朝日がまぶしい田園風景を、弟の亮太と歩く。舗装されていない砂利道をローファーで歩くのは大変だからと、お父さんが買ってくれて間もないスニーカーはもう土で汚れてしまっていた。映画に出てきそうなこのあぜ道を弟はひどく気に入ったらしく、ときたま脇に咲いてるたんぽぽの綿毛を摘み取って私に向けて吹き飛ばしては、うれしそうに意地悪っぽく笑った。
「仲、いいんだな」
そんな弟を見て、私とおんなじのんびりしたペースで歩いている隣の幽霊、圭一がそう言った。
「ただいじめられてるだけだよ…」
紺色のセーラー服についたたんぽぽの綿毛を叩き落としながら言うと、遠くのほうにいる亮太が「おせーよねーちゃん!」なんて声をあげた。思わず盛大にため息を吐くと、圭一がけらけら笑った。
家に来た時はおどおど戸惑ってばかりだった彼も、今の現状や私たち家族にも慣れたみたいで、時たまこういう笑顔を見せるようになった。…というかこのひと、意外にもびっくりするくらいきれいに笑うのだ。花でたとえるならヒマワリみたいな感じ。安易なたとえ方だけど、それが本当にしっくりくるからあな恐ろしい。
多分彼には夏が似合うんだろうなあと柄にもないことを考えていたら圭一が首をかしげて私を覗き込んでくるので、「なんでもないよ」と慌てて言った。
今日の授業は珍しく自習だった。なんでも先生が出張するらしい。こんな田舎からどこに出張するのだろうと疑問に思ったけど、立て続けに2時間自習なので気にしないことにした。やっぱり自習は堅苦しい雰囲気から開放されて自由に勉強できるから嬉しい。
課題に出されたA4サイズのプリントを黙々と解いているグループ、課題なんてなんのそのといった感じでどっから持ってきたのかトランプやウノに励むグループ、勉強しながらもわいわい騒いでるグループの中から外れて、私と弟は教室の隅っこで机をくっつけて勉強していた。――というのは表向きで、圭一をいかに成仏させれるか、という事を話し合っていた。こんな話クラスの皆に聞かれたら変人扱いだ。
「ねーちゃん、あのさ」
ぼそりと呟いた亮太の声に、机の横に置いている椅子に座っていた圭一がそちらに視線をよこした。私もつられて亮太に視線を向ける。
「正直な話、圭一を殺した犯人を捕まえるの、無理だと思うよ」
漢字の読み書きのプリントを難なく解きながら、亮太は静かに言った。
「今から云十年も前の事件なわけで、犯人はもしかしたら死んでるかもしれないし、それにさ、その、殺人犯だろ? もしも、ねーちゃんになんかあったらさあ…」
ぼそぼそと消え入りそうな声で言う亮太に、圭一と顔を見合わせて思わず苦笑した。
「無理だって事くらいわかってるよ。この前圭一にちゃんと言ったし」
――犯人を捕まえるのは私の力じゃ到底無理だから、別の道を探してもいいかな。
部屋のベッドに潜って眠る前にそう言った時、ベッドにもたれかかるように座り込んでた圭一は少しだけ目を伏せたがそれから納得したようにうなずいてくれた。確かに、が死んだら後味悪いよな、と言って。
「普通の殺人ならともかく、…オヤシロ様、だっけか。宗教とか信仰とかが混じってくるとややこしくなるから、私たちの力じゃ解決するの無理なのは当たり前だと思う」
今でもその“オヤシロ様信仰”がこの雛身沢に残っているかどうかは知らないし、知ろうとも思わないし興味もない。私と弟が調べた限りじゃ、その異常なまでのオヤシロ様信仰によって人が死んだりしているから、正直関わりたくないのが現状。いくら幽霊を成仏させるとはいっても、第一に考えるのは自分の身の安全だ。私だって他人、しかも幽霊を第一に考えれるほどお人よしじゃない。
「だからね、毎日寝る前にちょこっと考えてたんだけど」
圭一と亮太の視線が私に集まる。
「圭一の思い出深そうな場所に行けば、自ずと自分が死んだ実感が湧いて成仏できる気がするんだけど…」
