※4巻(Depth:023~024)あたりの話 コンゴウは目を丸くし、海面に浮かぶ漂流物を見つめた。地平線に浮かぶ太陽の光に照らされ、ぬとぬとと滑る様な光を放ち、波に揺られる木箱たち。ちゃぷちゃぷと音をたてながら、波間に顔を覗かせるその様子は、いつ沈んでもおかしくない。木箱の他に、赤色や緑色の鉄の塊が見える。恐らくコンテナという物体だろう。荒波に身を任せ、頼る辺なしにゆらりゆらりと彷徨っている。 ちらほらと伺える、鉄の板。長さも厚さもそれなりにあるように見える。そんな鉄の板に一羽のカモメが舞い降りた。爪のついた足でしっかり板をとらえようとして、どうしてかつるりと滑って海に落ちてしまう。顔を出したカモメの顔は、黒い油で塗りたくられていた。 重油。羽ばたこうにも油がまとわりついて上手に空を飛ぶことができず、カモメは羽をたたんで波にぷかぷかと浮き始める。コンゴウの目にはその姿が心底困っているように映った。鳥の鳴き声などおよそ理解できないが、カモメの嘴からもれるか細い鳴き声はどうしてか泣き言のように聞こえる。不思議なものだ。 そんな、カモメが足をすべらせた鉄板に、しがみつく白い腕が見えた。最初は人形のたぐいか何かだと思ったが、どうやら違うらしい。 ――人間、だった。 鉄板に顔を乗せて、ぐったりしている。生きているのか死んでいるのか、コンゴウの目には判別がつかなかった。 戦術ネットワークにアクセスする。現在停泊中の近海で戦闘が無かったかログを探すものの、それらしいログは無い。範囲を広げてみるも、やはり無し。ならばこの漂流物がどこからか流れてきたと仮定し、ここ三日の戦闘ログを探すも、やはり該当するものは無かった。 コンゴウは顎に手を当てて、しばし思考にふけった。まず、日本近海はコンゴウ率いる第二航巡艦隊とナガト率いる第一航巡艦隊が封鎖網を張っている。とはいえ、イオナにキリシマ・ハルナの戦艦を撃破され穴を開けられてしまい、万全と呼べる状態ではない。コンゴウにしろ、封鎖網に意図的に穴をあけるよう指示を出している。まさかその穴を潜り抜けて航行する船があったのだろうか? ――可能性としては、考えられなくもない。イオナとキリシマ・ハルナ両者の戦闘は、おおむね各国の軍事関係者ならば存じているはずだろう。報道機関で大々的に報道されたかどうかまではコンゴウは知る由もないが、たとえそうだとするならば霧の艦を甘く見た船が出航するのも、致し方ないのかもしれない。 ぐったりした人間を観察する。身動きの一切をせず、もはや事切れたと伺えるのだが、そばに浮かぶカモメが忙しなく首を動かし、羽を広げ羽ばたこうとして諦める、といった動作を繰り返しているのが気になった。野鳥は警戒心が強い。天敵とみなすものには一切近寄らず、たとえ近づいてもすぐに離れようとする。けれども警戒するに値しない存在であるか、死んでいると判断すれば、平気でその上に留まり、羽を休めたりするものだ。 生きている。演算処理から導き出された結果――人間でいうところの直感がそう告げていた。とはいえ、コンゴウには助ける義理もない。もとよりコンゴウは人間という“もの”を、艦に乗せるなど考えた事がない。人の思考回路というものは、脅威的ではある。しかし何よりもまず、コンゴウにとっては助ける課程はもちろん、助けてから成すべき事を考えると、心底面倒くさかった。 唐突に、チャンネルにアクセスがあった。しかも、秘匿モードである。深い沈黙のあと、コンゴウは気だるげに許可を通し、通信に応じた。 『……ナガトか。何の用だ』 『お困りのようね、コンゴウ。人間が浮かんでいるとの事だけれど』 『ああ。船の部品、だろうか? それにつかまって浮いている』 海面に浮かぶ人間を冷ややかな目で見下ろしていると、ナガトがささやかな笑みをこぼす吐息が聞こえた。 『戦術ネットワークを探ったのだけれど、迎撃報告は見当たらない。