※注意※
 23話にて硯が青嵐帝になってから、36話の仲間になるまでの間の妄想です。
 俺設定有り。微妙に人×人外(人外×人)要素含みます。苦手な方は注意。





「どうかお傍にいさせてください。何でもします」
 目の前の少女が床に額を擦り付けながら、震える声でそう言った。
 玉座に座る硯は肘掛に頬杖をついたまま、目を見開いて少女を見下ろす事しかできなかった。
 あまりにも唐突な展開にどう反応していいのかわからず、土下座をする少女をただじっと見ているしかない硯だったが、侍女が外にいる近衛兵を呼ぼうとした次の瞬間には、硯の口から勝手に制止の声が出ていた。
 やや不安そうに眉を寄せ、きゅっと口を引き結ぶ二人の侍女に「大丈夫だから」と硯は告げたが、硯自身何が大丈夫なのかわからなかった。いきなり部屋に鳥が入ってきたかと思えば、それは煙を立てて目の前の少女に変身したのだ。もしも少女が暗殺者だったら硯の命は終わっていたかもしれない。
 硯としては侵入者が入ってきたからと大事にはしたくなかった。暴力は嫌いだし、目の前の少女が取り押さえられるところなど見たくない。それに硯は目の前の少女には見覚えがあったから、平穏に事を進めたかった。
 特徴的な帽子にマント、大きな箒を手にしたその姿を最初に見たのは確かミミの村だ。マギサの後ろにくっついて歩いて、弾やズングリーと仲よさそうに喋っていた。この国に入ってから弾達と再会した時も少女は彼らの仲間としてそこにいて、いつも必ずマギサの傍らにいた。
 つかず離れずの、何かしら意図が見える距離。とりわけマギサと親しかったようだし、さっきの鳥から人間になる術と奇妙な格好から察するに、恐らくマギサの弟子とかそういうものなんだろうと勝手に推測する。ここにいるのも大方、マギサの命令があったからだろう。
「……別にいいけどさあ、君、何が目的なの。僕が持ってるXレアとか?」
 問いかけてみるが、少女は黙ったままだ。
「一国の王である僕が聞いてるのに無視? いい度胸じゃん」
 吐き捨てるが、少女は相変わらず黙ったまま、床に額をくっつけている。ここまで反応がないと逆に不安になってきた。
「君の名前は」
 問いかけると、少しの間をおいて。
です」
 そう名乗った声はやっぱり震えていた。
「顔、上げて」
 と名乗った少女は硯の声にピクリと反応すると、ややあってからおずおずと顔を上げた。硯は二ナの姿を見たことはあれど、こうやって顔をまじまじと見ることはなかった。顔の造形はマギサと同じように人間と差して変わらない。やや幼く感じられる顔立ちから硯とは同い年くらいのようにも見えるが、あのマギサと一緒にいた少女だ。恐らくマギサと同じように、人間ではありえないくらい歳を取っているに違いない。
 濁りのない澄んだ瞳でじーっと、それこそ穴が開くほどに見つめられてしまい、硯は内心うろたえた。真摯な眼差しとはこういうものをいうのだろう。ましてや相手は異性。硯の通っていた中学校は男子校で、女子との会話の機会など皆無だった。それに加え学校ではいじめられてばかりで、最近はクラスメイトと会話らしい会話などした事が無く、硯は徐々にこの状況が気恥ずかしくなってきてしまった。不審に思われない程度に視線をそらす。
 しばらくの間をおいて。
「君、さっき何でもするって言ったけど」
 硯が問いかけると、が小さく頷いた。
「はい。何でもします」
「何でもって、僕の身の回りの世話とかできるわけ?」
 の顔がきょとんとなる。その変化が硯にとっては少し意外だった。なんとなく、感情が希薄そうに見えたから、そうなのだと勝手に思い込んでしまっていたのだ。
「そうだな……。食事に朝夕の着替え、それと風呂の世話。最低限このくらいはできないと」
