麻雀

※登場サーヴァント:ナーサリー・ライム、メフィストフェレス、新宿のアーチャー
※なんでも許せる方向け
 エルキドゥさんと……いや、エルキドゥさん“達”と麻雀をする事になった。
「……なんで?」
「僕と彼女がルールを知らないからさ」
 エルキドゥさんはそう言いながら横を向く。私もつられてそっちに視線を向けた。
 4人掛けのカフェテーブルの椅子に、ちょこんと座っている女の子がいた。テーブルに両肘をつき、両手で頭をささえるようにして、じーっと伺うようにこちらを見ている。ひらひらのフリルやレースのついた、着る人を選びそうなその服は、不思議とその女の子にはこれ以上ないってくらい似合っていた。
 とても可愛い女の子だった。くりくりした大きな瞳に見つめられると、そのまま不躾にずーっと見つめ返してしまいそうになるから、頑張って視線をそらす。人畜無害な少女に見えるけれど、あの子もきっとサーヴァントだろうという予感はやまない。
 事の発端は休憩の合間に食堂に立ち寄ったことだった。喉が渇いたので水を飲んでいると、唐突にエルキドゥさんがやってきたのである。休憩中であることを伝えると、エルキドゥさんは矢継ぎ早に訊ねてきた。
、麻雀って知ってる?」
「はい、知ってますよ」
「やった事はあるのかい?」
「ありますよ」
「……ルールも知ってる?」
「もちろん!」
 えへんと胸を張った瞬間、手を引っ張られ、あれよあれよという間に談話室に引きずり込まれてしまった。
「僕も彼女も初心者なんだ。優しく教えてくれるとこちらとしては助かるよ」
「えっ、あの……教えると決めたわけでは」
「……教えてくれないのかい?」
 エルキドゥさんがあからさまにしゅんとする。内心焦った。エルキドゥさんの機嫌を損ねず、この場を離れるにはどうしたらいいものか。あたふた思考を巡らせていると、エルキドゥさんはちらっと一瞬こっちを見て、またしゅんとする。
 演技だ。絶対に演技だ。
 そんな予感が走った瞬間、無意識のうちに「ぐぬぬ」とへんてこな唸り声が出た。演技だと確信めいたものが生まれた所で、視界には相変わらずしゅんとしているエルキドゥさんがいるのだからたまらない。
 端末で時間を確認する。残りの休憩時間で麻雀を一局打つには充分な余裕がある。でも何局やるつもりなのだろう。半荘戦となれば確実に時間オーバーだ。
 迷うこと数秒。エルキドゥさんにくるりと背を向け、無線機に手を伸ばす。サーヴァントに声をかけられたので遅れるかもしれないとの連絡を入れると、他の職員から二つ返事で了承が返ってきた。よくあることだから、と無線越しの声に申し訳ありませんと述べる。遅刻の理由が麻雀だという事は、さすがに伏せざるを得なかった。
 無線をベルトのホルダーに戻して再度くるりと身体を反転させると、すぐそばにあの女の子が立っていてぎょっとした。
「もしかしてあなた、エルキドゥの大切な人?」
「……へっ!?」
 大切。その意味を理解した途端に、顔に熱がのぼったような気がした。じっと見上げていた女の子が微笑むから、尚更気恥ずかしくなる。うんともすんとも言えず、次は何を言われるのかと身構えていると、女の子はにこにこしたまま私の両手を取った。
「まあ、まあ! 素敵だわ、まさかこんな日に会えるなんて!」
「わっ……あの、ちょっと!?」
 女の子がくるんと回りだす。見た目の割に力が強いから、私はなすすべもなく一緒に回る。目も回る。
「あなたがエルキドゥの言っていた人なのね。わたし、とってもとっても会いたかったのよ!」
「え、ええと?」
 女の子はぴたっと足を止める。
「だってわたし、相談に乗ってあげたのよ。そのお話を聞いていたら、興味が湧くのが普通でしょう?」
「……相談?」
 私が首をひねると、女の子はええ、と頷いて、
「素敵な椅子を用意したはいいけど、その事をわかってもらえないとただの一方通行。どうしたらいいんだろうって、ぐるぐるぐるぐる……そのうちバターになってしまうんじゃないかって思わず心配したくらいよ」
 何のことを言っているんだろうと考える私をよそに、女の子は言葉を続ける。
「自分ではどうしたらいいかわかりきっている事なのに、くどくど悩んでばかみたいよね。……でも、心ってそういうものだわ。踏ん切りがつかないと、何をしても失敗しそうな気になっちゃうもの」
「余計なお喋りはおしまいだよ」
「むーっ!」
 いつの間にやら、エルキドゥさんが女の子の後ろに移動して、その口元を手で覆った。喋れなくなった女の子は不満そうにむうむうと唸って、身をよじっている。
 身動きの取れない女の子を不憫に思いつつ、エルキドゥさんと目を合わせる。
「……へぇ」
「何か言いたげだね?」
「ううん、なんでもないです」
