大いなる(後編)

 私に気を使ってか、廊下を歩くエルキドゥさんはゆっくりとした足取りだった。ゆったりとした振動が、まるで揺り籠の中で揺られているような気持ちにさせられる。それでも船を漕がずにいられるのは、斜め後ろ2メートルくらいにイシュタルさんがいたからだった。彼女もエルキドゥさんの歩調にあわせ、距離をとって歩いている。
「君はついて来なくてもいいのに」
 エルキドゥさんが鬱陶しそうに言うから、恐々として身構える。
「方向が一緒なんだから仕方ないでしょう」
「なら、歩く速度を合わせなくてもいいと思うよ」
「うるさいわね。ほっといて頂戴」
 イシュタルさんが吐き捨てると、エルキドゥさんはふうと小さなため息をついた。
 奇妙な空白が漂う。視線を何処にやったら良いのか分からず、エルキドゥさんの肩に添えている自分の手をぼんやりと見つめていると、声をかけられた。

「はい」
「正直に言うと、安心したよ」
 手ばかり見つめていた視線を、エルキドゥさんの真っ白な頬へとずらす。
が昔の僕を見た時にどういう反応を示すのかという好奇心は確かにあったんだ。でも……あれを見せた後に君の態度が変わってしまうのが少し怖くてね」
 エルキドゥさんが穏やかに言葉を紡ぐたびに、顎の骨がゆっくりと上下に動くのが見える。
は怖くは無かったかい?」
 ほんの少しだけこちらを振り返って、そう尋ねてきた。
 シミュレータールーム内の出来事、とりわけエルキドゥさんの姿を思い返しながら、私は口を開く。
「最初はすごく驚いたし、怖かったです。でもお花とか見たら色々吹っ飛んじゃって……あっ」
 ふとある事に気付いて、エルキドゥさんの背中から落っこちない程度に体を離す。胸ポケットに視線を落とすけれど、差し込んだ花は見当たらなかった。
「どうかしたかい?」
「エルキドゥさんから貰った白い花が見当たらなくて……でも、シミュレーター内の出来事だから、当たり前ですね」
 小さな落胆を覚えつつ、エルキドゥさんの背中に身を寄せると、
「もし欲しければ後でまた作るよ。少し時間がかかってしまうけれどね」
 そんな私を言葉で慰めてから、エルキドゥさんは顔を正面へと戻した。
「あの、エルキドゥさんは、お花を咲かせることができるんですか?」
 追いかけるように尋ねると、エルキドゥさんが首を縦に振って頷いた。
「厳密にいえば違うけれど……まあ、そうだね。花に限らず、植物に属するものであればああやって生成する事ができるよ」
「そうなんですか。……どうして最初にお花を?」
「なんといえばいいのか……、言葉を持たなかったあの頃の僕なりの友好の示し方とでも言えばいいかな」
 エルキドゥさんが、しみじみとした口調で言う。
「ああして、他者と意思疎通をはかった事があるんだ。それが正しく最善だったのか知りたくてね……で試したのは悪かったと思っているよ」
「ううん、かまいません。お花を見るのは久しぶりだったから、嬉しかったです」
「そうか。……よかった」
 本当に安心しているような口調だから、なんだか気恥ずかしくなってしまった。肩に顔を寄せると、エルキドゥさんが僅かに身じろぎをする。
「悲鳴を上げながら逃げ惑うのも覚悟していたけれど、すぐに慣れてくれたのは嬉しかったな」
「きっと、今のエルキドゥさんという先入観があったからだと思います。怖くても、それがエルキドゥさんと思い込むと怖くないといいますか」
「先入観……なるほど、そこまでは思い当たらなかった」
「本当はあまりよくないんですよね、先入観に頼るのって。自分の都合の良い方にばかり捉えてしまうから……」
