※フェチ系注意 同居してる


「あがったねー。気持ちよかった?」
 風呂から上がってリビングに入るなり、がそう言って微笑みかけてきた。静雄は首にかけたバスタオルを手持ち無沙汰に掴んだまま、静かに頷いてみせる。その返答に満足したのか、は「そっか」と小さく頷いて、静雄から顔をそらした。そのまま正面を見据える。そこにはテレビが置かれているのだが、静雄がいるとき、は必ずテレビを消す。おそらく静雄に気を使っているのだろう。それが静雄には嬉しいような気もするし、悲しいような気もする。
 静雄はぺたぺたと足音を立てながら、リビングとつながった形のキッチンに入り、食器棚から適当にマグカップを出して、冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り出した。カップに注いで口をつける。
「ぉ、おおぉお~!」
「うおっ!? な、なんだ、いきなり奇声あげて」
「今すごくいいとこをね、……あー」
 がのけぞるように身もだえしながら、恍惚とした表情を浮かべ、細長いため息を一つ吐く。その奇怪な行動を目にし、静雄は眉間にしわを寄せ、怪訝そうにちょこちょこと移動しに近づいた。そして、の手にある細長い棒をみとめるなり、納得したような顔つきになり、
「ああ、耳かきか」
「そそ。……あ、そうだ。静雄くんにもしてあげよっか? 耳かき」
「いや、いい」
「今ならなんと膝枕つきで無料! 破格のお値段! ばばーん! どうですか!?」
「話聞けよな。……つか、風呂から上がったばっかだし、髪塗れてんだけど……」
 言いながら静雄は、自分の前髪を上目で見上げた。脱衣所で軽く拭いたつもりだったが、それでもやはり自分の髪が水を含んでいるのを感じる。
「じゃあ、5分待つ!」
 パーに開いた右手を突きつけてくる。
「俺に拒否権はねぇのか」
 静雄は言いながら苦笑を浮かべ、マグカップの中身を飲み干す。空になったカップをテレビの前のテーブルの上に置く。
「あるけど……いや? いやなら、無理強いはしない」
「……髪、乾かしてくる」
 静雄がそう告げると、がひどく嬉しそうに「うん!」と頷いた。
 ――どうにも勝てない。
 静雄は小さく息を吐いて、俯きがちになりながら脱衣所に向かった。
 どうしたら覆せるか。髪を乾かしている間に考えたが、さっぱり思いつかない。そもそもこういう局面で、相手に優位に立てたことは今まで一度もあっただろうか。記憶を穿り返してみるが、思い当たる事柄は皆無だ。無性に悲しくなってくる。
 ドライヤーを棚にしまい、バスタオルをハンガーにかける。湿気がこもるとよくないので、脱衣所と風呂場の換気扇は入れたまま、脱衣所を後にする。
「おーきた。おいでおいでー」
 戻るなりこれだった。静雄の姿を捉えるなり、が太ももをぽんぽんと叩きはじめる。のその表情がやけに爽やかで、何か裏があるんじゃないかと身構えざるを得ない。
「な、何で妙に警戒するかなぁ……ほら、こっちきて」
 再度ぽんぽんと太ももを叩く。しぶしぶといった風に足を踏み出し、とりあえずの隣に移動する。何が楽しいのか、にこにこ笑ったままのの顔を見下ろしながら、静雄が恐る恐る腰を下ろすと、はひときわ笑みを濃くして。
「ふふー。静雄くんからすごくいい匂いが」
「……やっぱいいわ」
「ああっ、ちょっ、待って! 行かないでー」
「いちいちうるせぇんだよ手前は」
「ごめんなさい。じゃあ、できるだけ静かにします」
 和やかな声のあとに、再度ぽんぽんと太ももを叩く。静雄はの表情と太ももを見比べる。
「はい、ごろーん」
 催促するように袖を引っ張られ、観念したように息を吐いた。に背中を向けるようにして、ぎこちない動作で身体を傾ける。
 おずおずと太ももに頭を預けてようやっと一息つくと、
「緊張してる?」
 言われて初めて、静雄は自分の身体が妙に強張っているのに気がついた。
「いや」
 それでもかぶりを振ってみせると、お見通しといった様子のがくすくすと肩を振るわせ始める。
「もっと力抜いてもいいのに」
「抜いてるっての」
「膝にぜんぜん体重かかってこないよ?」
 催促するようなその声に、返す言葉がない。
 呼吸一つぶんの無言のあとに、小さな笑い混じりに優しく頭をなでられる。くすぐったさから逃げるように顔を背け――……ようとした静雄だったが、薄い布越しに、頬に伝わる柔らかさと、くすぐるような甘い香りに気づくと、ビクっと身体を強張らせた。生唾を飲み込む。
「力ぬけー!」
「……っ! ぅゎ、ちょっ、……ヒっ! ばっ、やめろっ!!」
 静雄の変化に気づいたらしいがいきなり叫んで、静雄の首の後ろからTシャツの中に手を滑り込ませた。自分のとは違う体温が触れ、静雄の肩がビクッと大きく震えると、はするりと手を引っこ抜き。