 女の子の言葉から察するに、エルキドゥさんがこの女の子に何か悩み事を話して、行動に移したらしい。どういう悩みだったのか判断する材料は乏しいけれど、エルキドゥさんの今の表情を見るとなんとなく察するには充分だった。
 私の知らない所で行われた二人のやり取りを想像すると、ちょっとおかしいような、嬉しいような気持ちになる。頬が勝手に緩むのが自分でもわかった。
 そんな私にエルキドゥさんは何かもの言いたげな視線をよこしていたけれど、やがてふいとそっぽを向いて、女の子を開放した。ぷはっと息を吐いてエルキドゥさんから飛び退いた女の子が、私の方へ近寄ってくる。
 なにか話があるのかと膝に手をついて中腰になると、案の定ひそひそ声で話しかけてきた。
「ねえ、あの英雄さんの作った素敵な椅子に座っているあなた、お名前を教えて?」
といいます」
「とっても素敵なお名前ね!」
 自分の名前を面と向かって褒められるという機会にはあんまり遭遇したことが無かったから、少しどぎまぎしてしまった。美辞麗句だとはわかっているけれど、それでも嬉しい。
「ぁ、ありがとうございます。よろしければ、あなたのお名前も教えてくれませんか?」
「ええ、いいわ。教えてあげる。ナーサリー・ライムというのよ」
「……ナーサリー・ライム? あの童話と同じ名前なんですか?」
「ええ、そう。でも違うわ。わたしはナーサリー・ライムそのものよ?」
「そのもの……?」
 首をひねると、ひそかに聞いていたらしいエルキドゥさんが助け舟を出してくれた。
「彼女は子供向けの物語の概念そのものが英霊となったんだ」
「概念……サーヴァントって、そういう方もいらっしゃるんですか……」
「うん。そのようだよ」
 くいくいと上着をひっぱられて、エルキドゥさんからナーサリーさんに視線を移す。
「お姉さんは、なにか好きな童謡はある?」
 こんな可愛い女の子にお姉さんと呼ばれた事に一瞬狼狽えつつ、思案する。
 ナーサリー・ライムという童話のサーヴァントの方なのだから、そこから派生した作品を挙げるのが好ましいような気がした。
「うんと……コマドリの話が好きです。あっ、殺すほうじゃなくて、おいでコマドリちゃんのほう」
 私が言い終わるなり、ナーサリーさんはにっこりと破顔した。
「わたしも、そちらのほうが好きだわ! 可愛い無害な小鳥を矢で射って心臓を一突きした後にその血をすするだなんて、とても悪趣味だもの!」
「二人共、話が見えないよ」
「いつもいつも、気難しい本ばかり読んでいるからよ。あなたも少しは童謡を嗜むべきだわ」
 そう言ってむくれるナーサリーさんを、エルキドゥさんは困ったように見下ろす。一拍の間を置いて、私に顔を向けた。
、どういう話か教えてくれるかい?」
「んんと……警戒しているコマドリに話しかけるだけです。パンくずも安全な場所もあるからこっちにおいでって」
「それだけ?」
「はい」
「ふうん……」
 興味が有りそうで無いような曖昧な返事をして、不思議そうな表情を浮かべている。きっと今の話は何か意味があるものなのか考えているのかもしれない。
「君達、立ち話もそこそこにして、こっちに来たまえ!」
 いきなりそんな声が聞こえて、ビクッと肩が震えた。初老に差し掛かった男性の声だ。聞き覚えはない。
「あら、おじさまが呼んでるわ」
 ナーサリーさんはくるっと身体を反転させて、跳ねるように歩き出す。
「そうだね。行こうか」
 エルキドゥさんに手を引かれるまま、談話室の隅へと足を運んだ。
 角の空いたスペースに、いつの間にやら配置されたのか雀卓が一つ。その雀卓を取り囲むように椅子が置かれている。そのうち二つの椅子に紳士めいた格好をした男性と、ピエロじみた奇抜な格好の男性が腰を据えていた。どちらもまったく見覚えのない方だ。前者の方は片手で顎をなぞりながら値踏みするような眼差しを向けてくるし、後者の方はただひたすらニヤニヤしているものだから、緊張のあまり冷や汗が出そうだ。
 両者とも只者ではないと直感が告げている。サーヴァントなのだから只者ではないのは確かなのだけれど、下手な事を言ったら足元をかんたんに掬い取られそうな嫌な予感がある。
 今まで感じたことのないような居心地の悪さを覚えつつ、私は挨拶を口に出した。
「は、初めまして。技師班に所属しています、と申します」
「君の自己紹介はナーサリー嬢との対話で聞こえていたよ。……さて、私は謎めいた男を自負しているからね、ただのスタッフである君に、タダで教える名は持ち合わせていないのだよ」
 意地悪な事を言われているような気がした。
「なので、気軽に親しみを込めて『おじさま』と、そう呼んでくれたまえ」
 絶句した。
「…………えぇと……」
 なんだろう。試されているのかな?