 外見がいかにも危なそうな人に対して「あなたはとても優しそうですね」とはならない。けれど、その人に関する情報を前もって知っていれば、接し方は変わるはずだ。でもその情報が嘘だとしたら? どちらにせよ、先入観にばかり頼るのはよくない傾向には違いない。
「そう考えると、シャムハトさんという方はすごいですね。あの大きなエルキドゥさんという先入観をもっていながら、隔てなく接する事が出来たんですから」
「そうだね……王命によるものとはいえ、逃げようと思えば逃げることができたわけだからね」
 エルキドゥさんがはるか遠くを懐かしむように言う。
「他の人たちもそうだ。王の通達よる先入観の軽減はあれど、得体のしれない僕を受け入れ、当たり前のように接してくれた」
 エルキドゥさんの生きていた時代のことはよくわからないけれど、たとえ王様とやらの通達があったところで、ほとんどの人は興味のない他人に構うほど、余裕があるとは思えない。それでもエルキドゥさんの態度から察するに、何かの合間に声をかけてもらえるくらいは馴染んでいたんだろうなと勝手に推測を広げて、ほほをゆるめてしまう。
「愛されていたんですねえ……」
「……そうかな」
 呟いたエルキドゥさんは、ほんのちょっぴりもじもじした様子で、なんだか照れくさそうだった。
「シャムハトに言葉の概念を教えてもらう時に、孤独を軽減できる代わりに残酷な仕打ちを受ける事にもなると言われたんだ。言葉を知らず無知でありつづければ、現実で襲いかかる無慈悲な衝撃から守ってくれると。……それでも知ってよかったと思うよ。さまざまな人との交流に触れる事ができたからね」
 エルキドゥさんは穏やかな口調ながら、あまりにも途方も無い言葉を綴ると、それっきり無言になってしまった。私もエルキドゥさんの発言を理解した瞬間、いきなり鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けて、口をつぐんでしまう。
 確かに、暴言の意味を知らなければ傷つくこともないし、胸中穏やかなままでいられる。それでもエルキドゥさんは教えを請い、言葉を得たのだ。
 どうにかエルキドゥさんの言葉の余韻から復帰すると、エルキドゥさんの白い頬を見つめて、それから肩に頬を寄せた。
「その……大きなエルキドゥさんを初めて見た時、神様みたいだなと思ったんです」
「神様みたいか。……そうだね。おまけに人間でもないし、兵器にも成りきれない。あまりにも不完全だよ」
「だからエルキドゥさんは、人に寄り添う事ができるんですね」
 肩に寄せた頬を、一度だけこすりつける。布越しだから、当然痛みはない。
「人間は不完全を補いあって生きていくから……もしエルキドゥさんが本当に神様だったら、その、神様ってきっと完全な生き物だから、不完全な人間には寄り添ってはくれなかったのかなって」
 肩に添えた手に力を込める。
 やがて、エルキドゥさんが身動ぎしたかと思うと、
「イシュタル、聞いたかい?」
 まるで挑発するような声でイシュタルさんに話しかけた。
 どうしてそんな事をしたのかわからずに目を丸くすると、
「うっ、うるさいわね! 聞いてるわよ!」
 後ろから怒声が響く。
 慌てて振り返ると、わなわなと震えているイシュタルさんが視界の隅に映った。
「神は人に寄り添えない、もっともな話だと思うよ。君はマスターに寄り添う気でいるようだけれど……」
「うるさいって言ってるでしょう!」
 エルキドゥさんの言葉を、イシュタルさんが怒声で遮った。激昂の爆発はさながら噴火したかのようだった。
 イシュタルさんはぷんぷんと怒りながら、足早に横を通り過ぎようとする。
「そこの貴方、お大事にね!」
 間際、私に気遣うような怒声を投げかけて、追い越していった。見る見るうちに遠ざかっていく。
