは顔をそちらに向ける。すっかり準備を整えたナマエが部屋からでてくると、ホーシェンは「遅いよ」と軽い悪態をついた。
2025/05/16