「うわあ、敏感肌だー」
「うるせぇ!」
「世界が嫉妬する感じの」
「どこがだ」
「んー、このあたり?」
 の人差し指が、静雄の背中をつーっとなで上げる。
「っ! や、やめろって言ってるだろうが!」
「あ、ごめん……」
 の手がぱっと引っ込んだ。謝る声がひどく不安そうなものを孕んでいて、静雄は釣られてを見上げる。
 やっぱりというか、気遣うような表情のが静雄を覗き込んでいた。
「ほ、ほんとにごめんね?」
「……っ、……くそ」
 怒る気力などどこかに消えてしまった。悪態を吐きながら顔をそらす。
 しばらくして。
「へへっ、ちょろい野郎だぜ」
 が下卑た笑みを浮かべた。
「~~! おおお、お前なぁ!」
 その顔を見て、静雄はどもりながらも何か言おうとしたが、口を閉ざして視線をそらす。この状況で反論なんかすれば、逆に弄られるということを分かりきっていたからだ。
「だーかーらー、ちからを、ぬいて、ください」
「んな区切らなくても……抜いてるっての」
「ほらー、静雄くん、せーのっ! ひっひっふー……」
 一拍の間をおいて。
「……それなんかちがくね?」
「そうなの?」
「いや、知らねぇけど」
 お互いにきょとんと見つめあう。悲しきかな、両者ともども無知だった。
「えーと、んーと。と、とりあえず、力を抜くー。リラックス!」
「だからやってるっての」
「本当に?」
「……本当」
 純粋な表情で首をかしげて覗き込まれ、それでも静雄の口から出てきたのは遠慮の言葉だった。ほんの少しだけ嫌気が差しそうになったが、そんな静雄などは露知らずといった様子で、うーんと小さく唸り声をあげて、考え込む素振りを見せた後。
「ひっひっふー?」
「しねぇよ」
 反射的に返した。
「ひっひっふー」
「しねぇっての!」
「ひっひっふー!」
 まるで「めっ!」としかるようなニュアンスのそれに、静雄は小さく身体を震わせる。有無を言わせないようなの言葉から逃げるように、視線をさ迷わせ、
「……ひっ、ひっふー……」
 静雄が戸惑いがちに搾り出すように息を吐くのとほぼ同時に、が静雄の頭に手を置いた。よしよし、というよりは、いいこいいこ、という風に撫ではじめる。それでも飽き足らず、指の背で静雄の頬をなで上げ、緊張でこわばった肩をさする。
 ひたすら優しく優しく撫でられ、静雄は強張った手足から徐々に力を抜いた。
「ふふ。じゃあ、はじめるね」
 返事のかわりに頷いたが、まるで太ももに頬を擦り付けたみたいだと気づき、無性に恥ずかしさを覚える。のもつかの間、耳たぶにそっと指先が触れた。穏やかな手つきで何度も何度も撫でられ、思わず手をぎゅっと握ると同時に、耳の中に何かが入ってきた。
 硬いけれど、丸みを帯びていて、耳の中の内側に触れたそれは、おそらく竹製の耳かきだろう。さっきが使っていたやつだ。
 先端のヘラの部分が、探るようにくるくると動き、皮膚をかりかりとこすりあげる。ひどく優しくて、柔らかな感触ではあるものの、ふとした拍子にへらが耳の奥に入り込み、激痛が走るんじゃないかと考えると妙な動きは取れなくなってしまう。
 しかし、そんな想像から強張る静雄の両手とは裏腹に、くすぐったいような、かゆいようなもどかしさに、体の力は徐々に抜けていく一方で。
 耳かきが外に出て、ややあってからまた耳の中に滑り込んでくる。
 へらの部分が耳の中をこするたびに、かさかさとも違う、言いようのない音が耳の中を支配する。
「静雄くん、気持ちいい?」
 ふいに、が声をかけてきた。耳たぶをふにふにと揉まれながら、耳の中ではかりかりと音がし続ける。
 いつもは大雑把なくせに、こういう時だけはやけに手つきが丁寧で、優しくて、それが逆に恨めしかった。
「……ぅん」
 耳かきが外に出て、またするりと滑り込んでくる。
 くるくると撫でるように動いて、くすぐったいような言いようのないもどかしさを耳に残していく。
「あはは、顔、とろーんてなってるよ」
 あわてて口を引き結ぶと、くすぐったい笑い声が聞こえてくる。
「顔しかめても、首まで真っ赤だと説得力がありませんよ、おにいさん」
 くすくすと笑いながら、ひどく優しげな手つきで、労わるように静雄の髪を指先で梳く。それが無性にくすぐったくて、気持ちよくてたまらない。
「だ、黙ってできねえのかてめえは」
「黙るだなんてとんでもない。いやです」
 きっぱりと言われた。
「なんでだよ」
「静雄くんって基本夜のお仕事だから、こういう時間は貴重なんだもん。静雄くん朝は寝てるし、私が帰ってくるころには静雄くん仕事だから……やっぱり、寂しいんだよ?」
