にはもとから、あぶなっかしいところがあったと思う。
危なっかしいといっても、そそっかしさでの危ないとか、そういうのじゃない。非現実的なほうの面での、危ないだ。
たとえば、学校の屋上でフェンスにおでこをくっつけながら下を見ているとき。
たとえば、踏み切り近くでけたたましく鳴り響く警報を耳にしたとき。
たとえば、ミキサーで何かを混ぜているとき。
たとえば、鍋いっぱいに水を煮立たせているとき。
たとえば、歩道のそばをすごい勢いで車が通ったとき。
それらを見る彼女の目が酷く透明じみていて、虚無を感じさせた。いつも空気のような儚さを持ち合わせているから、それはなおさら酷くなる。いきなり、ぽっと俺の前からいなくなるんじゃないだろうか、なんてよく不安に思っていたが、それは見事に的中した。
家出なんてもの、身近にはありえないだろうと、そう思ってた。
がいなくなったその日は、しんしんと雪が降り積もっていた。
学校からの帰宅途中、友達と別れてからそれっきり、行方がわからなくなったらしい。の両親がケーサツに連絡したらしいけれど、いなくなってから2日たった今でもは見つかってない。月末だったしアルバイトもやってなかったから小遣いはほぼ無いと考えていい、とんちのおばさんは言っていた。が時折見せる狂気じみた眼差しのことは意外にも気づいていたらしい。「死んで帰ってきたらどうしよう」とおばさんは泣いていた。その言葉はやけにリアルすぎて、俺の心に突き刺さった。ならありえなくも無い。
…なんて心配しながら、バイトの帰りに近所の公園に立ち寄ったときだった。ジャングルジムの備え付けの滑り台に、ちょこんとが座っていた。はボーっと、狂気じみた眼差しで雪が積もった地面を見つめている。の吐息が公園のライトのせいで青白く見えたせいで、俺にはなおさら儚そうに見えた。
「おいこのバカ!」
ざくざくと雪の中を進んで声を掛けると、ややあってからは顔を上げた。静かな落ち着いた色をしたその瞳に恐怖を覚えつつ、の頭に積もった雪を払い落とす。そのままほっぺたに手を滑らせると、俺とのあまりの温度差にびっくりした。
「…何時間外にいたんだよ」
「2日間、ずっと」
言葉とともに青白い息が吐き出される。まるで雪山に出てくる雪女のように顔色が悪いので、俺は無言で首に巻いてあるマフラーを取り、の首にぐるぐると巻きつけた。
「圭一はバイト帰り?」
「おう、ついでにお前を探してた」
「あはは…ご苦労さま」
そう言っては俯きがちにくしゃっと笑った。やっぱり、今見つけれてよかったと俺は心底そう思った。多分もしかしたら明日にでも死んでたかもしれない。ちっちゃい子供にするみたいに脇の下に手を差し入れてを立たせる。の瞳に光が差し込んだ。
「あーもー。頼むからほんと、心配させんなよ」
言って、を引き寄せる。抱きしめると、が身をこわばらせた。いつもどおりの小動物じみた反応に少しだけ苦笑するけど、の身体の冷たさにいやでも真剣になるしかなかった。体温を分け合えればいいのになあと柄にもないことを考える。
「ほんとにさ、頼むから。これで死んでたらおまえ、洒落にならねーだろ」
「……そうかなあ」
あははと茶化すようないつもどおりの笑い声が聞こえて、ほんの少しだけど腹立たしくなった。俺がどれだけ心配したと思ってたんだ、このやろう。
「こんなんで死んだら、おまえ、あれだからな。末裔まで呪ってやる」
「末裔まで呪うって、それ、生きてる人に言うことでしょ」
が小さく笑ってから、俺の背中に手を回してきた。ぎゅーっと、しがみつくように上着を握ってくる。
「ごめんなさい」
蚊の鳴くような消え入りそうな声で言った後、は俺の胸に顔をうずめた。が素直に謝ってくることは滅多に無い。まさかなあ、との表情を予想しながら恐る恐るを引き離すと、案の定というか、やっぱり泣いていた。しゃくりあげることなく、静かに涙を流すさまが妙に痛々しい。俺は小さく息を吐いて身をかがめ、と視線を合わして笑いかけた。うまく笑えてるかどうかはわからないけど。
指で涙をぬぐうけど、やっぱり涙も冷たかった。それだけ体温が低いのだろうか。2日間もこの寒空の下にいたんだ、きっと寒かったんだろうなあと思ったあと、俺って頼りにならないのかなあとも考えてしまう。
こうなる前に、せめて相談くらい、してくれればいいのに。
「ほんと、ばかだよ、おまえ」
呟きながらかさかさにひび割れた唇を指でなぞったとたん、はぴくりと身をすくめる。の腰に手を回して掠めるようなキスをすると、は震える手で俺の上着のすそを握った。
2007/06/17
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