 困惑にまかせて視線を彷徨わせると、エルキドゥさんと目があった。どうしたらいいでしょうか? と視線で助けを求めればきちんと伝わったようで、エルキドゥさんはふっと微笑んで口を開いた。
、彼はアラフィフ老というんだ。気軽に親しみを込めてそう呼ぶといい」
「エルキドゥ嬢、私の自己紹介をぶち壊すのはやめてくれたまえ」
「そしてこちらの彼は、メフィストフェレスという」
「オホホッ、ご紹介に預かりましたぁ、メフィストフェレスでぇす。しかし大仰な名前ではありますが、私めはこちらの老いぼれと違い、ただの道化師にすぎぬゆえ。気軽に親しみを込めて『メッフィー』と呼んでくださいませ」
「ねえひどくない? 二人してひどくない? これじゃあ、ちょっと格好つけちゃおっかな? とか思った私の面目が丸つぶれだよ」
「僕の認識機能ではもう潰れていると判断している。ゆえに潰れる面目は存在しないよ、大丈夫さ」
「言葉の暴力!」
 初老の男性が一番怖そうに見えたけれど、エルキドゥさんとメフィストフェレスさんとのやり取りを聞いていると、お茶目な人なのかもしれないという印象が大きくなった。
 ふと、メフィストフェレスさんがじーっとこちらを見つめているのに気付いた。期待するような眼差しに射抜かれ、なんともいえない気持ちになる。
「ええと……メッフィーさん」
「よろしいっ、ブラボォーッ!」
 一人で拍手喝采を始めるメッフィーさんを見ながら、どうしようもない不安が押し寄せてきた。
 エルキドゥさんがいるからきっと大丈夫だろうと、そう思っていた。でも、今のやり取りから察するにエルキドゥさんはどうやらあちら側の人だ。ナーサリーさんは、よくわからない。ただ、小さな女の子に助けを求めるのは躊躇する。
 私は、この雀卓で無事やっていけるのだろうか……?
「ぼーっと突っ立っていないで、とりあえず掛けなさい。エルキドゥ嬢とお嬢さんは私の右手、君は残りの席でいいかね?」
「ええ!」
「構わないよ」
「……はい」
 ナーサリーさんとエルキドゥさんが座ったのを見て、私もちんまりと腰掛けた。
 対面に座るアラフィフ老さんと目が合ったらと考えると気まずくてあちこちに視線をさまよわせていると、ナーサリーさんと目が合った。途端ににこっと微笑みかけてくれるから、どこか無性にほっとして微笑み返す。
 人心地がついた気がして視線を横に移動させると、アラフィフ老さんとメッフィーさんのお二方とばっちり目が合ってしまった。にやあっと微笑んでくる。平静を装って微笑み返したのはいいけれど、口元が引きつっているのが自分でもわかった。心なしか胃が痛くなってきたのは、多分気のせいじゃないと思う。
「席を決めようと思ったが、正式な手順ではちいと面倒だね……」
 アラフィフ老さんはそう言って、雀卓の中央に積み重ねられた牌山をあさり、4枚の牌を手にとって卓上へ並べた。
「東西南北、この4つの字牌を今から裏返しにして混ぜる。私以外の3人がじゃんけんし、勝った者がどれか一つ選びたまえ。残った牌は私の取り分だ。東を引いた人が東家、そして反時計回りに南家、西家、北家としよう」
 言いながら、4枚の牌をぐるぐると丹念にシャッフルし、並べている。
「困ったわ。わたしとエルキドゥのどちらがじゃんけんに参加したらいいのかしら」
「僕はいいよ。君がやって」
「わかったわ。……でもちょっと緊張するの」
「決まりましたか。それではいざ尋常に、的な?」
 じゃんけんぽんの合図とともに、私とナーサリーさんとメッフィーさんがパーを出す。あいこだ。もう一度合図とともに手を出すと、またあいこ。3回目の正直というやつだろうか、二人がグーを出す中で私だけがパーを出した。4枚の中から適当に牌を選んで、ナーサリーさんとメッフィーさんのじゃんけんを見守る。
 次に勝ったのはナーサリーさんだった。ナーサリーさんはもメッフィーさんもすぐに牌を選び、残った一つをアラフィフ老さんが手に取る。
「それでは一斉に表へ」
 アラフィフ老さんの合図で、一斉に牌をひっくり返す。
「おっと、私が仮親かね」
 東は、アラフィフ老さんだった。残り物には福がある、なんて言葉がよぎった。思わず感心する私をよそに、残りの3人は予定調和でさもありなん、といった様子で肩をすくめている。あれ、なんだろうこの空気。
「では、親決めに移ろう。ところで君、本当に麻雀のルールを知っているのかね? ちょっと囓っただけとかじゃない?」
「職員用談話室にボードゲームがいくつかあるんです。そこで色々教えてもらったんです」
「なるほどネ。では、エルキドゥ嬢とお嬢さんの手牌を見て、アドバイスをしてあげたまえ」
 流れるままに「はい」と頷きかけてから、首をひねった。
「ええと、思うにアラフィフおじさま……」
「『アラフィフおじさま』ではない、『おじさま』だ」