 の言うとおり、静雄の勤務時間はおよそ一般的なそれとは大幅に違う。というのも、借金の取立てという名目上、借金主がおよそ家にいるだろう時間を狙って伺うのだ。夜の仕事が多いのは当たり前である。なので、定時に帰る、なんて言葉とはほぼ無縁の仕事だった。それとは逆の、ごくごく普通の職場に通うと、すれ違いが生じるのは当たり前のことで、だからこそ仕方がないことだと静雄は納得していたものの。
 面と向かって「寂しい」と言われると、押し殺して蓋をして“なかったもの”扱いしていたものが出てきそうになって。
「……その、なんだ。ええと」
「まあ、ちょっとした下心くらい、許して欲しいなーって」
「出来心だろ」
 反射的に返すと、がえへへと笑って、おもむろに静雄の頬を撫でる。
 こそばゆさに目を閉じると、耳かきがするりと内側を引っかいて抜け出ていき、思わず体が震えた。
「ほら、静雄くん、反対側だよー」
「……おぅ」
 抵抗する気力などとうに残っておらず、静雄は二つ返事で身体を起こし、反対側を向こうとして――固まった。今まで頭を置いていた場所をただただ黙って見下ろす。
 見るからにやわらかそうな、太もも。
 風呂上りのせいかわからないが、ふうわりといいにおいがしたそこに、今から顔を埋めるのかと思うと、意識しないようつとめていた恥ずかしさが湧き上がってくる。
 視線をそらして息を吸い込む。肺にたまった息を静かに吐き出す。
「どうしたことでしょう静雄選手。一向に動きが見られません! まさかここで無念のギブアップか!?」
「な、……んでちょっと実況風に言うんだよ」
「ははーん、さては私のテクニックのせいで気持ちの整理が追いつかないといったところ……なんですか?」
「全然ちげぇし俺に聞くなよ」
「じゃあ早くおいでなさい。ね」
 ぽんぽんと太ももをたたき始める。
 それでも静雄は動けない。
「おいでおいでオバケー。えへへ」
「意味わかんねぇ」
「ほら、ごろーん。ね?」
 くすぐるような言葉とともに、袖の端をつままれて、ちょいちょいと引っ張られる。
 の顔を見れば、にこにこと笑っていて――
 ――抗えない。
 そもそも、そんな術は元から持ち合わせていないようなものだったし、たとえそういう秘策を持っていても、この状況下では恐らくそんな気すら起きなかっただろう。
 おずおずと身体を傾けて、おっかなびっくりとした動作で、の下肢に頭を乗せる。視界いっぱいにの下腹部が広がり、自然と身体が強張った。できるだけくっつかないように意識すると、不思議と身体が引き気味になってしまう。
「なんで離れるかなー。やり辛いでしょうが」
 が不満そうにぼやいて、静雄の後頭部に手を添えると、強制的に引き寄せた。
「もっとくっついてもいいから。楽にするー」
「……ぅ」
 不満げな声に素直に従い、強張った四肢からおずおずと力を抜く。無理やり動かされた頭の位置を整える。静雄にとってしっくりくる場所を探し当て、そこに頭を預けて一息つくと、の太ももの心地よい弾力と、布越しに伝わる温もりが、優しく包み込んでくれるのをめいいっぱい感じた。息を吸い込めば甘い匂いがして、思わず目を細めてしまう。
 が髪の毛を指先で梳いてから、そっと耳に触れてくる。ふっと息を吹きかけられ、反射的に肩が小さく震える。
 耳かきが無遠慮にするすると入り込んできて、僅かに身体が強張ったものの、優しく丁寧に、耳の中をくるりと撫で回し、至る所をかりかりと擦られると、ぞわぞわとした気持ちよさが背筋を上ってくる。それに釣られて、徐々に手足から力が抜けていく。
 耳の中の至る所を、余すことなく引っ掻き回し――とはいえひどく優しい感触だ――むず痒さを残していく。
 何回も何回も、いいところを擦りあげられ、気持ちよさに頭がぼうっとしてくる。
 耳かきが引き抜かれ、僅かに身体が震えると、が指の背で静雄の頬を優しく押すように撫でる。恐らく今、自分の顔はが言う“とろーんとした顔”になっているのだろうと静雄はぼんやり考えたが、それでも顔を顰めたりすることはしなかった。
 耳かきが入り込むのと同じくして、耳たぶをさわさわと撫でられた。くすぐったさに目を細める。
 ――気持ちいい。
 頬に伝わる太ももの感触がやわらかくて、ほんの少しだけ、耳かきの邪魔にならない程度に頬ずりしてみる。
「こら。動かないの」
 耳たぶをそっとつねられたが、それですらくすぐったくて、心地いい。
 頭がぼうっとして、何を考えるのも億劫になる。
 目を閉じて、すべて委ねてしまいたい衝動に駆られる。
「――静雄くんに特製サービスをしたいです」
 静かな水面に石を投げ込むような一言だった。ハッと意識が引き戻され、静雄はぎくっと身体を強張らせる。いつの間にか耳かきは引っこ抜かれていた。気付かなかった。
 の言葉を、静雄はゆっくりと頭の中で反芻する。そして妙に嫌な予感がし、声を出そうと口を開いたが、どうにも声の出し方がいまいちわからない。――いや、わかるのだが、“いつもどおりの調子”の声の出し方がわからなかった。