 平気そうにしているエルキドゥさんとは対象的に、私はおろおろと挙動不審になってしまった。
「あ、あの……私、その、怒らせるつもりはなくて……」
「図星を突かれてヒステリーを起こしただけさ。いつもああだから、気にしなくていいよ」
 エルキドゥさんが心なしか嬉しそうに言うものだから、嫌な予感が湧き上がった。
「図星って、……まさか……」
「うん、彼女は君が言っていた神の一人だからね」
 自分でも、一瞬で顔が青ざめたのがわかった。
「な、なんで最初に言ってくれなかったんですかっ」
「聞かれなかったからさ。なら、言う必要はないだろう?」
「もーーっ!」
 不満を声に出しながらぺちぺちと肩を軽く叩いてみるけれど、エルキドゥさんはくすぐったそうに笑うだけだ。まるで反省する様子もなく、意に介してすらいなかった。
 イシュタルさんの怒った顔と、それでも怒声で気遣ってくれた事を思い返し、肩に顔を埋めて悶えてしまう。たぶんきっと、傷つけてしまったに違いない。
「うう……あとで謝らなきゃ……」
「謝らなくていいよ。むしろ、僕としては清々したくらいさ」
 顔を上げてエルキドゥさんを軽く睨む。仲が悪いみたいだけれど、その言い方はあんまりだ。
「エルキドゥさん、ひどいですよ。どうしてそんなに辛辣なんですか?」
「あの女神こそが僕が死ぬ切欠となったからね、辛辣にもなるさ」
 鈍器で殴られたような衝撃が、全身に走った。
「まあ、厳密に言えば僕に死の呪いをかけたのは彼女自身ではなく、あの雄牛なのだけれど……」
 エルキドゥさんの声が遠鳴りのように聞こえて、頭の中に入ってこない。
 そういえば以前、死の呪いをかけられたと話していた。自嘲するように喋るエルキドゥさんの姿が一気に思い起こされ、息が詰まる。
 ひどいのはどっちだろう? 自問する。
「……ごめんなさい」
「なんだか今日はに謝られてばかりな気がするな」
 エルキドゥさんの声は、朗らかだった。
「ただの昔話だよ。僕は気にしていないから、も気にしなくていい。それにマスターだって、僕とあの女神の間に起きたことを知りながら、平気で一緒にレイシフトに連れて行ったりもするからね」
 慰めるような物言いに、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「そんな事よりも、僕は別のことのほうが気になったから、そちらを訂正して欲しいかな」
「……な、なんでしょうか」
 今までのやり取りをそんな事と言い切ってしまう姿勢に、思わず身構える。
「明け渡す、と言ったことさ」
 息を呑む。
 目を何度もしばたたかせて、白い頬を見つめる。
「確かに余裕がないのは事実だよ。でも、君のために用意した隙間を君に放り出されてしまったら、僕はそこを何で埋めたら良いのかわからなくなる」
 思わず、唇をぎゅっと噛んでしまった。
 胸の奥に熱いものがこみ上がってきて、じわじわと満たされていくような気がした。それでも必死に我慢していないと、なんだか溢れてしまいそうだった。
「ささやかだけれど、とっておきの隙間なんだよ」
「……ごめんなさい」
 抱きしめられないかわりに、力強くしがみついて、身体を密着させる。
「それに、と僕の好きに誤差があるなら教えて。この通り不完全だからわからないんだ。すりあわせて、調整してみせるから」
「はい」
「大切にしてほしい。僕もそうするから」
「はい。いっぱい大切にします」
「いっぱいか……ふふ、嬉しいな」
 エルキドゥさんは嬉しそうに言うと、よいしょと小さな声とともに反動をつけて、私を抱え直した。
 振り落とされないようにぎゅっとしがみついて、エルキドゥさんの肩先に顔を埋める。ぐりぐりとおでこを擦り付けると、やっぱり痛みはなかった。
、くすぐったいよ」