 遮るように言われ、思わず閉口した。気を取り直して再度口を開く。
「思うに、おじ……いえ、アラフィフおじさま、メッフィーさん、エルキドゥさん、ナーサリーさんの四人で席は埋まりますよね? エルキドゥさんとナーサリーさんをお二方でそれぞれ見るというのでは駄目だったんですか?」
「何故言い直すのかね、まあいいけどサ。……いやあ、そうしたいのはやまやまだったのだがね」
「それはぜったい駄目なのだわ!」
 ナーサリーさんが雀卓の縁をぺちんと叩いて、身を乗り出してきた。
「どうしてですか?」
「この二人はすぐにズルをするもの」
「えっ……本当ですか?」
 ナーサリーさんとエルキドゥさんを交互に見ると、二人揃ってこくんと力強く頷いた。
「彼らは手順が少し悪どいんだ。正直な所を言うとね、さっきの東の牌にしても、少し怪しいと思っている」
「……えぇ……」
 4分の1の確率で、偶然残った牌がたまたま東だった。それだけだの事だと思っていたのに、まっすぐなエルキドゥさんがこうして怪しむとなると、途端に胡散臭く思えてきてしまう。
 アラフィフ老さんを見れば、彼はにやりと笑みを浮かべて見せた。まるで映画に出てくる悪役を彷彿とさせる。
「まったく、君たちが余計な事を言わなければ、彼女は私の強運に感心していただろうにね」
「やっぱり、何かしたのね。また悪巧みをしているのかしら?」
「勝負においてズルはつきもの! 試合に勝つための数式が華麗に成り立てばよかろう!」
「あなた達二人はそうでも、わたしとエルキドゥはそうじゃないわ」
「おおっと、清廉潔白な私めを勝手にこのくたびれた老害のお仲間にされては困りますなぁ」
「くたびれた老害!? ちょっとひどくない!?」
「おやおやァ? では、くたびれた雑巾に言い直しましょうかぁ?」
「悪化してる……もういいよ老害で。まあ、そういう君達二人も、持ち前の強運で私をタコ殴りにしてくるし、これで痛み分けみたいなものだよハハハ!」
 高笑いする二人と、それを胡乱な目つきで眺める二人。明確に態度が別れている。
 とりあえず、今までのやり取りで、この四名のサーヴァントの力関係が漠然とわかったような気がする。そしてこの内のお二人が信用ならないものとわかった。
 でも、ナーサリーさんもエルキドゥさんも、そういう気性の持ち主だとわかっていながらこうして同じ時間を過ごしているという事は、そういう事なのだろう。身構えるに越したことはないけれど、平常時の態度で振る舞っておけばよさそうだ。
 アラフィフ老さんがサイコロを一つ振る。出目は4だった。反時計回りに数えて4番目はメッフィーさんにあたるので、今度はメッフィーさんがサイコロを振る。出目は2。
 つまり、起家はアラフィフ老さん。
「これは、絶対にずるだわ!」
「うん、どう見てもずるだね」
「わたくしは無関係かつ無実の身でございます。これは偶然にしては出来すぎかと思いますゆえ、サイコロに何か仕込みをしていたのでは?」
「ただの偶然だよ!? 皆して、よってたかって老人をいたぶる趣味でもあるのかね?」
「本当に偶然なんですか、おじ……アラフィフおじさま?」
「だからおじさまだヨ。……君まで老人をいたぶる趣味があるとはね。私は思わせぶりなことを言って諸君らを手の平の上で転がしているだけにすぎない。疑念からくる動揺はやがて手筋の乱れに繋がるものだからね」
 アラフィフ老さんはこほんと咳払いして、言葉を続ける。
「洗牌と、牌山作りに移ろう」
「しーぱい? はいやま? なにかしら……」
「なんだろうね」
 ナーサリーさんとエルキドゥさんが、二人揃ってこてんと首をかしげてみせる。
「この牌をごちゃ混ぜにシャッフルするのが洗牌で、牌を均等に並べた列をそれぞれ作るのが牌山です。というか、この雀卓手動なんですね……職員用談話室にあったのは全自動なのに……」
「何いっ、全自動っ!? それは本当かね?」
 アラフィフ老さんが、身を乗り出してくる。
「本当ですよ。……というかこの雀卓、カルデアの備品ではないですね。かなり古そう……どなたか、この雀卓がここに配置された日付を知っている方はいませんか? おおまかで構いませんから」
 備品の管理は職員の仕事のうち。出自の怪しい備品であれば尚の事だ。一応上に報告しておいた方がいいかもしれないと端末を取り出すと、エルキドゥさんもメッフィーさんもナーサリーさんも、揃って首を横に振る。誰も知らないみたいだ。
 と思いきや、たった一人だけが違う反応を見せた。
「ギクッ」
「あら? おじさまがギクッとしたわ!」
「何か知っているのであれば教えて下さい、おじさま」
「さっきまで渋ってたのにこういう時だけストレートに呼ぶのはズルいぞ君。……正直に話すから怒らないでヨ、お願い」
「怒れないですよ、そんな立場ではないので」