「……却下」
 身体を起こしつつ、喉の奥から搾り出すようにそう呟いた声は、少しかすれていた。
「ええっ、なんで」
「手前のサービス精神の末路はぜってえ碌な事にならねぇから」
「……うーん」
 考え込むの姿を、ぼんやりと見つめる。
「それって、どっちが?」
 ひとくやさしげに微笑まれてしまい、静雄は息を呑んだ。
「少なくとも、私のほうは碌な事にはならないと思うけど」
 くすくすと笑いながら、が言う。“すべて分かった上”でありながら、そう言っているような気がしてならなかった。割と意地悪である。いや、ただ悪戯っぽいだけかもしれない。
 静雄は慌てて反論する言葉を捜してみるものの、ぼんやりと霞がかかったように思考が麻痺して、うまく思いつかない。おまけに、じーっとまっすぐに穴が開きそうなほど見つめられ、顔をそらしそうになる。
「えー、返答なしは肯定と認めます。というわけでじゃじゃーん。銀の耳かき~」
「だから却っ……え? 銀?」
 聞きなれない言葉に静雄が固まる横で、がどこぞの猫耳ロボットっぽく言いながら、最初から用意していたのか、テーブルの上に置かれた小さなケースから、細長い棒を取り出した。耳かきの形をしたそれは、部屋の明かりを反射して、鈍く光っている。
「うん。銀の耳かきってあまり馴染みないけど、銀に抗菌作用があるからいいんだってー」
「ほお」
「おまけにねー、ひんやりしてて、きもちいの」
「どんな感じだ? 見せて」
「ほい」
 銀の耳かきなど手にするのは、静雄にとって初めてのことだった。太さも形も竹製のそれとほぼ同じだが、唯一違うところといえば滑らかな質感と、金属特有の異様な冷たさだ。おまけに少し重たい。指でなぞれば、指先にひやりとしたものが伝わってくる。
「これ、は使ったことあるのか?」
 言いながら静雄はに銀の耳かきを返した。
「何度か。気持ちよさは実証済みです」
 ぐっとこぶしを握ってみせる。
「……そこはかとなく嫌な予感がしてならねぇんだけど」
「大丈夫大丈夫。はい、よこになってー」
 反抗する気など起きず、さっきとは反対側を向いて横になる。
「っ!?」
 いきなり、耳の穴のふちに氷のような冷たさが触れ、ぞくりと身体が強張った。金属という鋭利なイメージが付きまとうそれが耳の中に入ってくる事実に、反射的に身をすくめてしまう。
「わっ、動いちゃめー! 鼓膜破れちゃったらどうするの!」
「ゎ、悪い。でもそれ……」
 怯えるような眼差しで、の手にある銀のそれを見上げる。
「冷たかった?」
「……ぅ、ん」
 頷くのと同時に、喉の奥から搾り出した声は、やっぱりかすれていた。それが無性に恥ずかしさを煽る。
「んーと、ごめんね。でも、そのうち慣れると思う。大丈夫大丈夫」
 いいこ、いいこ――そんな手つきで髪の毛を指先でくすぐるように撫でる。
 ふにふにと頬を指の背で押され、こそばゆい感覚が静雄の恥ずかしさを煽る。逃げるように太ももに顔を埋めると、今度は耳を指でなぞられた。ふっと息を吹きかけられ、へにゃへにゃと脱力してしまう。
 すかさずというタイミングで、耳の中に冷たいものが侵入してくる。
 さっきとは比べ物にならないほど深いところを、さすりと優しく掻きあげられて――
「~っ!」
 ――怖い。
 今まで感じたことのない、金属の容赦ないその冷たさに、静雄は情けなくもビクリと肩を震わせてしまう。
 ぐったりと投げ出して、開きっぱなしだった手をぎゅっと握り締める。
「……ぁー、ええとその、……もうやめる?」
 伺うような、気遣うような声色とともに、空いたほうの手が優しく頭をなでてくる。耳かきのほうも、さっきとは打って変わって、浅いところを擽るようにかりかりと引っ掻き回し――のその器用さには、さすがに感服せざるを得なかった。
「ぅ……」
 ううん、と言ったつもりだったが、喉の奥で出したせいか、否定とも肯定とも、どちらとも取れるような唸るような声になってしまった。それを取り繕うように首を振ったが、それも何だかただ単に太ももに頭を擦り付けているだけの行為にしか思えず、無性に恥ずかしくなってくる。
「んと、やめたくなったら、言ってね」
 それでもはわかってくれたようで、静雄はほっと息をついた。
 銀の耳かきが、ひやりとした冷たいものが、耳の中を這いずり回る。
 さすさすかりかりと、優しく擦りあげてくる。
 竹製のとは違うその感触が新鮮で、未知の感覚だからこそ、怖い。
 おまけに、さっきとは違って、深いところ――それでも痛くない、ギリギリのところを、さすさすと擦りあげるものだから、尚更。
「ぅぁ……」
 呼吸とともに、自然と声が漏れる。
「あ、ごめん。い、痛かった?」
「ち、ちが……」