とすると、事故による沈没かしら』 『……そうかもな』 機関部になんらかの障害が発生し、それにともない火災が発生。燃料に引火し、最悪のケースとして沈没してしまう、というのはありえる話だ。コンゴウも、それが可能性としては一番当てはまると思った。 『その人は軍人なのかしら』 『どうだろうな。そもそも重油がひどい。服の色の判別すらおぼつかないほどだ』 黒い泥かと思うような粘性を持つ油が、人間の身体にべっとりとまとわりついているのが見える。服を着ているとは思うのだが、油が染み込んでいてどこから服でどこから皮膚なのかという区別がつかない。その黒い油を見ていると、潮の匂いに混ざりこむ油くささが、否応無く強調されるのがわかった。 『私にわざわざ触れてきたという事は、拾えという事かな』 『いいえ。軍人であるならそれも考えるでしょうが……おや? 今しがた、戦術ネットワークにモガミが情報を上げてくれたわね』 『そうか。今確認しよう』 コンゴウの目がチカチカと瞬く。チチチ、と静電気のような音が発生する。ネットワークにアクセスする際、メンタルモデルは決まってこうなる。最初こそ気になったものの、今となってはそれが当たり前だ。 モガミがアップロードした情報に、コンゴウはすぐたどり着くことが出来た。昨晩、海上を航行する商船を一隻、モガミが捕捉したとの情報だった。しかし、陸地に近かったため、迎撃行為は行わなかったとの事である。 『どう? 関係ありそうかしら?』 『わからんな。……仕方が無い、面倒だが引き上げてみよう』 『そう。では、一旦回線を切りましょう』 『ああ。一応、ネットワークに情報はあげておく』 通信が切れたのを確認し、コンゴウはその場から立ち上がった。艦橋から甲板へ降り立ち、手すりが設けられた淵へと移動する。身を乗り出して海面を見つめ、コンゴウは思案するとほぼ同じくして、右手で口元を覆った。 ナノマテリアルは充分ある。それを利用し、何かしら装置を作るか、もしくは自分の分身を作って、救助にあたらせるか。たとえ救助できたとして、まとわりついた重油の処理はどうしたらいいのか。戦術ネットワークにアクセスし、重油の処理について調べる。洗剤、それも安価で手に入る中性洗剤や、シンナーが有効だという情報を見つけたが、しかしこの艦にそういったものはない。そもそも、人を救助したところで、食糧などはないのだ。もしかしたら近くに浮いているコンテナの中に食糧が入っているのかもしれないが、どのくらいの重さかわからないコンテナの引き上げなどおよそ不可能に近い。おまけに水面に浮かぶコンテナの数は片手の指で足りるほどだ。もしそれらの中に食料が入っていない場合、自分のナノマテリアルを消費し、それで補ってやらねばならない。 「……めんどうくさい」 コンゴウは無意識のうちに口癖となった言葉を呟いた。 まずコンゴウは自分、――つまり甲板が汚れない事を第一に考えた。引き上げにはメンタルモデルの小型分身を20体用意し、その半数に潜水服を身にまとわせ、海に放り込んだ。小型分身たちは油の海の中を泳ぎ進み、カモメと人間を回収して艦のそばまで戻ってきた。甲板の上で待機していた分身が縄を降ろし、まず小型分身の一体がカモメを頭の上に止まらせてのぼってくる。コンゴウはすぐにナノマテリアルで重油を分解した。洗剤を用意するよりも、ナノマテリアルの分子を変え、洗剤の成分を作ってしまったほうが早かった。使用済みのナノマテリアルは砂となって海面にパラパラと落ちていく。海が汚れる心配はない。 次に甲板の分身たちがビニールシートを海面にいる分身たちへロープを使って降ろした。ビニールで人間をくるみこみ、ビニールシートの端にあるハトメにロープを通していき、ぐるぐる巻きになった人間を甲板の上の分身がせっせと引き上げていく。 