冥契の夢主 / 危険なので真似をしないでください
スナップドラゴン
ロドスにもハロウィンという文化が浸透していることを、ズオ・ラウは当日になって初めて知った。「トリック・オア・トリート!」
「……はい、どうぞ」
シーツをかぶってオバケに扮した三人の子供たちにそれぞれ飴玉を渡すと、子供たちは「ありがとう!」と元気に言い、手に下げた籠に飴を入れ、きゃあきゃあとはしゃぎながら通り過ぎていった。すれ違いざま、籠の中にトイレロールと霧吹きが入っているのに気づいてぎょっとしながらも子供たちの後姿を見送り、ズオ・ラウもまた歩き出す。
このように仮装した子供と遭遇すると決まってお菓子を求められる。ドクターからは前もって「もしお菓子を渡さなければ水浸しのトイレロールまみれになるよ」と忠告されており、やや信憑性にかける話だとは思いながらも念の為購買で飴を買ったのだが、ドクターの忠告は正しかったと実感した。
炎ではこの時期にこういった行事はなかったので、ズオ・ラウにはとても新鮮だった。死者に祈りを捧げるための催しだという知識はあったので、追悼の空気が蔓延しているのかと思っていたが、想定よりも随分と賑やかな空気だったので驚く他ない。
子供にお菓子を渡す役目を請け負う大人はズオ・ラウのようにお菓子を既製品で済ませる者がほとんどだったが、わざわざ手作りの菓子を用意する者もいるようだ。現に、いたるところでお菓子の甘い匂いを感じる。
香りを嗅ぎ取るたび、食べてもいないのに脳が満腹感を伝えてきた。無性にお茶が飲みたくなって、ズオ・ラウは近くの休憩室へと足を運んだ。
「燭台くん、トリック・オア・トリート!」
休憩室に足を踏み入れた瞬間、出会い頭にそんな言葉が飛んできて、ズオ・ラウは面食らった。そして声の主が見知った顔であるシャオマンだという事に驚きつつ、わずかに首を傾けた。
「……シャオマンさん、これは子供の行事ですよ?」
「ロドスでは18歳以下は子供と見なすんだって。だからほら、シャオホーのぶんもちょうだい!」
両手を受け皿のようにして突き出してくるので、ズオ・ラウは細いため息をつき、しぶしぶと飴を取り出した。シャオマンはズオ・ラウから飴を受け取ると「シャオホー、燭台くんから飴もらったよ!」と声を上げながら休憩室の片隅に小走りで向かっていく。つられて視線をそちらに向ければ、ホーシェンとナマエとシュウが奥の席に集まって何かをやっていた。
その場にいる全員がズオ・ラウの姿に気づいた様子で、まずシュウがにこやかに微笑んだ。そしてホーシェンが苦笑を浮かべながら頭を下げ、ナマエは目を丸くしつつも右手を持ち上げ軽く手を振った。
ズオ・ラウはまず備え付けの給湯スペースでティーバッグのお茶を淹れ、四人へと足を向ける。
「みなさん、何をしているんですか?」
そう声をかけると、シュウが口を開いた。
「あら、ちょうどいいところに。あなたも度胸試ししてみない?」
「度胸試し……?」
お茶をすすりながらテーブルに視線を向ける。そこには耐熱性の皿と、ブランデーの酒瓶と、干しブドウの袋と、ガス式点火棒があった。
ズオ・ラウはなんだか嫌な予感を感じ取り、酒瓶に注視する。ラベルに記された度数は高い。嫌な予感はどんどん膨れ上がるばかりだ。
視線を上げると、ホーシェンと目があった。ホーシェンは呆れ混じりの苦笑を浮かべながら肩をすくめ、
「スナップドラゴンって言うそうです、これ」
「スナップドラゴン?」
聞き慣れない単語に思わずオウム返しすると、ホーシェンの隣で点火棒をいじっているナマエが口を開いた。
「ハロウィン特有のゲームなんだって。干しブドウにお酒をかけて火つけて、燃えてるブドウ取って食べるんだとか」
「……あまりにも危険では?」
「うん。だから度胸試しもかねてるんだって」
「ええと……、これは誰が提案したんですか?」
「私よ。ドクターからこういった遊びがあるって聞いてね、せっかくだからやってみたくなったの」
「……」
にこにこしながら言うシュウを見て、ズオ・ラウは黙り込んだ。
