今日は雨だからか、いつも以上に車内は混んでいた。電車がゆらゆら揺れるたびに、人もゆらゆら揺れて、そのせいで入り口の近くに立つわたしは押しつぶされそうな形になる、…っていうのがいつものわたしなのだけれども。今日は何でか、まるで鉄壁のようにわたしの前に立ちはだかるケンちゃんがいたので、そんなに押しつぶされるような事はなかった。ケンちゃんはわたしの顔の横に手を突いて、そうやって身体を支えているんだろうけれど、わたしとしてはいろんな意味で大変です。
「大丈夫?」
 ぼそぼそと優しげな声が上からふりかかってきて、わたしは必死に何度も頷いた。どうしてもケンちゃんの顔を見れなくて、ケンちゃんのYシャツのボタンをじーっと見つめる。昔はこんなにどきどきしなかったのになあと小さくため息を吐いた。
 小学校のときは身長差なんて10センチくらいしかなかったのに(それ以上だったかわからないけど)、今はそれをはるかに上回っている。中学にあがってからケンちゃんはぐんぐん背が伸びてしまった。運動部に入っていないっていうのに、なんでこんなに背が高くなっちゃったんだろうなあと疑問に思う。バトミントンやってたわたしとは大違いだ。とりあえず、ケンちゃんはもうすぐでお兄ちゃんを追い越してしまうと思う。
 ぐらりと車体が傾く。カーブに差し掛かったみたいで、カーブの外側のほうに立つ人たちが自然とこっちのほうに傾いてくる。ケンちゃんの手が置かれた、わたしの後ろのドアが小さく軋んだ。耐え切れなかったのか、ケンちゃんの身体が傾く。おでこにケンちゃんの制服が触れる。ちょっとびっくりした。
 条件反射、っていうのかよくわからないけれど、ケンちゃんの学ランをつかむとケンちゃんが息を飲んだような気がした。
「っ、ごめ…」
 か細い声で呟いたあと、ケンちゃんは身を引こうとしたけど、無理だったらしい。カーブを通り過ぎた後でも、ケンちゃんはそのままの状態で落ち着いた。さっきよりケンちゃんと近くなったせいか、ケンちゃんの静かな息遣いとかが聞こえてきて、もう頭は真っ白だった。ぎゅーっとケンちゃんの学ランを握って俯く。気恥ずかしさを紛らわそうとケンちゃんのスニーカーをじーっと見つめてたら、電車が揺れて、肩にかかってた髪がさらりとこぼれた。
 唐突に、その髪をつままれる。すばやく耳にかけられて、わたしはびっくりして跳ねるようにケンちゃんを見上げた。するとケンちゃんもびっくりしたような顔をつくって、それから気まずそうに視線を泳がせた。じわじわと、ケンちゃんの顔が赤くなる。
「ご、めん」
「ううん」
 首を振って、顎を引いた。ケンちゃんの顔からYシャツのボタンを視界におさめる。なんか、やっぱり、やばいなあ。 ケンちゃんは無駄にかわいくて無駄にかっこよすぎるからだめだ。どきどきしっぱなしの心臓は羊を数えればおさまるかなあと、わたしは必死に羊を数え始めるのだけれども。
 26匹、27匹くらいまで数えた頃だったと思う。ふっと電車の蛍光灯の明かりが遮られて、顔を上げた瞬間、ほっぺたにやわっこい感触。思わず悲鳴をあげた。…心の中で、だけど。
「ケケケケケンちゃん?」
 どもりながらケンちゃんの名前を呼ぶ。でも場所が場所だったからなのか、無意識に声のトーンは落としていた。ケンちゃんの学ランを引っ張って見上げると、ケンちゃんがまた身をかがめた。さっきとは違う場所に柔らかな感触。ややあってからケンちゃんはそっと唇を離した。わたしは内心あわわわわと呟きながら、そろりと辺りを見回してみるけど、こっちを見てる人はいない。意図的に見てないのかもしれないけど、それだけでもほっとした。ケンちゃんが覗き込むようにわたしを見てくるから、むーっとにらみ返すと、ケンちゃんはほっぺたをほんのり赤くしたまま苦笑した。正直、その顔はずるすぎる。
 ケンちゃんはドアから右手をそっとはなして、学ランを握ってるわたしの左手を優しくつかんだ。ゆっくり下ろしながらも、ゆるゆると指を絡めてくる。びっくりしてわたしが息を呑むと、ケンちゃんはなんだか嬉しそうに笑った。やっぱりケンちゃんはずるい。

2008/??/?? 日付不明

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