引き上げ作業が完了するなり、甲板に横たわってぜえはあぜえはあと息を吐く分身たちだったが、次の瞬間にはせっせと忙しなく動いて、ビニールシートを開いていく。横たわった人間があらわになる。コンゴウは油を落とすよりも先に、まずは人間を観察した。 背格好はコンゴウのメンタルモデルよりも小さい。歳はおそらく10代から20代前半と推測される。瞳は閉じたまま、唇は青く変色している。小型分身の一人がトコトコと人間のそばに近寄り、そっと口元に手を当てた。しばらくして手を離し、コンゴウのほうに両手を使って丸を作るポーズをとる。呼吸はしているとの事らしい。それから分身は体のあちこちを検分し、結果、人間の身体に特に異常はないと伝えてきた。怪我は無いという事らしい。なんとも運のいい事だ。 さっきと同じ容量で重油を落とす。さすがに服についた重油は完璧に落ちず、黄色く変色してしまったが、ようやっと服装がまともに把握できた。細い肩紐のワンピース。およそ軍服とは真逆のものである。軍人ではなく、どうやら一般人らしい。一通りわかったことを戦術ネットワークにアップロードしてから、コンゴウは海面に浮かぶ小型分身たちがコンテナに群がるのを見守った。 引き上げるよりもまず中身を判別してからとコンゴウが思考すると、その意思がすべて小型分身に伝わる。小型分身たちは複数のグループに分かれてコンテナの上によじのぼると、ナノマテリアルで道具を作り出し、コンテナに穴を開けて中に飛び込んでいく。探索する小型分身から目を離し、コンゴウは横たわる人間に視線を戻した。甲板に置いたままにしておくのもどうかと思い、コンゴウは迷う事無く人間を抱き上げると、艦内へ通ずる階段へと向かった。小型分身が5体、コンゴウの後ろについてくる。 コンゴウはまずめぼしい場所に即席の脱衣所および浴場を作った。脱衣所にもともとあった椅子に座らせ、小型分身にあとを任せる。わらわら群がった分身たちは服を脱がせると、力を合わせて人間を浴室へと運び込む。それを見送ってから、コンゴウはその場を後にした。途中、人間用の部屋を作り、浴室にいる小型分身たちへ場所を伝えた。 通路を歩くすがら、海にいる小型分身たちに連絡を取ると、すぐに返答がきた。コンテナに入っていたものを次々に伝えてくる。ハンドガン、マシンガン、手榴弾、ロケットランチャー。食糧とは程遠い中身が20ftコンテナのほぼ全てに詰め込まれているという事実に、コンゴウは一度驚愕で目を瞠り、その場に立ち止まる。しばらく間を置いてから、再度歩き出した。一応戦術ネットワークに情報を上げておく。 しばらくして、人間に湯浴みをさせていた分身たちから連絡が入った。風呂から上がったところ、意識を取り戻したらしい。恐らく体が温まったせいによるものだろう。人間はひどく困惑しているようだが、空いている一室のベッドに横たわらせると、大人しくなったとの事だった。とはいえ、喉は渇き、腹が空いているらしく、とりあえず分身は適当にナノマテリアルで生成した飲み水をあたえたという。 人間の意識ははっきりしており、眠る素振りはない。ともすれば会って話をするのがいいかもしれないとコンゴウは判断した。ついでに何か食事でも持っていってやれば、さらに話が通じやすいとも考えた。 人間とはまず何を食べるのか。知恵としては理解しているが、しかし実際にナノマテリアルで作るとなると、問題が生じた。味はもちろんのこと、食品の温度、量、すべてにおいてコンゴウには馴染みのないものだった。ヤマトやズイカクは甲板で植物の栽培を行ったり、自分で魚を釣り上げて調理し食事をしたりしているようだが、コンゴウはそういった面倒な事を自ら進んで行わなかった。 調理場を作って足を踏み入れたはいいが、コンゴウには何をしたらいいのかわからない。手始めにネットワークを探ってみるが、それよりもまず丸一日もの間海を漂流し、体力を消耗した人間が、ごく普通に食事などできるのだろうか。