 首を振っているのか、太ももに頬をこすりつけているのか、もうよくわからない。この二つの境目はどこにあるのかとすら考えてしまうほど、静雄の頭は文字通り“沸いて”いた。
「そ、そか。よかった。……続けるね?」
「う、ん」
 耳かきがさすりと音を立てて抜けていき、しばらくしてまた入ってくる。
 冷たさを伴うへらの部分が、耳の奥のいいところを、さりっと掻きあげる。また耳かきが抜けて入り、今度はさっき掻かれた所の反対側をかりかりと撫で上げ。
「ぅ」
 気持ちよさに、肩が震える。
「あ、ごめん」
「いや、だ、大丈夫だから」
「ほ、ほんとにー? なんか不安になるんだけど……」
「ほ、本当だって」
 なんとか声を絞り出すものの、永続的に与えられる気持ちよさに、うまく力が入らない。思考能力も鈍っている気がする。
「……きもちい?」
 かりかり。かさかさ。そんな音にまぎれて、の声が耳の中をくすぐる。
 何も言わずに目を閉じて、首を動かす。
 頷く代わりに顔を太ももにこすり付けたのか、顔を太ももにこすり付ける代わりに頷いたのか。――もうどっちでもよかった。気持ちがいいし、くすぐったいし、太ももは柔らかいし、いい匂いがするし、そんな瑣末なことなどどうでもいい。
「そっか。はい静雄くん、反対側だよー」
 えへへと笑いながら、促すように優しく肩をたたかれて、静雄は素直にころんと反対側を向く。
 いいにおい。やわらかい。
 の手が耳に触れる。放っておきっ放しだった耳に、するりと耳かきが侵入してくる。ビクリと身体が震えたのは最初だけで、あとはそのまま、から与えられる行為に成すがままといった様子で身をゆだねる。
 ――気持ちいい。ずっとこうしていたい。
 そう思ったのもつかの間、耳の中にピリッとした感覚が走る。
「~ぅう」
 痛いというほどではなかったが、それでも身をすくめる。それに驚いたらしいが、勢いよく耳かきを引っこ抜いた。
「わっ、ごめん。痛かった?」
「……、ぅうん」
 首を振って、太ももに顔をこすり付ける。
「ほ、ほんとにごめんね」
 返事の代わりに再度顔をこすり付けると、ややあってから、が小さな声で、それでも嬉しそうな調子で笑った。くすくすと弾むような声が、機嫌の良さを伺わせる。
 がゆるゆるとした手つきで静雄の髪の毛を梳いたあと、緊張から強張ったまま握り締められた静雄の手をそっと撫でた。手の甲を優しく撫でられ、誘われるように徐々に手を開くと、がその僅かな隙間から指を滑り込ませてぎゅっと手を握り締めてきた。息を呑んでから、おずおずと握り返すと、は腕を軽く揺さぶってから手を離した。
 耳たぶに手が触れる。耳の中に、遠慮がちに冷たいものが入ってくる。
 浅いところを探るようにくるりくるりと引っ掻き回し、時折かりかりと撫で回す。それを満遍なく施した後に、耳かきのへらが奥へともぐりこんでくる。
 激痛が走るんじゃないかという不安と恐怖に、背筋が強張る。それでもさりさりと内側を引っかく冷たいへらが気持ちよくて、四肢は放り出すようにぐったりとしたままだった。
 物足りないと思っていたところに、耳かきの先端が掠めたものの、それでも期待していたかりかりは別のところに向けられ、妙な焦燥感が湧き上がる。口を引き結んで息を押し殺しじっと耐えていると、ようやっと物足りないところにへらが押し当てられた。
 かりかり。さりさり。容赦ない優しさで掻きあげられる。
「……は」
 肺にたまった息を吐き出す。与えられる気持ちよさから、自然と呼吸が不規則になる。
「そんな、息止めなくてもー……」
 それを怖がっていると察したのか、が静雄の耳を撫ではじめた。時折、爪が皮膚を掠めるものだから、くすぐったさに拍車をかける。逃げたいのに、耳の中に耳かきが入っているせいで、身動きがとれない。
 もどかしい。くすぐったい。気持ちいい。そんな言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。
 不意に、耳かきが引き抜かれる。ずるりと抜き出るその感覚に、耳の奥から何かとてつもないものを引き抜かれるんじゃないかという錯覚を覚えた。
 耳の中に金属が入っているという圧迫感から開放され、静雄はため息とともに身をよじる。そのままの下腹部に鼻先を擦りつけ、
「……っと、」
 がぎくりと固まってから、静雄もぎくっと固まった。
「え、えーと……」
「……ぐ」
 の戸惑いがちな声に、唸り声を返すことしかできない。
 突き刺さるような視線が無性に恥ずかしくて、身体をよじる。からかわれる自分の姿が静雄には安易に想像できてしまい、ぎゅっと目を瞑っての言葉に身構えた。
 しばらく間をおいて。
「……、もっとくっついてもいいよ?」