「なら話しちゃおっかな。新宿にレイシフトしたとき、ふらりと立ち寄った質屋でマスターくんのポケットマネーから購入したのだ。彼のお財布がすっからかんになってしまったせいで三日間口を利いてもらえなかったがね!」
 さもありなん、といった様子で私以外の三人が肩をすくめる。このなんともいえない空気が漂うのは二度目だ。しかし、レイシフトって買い物もできるんだなあ、羨ましい。なんて一瞬思いかけてしまい、慌ててそんな考えを打ち消した。
「……とりあえず、藤丸くんのもとで持ち帰ったということならデータに残っているでしょうし、あらぬ疑いでお手数をおかけしました。申し訳ありません」
「構わんさ。どれ、ちゃっちゃとやってしまおう」
 牌を混ぜだすアラフィフ老さんを発端に、どんどん手が増えていく。5人でじゃらじゃらと混ぜるのは、ちょっと楽しい。充分にかき混ぜ終わると、17枚の牌を一列に並べ、それを二段重ねる作業に移る。エルキドゥさんとナーサリーさんは見様見真似に不慣れな手付きで、たまに私に確認を取りながら、それでも綺麗な牌山を作った。
「では、配牌だ。開門位置を決めるよ」
 サイコロを振るのは、親であるアラフィフ老さんの役目だ。アラフィフ老さんが卓上へサイコロを2個軽く投げる。出目は8。
「左8……北家、メッフィー君の席だね」
「クハッ! 私が開門とはいささか縁起が良すぎますねぇ! 皆様のために私めが地獄の門を開くとしましょうか!」
 アラフィフ老さんが北家の牌山の右から8幢目を割る。割った場所から左3幢目の上段にある牌をひっくり返してドラ表示を行うと、王牌を切り離した。アラフィフ老さんが起家になる過程は皆さん苦言を呈していたけれど、この手際の良さを見ているとこの方が起家で良かったと思う。
 割った場所から左に向かって2幢、4枚ぶんの牌を取るアラフィフ老さん。手牌として並べつつ、次はナーサリーさんとエルキドゥさんの番だと片手で示す。
「4枚ずつ取っていけばいいのかい?」
「そうだヨ」
 エルキドゥさんがぎこちなく、壊れものを扱うような手付きで牌を取った。ナーサリーさんと顔を寄せ合って、丁寧に並べているのが微笑ましい。そんな二人を横目に見ながら、私も2幢ぶんの牌を取って、次はメッフィーさんの番だ。それを3週ほど繰り返し、最後の4周目。アラフィフ老さんが1つ飛ばしで牌を取って、エルキドゥさんがそれを真似しようとするのをアラフィフ老さんと私で慌てて止めた。最後の牌は1つしか取らない事を説明すると、怪訝そうでありながらも納得してくれたようだった。私とメッフィーさんも牌を1つ取り、ようやく息をつく。
「わりと時間がかかるものだね」
「慣れればそんなに時間はかからんさ。自動雀卓であればもっと早いんだろう?」
「はい。でも、こうして全手動でやるのも、どきどきして楽しいです」
「それは良かった。……そういえば点棒を配るのを忘れていたよ。2万5000点でいいかな?」
「はい、構いませんよ」
「……点棒? 何だい?」
「持ち点の事でございますよ。一局を終えるごとに加点減点を繰り返して、最終的な勝者を決めるのです。他にも使い道はありますが、対局の内に理解できるようになるかと」
「なるほどね」
 エルキドゥさんは12本の点棒を受け取ると、それぞれの棒の種類が違う事を確かめるように触っている。
「ほらお嬢さん、役の説明のコピーを一応渡しておくよ。わからなければ君に見てもらいなさい。無論、私に聞いても構わんがね」
「わかったわ!」
 ナーサリーさんがコピー用紙を受け取ると、エルキドゥさんと一緒に顔を寄せ合って覗き込んでいる。きっと普通なら嫉妬とかしてしまうのかもしれないけれど、不思議とそんな気持ちは湧いてこなかった。興味津々そうな二人の眼差しが微笑ましくて、勝手に頬が緩む。心があったかいもので満たされるのを感じつつ、あらためて自分の手牌を眺めた。
 萬子に筒子に索子に風牌に三元牌がバラバラに混ざっている。はっきり言ってひどい。上がれるかどうかなんてこればっかりは運によるけれど、難しいような気がした。この一局は自分が勝つ事よりも、エルキドゥさんとナーサリーさんに専念したほうががいいかもしれない。
「では行くよ」
 アラフィフ老さんが牌を河に捨てる。次はエルキドゥさんとナーサリーさんの番だけれど、案の定二人とも怪訝そうにしていた。
「牌山から一枚取って、そうしたら自牌から必要ないなと思った牌を、向かって中央より少し手前の場所に並べるんです」
「向かって中央……おじさまが捨てたところではなく、正面なのね」
「そうだヨ。その牌を捨てる場所を、ホウという。覚えておくと良い」
「そうか。一応、記憶にとどめておくよ」
 ナーサリーさんが牌を一つ手にとると、二人して自牌とコピー用紙の説明と交互ににらめっこしている。役を確認しているのだろう。微笑ましいなあと眺めていると、エルキドゥさんが私の方を見た。