悩んでいると、ふいにナガトが触れてきた。 『日本には、病人食、というのがあるそうよ』 『……病人食?』 尋ねると、ご丁寧にネットワークへのリンクを持ってきてくれた。開くと、ただの真っ白な白米を煮込んだだけのレシピが表示される。 『他には、雑炊だとか。……まあ、普通にスープのほうがいいかもしれないわね』 『……簡単なものでお願いしたい』 『だとしたら、さっきのお粥かしら。分子レベルの構成表を転送するわ。とはいえ、私たちもあまり料理の話には詳しくないから、ズイカクあたりを頼ったほうがいいかもしれないわね』 それっきり、通信が遮断されるのがわかる。その代わりに、コンゴウに向けてあるデータがネットワークにアップロードされていた。ナノマテリアルをどういう分子へ変換し、それをどのくらい組み立て、それらをどのくらいの量調合する事によって何ができあがるかという初歩中の初歩といった説明だった。 それを読み解きながら、コンゴウは右手を動かし、まずナノマテリアルで器を作る。さっきみた粥のレシピは湯気が出ていたので、恐らく熱いのだろう。器の周囲に熱を持たせ、ナノマテリアルを合成して粥を作った。味はどうなのか、コンゴウにはわからない。かといって味見をする気にもならなかった。あとは適当にスプーンとグラス、それら一式を乗せるトレーを精製し、人間がいるという部屋へ向かう。 扉をノックすると、部屋の中からはい、としっかりした応答が返ってきた。コンゴウは失礼すると言葉だけで答え、扉を静かに開ける。 ベッド以外に何も無い部屋だった。コンゴウが使用している部屋ではないので、当たり前と言えば当たり前の話だ。 「調子はどうかな」 「……あっ、は、はい。見ての通りです。大した怪我もなく」 「そうか。ならばいい」 話の最中、手にしているトレーを置くサイドテーブルが欲しかったので、ベッドの脇にナノマテリアルで精製すると、人間の体がビクッと震えた。忽然と現れたサイドテーブルを凝視し、固まっている。 「驚かせたかな」 「えっ……と。……今のは?」 人間は不思議そうに、コンゴウとサイドテーブルを見比べている。今の現状を理解できない、といった様子だ。 「今のは、何だと思う?」 「……ええと。……手品?」 手品、とは人間の錯覚を利用し、ありえない事をやってみせる事だとコンゴウは記憶している。つまりその類の行為であると、人間は判断した。……いや、表情からするに、まず自分の思いつく限りでの単語を当てはめたといったほうが正しいかもしれない。人間はひどく困惑した様子だった。 コンゴウはとりあえずサイドテーブルにトレーを置き、ベッドの脇に椅子を精製する。これにもまた、人間は驚いた。コンゴウは気にせずそこに腰を下ろし、足を組む。 「まず、貴女は我が艦に救助された」 「はい。それについては、何と申し上げたらいいのか……。本当に、ありがとうございます」 人間が深々と頭を下げる。 「そして我が艦は、霧の艦隊第二巡航艦隊旗艦、コンゴウという」 「……え?」 顔を上げて、首を傾げて、固まった。 「ああ。貴女の命を奪うつもりはない。それに関しては安心して欲しい」 「……え、ええと。ちょ、ちょっと待って。……待ってください」 人間は右手を振ってコンゴウの話を遮り、右手でこめかみをおさえる。あちらそちらに視線を向けるその様子からして、どうやらこの状況について精一杯考えているようだった。 「いくつか質問をしてもよろしいでしょうか?」 「構わない」 「まず、私はこれから先、日本に戻れるのでしょうか?」 「今のところ、その予定はない。当分の間は、この艦にいてもらう」 「わ、かりました」 腑に落ちない、といった表情ではあったが、けれどもしっかりと頷いた。 「ここは、霧の艦、なんですよね?」 「そうだ」 「あなたは、いわゆるメンタルモデルというやつで、人間ではない?」 