「ケンちゃん、もーちょっと右」 言われて、僕は右側に少しだけ移動する。いいよーと声がかかると、僕はそこで立ち止まった。 「にゃー、こわくないよー、にゃー」 言って、ナマエが枝に手を伸ばす。枝の上に乗っている真っ白い塊からフシャーッと威嚇するような声が聞こえた。にゃーって言っても意味ないのになあと思うけれど、ナマエ自身もそれをわかってるだろうから言わない。 「もう…ちょっと…っ!」 そんな小さな呟きとともに、首が柔らかいもので圧迫される。なんでこういうときに限ってナマエはスカートなんか穿いてるんだろうと、心の中で盛大にため息を吐いた。ていうか普通、この歳で同い年に肩車させるってどうなんだろう。なんだか考えるたびにどきどきしてむかむかしてもやもやして、それを振り払うようにナマエへの不満をつらつら並べて、そしてどきどきむかむかもやもやして……まるで悪循環だ。つまり僕は、ナマエからは“そういう風”に見られてないってことだ。長い付き合いだから仕方ないのかもしれないけど。 「ギニャッ!!」 「わっ」 猫の声と、ナマエの声がほぼ同時に重なると、ナマエの手を伝って猫が勢い良く下りてきた。最後にナマエの太ももにしがみついてから、猫は地面に降り立つ。ととととと、と軽やかな足音が聞こえて、ちょっとほっとした、のもつかの間。 「わーっ、わーっ!? 落ちるっ!!」 思いっきり髪の毛をつかまれる。痛い、と言う前にナマエの手で口をふさがれた。首のあたりに太ももを押し付けられる。天国と地獄を一気に味わった気分だ。僕は痛みに堪えながら、ナマエが落ちないようにナマエの足をぎゅーっと押さえつけた。しばらくすると、落ち着いたのか、力が緩む。 「ご、ごめんケンちゃん…髪引っ張っちゃった」 ナマエはそろそろと手を離しながら呟く。その言い方が本当に申し訳なさそうで、怒る気なんて元々なかった僕は逆に罪悪感を感じてしまった。 「いいよ、そんなに痛くなかったから」 「ご、ごめんね」 「それより、下ろすよ?」 うん、ってちっちゃく呟くナマエ。そんなに落ち込まなくてもなあと、ため息を吐きそうになる。ゆっくりしゃがんで、これでもかってほど頭を下げる。そうしないと僕的にいろいろまずいのだ。何がまずいかは言わないけど。 首からぬくもりが離れる。僕の後頭部をナマエのスカートの裾がかすめていった。顔をあげる。柔らかそうな太ももに、赤い三本線がついていた。慌てて目をそらしたけど、赤い色が脳裏に焼きついて離れない。 「…ひっかかれた?」 立ち上がりながら聞くと、ナマエは申し訳なさそうに苦笑した。僕は無言でナマエの手を引っ張って、木陰のほうにあるベンチに座らせた。近くにちょうど良く水道があるから、僕はポケットからティッシュを取り出して、それを濡らした。軽く絞って、ナマエのほうに戻る。赤色が浮き出た箇所にそれを押し付けると、ナマエが顔を顰めた。びくり、と身体が震える。 「しみる?」 「大丈夫。へーき」 平気じゃないくせと思いながら、濡れたティッシュを傷口からはなした。まだちょっと出血してるけど、そのうち止まるだろう。傷はそんなに深くはない。 「ケンちゃん、ごめんね」 「? 何が?」 「かたぐるまさせちゃって」 俯くナマエの耳は赤い。もしかしたらと思うけど、ナマエだから絶対にあり得ない。でも、もしかしたら、とまたぐるぐる思考の罠にはまる。もやもやが鬱陶しい。いつから僕はこんな風になったんだろう。昔は、ずっとカンナと3人で一緒にいれるものだと思っていたのだけれど。 「いいよ。猫、助かったし」 ナマエのお兄さんがやってるみたいに、ナマエの頭を撫でる。くすぐったいよーと、ナマエが僕を見上げて笑う。にこーっと笑うその顔を見て、独り占めしたいなあと、そんな事を考えてしまった。…どうにも、あれだ。フミエがいないから変なことを考えてしまう。にこにこ笑うナマエを見て、もやもやする。 ――僕はいつまで、ナマエと『おさななじみ』を続けられるんだろう。一生『おさななじみ』だったらイヤだなあと思うけど、かといって『おさななじみ』の枠から外れたらナマエとのつながりがなくなるみたいで、それもイヤだなあって思う。でも、ナマエを誰にもとられたくはない。僕って独占欲が強いほうなんだなあと、あらためて思い知らされた。こんな僕を知ったらナマエはどう思うんだろう。気持ち悪いって思うんだろうか。未知の世界だ。ここでナマエに好きだって言ったら世界はぐるっと変わるのだろうか。想像して、どうしても、悪いほうへと思考は進む。 「ケンちゃん、ボーっとしてるけど、だいじょうぶ?」 「あ、うん。大丈夫」 要は、僕はこの状況を変えることすらできない、勇気のない、臆病者なのだ。 2008/??/?? 日付不明 戻る