 しかし、かけられた言葉は、思っていたものとは間逆のもので。の言葉を何度も頭の中で反芻したあと、伺うようにを見上げ、柔らかな微笑を目にし、何度も目をしばたたかせる。視線を落としてから、少しだけ身体をずらす。の太ももに深く深く頬を擦り付けて、おなかに顔を摺り寄せる。暖かい。
 息を吸い込めば、甘い香りがした。味がわかりそうなほど、甘い匂い。
 ――なんとなく、落ち着く。すぐに手の届く距離に、文字通りすぐそばにがいる。
 そのままじっとしていると、がおっかなびっくりな手つきで、静雄の頭に手を這わせた。髪の毛を掻き分けるように撫で始める。くすぐったくて、気持ちよさから自然と目を閉じる。
「……あはは」
「な、んで笑うんだよ」
「なんか、素直だなーって」
 くすくす笑いながら、ひどく優しい手つきで撫で回すものだから、ぐうの音もでなかった。頬を撫でて、頭、首、耳ときて、最後に耳の中にふーっと息を吹きかける。静雄の背筋がぶるりと震えた。
「さて」
「……お、おわりか?」
 尋ねる声が名残惜しそうなものを孕んでいて、静雄は恥ずかしさから僅かに口を引き結ぶ。丁寧で容赦ない耳かきが名残惜しいのか、こうやって頭を撫でてくれるのが名残惜しいのか、……恐らく、どっちも名残惜しいのだろう。
「ううん。仕上げに入ります」
 その言葉を聞いて、少しほっとしながら溜息を吐いた。……のだが、仕上げという言葉に、静雄は身体を強張らせる。
「こ、これ以上何すんだよ……」
「そんな身構えなくてもー。静雄くん、身体起こしてー」
「こうか?」
「そそ」
 言われるがまま静雄は身体を起こすと、がパッと立ち上がった。
「じゃ、ちょっと待っててねー」
 そんな言葉を残して、はパタパタ小走りでリビングから出て行ってしまう。きょとんとした顔でその後姿を見送る静雄だったが、一人取り残された不安と、何をされるのかわからない期待から、変にそわそわし始める。
 暇をもてあますようにテーブルの上に置かれっぱなしの耳かきに視線を向け、部屋の蛍光灯を反射する銀色の細い棒をじっと見つめた。傍から見ても、鋭利な冷たさを伴っているのがわかる。興味はあったが、それでも、手に取る様な真似はしない。
「ただいまー」
 外から帰ってきたわけでもないのに、それでもはパタパタと足音を立ててリビングに入ると、調子のいい声を静雄に向けた。とりあえず「おかえり」と返すと、が嬉しそうに微笑んで、さっき座っていた場所に腰を下ろす。
「はい、これなーんだ」
 そう言って、手の中にあるもの見せ付けてくる。手のひらサイズの、ピンク色の透明な容器に半分ほど残った液体は、揺らすと少し重たそうに波うち――
「……ベビーオイル?」
「と、綿棒です」
 もう片方の手には、白い綿棒が1本だけ。
「はあ、それでどうす……、――っ!!」
 息を呑み、両手で耳をふさいで僅かに後ずさる。
 綿棒とベビーオイルの組み合わせで、耳かきの仕上げとなると、静雄の頭の中で思いつくことは一つしかなかった。
「な、なんで逃げるかなあ」
「い、いい! もういい!」
 不満そうにぶーたれるの正面で、静雄がぶんぶんと、残像が見えそうなほど勢いよく首を振る。
「えー。ケチー」
「ケチとかそういう問題じゃねえ!」
「まあまあ、騙されたと思って」
「嫌だ。ぜってぇ嫌だ」
「怖くないよー? 楽しいよー?」
「楽しいのはお前だけだろうが!」
 静雄の怯えた眼差しには苦笑を浮かべ、それから小さな溜息ひとつ。
「もー、何をそんなに嫌がるの!」
「何がって、嫌な予感がするからだ」
 ふむ、とが呟いて、
「嫌な予感、とは?」
「……とにかくまずい」
「案外オイシイかもしれないよ?」
「だから、まずいんだ」
「意味がわかりません。ほら、駄々こねないのー」
「こねてんのはそっちだろ」
「こねてない!」
「こねてんじゃん」
 痺れを切らしたように、が眉間にしわを寄せ、
「もーもー!」
「……、牛の真似?」
「ちがいます!」
 そう言ってから、いきなり手を伸ばして静雄のTシャツの襟を乱暴に掴みあげた。慌てふためく静雄の耳を掴んで引っ張る。
「ほら、観念しろー」
「うわ、は、離せって」
「やだ。離したら逃げるじゃんか」
「に、逃げねえよ……」
 定位置に戻り、に背を向けるような形で、再度膝枕の格好になる。
 の手の中にあるプラスチックの容器がたぷんと音を立てるたび、静雄の肩が震えた。
「……そんな、プルプル震えなくても」
「だって、絶対くすぐってぇもん」
「もん」
「ぅ」
 しまったと思うが、あとの祭りだった。
「くすぐってぇ、“もん”!」
 肩を震わせて、心底嬉しそうに笑い出す。楽しそうで何よりだった。
「……お前、揚げ足取るのすきだよなぁ」
「うん。でも静雄くんだけだよ?」
「……喜ぶところかここ?」
「あはは、お好きにどうぞ」