 エルキドゥさんが、小さく笑う声がする。

 記憶領域から施設内部の地図を参照し、医務室までのおおまかな道のりを頭の中に描く。現在位置と照らし合わせつつ、エルキドゥは廊下をゆっくりと探り探りに進む。
 エレベーターホールに辿り着くも、両手が塞がっているせいで扉の開閉ボタンが押せないことに気付き、やむを得ず階段を通るルートを選択した。転ばないように気を付けながら、ゆっくりゆっくり降りてゆく。
 そうして医務室のある階層までたどり着くと、
、もうすぐでつくよ」
 背負っている少女に声をかけてみる。
 しかし、いつものように打てば響くような反応は返ってこない。そのかわりに、規則正しい穏やかな寝息が聞こえてくる。
「……のんびりしすぎてしまったかな」
 時間をかけて歩けば歩くほど背負っていられる時間も長くなる、という腹づもりがあったのは否定できない。それに具合が悪そうなら、振動は極力抑えたほうがいいというエルキドゥなりの気遣いによるものだ。しかしこうして眠ってしまうのは想定外だった。
 いつから眠っていたのか。体温や心拍数の変化からめぼしい時間を割り出すことが出来るが、どうでもいい話だ。そしてすやすやと安心しきって寝る子を起こすのは、まさしく拷問に等しい。それに良心の呵責が痛む。エルキドゥは何事もなかったかのように足を踏み出そうとする。
 違和感が発生した。
 それも、極めて懐かしい。
 動きを止め、周囲を見渡す。
 進むべき方向とは反対に位置する廊下の窓際に、見慣れた人影があった。ぼんやりと窓の外を見つめていたが、相手もエルキドゥに気付いたようで、こちらに顔を向ける。
 視線が一瞬だけ交錯する。
 エルキドゥが何事も無かったかのように歩き出せば、その気配は追いかけるように近付いてきた。歩くペースをさらに緩めると、隣に並んでくる。
 ふわりと懐かしい気配がして、エルキドゥはいっそう心休まる気持ちになったが、身にまとう鎧の音が一瞬にしてそれを打ち消した。歩くたびに金属が擦れる音があまりにも煩い。平時であれば気にとめないが、今は背負う少女の眠りを妨げないか不安を覚えてしまう。
「今度はお守りか?」
 エルキドゥと背中の少女の顔を見比べ、ギルガメッシュは鼻で笑う。
 嘲笑されたのは明白だが、エルキドゥは気にしない。
「そうでもないよ」
 言いながら、横目でギルガメッシュの顔を伺う。機嫌は良さそうだが、しかし警戒は怠らない。
 エルキドゥは、この友人が娯楽で人の命を奪うことを知っている。ましてや、王の唯一無二の友人におんぶをさせる無作法を働いているなどと捉えられたら、目も当てられない事態になるのは必定だ。
「もはや足代わりか。自負は犬にでも食わせたか?」
「彼女は具合が悪いのさ。そこまで突っかからないでくれるかい」
 一瞬だけ、ギルガメッシュの視線が動いた。
「……他に任せればよいものを」
「起因は他にあれど、ほとんどは僕のせいだからね」
 女神とのやり取りや、昔の姿を見たいとせがまれた事のあらましは説明しない。どのみち、ギルガメッシュ自身が気になった瞬間には、千里眼で見てしまっているだろう。しかし、他者のプライベートを根掘り葉掘り覗き見るほど、彼の性根は腐ってはいないはずだ。
「ただの雑種にそこまで入れ込み、おまえの何になる?」
 尋ねられ、エルキドゥは即答する。
「さてね。ただ、ギルが見る景色と、僕が見ている景色は同じようで違うのさ。君が厭うものを、僕が好む事もある」
「ほう?」
「たとえば、そうだね…………フワワ」
 エルキドゥの目が光る。
 平時において、唯一無二の友人に対して己の機能を発揮するという行動は、信頼を裏切るに等しい。些かの躊躇いが生じたが、それでもエルキドゥは金色の目で相手を見つめ続ける。