言って亮太と圭一を見れば、二人とも豆鉄砲食らったような顔をしていた。それから亮太が手にしていた鉛筆をくるくる回しながら「えー」と反論する。
「十年以上経っても成仏できてないんだから無理だって」
「やらなきゃわかんないよ? それに私たち雛見沢のことよく知らないわけで、この機会にいろいろ探検してみるとか」
子供っぽいけどね、なんて笑いながら最後に付け足すと、亮太の目がきらきら輝いてきた。体は弱いくせに外遊びが大好きな亮太だから、ちょっとだけ気にはなる提案だと思う。さて話題の中心人物はといえば、やっぱり豆鉄砲食らったような顔のままだった。
「圭一はどう思う?」
私がそう聞くと、圭一はやや考え込むそぶりを見せてから、ちょっぴり苦笑した。
「…おまえ、俺に村の案内させようとしてるだろ」
そう言われて、思わずびっくりしてしまった。確かにちょっとだけ、あわよくば圭一に村の案内をさせようと考えたのは事実。もしかしてこの人読心術とかできるんじゃないか、と考えた後でんなわけないかと振り払う。
「まあ、そのほうがいいと思うけど。圭一は好きなところに行けるし、私たちは雛見沢に詳しくなれて一石二鳥」
ね、と納得を求めるように亮太に言えば、亮太はややあってから満足そうにうなずいた。にこにこと笑顔を浮かべる亮太に圭一はあきれたようにため息を吐いた。とはいってもなんだか嬉しそうだ。なんとなくだけど。
「んじゃ決定。学校終わったら行こーね」
うきうきしてる亮太につられてこっちも笑顔になりながら言うと、圭一もヒマワリみたいにまぶしく笑った。
で、今に至る。
「うわ、すげ…」
隣で亮太がぽつんと呟くのに、私も少なからず同意見を持った。山の中にある鳥居の奥、見上げてもずっと続く石の階段はざっと100段くらいはあるんじゃないかと思われる。たかが100段だと思って侮るなかれ。運動不足の私としては、明日筋肉痛でだるそうにしている自分が簡単に想像できてしまう。石段から視線をそらして隣に立っている圭一に向ければ、圭一はきょとんとした顔で私を見下ろした。
「ここ、なんていう神社なの?」
「古手神社。つっても、今はどうだか知らないけど」
言いながら圭一は石段を見上げた。そういや圭一は幽霊のくせに普通に歩いてるんだからこの階段も普通に上るのかなあなんて考えた。今にも崩れそうな、苔の生えた石段を見上げていると、亮太がいきなり私の手を取って嬉しそうに言った。
「そういや山形県にあるよな。階段いっぱいある寺」
確かにそんなお寺があった気がしないでもない。段数は1000にも及ぶとか及ばないとか。そういや前お父さんが旅行で山形に行ってそのお寺に行って筋肉痛になって帰ってきた覚えがある。なんだっけかなあと階段の一番下から天辺まで見上げたところで、、ふいに思いついた。
「えーと、山寺だっけ?」
亮太に聞くと、亮太は「うーんわかんねえ」と考え込んでしまう。二人して階段を前にしてうんうん考えてると、圭一がいきなり噴出してから。
「山寺であってるよ」
そう言った。思わず口から出た「へえ」という言葉が亮太と見事にかぶって、亮太と一緒に少しだけ笑った。それから階段を上ろうと足を踏み出そうとしたところで、亮太に腕を引っ張られる。何なんだと亮太を振り返れば、意地悪そうなにやりとした笑み。
「天辺まで競争しよーぜ。負けたほうは…アイスおごる!」
「えー、やだ。ゆっくり上りたい」
言うと、亮太が至極不満そうにブーイングを出した。思わず顔をしかめる。運動が苦手な私としてはそんなことしたくないんだけどなあと階段を見上げたところで、圭一がぽつんと呟いた。
「んじゃあ俺とするか」
言いながら背伸びをする圭一に、思わずぎょっとする。亮太も亮太で満更ではないらしく、やったー!と嬉しそうに笑って圭一の隣に並んだ。
「よーい、ドン!」
亮太の声と一緒に、二人が階段を走って上っていく。思わずぽかんと二人を見送った後、慌てて私も追いかけた。