、助言が欲しいんだ。いいかい?」
「んんと……本当に見てもいいんですか?」
「ええ! どうせ練習だもの」
「……それでは、失礼します」
 椅子を動かして、身体を傾けて覗き込む。萬子と筒子の老頭牌が揃っているのがまず目を引いた。三元牌も揃っているけれど、白牌が2つと多めだ。
 二人の手元にあるコピー用紙に視線を落として、狙えそうな役をかくかくしかじか小声で説明する。ツモの運がよければきっと大きな役も狙えそうだけれどその確率は小数点以下だし、まずは小さな役の積み重ねがよさそうでもあった。
 二人はふんふんと頷きながら私の説明を聞き終えると、今度は二人であーだこーだと話し合って、萬子の伍を捨てた。
 私の番が回ってきたので席に戻る。適当に紅中牌を捨てて、次はメッフィーさん。それを何度か繰り返す。河に捨てられた牌が5枚目に突入したところで、

 また助言を求められた。さっきと同じように身体を傾けて覗き込む。
「……あっ、鳴けますね、これ」
「「鳴く?」」
 二人して声を重ねて、同じ方向に首を傾げているのが可愛い。
 とりあえず、鳴きの意味がわかっていないみたいだ。そこから説明しなければならない。先程アラフィフ老さんがナーサリーさんに配ったコピー用紙に説明が載っていれば、説明はだいぶ楽だ。お二人の手元にコピー用紙をお借りしてもいいかと声をかけようとすると、
「鳴くって何かしら……?」
「よくわからないけれど、鳴けばいいんじゃないかな」
 二人して神妙な面持ちになりながら会話をしている。
 やがて二人は確かめるようにこくりと頷いてみせると、キリッとした顔つきになり。
「「ニャー!」」
 高らかにそう叫んだ。


「二人して猫の鳴き真似をするとは思わなかったネ」
 言いながら、アラフィフ老さんが牌を捨てる。
「ひどいわ、みんなして! 確かに、勝手に勘違いしたのは私達だけど……いつまでもチクチクつつかなくてもいいじゃない」
「だって二人していきなり変な事叫ぶんだもん。仕方ないさ」
 牌を捨てるナーサリーさんに対し、アラフィフ老さんがそんな事を言うものだから、ナーサリーさんは殊更むくれてしまった。私は無言のまま、ぎくしゃくと牌を取って、いらない牌を捨てる。
「いやはや、笑いすぎて内臓どころか四肢すら引きちぎれ、そのまま雲散霧消するかと思いました」
 牌を取って捨てながらメッフィーさんが言うと、アラフィフ老はにやっとした微笑みを私に向けた。
「鳴けますよと言いつつポン、チー、カンのなんたるかを説明しなかった君、ナイスアシストだったよ」
「……えぇと……」
 褒められても素直に喜べず、私は言葉を濁すほかない。
「ところで……エルキドゥ嬢はいつになったら元に戻るのかね?」
 アラフィフ老の発言を発端に、三人の視線が私の膝上に集中した。つられて私も視線を落とす。
 私の膝の上、長毛の猫が丸まっていた。
 一見するとペルシャ猫のようにも見えるけれど、既存の猫よりも一回り大きいし、足も太くてずんぐりむっくりとした風体はまるで山猫のようでもあった。こんな猫は見たことがない。アラフィフ老さんいわく、「エルキドゥ嬢がいた紀元前の時代に存在した、家猫と山猫の中間種だろう」との事。
 この猫――もといエルキドゥさんのおかげで椅子を立つこともままならず、身動きが取りづらくてしょうがない。
「エルキドゥさん、機嫌直してくださいよー」
 人差し指だけで、頭のてっぺんを撫でると、少し身じろぎしてそっぽを向いた。そして、返事のかわりに尻尾をぺしぺし。戻る気は無いみたいだ。何度か頭を指先でなぞっていると、やがて尻尾のぺしぺしも収まった。
 エルキドゥさんとナーサリーさんのお二人が高らかに『鳴き』を宣言した後、アラフィフ老さんとメッフィーさんはしこたま笑った。私は必死に我慢したつもりだったけれどやっぱり堪えきれなくて、申し訳ないと思いながらも俯いて笑ってしまった。
 私達の笑い声が響き渡る中、エルキドゥさんは目から光を失い、隣のナーサリーさんは顔を真っ赤にして二人一緒にしばらくの間わなわなと震えていた。そしてエルキドゥさんはとうとう耐えきれなくなってしまったのか、閃光を発して猫になってしまったのだ。皆で呆気に取られてしまい、笑いのうねりは一旦収まったものの、その行動がエルキドゥさんとしては誤魔化しているつもりなのだと気付くと、やっぱり皆で笑ってしまった。やがてエルキドゥさんは自分の椅子から私の膝の上に飛び移って、今に至る。
 ちなみに、本来の鳴きであるポン・チー・カンのどれかを宣言してしまうとリーチをかけれなくなるという事と、特定の役で上がれなくなる事、早鳴きにはリスクがある事、そして鳴きは必ずしも宣言しなくていい旨を説明すると、ナーサリーさんは鳴きをスルーしたのだった。