 微細な変化は瞬時に現れた。思っていたより効果はてきめんで、思わずふっと笑みを浮かべてしまう。しかしこれ以上は可哀想だとエルキドゥが瞬きをすると、瞳の色は元通りになっていた。
「極微量ながら発汗が見られるね。大丈夫かい?」
 つとめて穏やかにエルキドゥは言う。悪意は一片たりとも感じない。むしろ、気遣うような気配がある。
 対するギルガメッシュはというと、
「……」
 険しい顔をしていた。
「そこまで怖い顔をするものじゃないよ。確かに、君の『心的外傷』を刺激したのは悪いと思っているけれどね」
「もういい、その話はやめろ」
「うん。ごめんね」
 エルキドゥが謝罪を述べると、ギルガメッシュは一度呼吸をはさみ、いつもの様子に戻った。
「この子が僕の何になるかはわからないさ。最後まで見届けない限りはね」
 言葉の途中で、エルキドゥは一度背中をかえり見た。表情は見えないけれど、耳を傾けると穏やかな寝息が聞こえてくる。背中に隙間なく張り付いたぬくもりから、ひどく安心しきっているのが伝わってきた。ともにいる事を許されている実感をかみしめ、エルキドゥは正面に顔を向ける。
「だから僕は、この子が死ぬところを見たいかな」
 ギルガメッシュが、瞼を持ち上げる。
 しばし無言の末に、眉間に深く皺を刻んだ。
「なれば、己の手で葬ればよかろう。おまえにこの雑種は呆気なさすぎて物足りんだろうが」
「それでは意味がないよ」
「ほう? 我直々に仕留めるか?」
 にゅおん、と奇妙な怪音が生じ、エルキドゥは視線をそちらに向ける。
 ギルガメッシュの傍ら、空中に歪みとも呼べる光輪が生じていた。光が渦巻くその円心にギルガメッシュが手を突っ込もうとするので、エルキドゥは微笑んで首を振った。
「そういうのとは違うんだ」
 王らしからぬ嘆息とともに、ギルガメッシュが手を下げる。それにともなって、宝物庫の扉は閉ざされた。光の残滓が散り散りになって、空気に溶け込んでいく。
「……、土台無理な話だろう」
「うん。でも僕はギルと違って、やろうと思えば出来るからね」
 そう言うエルキドゥの声は、自尊に満ちて晴れ晴れとしていた。
「とはいえ、聖杯としては不完全だからどこまで叶うかは何とも言えない。それに起動するための魔力も、大地から貰うぶんでは到底足りないし、マスターやこの施設から補充しても心許ない。だからギル、僕に魔力を……」
「断る」
 エルキドゥの言葉を遮るようにぴしゃりと言い放つギルガメッシュの表情は、もはやうんざりしている。
 しばらくの間をおいて。
「世には『一生に一度のお願い』というものがあるそうだね? 今その権利を行使しよう」
「戯け、それは生者のみ許されるものだ」
 そして生者の中でも、その『一生に一度』をマシンガンのように乱発する阿呆もいる事を、ギルガメッシュは知っている。
 しかしエルキドゥの発言は軽佻さを含んでいるものの、そんな眉唾に近いものを持ち出してくるほど毒されてしまっていると察したギルガメッシュは、眉間の皺を深くするほかなかった。おまけに、一度こうだと思ったら突っ走るエルキドゥの対応を考えると、懐かしさよりも食傷がすぎてしまい、気分は虚ろになる。
「僕と君の友情はそんなにちっぽけなものだったのかい?」
「友情に見返りを求めるな」
「求めてはいないさ。ただ、僕の電池になってもらいたいだけだよ」
「求めておるではないか!」
 突っ込まずにはいられない己の性分をギルガメッシュは呪った。
 そんなやり取りの果て、いつしか医務室前までたどり着くと、二人同時に足を止める。
「ここか」
「うん。最後にお願いがあるんだけれど」
「断る」
「そうか、じゃあお願いは今度にしよう。またね」
「断る」