 笑いながら、が綿棒にベビーオイルをしみこませる。静雄はそれを不安げな眼差しでじっと見つめていると、がそれに気づいて小さく笑うと、ベビーオイルをテーブルの上に置き、空いた手で静雄の頭を優しく撫でた。静雄が気持ちよさに目を細める。
「静雄くん、耳の中がくすぐったいのは、恥ずかしいことではありません」
「唐突に何を言い出すんだ」
「耳の中には三半規管? だっけ? えーと、なんか大事な神経がいっぱい詰まってるらしいじゃないですか」
「あ? あぁ、そうだな」
「だから、耳かきされて気持ちよくなっちゃったり、くすぐったくなったり、くしゃみが出そうになったりするのは普通の事だから、恥ずかしいことではありません」
「いや、うん。説明されてもな……」
「恥ずかしいことでは」
「しつこいっての」
「よし。それじゃ、いくよー」
「ちょ、まっ……!」
 耳たぶを触られ、身構えたのもつかの間。くちゅりと、ぬるく湿った何かが耳の中に入り込んできた。
 ――なんだこれは。
 異様な感覚に静雄は目を見開く。
 ぬちりと音を立てて、内側を擦りあげるその感覚は、静雄が今までに知らなかったものだった。普通の綿棒とはまったく違うその未知の感覚に、ぞくぞくとした何かが競り上がってくる。
 怖い。ぬちぬちと音を立てて耳の中を擦る綿棒の感触が想像を絶するほどの快感をもたらし、それが純粋に怖かった。これから先がわからない恐怖に肌が粟立つ。
「……うぁ、ちょ……ぅぐ!」
「いだっ! いたた!」
 いつの間にか、無意識のうちに、の太ももに縋り付くように爪を立てていた。
「ぅあ、あ、悪い……!」
「……あ、いえ、こちらこそ。もしかして、痛かった?」
 言いながら、するりと綿棒を引き抜かれ、情けなくもビクッと身体が震えた。
「……いや、その」
「その?」
 気持ちいい、なんて言えるわけがなく。
「わっ、……と」
「……ぅ」
 結局、返事のかわりに、太ももに顔をこすり付けた。
「……ふふ。あはは」
「ゎ、笑うなっ」
「ゴメンゴメン。えへへ」
 よしよし、と耳たぶの辺りを撫でられる。
「続き、するよ? いい?」
「いちいち聞くな」
「うん」
 が頷いて、またあの綿棒が耳の中に入ってくる。
 慌てて身構えるものの、くちゅりと容赦なくかき回される。ベビーオイルが立てる音がひっきりなしに耳の中に響き渡り、さながら溺れるような感覚にぐったりと力を抜いてしまう。さっきの硬質な感覚と違って、蕩けるような甘さを兼ね備えたそれは、まるで耳の中に懇切丁寧に蜂蜜でも塗りたくられているような錯覚を覚えるほど――ひどく甘い。危ない。
「っ、……ふっ」
 ――ああ、だめだ。これ以上続けられたら、……頭がおかしくなってしまう。
 そう思った矢先のこと。
「静雄くん、反対側だよー」
「っあ、……う、ん」
 最後にくるりと円を描くようなひと撫での後に綿棒が引き抜かれる感覚が襲ってくる。それに小さく身体を震わせてから、静雄は弱弱しく頷いてみせた。
 のろのろとした動作で反対側を向いてから、さっきのの言葉を思い出し、おずおずとのおなかに顔を埋める。の服のすそを掴むと、優しく頭を撫でられた。
 が綿棒を持ち替えるなり、静雄の耳の中にするりと滑り込ませる。素早い動作に身構える暇もなく、また耳の中でくちゅりと溺れたような感覚が湧き上がってきて、変に呼吸が乱れる。
 にちにちと、ねっとり舐めるような動きで耳の中を擦りあげられる。
「ぅ、、これ……」
「きもちい?」
「……ぅん」
 太ももに顔を擦りつけるほかない。
「よかったー」
「はぅ」
 ぴりぴりと無性にむず痒かったところを、綿棒が執拗にくちくちと撫で上げ、変な吐息が口から漏れる。
「あはは、静雄くん、だらしない顔してる」
「……ぅ」
 こんな甘い事を好きな人にされて、普通の顔をしていられる人間がいるものか。
 耳の中を余すところなくなぞられ、擦られ、普通の耳かきや綿棒と違った感触に、また頭がぼうっとしてくる。普通の水を塗りたくるのとは違って、油を塗りたくるようなものだから、なぞった痕跡が見えなくても頭の中でわかるのが気持ちよくて、とても辛い。
 ふいに、素早いなめくじが這い回り、粘性の液体をくちゅりくちゅりと塗りたくる、そんなイメージがわきあがった。想像した途端にゾワゾワとした何かが全身を包み込む。
 気持ちいいけど、気持ち悪い。もしこれが気持ち悪いと思えなくなったら、多分頭がおかしくなってしまうだろう。そのくらい気持ちがいい。くすぐったい。止めてほしいけど、止めてほしくない。
「んー、はい。終わりだよー」
 さっきと同じように入り口のあたりをくるりとひと撫でして、綿棒が引き抜かれる。
「あ……」
 の腕を目で追いかけてから、
「……えと」
 目が合った。
「ぅ」
「終わりでーす」
 顔をそらして、太ももに顔を埋める。名残惜しい。
「おーわーりー」