「お姉さん、次はどうしたらいいかしら?」
「あ、はい。ちょっとまってくださいね」
 エルキドゥさんを抱っこして立ち上がり、ナーサリーさんの自牌を覗き込む。理牌していないからてんでバラバラだけれど、その役に気付いた瞬間、無意識の内に息を呑んでしまった。
「……ナーサリーさん、役表を見てみてください! 上がれますよ!」
「あら、ええと……これね! 国士無双という役なのだわ!」
「えええぇえっ!? 嘘でしょお!?」
 アラフィフ老さんが驚愕のあまり立ち上がり、メッフィーさんは「オホッ」と変な奇声を発している。倒牌のやり方を教えると、ナーサリーさんは拙いながらも自牌を横倒しにして、ふふんと自慢気に微笑んでいる。持ち前の強運で殴るだとかアラフィフ老さんが言っていたけれど、確かにこれは強運以外の何物でもない。
「クハッ、これは見事なビギナーズラック!」
「一番目の上がりですね。おめでとうございます!」
「わたしとエルキドゥが一番……。ちょっと色々あったけど、ふふっ、うれしいわ!」
 ナーサリーさんがとても嬉しそうな笑顔を私に向けてくるから、つられて私も笑ってしまった。にっこり微笑みあって、それから膝上のエルキドゥさんに視線を落とす。
「エルキドゥさん、勝ましたよ。おめでとうございます」
 話しかけても、一向に反応が見られない。人差し指で背中をつんつんつついてみると、上着の裾に頭を潜り込ませてしまった。頭隠して尻隠さず。しばらく機嫌はなおらなさそうだ。
「さて、麻雀は勝者のために起家が脱衣せねばなりますまい? それではアラフィフ老、一発お願いいたします!」
「どんな無茶振り!? 脱がないからね!!」

 東場を終えて仕事に戻る私を、ナーサリーさんと、とびきりかわいい猫……もといエルキドゥさんが見送ってくれた。
「少ししかお付き合いできませんでしたが、楽しかったです。ありがとうございました」
「ええ、わたしもとても楽しかったわ。……次はあなたとお茶会がしたいの。甘いお菓子を用意して、とびきり甘いお話が聞きたいわ」
「私でよろしければいつでも……とはいきませんが、事前にお誘いいただければ時間の確保ができるかもしれません」
「本当? 約束ね!」
 ナーサリーさんが小指を差し出してくるので、一瞬戸惑った後に私も小指を差し出した。小指を絡めて指切りげんまんするのを、私の右足に寄り添う猫がじーっと見上げてくる。
 指をほどいて顔を上げる。談話室の奥へ視線を向ける。
「それではメッフィーさんとおじさまも、ごゆっくりお過ごし下さい」
「お手数をかけたね」
「またいつか、今度は魂を賭けていざ麻雀を」
「やめなさい」
 お二人とも冗談交じりに言いながら、麻雀の牌を混ぜている。南場の準備をしているのだろう。このまま参加したい気持ちはあるけれど、仕事がある。我慢だ。
「それでは、失礼します」
「ええ! お仕事、頑張ってね」
 可愛いナーサリーさんにそう言われると、なんだかやる気に満ちあふれてきた。
 くるりと踵を返そうとすると、足元の猫がピョンと掴みかかってきた。思わず戸惑う。
 猫にこうして引き止められるというのも初めての事だし、何より猫の力が強くて足が持ち上げられない。引きずって移動することも出来ない。
「エルキドゥさん、離してくださいよー。というか、ずっと猫のままでいるつもりですか?」
 猫の足を引き剥がそうとするけれど、ぎゅっとしがみついてくる。身をかがめて人差し指で頭を撫でてみるけれど、離れる気配は微塵も感じられない。どうしたら離れてくれるのだろうと思案を巡らせていると、
「お姉さんって、……もしかして、猫が嫌い?」
 ナーサリーさんがいきなりそう言うものだから、思わず面食らった。
「どうしてですか?」
「だって、指一本でしか撫でないもの。……エルキドゥ、あなたで実践してみてもいいかしら?」
「かまわないよ」
 猫からエルキドゥさんの声が聞こえて、ちょっとびっくりした。というか、その状態でも喋れるなら喋ってくれればいいのに……なんて思っていると、エルキドゥさんは私の足からあっさりと離れてしまう。このまま移動できるなと思ったけれど、すぐに追いつかれるのがオチだろうから、そのまま待機する。
 ナーサリーさんはエルキドゥさんのそばにしゃがみ込むと、躊躇することなく右手を伸ばした。手全体を使って、頭のてっぺんから背中までしゅるりと撫でみせる。
「普通は、こうして撫でるものでしょう?」
「ええと……」
 言いよどむ。
 それでも丸っこい目が真っ直ぐに私を見上げてくるものだから……観念してその場にしゃがみこんだ。ナーサリーさんと向き合う。
「小さい頃、自宅の庭に子猫が迷い込んだ事があって……可愛いなと思って触ろうとしたら引っかかれてしまって、しかも近くにいた親猫に噛み付かれた事があるんです」
「まあ!」