「おや、別れの挨拶はいつから『断る』になったんだろう?」
「今程だ」
 ギルガメッシュは吐き捨てるように言い、エルキドゥに背中を向けて歩き出す。
 それでも数歩進むと片手を軽く上げ、別れの挨拶を演じて見せた。
 エルキドゥは遠ざかる友人の背中を数秒見送って、医務室の自動ドアをくぐり抜ける。
 常駐する医療スタッフに事の説明をしようとすると、もとよりダ・ヴィンチから連絡が入っていたのか、すぐにベッドに運ぶよう指示を受けた。
 エルキドゥは医療スタッフのささえを借りながら、ベッドに下ろして横たえる。そうして上に布団をかけられると、はもどかしそうに身じろぎをしたが、穏やかな寝息は続いた。
 そのまま立ち去るべきなのだろうとエルキドゥは思うが、寝顔を見つめていると、どうしてかこの場から離れがたくなってしまった。
「あの」
 おずおずと医療スタッフに声をかけると、不思議そうに見つめられる。
「何かしら?」
「ここにいてもかまいませんか」
「ああ、それくらいなら別にいいわよ」
 二つ返事で了承し、どこからか椅子を持ってきてくれた。
「もし目が覚めたら呼んでね」
「はい」
 返事をすると、気を使ってカーテンを締めてくれた。布に仕切られた空間は、蛍光灯の光を遮ってやや暗い。
 エルキドゥは椅子に腰を下ろすと、の顔を見つめた。思えばこうして寝顔を見るのは初めてのことだった。
 手を伸ばして、前髪を撫でる。その際、髪の毛を1本だけ食べている事に気づいたので、手で掬い取る。目を覚まさないか少し不安だったが、眠り続ける姿にほっとする。
 たくさん言葉をかわしたい気持ちはあるけれど、それは目が覚めてからでいい。
 もし目が覚めたら第一声は何がいいだろうか。まず初めにどういう話を切り出せばいいだろうか。
 ただ座って寝顔を観察しているだけでも、そういった想像を巡らせれば飽き足らないのがエルキドゥには不思議でならない。そしてその想像が無意味な徒労に終わる予感もある。得てして物事は思い通りに運ばないものだし、彼女相手だとなおさらだ。それでもあらかじめ組み立てた予想を覆されるのが面白いから、エルキドゥは思考を巡らせる。
 彼女の目が覚めるまでずっと、穏やかな表情をたたえたまま――。

 夜の10時を回った頃。自室での報告書作成がまとまらず、立香は切羽詰まるあまり頭をかきむしった。余裕の無さに加え、頭がうまく回らない。こんな時は糖分補給が一番だ。机まわりを適当に片付け、部屋を飛び出す。
 食堂区画へと足を運ぶと、カフェテーブルのところに見慣れた人物がいた。彼女はマグカップに口を付けながら、テーブルの上とにらめっこしている。ときたま腕が動くので、もくもくと何かを書き記している様子だった。あまりにも真剣なその表情に、立香は声をかけるか戸惑いを重ね、やがておそるおそる近付いた。
「こんばんはさん。何してるの」
「あっ、こんばんは藤丸くん。ええと今……」
 真剣さを一転させるように朗らかな挨拶を口にすると、今度は苦笑を浮かべて腕をずらした。テーブルの上の紙を立香にも見えるようにしてくれるので、遠慮がちに覗き込む。
 大きさが均等な文字が並んでいた。日付、氏名、そして反省文という表題に、立香はすぐに察する。
「……あー……今日のアレ?」
「そ、そうです。……あの、今日は本当に、申し訳ありませんでした」
 ガバっとひれ伏すものだから、立香は慌ててぶんぶんと首を横に振った。
「いいから頭を上げて。別に通信障害は珍しいことじゃないから、大丈夫だよ」
 最悪、数時間通信が途絶える事もある。それに比べれば、今日の障害は遥かにマシで、どうということはないのだ。