二人とも本気らしくどうにも追いつけそうにないから、圭一みたいに1段飛ばししてみたりするけどやっぱり変わりはない。やっぱり足の長さとかはリーチになるよなあとか思ってるうちに、圭一が天辺まで上りきってしまった。
「うわー、はやっ」
悔しそうだけど、素直な亮太の声が響く。圭一といえば「どんなもんだ」と鼻で笑いながら胸を張っていた。なんだか微笑ましい。
「ねーちゃんも早くこいよー」
亮太が立ち止まって私のほうに振り返るので、小さくため息を吐いて1段飛ばしで階段を駆け上る。そんな私を満足そうに見てから亮太が走り出す。つかずはなれずの追いかけっこの末、やっぱりというか、亮太が2番目に着きそうだなあと、弟の背中を見ながらぼんやり考えていた時だった。
亮太が階段を上りきるその前に、薄手のカーディガンを羽織った女性が現れた。前を見て走っていない亮太の姿が、スローモーションのように見えた。
「亮太っ!」
圭一の声が木霊する。その声にびくりと体を跳ねさせた亮太だったけど間に合わず、そこで女性にぶつかってバランスを崩した。圭一が慌てて亮太のほうに飛び出す。私もがむしゃらに亮太を受け止めようと駆け出した。
あたりが静まり返っても、亮太は斜めの体制のまま固まったままだ。何がなんだかわからなくてやっと亮太の傍までくると、女性が必死に亮太の服をつかんで支えているのに気がついた。見事なバランスの取り方にやや感心してから、慌てて亮太の背中を支えた。そのまま天辺まで上りきって、腰が抜けて亮太と一緒にへたりこんでしまった。
「…すみません、私の不注意でした」
そんな声が聞こえて、慌ててそっちを見る。本当に申し訳なさそうな顔をした女性が、ぺこりと頭を下げていた。その拍子にきれいな黒髪がさらさらと肩から落ちる。
「こ、こっちこそすみません! 亮太も前見てなかったから…! ほ、ほら亮太、謝んなくちゃ」
私がそう言うって肘で小突くと、ぽかんとしていた亮太も慌てて「ごめんなさい」と頭を下げた。それを見て女性がすまなさそうに微笑んだ。その綺麗さに思わず見とれてしまう。
「本当にすみません。…その、急ぎの用事があるので、それでは」
「あ、はい。すいませんでした!」
立ち上がってぺこりと頭を下げると女性もぺこりと頭を下げた。それから小走り気味に階段を駆け下りていく。その途中ちらっとだけど、女性が私たちの奥のほうを見たから、それにつられて無意識に後ろを見る。そこには安堵のため息を吐く圭一がいた。
偶然だよなあと思いつつも、あのミステリアスな綺麗さを考えると、見えててもおかしくはないかなあと考えてしまう。
「あー、心臓止まるかと思ったぞ」
圭一が言いながら私の横に立つ。いまだにへたりこんだままの亮太が小さくうなずくので、私は引っ張り上げるようにして亮太を立たせた。亮太の服についた砂を手ではらうと、亮太も今更実感できたのか私の制服のすそをつかんできた。思わず苦笑する。
「怖かった?」
「…ちょっと」
やっぱ小学校の中学年にはあんなの怖いよなあとか思いながら、よしよしと亮太の頭を撫でるとむすっとした顔をされた挙句手で払われてしまった。
「まあ、無事で何より、だな」
圭一がそう言ったから、小さくうなずいた。何となく亮太の手を握ってやる。
「ていうか、今の人見た? 綺麗だったよねすごく」
素直に思ったことを言うと、圭一が苦笑しながらうなずいた。でも亮太はじーっと階段のほうを見たままで。亮太、と強めに名前を呼ぶと、亮太が何かを小さく呟いた。
「あのひと、絶対、圭一のこと見えてた」
言い終わった後、私の手をぎゅーっと握ってくる。私も同じことをさっき考えたばっかりだったから思わず目を見開いた。
「偶然だろきっと」
「そうそう」
圭一の言葉にうんうんと頷きながら言うと、亮太はやや不満そうに階段のほうを見てから。
「そうかなあ。でもあのひと、怖い。圭一のこと、睨んでた」
07/04/29