 正直に打ち明けると、ナーサリーさんは目を丸くした。
「とてもショックだったのね……それから嫌いになってしまったの?」
「嫌いじゃないですよ、猫は好きです。でも、見るだけでいいかなという気持ちにはなりました」
 私が言い終わった途端、エルキドゥさんがゆっくり近寄ってきて、腰のあたりに身体をこすりつけてきた。まるで猫がマーキングするみたいにぐるりと一周する。それから私の正面に来ると、膝の上に両前足をちょこんと乗せてきた。
「僕はひっかかないよ。噛んだりもしない」
「……撫でませんからね?」
「傷なんてつけないさ、絶対に」
「撫でませんってば」
 そんなやり取りをしていると、ナーサリーさんがくすくす笑い出した。
「ふふ、おかしい。コマドリのお話みたいなやり取りをするのね」
「……ちょっと違うような気がしますが」
「ううん、似たようなものだわ。渋るあなたを、エルキドゥが必死に説得しようとしている所がそっくりよ」
「へえ……話の最後はどうなるんだい?」
「どうにもならないわ。説得するだけで終わりなの。コマドリがどうするかは、読み手の想像の中にあるのよ」
 ナーサリーさんはエルキドゥさんに向かって言うと、私の方に顔を向ける。
「お姉さんはどう思うかしら? あのコマドリはお家の中に入ったと思う?」
 私の目をじっと見つめながら、そう訊ねてきた。
 しばらく考え込む。
「コマドリは野生動物だし警戒心も強いから、普通なら逃げるかもしれませんけど……物語の中であれば逃げないのが理想ですよね」
 手を伸ばす。猫の頭から背中まで、手全体を使って撫でると、猫が気持ちよさそうに目を閉じた。もう一度撫でると膝小僧に頭を擦り付けてくるから、背中をひっかくように撫で回す。
 もう充分だろうと手を下ろしてナーサリーさんを見ると、にっこりと微笑んでいた。
「あなたはとっても良い読者だわ!」
「ええと……恐れ入ります?」
、足りないよ」
「やっぱり猫を撫でる趣味はないので……エルキドゥさんなら、これでもかと言うほど撫で回しまくるんですけれど」
 猫がするりと膝から前足を下ろすと、一定の距離を開けた途端、白い閃光が走った。びっくりして目を閉じる。
 恐る恐る目を開けると、さっきまで猫がいた場所にエルキドゥさんが片膝をついてしゃがんでいた。
「ようやく元に戻ったわ!」
「そうですね。さて、それでは戻ります」
「おや、おかしいな。撫で回してくれないのかい?」
「残念ながら、人前で撫で回す趣味は持ち合わせていないので」
「これは……嵌められたかな」
 エルキドゥさんはそう言って、眉間に皺を寄せている。
「お二人とも、南場も頑張ってください。応援しています」
「ええ! こてんぱんのぎっちょんぎっちょんにしてやるわ!」
 そう決意表明するナーサリーさんはにこにこしている。そんな彼女とは打って変わって、エルキドゥさんは何にも言わずに不満げな様子だ。見ていると、笑みがこぼれる。
 兵器だと言うけれど、それでも人間と同じように笑ったり、怒ったり、恥じらったりするから不思議だ。そこがとても愛らしくて、とても好きだなと思う。
 手を伸ばして、なでなで、と頬を撫でる。それからふにふにと頬をつっつくと、エルキドゥさんの不満そうな気配は消えていた。手を引っ込めて立ち上がる。
「それでは、失礼いたしました」
 私は二人に頭を下げて、それからエルキドゥさんに軽く手を振って、談話室を後にした。急いで仕事に戻らなければいけない。振り返らず駆け足で進む。
 そういえば、アラフィフ老さんの本当の名前は何だったんだろう?
 結局分からず終いだったけれど……まあいっか。

 遠ざかる背中を見送ってから、エルキドゥは談話室の扉を静かに閉める。と、ナーサリーがぽつりとつぶやいた。
「エルキドゥとお姉さんを見ていたら、勇気が貰えたわ」
「……勇気?」
「ええ。粘土が人に恋をするのも、人が粘土に恋をするのも、別におかしな事ではないってはっきりわかったもの。わたしも頑張らなくちゃ!」
「何だかよくわからないけれど、頑張って」
 そんなやり取りをしながら、エルキドゥとナーサリーは雀卓へと足を運ぶ。
 ナーサリーは元々あてがわれた椅子に座ったが、エルキドゥは座主を失った西家の椅子へと腰を下ろした。
「次はエルキドゥが勝てるといいわね!」
「どうだろうね。まだ不慣れだからわからない事も多いけれど……できれば勝ちたいかな」
「おやぁ、やる気満々のご様子?」
「やだ怖い。お手柔らかに頼むよ」
 そうして始まった南場1局。開幕からメフィストフェレスが地和からの大四喜と四暗刻の複合役を見せびらかし、モリアーティが「どうしてそんなバレバレなズルしちゃうの!」と喚いた。
 二人の騒がしいやり取りを見ながら、エルキドゥとナーサリーは顔を見合わせ、さもありなんと肩をすくめてみせた。