司歳台の命により代理人の行動を監督する義務がある以上、ここから立ち去るわけにもいかなくなってしまった。たとえ嫌な予感がしてもだ。それに、何かあったら止めに入る役割が必要だ。
「ならば私も参加します。……それで、ブドウを皿に並べるんですか?」
「そうそう。で、お酒を薄く注いで、火を付けるんだって」
シャオマンが簡潔に言うと、ナマエは首を傾げながら酒瓶を手に取り、
「……このお酒、火付くのかな?」
「度数が高いのでつくと思いますよ」
ズオ・ラウが答えると、ナマエは納得した様子で酒瓶をテーブルの上へ戻した。
「……問題は誰が火を付けるかだね。はっきり言って危ないし、万が一を考えると、ホーシェンくんとシャオマンちゃんの二人には任せられないし……」
ナマエが困ったように言うと、シャオマンが首を傾げる。
「燭台くんじゃダメなの? 火付けには慣れてるでしょ?」
「……シャオマンさん、まるで人を放火魔のように言わないでください」
「だって、火を灯すのはもちろん、問題ごとの火付けも上手だったよね」
「……」
大荒城に左遷された日々のなか、シャオマンとホーシェンの二人に面倒をかけたことを思い出した。気まずさから逃れるように視線をそらすと、ニマニマと笑っているナマエと目があった。
「へー。ラウくんなにやったの?」
「……いろいろです」
「いろいろって?」
「……」
ニマニマした視線から顔を背けると、シュウがくすっと微笑んだ。
「からかうのもそこまでにしておきましょう。燭台くん、お願いできるかしら?」
「火の取り扱いには慣れています。構いませんよ」
シュウとホーシェンが皿の上に干しブドウを均等に広げて乗せると、ナマエが酒瓶の蓋を開けてブランデーを注いだ。次いで、18歳以下であるシャオマンとホーシェンを壁際に退避させた。理由は危険だからである。
ズオ・ラウが点火棒を皿へ近づけ、スイッチを押した。カチッという音とともに火が出た途端、浸した酒の表面をつたって燃え広がり、干しブドウはみるみるうちに青い炎に包まれた。
「わー、燃えてる!」
「これ、昼間じゃなくて夜にやったら雰囲気が出たかもしれないわね」
シャオマンとシュウが呑気にはしゃぐかたわら、ナマエは眉をひそめ、ホーシェンは不安げな表情になっており、ズオ・ラウも例外ではなかった。
火の海になっている皿を見て、この中からつまんで食べるのか、と訝しんだ。
シンプルに、やりたくないな、と思った。
「じゃあ、トップバッターは……王道のじゃんけんで決めましょうか」
シュウの発言はさながら死刑宣告のようだった。
緊張に生唾を飲み込むズオ・ラウ、不安をいっそう色濃くした面持ちのホーシェン、今にも帰りたそうにしているナマエ、ハロウィンの空気に乗せられはしゃいでいるシャオマン、何事にも動じず穏やかな微笑をたたえるシュウがそれぞれ顔を突き合わせる。
「じゃーんけーん……、ぽん!」
シュウの呑気な掛け声とともに、五人いっせいに右手を突き出す。
グーに丸めた拳がそろう中で、一人だけハサミを突き出している。
ナマエだった。
「……」
絶望の形相でわなわなと震えながら、己の右手で作ったチョキを恨めしそうに見つめている。
「それじゃあナマエさん、頑張って」
「そ、そう言われても……」
にこにこしているシュウに促され、ナマエはひどく戸惑っていた。はたから見れば新手のいじめのように見えるが、助けるすべはない。おまけに次は自分の番かもしれないと思うと、ズオ・ラウは肝が冷えた。
赤と青のとろ火に包まれる皿に向き直るが、どうやってつまんだらよいのかわからず逡巡するナマエを固唾をのんで見守る。やがてナマエは覚悟を決めたのか、打って変わって真剣な表情になり、皿へと手を伸ばした。
持ち前の瞬発力を駆使してブドウを人差し指ですくい取り、それをつまんで口に運んだ。
「……」
モゴモゴと口を動かして咀嚼を始める。その場にいる全員が何も言わずに見守っていると、ナマエが喉をならして飲み込んだ。
「尾長ちゃん、熱くなかった?」
シャオマンが恐る恐る尋ねると、ナマエはゆるゆると首を横に振った。
「熱いと思ったんだけど……思ってたより平気だった」
「うん、大丈夫みたいね。ヴィクトリアでは子供がやる定番の遊びだって話だし、このまま続けてもよさそうね。それじゃあ、二番手を決めましょうか」