「うん。その通りだ」 「ええと、……そ、そうだっ! わ、私っ! 私の乗っていた船はっ!?」 今さらになって思い出したのか、唐突に声を荒げ身を乗り出してくる。 「まず私が貴女を拾ったのは停泊しているこの場所でだ。よって船がどうなったかは私は存じ上げない。霧の艦のネットワークを通じても、何が原因で沈没したかどうか、はっきりしていない」 「ち……ちん、ぼつ?」 「そうだ。海流に沿って重油の帯ができている。貴女はその重油の海の中、コンテナに紛れ、浮かんでいた。沈没したと判断できる要因は揃っている」 「そう。……そう、ですか」 一人ごちるように呟き、がっくりとうなだれてしまった。 「何があったのか覚えていないのか?」 「……んーと。……爆発音がした事は覚えてます」 「爆発音か」 「はい。操舵室のすぐそばの、職員の休憩所で待機していたときでした。ボーンって音がした瞬間、海に投げ出されて、必死にもがいて、何かを掴んで、……それで、気付いたらこの艦に」 「なるほど」 コンゴウは一度頷いて、思考を巡らせる。おそらくこの人間が助かったのは運によるところが大きいだろう。海で遭難した場合、気を失えば普通は死ぬ。 「こちらからもいくつか質問してもいいだろうか?」 「……ええ。構いません」 「まず貴女の名前と職業。乗っていた船に関する詳細を」 簡単に教えてくれるかどうか些細な不安がコンゴウの中を過ぎったが、しかし目の前の相手はすぐに口を開いた。 「私は、苗字名前といいます。16歳。職業は学生。乗っていた船は苗字港運の貨物船です」 「苗字名前か。……ん? 社名と苗字が一緒だな」 「はい。苗字運輸は父の会社なんです」 「ふむ」 コンゴウは顎に手を当てて、とりあえず今まで耳にしたことを戦術ネットワークへアップロードした。 「苗字運輸の業務内容について知りえる事は?」 「……その、全く。私は末っ子で、しかも女だから、会社の一切に触れる事を許されなかったので。今の学園を卒業後は軍に入る予定でした」 「……なるほど。では、貨物船の荷物の中身も、理解していないという事かな」 「ええ。各地に運ぶ食糧か何かでは?」 「一緒に漂流していたコンテナの内部を見させてもらったが、その全てに武器が入っていた。心当たりはないか?」 「……武器?」 「銃火器のたぐいだ。20フィートコンテナ4つの全てに、それらがぎっしりつまっていた」 「銃火器、というと……拳銃とか?」 「そう。拳銃からプラスチック爆弾、対戦車用ミサイルまでさまざまだ」 名前はえっと呟いて、そのまま固まってしまった。数秒たってようやく、あたふたと忙しなく慌て始める。 「ま、ままま、まって!? それ、本当なの!?」 「信じがたいようだが、本当だ。言っておくが、たかが学生の君を貶める嘘をついたところで私たち霧の艦隊にめぼしいメリットもデメリットも発生しない。嘘をつくに値しない、という事は理解してもらおう」 名前は一度唸り、考え込む。 「全然、心当たりがありません」 「そうか。……コンテナ内部に偽装が施してあった。だとするなら運輸する側は何も知らずに運んでいた可能性が高いようだな」 名前は頷く事も首を振ることもしない。ただ口を引き結び、何かを堪えるようにして、ぎゅっとシーツを掴んでいる。 「苗字名前。どうして貨物船に乗っていた?」 「北海道の分校に向かう事になって……。ちょうど貨物船が北海道に向かうとの事だったから、こっそり乗せてもらったんです」 「なるほど」 コンゴウは一度頷いた。それから今まで得た情報を整理し、戦術ネットワークへ即座にアップロードした。そのついで、苗字運輸に関しての情報がほしいという要望もあげておく。 「まずはゆっくり休め。一応食事は作ったが、食べられそうか?」 一度トレーに視線を向け、それからコンゴウは名前の顔へ視線を戻す。