 催促するように肩をたたかれるが、無視を決め込むと、が困ったように「うーん」と唸って。
「すってー」
「すー」
「はいてー」
「はー」
「はい、身体おこすっ」
 身体を起こすかわりに、しがみつく。鼻先をこすりつける。
「もー、なんだこの。……この」
 もうどうしたらいいのかわからないといった風に呟いて、
「うりうりー」
「……っ」
 頭を撫でた後、耳たぶを掴み。
「ふー……」
「っ!」
 息を吹きかけられ、静雄の肩がビクッと大きく震えた。
「うーん。もしかして、眠くなっちゃった? 寝るならお布団へどうぞ」
「やだ」
「な、なんで駄々っ子になってるかなあ……」
「別に眠くねぇし」
「じゃあ起きる」
 ぽんぽんとが優しく肩をたたくが、静雄は相変わらずのまま。
「もーっ」
「うし」
「ちがいます!」
 ふにっと頬をつねられるのですら、気持ちがいい。静雄の頬が自然と緩む。
 そんな静雄を不満そうな顔でひたと見つめるだったが、細いため息をつくと、ふっと口元を緩めた。
 そうして、静雄の頭をこれでもかと撫で回し始める。
「わしゃわしゃわしゃー……ってね」
 しばらくして、
「効果なしかー」
 がっくりと肩を落として、が手を離した。
「……あ」
 それに釣られて静雄は顔を上げてしまう。苦笑を浮かべると目がかち合った。
「――ええと、そんな、もの欲しそうな目で見られても……」
 静雄は自分の顔が熱を帯びるのを感じた。顔をそらして、太ももに顔を埋める。
「……わしゃわしゃー!」
「~っ!」
 今さっきと同じようにこれでもかと撫で回され、いやでも口元が緩むのがわかった。現金すぎる、と静雄は内心自嘲する。
「うーん。もしかして、甘えたい時期だったり?」
「う」
 恐らく、図星だった。こうやってに膝枕してもらうのは静雄にとっては何ものにも代えがたいもので、ともすればこんなにも心地いいのは、日ごろのすれ違いから来る寂しさを埋めるために、に全身全霊こめて甘えているほかないからだった。なんとなく虚を突かれた気持ちになり、むう、と考え込む静雄だったが、にきゅっと鼻をつままれて思考が中断される。
「やーい甘えんぼー。いい歳こいて甘えんぼさん」
「ぐ」
 唸るほかない。それでも退きたくはないから不思議なものである。
 そんな静雄を見ても何かを察し、観念したのか、それっきり何も言わなくなる。
 ――しばらくして。
「あっ、窓の外に折原くんがっ!」
「あぁ!?」
 心地いい空気にノミ蟲と称する異物が混入し、静雄は不機嫌そうな声を上げつつ勢いよく身体を起こした。窓のほうに目を向けるが、そこはきっちりとカーテンが閉められていて、はたと固まった。次の瞬間、嘘だったということに気づいた静雄がのほうを見るよりも先に、がパッと立ち上がる。
「よしっ、やっと起きた! 折原くん効果万歳!」
「あっ手前嘘つきやがったな! こら逃げんな!」
「ひゃっ! ちょっ、飲み物持ってくるだけだってばー」
 慌てて手を伸ばすが、は小さな悲鳴を上げてするりとそれをかいくぐり、反対側の壁にぴったりと背中をくっつける。
 しばしの間睨み合うが、先に折れたのは静雄のほうだった。
「そ、そんな捨てられた犬みたいな顔をしなくても……」
 見るからにしゅんと身体を小さくする静雄に見かねて、が困ったように笑って近づいた。静雄の正面で立ち止まると、自分の両膝に手を添えてしゃがみこむ。
「静雄くんは? お茶、飲む?」
「……、飲む」
「あったかいのでいい?」
「うん」
「コップ、これでいいかな」
「ああ」
 テーブルの上に置かれっぱなしだった使用済みのマグカップを示され、静雄は小さく頷いた。はそれに小さく笑い返し、立ち上がってマグカップを手に取る。そうして再度、静雄のほうに近寄り。
「ちょっと待っててね」
 が散々撫で回したせいで、あっちこっちに跳ねた静雄の金色の髪の毛を整えるように指を滑らせる。
「できればテーブルの上、適当に片付けといて欲しいかなーって」
「……おう」
 よろしくねー、と一言残して、パタパタとオープンキッチンに引っ込むのを見送ってから、静雄は一息ついてのろのろとテーブルの上を片付け始めた。綺麗に片付ければ、が戻ってきた時、何かしら“ご褒美”をくれるんじゃないかと期待してしまうのは、多分自然な事だろう。
 使用済みのあの綿棒を手に取ると、あの溺れるような感覚を鮮明に思い出し、妙な恥ずかしさが湧き上がってきて自然と口を引き結んだ。それでも、またしてほしい、という率直な言葉が頭に浮かんでしまう。もしそんな事を口にしたらどうなるか考え、調子に乗るの姿が安易に想像できてしまった。静雄は口を引き結んだまま、テーブルの上に広げっぱなしのティッシュに綿棒を包むと、ぐしゃぐしゃにしてゴミ箱に投げ入れた。

2012/03/18