ナマエ抜きでじゃんけんが始まり、負けたのはホーシェンだった。
パーに開いた手を見つめ、わなわなと震えていたが、観念したように手袋を脱いでポケットに突っ込んだ。するとナマエがホーシェンに向かって小さく手招きをした。ホーシェンは目をしばたたかせつつ、意図を察してナマエの方へ身体を傾ける。
「爪の先でぶどうを皿の端に移動させて、それから摘むといいよ。あと、急いでやらないと熱いと思う。がんばって」
「あ、ありがとうございます」
小声でのやり取りを、ズオ・ラウは聞き逃さなかった。貴重なアドバイスとして、頭の片隅にとどめておく。
ホーシェンは一度深呼吸をはさんで、手を伸ばした。人差し指を使ってブドウを皿の端まで弾き飛ばすと、それをつまんで口へと運ぶ。
「シャオホー、大丈夫?」
シャオマンが恐る恐る尋ねると、ホーシェンは頷いた。
「意外と。でも、気をつけろよ」
「うん」
三回目のじゃんけんで負けたのはシュウだった。先の二人の行動をじーっと眺めていた事もあってか、難なくブドウをつまんで口へと運んだ。
「……なるほどねぇ。たしかに、子供の度胸試しにはうってつけかもしれないわね。さ、次はどっちの番かしら」
「よーし、燭台くん。じゃんけんしよ!」
「はい」
四回目はシャオマンが負け、最後はズオ・ラウとなった。
シャオマンも前の三人の行動をきちんと見ていたようで、ブドウを素早く皿の端に寄せてからつまみ上げ、口へと運んだ。
「やった! できたよシュウ姉!」
「うんうん。良かったわね」
とうとうズオ・ラウの番が来たが、シャオマンとシュウの仲睦まじいやり取りはもちろん、それぞれの感想を聞いて緊張がほどけた事もあり、思っていたような恐怖はなかった。
狙いを定め、人差し指で弾いたブドウをつまんで口に運ぶ。
洋酒で炙った干しブドウは、存外美味だった。
「……一巡しましたが?」
「そうねぇ……じゃあみんなで適当に食べちゃいましょうか」
全員で皿を囲みながら、適当にブドウをつまんで食べる。皿に広がった火の勢いは増すことはなく、むしろだんだんと消えかかってきていた。徐々にアルコールが飛んでいるのだろう。
「けっこう美味しい。癖になるね」
「うん。これさ、アイスの上に乗せて食べたらもっと美味しいんじゃない?」
「それ、ただのラムレーズンだろ」
「あは、そうかも」
「もー、二人とも夢がない! 自分でやるからいいんでしょ!」
和気あいあいとした雑談を聞きながら、ズオ・ラウはシュウに視線を向けた。シュウは雑談する少年少女たちを目を細めて満足げな表情で見つめながら、時たまブドウを口に運んでいる。
「なぜやろうと思ったんですか?」
小声で尋ねると、シュウはズオ・ラウの顔を見つめ、ふっと笑みを形作った。
「さっきも言ったでしょう? ドクターが教えてくれたのよ」
「三人に怪我を負わせる危険性があったことはあなたも理解していたはずです。それでもなお強行したということは、深い理由があると思いました」
「……」
シュウはふ、と息を吐いて、ブドウをつまみあげた。皿の上の火はすでに消えかかっている。
「この遊びはね、ブドウを人間の魂に見立てて、煉獄の火から魂を救い出す……なんて意味合いがあるそうよ」
どこか遠いところを見つめながら言い、シュウはにっこり笑ってブドウを口に運んだ。
「美味しいわね」
ズオ・ラウは何も言わず、ブドウをつまんで口に運び、冷めてしまったお茶を飲んだ。
おそらくシュウなりの弔いなのだろうと思った。この場の誰よりも長い時を過ごしたシュウの目の前から去っていった者たちは、ズオ・ラウにはおよそ計り知れない。たとえシュウが何らかの気まぐれで自らの生い立ちを話してくれたとて、ズオ・ラウが理解するには年月が遠く及ばない。
三人に目を向ける。それぞれの理由で両親とは縁遠いシャオマンもホーシェンも、つい最近に家族を亡くしたナマエも、楽しそうに笑っている。
シュウの奇妙な思いつきは、そう悪くはないように思えた。
ズオ・ラウは、まあこんな日があってもいいでしょう、と結論づけた。
2025/11/02