 立香はゆるりと視線をさまよわせると、の対面に目を留めた。数枚のコピー用紙が重ねて置いてあり、その上にはカラーペンが乱雑に散らばっている。キッズスペースにあったものだ。そしてカップの中には飲みかけの紅茶が残っている。
 まるで、ついさっきまで誰かがいたような痕跡に、立香は首をひねった。
「……あれ? 誰かいたの?」
「エルキドゥさんです。反省文が書けたって、さっき持っていきました」
「そ、そうなんだ……」
 立香は感嘆の息を漏らす。あのエルキドゥが彼女よりも早く反省文を仕上げるというのが、失礼だけれどあまりにも意外だったのだ。カラーペンの存在は、まあ、なにか理由があっての事だろう。そうなると、どういう反省文を書いたのか立香には気になって仕方が無くなってしまった。
「開いてるとこ、すわっていいかな」
「はい! もちろん」
「ありがとう。今飲み物持ってくる」
 二つ返事の了承を得て、立香はキッチンへと飛び込む。粉末にお湯を注いで溶かすタイプのココアを作ってテーブルへ戻る。席についてココアに口をつけ、ふと顔を上げた廊下の向こうに、エルキドゥの姿が見えた。
 とぼとぼとした足取りだが、立香の存在に気付くと、ぱたぱたと早足になる。も気付いたのか、テーブルから顔を上げて振り返り、エルキドゥの帰還を待つ。
「ただいま」
「おかえりなさいエルキドゥさん、二度目の提出はどうでしたか?」
「駄目だった。それはそうとマスター、どうしてここに?」
「作業が進まなくて、ちょっと休憩しに来たんだ」
「なるほどね」
 納得を示すように頷いて、エルキドゥは散らかしたままの空席に腰掛ける。
「僕も気が滅入りそうになってきたよ。マスター、少し相談相手になってくれるかい?」
「いいけど……なんの相談?」
「反省文がまったく受理されなくて困っているんだ」
 サーヴァントが困っているならば助けになるべきだろうと思う反面、どうしてか自室に戻りたい気持ちが立香の中に生まれた。
「あのですね、エルキドゥさん。まずその六文字が駄目だと思うんですよ」
「どうしてだい? 謝罪を述べるのであれば、妥当な言葉だろう?」
 嫌な予感が膨れ上がってゆく。
「……エルキドゥ。ちょっとその、拒否された反省文を見せて貰ってもいい?」
「かまわないよ」
 エルキドゥが、三つ折りの紙を差し出した。立香をそれを受け取ると、おそるおそる開いてみる。

 ごめん
 なさい

 中央に大きくのびのびと、そしてカラフルに書かれていた。
 立香は息を呑む。
 この、格式なんて知ったことかと言わんばかりのおおらかな文字を見つめていると、エルキドゥという英雄が歩んだ生き様がそこに表れているようで、自分との生き様の質やその懐の違いをまざまざと見せつけられたような気持ちになった。
 隔てる土台はあまりに大きく、そして高く、強固にすぎる。ウルクの広大な土地のように自由奔放な価値観は立香に軽いカルチャーショックをあたえ、目眩を引き起こした。混乱の渦に飲み込まれる。
「あ、あのさ、なんで色とりどりなの?」
 それでも立香が声を絞り出すと、エルキドゥはよく聞いてくれたとばかりに微笑んで、
「最初は黒いペンで『ごめんなさい』と書いて提出したんだ。拒否されてしまった。何が悪いんだろうと分析を重ね、とりあえず飾ってみたのさ」
「なんで飾っちゃったの!? さんも止めようよ!?」
「わ、私は注意しましたよっ。でも、ぜんぜん聞いてくれなくて……」
「謝罪は自分の頭で考えるべきものだろう? だから僕は、僕の信じる道を突き進むよ」
 キリッとした表情で、エルキドゥは言う。
「エルキドゥ」
 立香が穏やかにたしなめれば、自信満々な気配がじわりじわりと溶け出してゆく。
「……だって、事態の概要から書き出さなくちゃいけないんだろう? あまりにも面倒だよ……」