名前はきょとんとした表情でトレーを見つめたあと、コンゴウの顔を不思議そうに身ながらおずおずと口を開いた。 「作ってくれたんですか?」 「……ナノマテリアルでな。味の保障はしない」 「ナノマテリアルって、こんな事もできるの……」 いたく感心した様子で呟く。 「食べられそうか?」 「はい。食べてみたいです」 コンゴウは椅子から立ち上がり、サイドテーブルに置いたトレーを名前に手渡した。名前はトレーを受け取るとそれを太ももの上に置き、まじまじと器の中の粥を眺める。 「この食器類は、艦に積んであったの?」 「いや。さっき作った。何か変だっただろうか」 「ううん。どこも変なところはない。……ナノマテリアルって、すごいのね」 ただのひとつの因子が、構成を組み替える事によってあらゆるもへと変貌する。鉄やアルミ、または鉱石と呼ばれるものから、人が口に入れても平気なデンプン、タンパク質へと、さまざまなものへ。人間が海を統べていた時代にはおよそなかったであろう物質に触れ、名前は感激している様子だった。 「いただきます」 手を合わせてからスプーンで粥を掬い取り、口に運ぶ。もくもくと口を動かしながら、名前はコンゴウへ視線を向けた。 「ま、まったく味がしない……!」 衝撃的、といった様子だった。 「それは私が粥というものを口にしたことがないからだ。どういった風味であるか、私には予想がつかない」 「でも、食感はお粥そのもの。すごく不思議!」 「そうか」 褒められているのか、けなされているのか。コンゴウにはよくわからなかった。とりあえず名前は嬉しそうに食べているし、悪い気はしなかった。頷くだけにとどめておき、名前が粥を食べるのをじっと眺める。 「……あ、あの」 「どうした、苗字名前」 「じっと見られると、ちょっと食べにくいというか。……あと、フルネームで呼ばれるのはちょっとね。名前でいいから、名前で」 「……名前?」 「うんうん」 名前が心底嬉しそうに頷いた。何が嬉しいのかさっぱりわからず、コンゴウは僅かに首を傾ける。 「……そういえば、あなたの事は何て呼べばいいの? コンゴウ?」 「それでいい」 「コンゴウ。……金剛石のこと?」 「……私の名前の由来だろうか?」 「うん。ダイヤモンドなのかなと思って」 「名前、君は学院生だろう。過去、旧帝国時代の艦の由来などについての学はあるのではないか」 「ええと、巡洋艦『能代』の由来は秋田の川だとか、霧の艦のコンゴウのモデルとなった戦艦『金剛』の名前の由来は奈良と大阪の間にある金剛山だとか?」 「そう。それが私の名前の由来だ」 「それって、昔の話でしょ? 帝国時代の金剛と、今のコンゴウは似ているようで全くの別物じゃない。……コンゴウは、あんまり山って感じがしないけど。どちらかというと、石のほうが似合ってるかなって」 「……褒め言葉なのだろうか」 「うん。そう受け取ってくれると嬉しい」 「ならばそうしよう」 今までの会話をすべてネットワークにアップロードする。何かしら意味があるかはわからないが、けれども興味のある艦は覗きにくるだろう。現にハルナが今ちょうど、そのデータにアクセスしていた。単語集めを趣味としているハルナの事だ、めぼしい単語が無いか見に来たのかもしれない。あるいは、今ちょうど刑部蒔絵保護の任務にあたっているので、何かしら情報を収集したいというところか。 「では、私は上へ戻る。小型分身を一体残しておくので、何か用があったらこれに話しかけてくれ」 「ええと、上って?」 「艦橋だ」 「……元気になったら、私も行ってもいいの?」 コンゴウはまばたきを繰り返す。そのたびにチ、チ、と静電気のような音がした。名前の反応がどうにも意外で、前例はないものかとネットワークを探りつつ、コンゴウは言った。 「名前、君は私に対する恐れがないのか」 「恐れ。……ああ、霧の艦が怖い、とか?」 