 うつむきがちになって、小声でぽそぽそと愚痴を喋りだす。
 知識欲を満たすべく本を読みふける割に、案外こうして脳筋だった。
 そんなこんなで、今までのやり口を反省したらしい。エルキドゥは真面目に書き始める。
「僕が変容を行った事により……、施設内にて瞬間停電を発生させてしまい……」
 独り言をゆっくりと喋りながら、文字を間違えないよう丁寧に記している。
 たまにこういう癖のある人間はいる。音読することによって文面がおかしいかも確認できるからだ。エルキドゥがそれに該当するとは立香にとっては思ってもみなかったので、ひとたび気を緩めれば笑いそうになってしまう。
 このままではいけない。反省文を書き終えたに立香は声をかけた。
さん、エルキドゥの元の姿を見たんだよね」
「あっ、はい」
「どうだった?」
「すっごく大きかったです。5階建てのアパートくらい」
「そんなに!?」
 驚愕する立香を見て、エルキドゥは不思議そうに首をひねる。
「おや、マスターはシミュレーターのログを確認していないのかい?」
「うん。ダ・ヴィンチちゃんと協議して、見ずに消した。エルキドゥの情報が残ってしまえば、のちに影響が出かねないから」
「そうか」
 エルキドゥはなんともいえない表情を浮かべている。見てほしかったようで、見てもらえなくてほっとしたような、そんな顔だった。
「他にどんな特徴が?」
「おっきな角が生えてました。こんな感じで……鹿の角みたいなの」
 はそう言って、パーに開いた手を両方のこめかみに添えた。ふんふんと頷く立香とは対象的に、エルキドゥは微笑ましいものを見るかのようにふっと笑ってみせる。
「それで手足も大きくて、体中に曲がりくねった帯状の模様があって……エルキドゥさん、あれって何ですか?」
「さあ、わからないな。僕を作った本人に聞いて欲しい」
 ゆるゆると首を横に振るエルキドゥを見て、立香は考え込む。
 体中に張り巡らされた帯状の模様。漠然とした説明だが、それでも立香には思い当たる節があった。クー・フーリン、ヘラクレス、ギルガメッシュ、イシュタルにも備わっているのを目にしている。その四騎の共通点は『神性』だが、しかしエルキドゥはそういった性質は持ち合わせていない。
 もしかすると、昔はその性質を有していたのだろうか? などと考えたところで、当時のエルキドゥに合わなければ本質はわからない。そして分かったところで何になるというのか。
 立香が神妙な面持ちで思考に耽っていると、があたふたと焦りだした。
「あっ、でも、慣れると怖くなかったですよ」
 どうやら、立香が恐怖を抱いていると勝手に勘違いしているようだった。
「なんていうかこう、同じタイミングで両腕を切断しないと死なない中ボスみたいな感じで……」
「……? 僕にそんな仕掛けはついていないよ?」
 エルキドゥの瞳が濁りを帯び始めるものの、対する立香は瞳を輝かせている。
「あー、角を破壊すると別枠で部位破壊報酬が貰える感じ?」
「そうそう、そうです! そんな感じ!」
「なるほど。なんとなくわかった」
「……ふたりとも、僕をなんだと思っているんだろう……」
 エルキドゥは小さな声で呟くとペンを置き、しずしずとテーブルに突っ伏す。ふてくされていた。
 二人で何とか機嫌を取り、反省文を書き上げる。間違いはないか確認を終えると、そのままテーブルを片付け三人で席を立った。ここまで頑張ったのだから、もう一度書き直しという事はないだろうと信じて疑わない。
 案の定、スムーズに受け取ってもらえた。ダ・ヴィンチの表情が心なしか呆れ腐っているのは見て見ぬ振りをして、三人は諸手をあげて喜んだ。うるさいと部屋からつまみ出されても、笑顔のままだった。
 余談だが、イシュタルは反省文を出さなかった。