「そうだ」 大抵、霧の艦を前にした人間は畏怖するものだが、名前の態度を見る限りそうは見えない。まっすぐな好奇心のみが伝わってくる。 「17年前の大戦にしろ、霧の艦とのいざこざがあったのは私が生まれてない時だから、正直なところよくわからないの。学園の方では霧の艦は撃破せねばならん存在だとか学んだけど、実際会ってみたら、そうでもなかったし……」 好意的に見られている、との事らしいが、コンゴウは喜ぶべきなのか悲しむべきなのか判断がつかなかった。 「第一、助けてもらった人――あ、いや、霧の艦を怖がるのもどうかと思うし。この状況で怖がっても、別に事態が好転するわけでもないから」 「そうか。別段緊張しているという様子には見受けられないが、その通りであると?」 「うん、そうだね。……私、体術とか、火器の扱いはてんで駄目だけど、精神面の訓練では学年トップなんだ」 「精神面?」 「嘘発見器とか、まあ拷問? とか設問とかの訓練。これだけは自慢できるの」 「……いわゆる、鋼の精神であると?」 「そう。何事も自分を見失わず、周囲を励まし鼓舞させる。過去の陸戦海戦において、極地で自分を見失った長がいる班の末路は凄惨たるものだから」 「……そうか。であれば戦術にも精通しているのか?」 「基礎戦術の事であれば中の下。だから期待はしないで。あと本格的な戦術は、次の学年から学ぶの」 「なるほど。……まあ艦橋や甲板に移動するくらいなら、行動の制限は設けない。ただ武器庫や機関室、操舵室などは遠慮してもらおう」 「はい。わかりました。……ええと、コンゴウ。ひとつ質問しても?」 「何かな」 「この艦に、トイレってある? 行きたくなったときのために場所を教えてもらいたいのですが……」 「……すまない。そういった設備はない。ここの通路沿いに、作っておこう」 それから二言三言会話し、コンゴウは部屋を出た。通路を歩きながら、めぼしい場所にトイレの個室を精製しつつ、会話ログの残り全てを戦術ネットワークにアップロードする。 『コンゴウ』 『……キリシマか。どうした』 甲板に出た所で、キリシマが対話を申し入れてきた。 『ハルナとともにログと、キリシマの動向を見させてもらった。お前が人間を拾う事になるなんて、意外だな』 『私もそう思うよ』 『それでだ。今私たちの状況は理解しているだろう?』 『ああ』 『ちょうど刑部邸にいる。その運輸会社について、何か探りを入れてみようか』 『……そうだな。そうしてもらえるのであればありがたい。任せる』 『了解』 通信が遮断される。コンゴウはふうとため息を吐いてから、あらためて甲板を見た。海から上がってきた油まみれの小型分身たちが、二人一組になってせっせと油汚れを落としている最中だった。コンゴウは近寄ると小型分身を消滅させ、油汚れをナノマテリアルで適当に処理していく。綺麗になった甲板を満足そうに見たあと、次は海面へ視線を向けた。相変わらず黒い油が漂っている。 海で重油まみれになった先ほどのカモメだろうか、鉄柵にちょこんと止まっている一匹のカモメと目が合った。手を伸ばすとカモメは誘われるように翼を広げ、コンゴウの腕に止まる。やや脂臭さの残るカモメを留まらせたまま、コンゴウは艦橋へ足を踏み入れた。 最上階の見張り台まで来ると、いつものようにその淵に腰掛けた。群がるカモメたちと戯れながら、クラインフィールドを展開しなおす。機関部のエンジンを動かすと、轟音とともに波飛沫があがった。驚いたのか、腕に止まっていたカモメが飛び立つ。 もうここにいる必要は無い。巡航経路に戻るべく船が前進し始めると、波間に漂うコンテナが大きく傾き、コンテナの上部にぽっかり開いた大穴に海水が流れ込む。その際海水によって押し出された空気がボコボコと立ち上り、重油がマグマのように泡立つ。沈むコンテナを一瞥したのち、コンゴウは地平線へと目を向けた。 2014.11.14