 硯自身、意地の悪い発言だと思った。こんな事、いつもの硯だったなら、会話も碌にしたことがない初対面同然の少女には絶対に言えなかっただろう。青嵐帝という地位にいるからこそ――人を統べる“王”という威厳を借りているからこそできる発言だった。
 は暫くきょとんとした顔で硯の顔を見つめていたが、ようやっと言葉の意味を飲み込んだのだろう。徐々に羞恥で顔が赤く染まっていく。は恥ずかしそうに目を伏せ、口元に手を当てて何か考え込む素振りをしてみせる。
「まあ、無理強いはしないよ。でも、王の側近なら、それくらいできないと――」
 ――傍においておく意味はないよねえ。そう言うなり硯の口元が歪んだ。
 目の前の少女を追い返すために、威厳を使ってひたすらに悪い王様を貫く。しかし本当のところ、その威厳も自分の発言からくる羞恥と、言葉で相手を虐げる申し訳なさで今にも押しつぶれそうだった。中学校でクラスメイトに苛められてきた硯だからこそ、そういう事をされたときの嫌悪感や涙が出るほどの悔しさは人一倍わかっていた。自分が今まさにその立場に立っているのかと思うと、自己嫌悪すら覚えてしまう。
 こんな回りくどい事なんかしなければよかった。もう断ってしまおう。硯がそう決心し、口を開いたとき。
「や、やりますっ」
 が両手でぎゅっと握りこぶしを作って、必死そうに喰らいついてきた。予想外の反応に面食らった硯の肩がずるりと下がると、その拍子にかぶっている帽子がずり落ちてきた。それを両手で受け止める。
「……ほ、本気?」
「本気です! できますっやりますっ一所懸命に頑張りますっ!」
 もう自分でもパニックになっているのだろう。が顔を真っ赤にして目をぐるぐるとさせながら、首まで真っ赤にして早口でそう捲くし立てた。よく舌を噛まなかったなあと感心してしまう。異界人といえど、は硯が思っている以上に普通の少女のようだった。
 黙って二ナを見つめる。決意の表れか、口をぎゅっと引き結んで、さながら睨みつけるように硯を見上げてくる。のだが、瞳は潤んでいて今にも泣きそうだし、握った拳は小刻みに震えていた。
 決意の表れ、とさっき表現したが、これは明らかに強者を前にした弱者のそれだと硯は確信した。暴力を受けたくないがために、恐怖から逃れるために、相手のために躍起になる。まるで以前の自分を見ているようだった。硯の自己嫌悪はさらに増していく。
 断るのが賢明だろうと硯は思うけれど、時間が経つにつれ二ナの瞳はすがるような眼差しに変化した。さながら捨てられた子犬にじっと見つめられているような感覚を覚える。
 「いやだ」という、たった3文字の言葉を伝えるだけで終わるのに、言葉が喉につっかえてどうしても出てこなかった。加えて、玉座の両側に控えている侍女の、硯を控えめに見上げる眼差しが「かわいそう」という意味を孕んでいて、それが硯の胸に容赦なく突き刺ささってくる。
 王の威厳という化けの皮がはがれてしまえば、硯はただのひ弱な少年に過ぎない。右手の親指の爪を噛みながら思考を重ねるという、いつもの癖が出てしまう。だがこうしないと落ち着かないから仕方ない。一刻も早くこの痛い空気から逃れたくて、硯は仕方なく英断した。
「……いいよ」
 言うなり、ぱあっとの顔が明るくなる。
「あ、ありがとうご――」
「ただし期限は一週間。それで役に立たなかったら追い出すから」
 言いながら硯は自分の手で自分の首を絞めているような気持ちになった。
 ありがとうございます、ありがとうございます、と涙を浮かべながら微笑んで額を床にくっつける少女には、なんだか敵わないような気がしたのだ。


 硯は手始めにと、に夜の着替えを手伝ってもらうことにした。着替えといっても一から全てやってもらうのではなく、今日着た服を部屋の扉の前にいる近衛兵に持っていって貰うだけの作業だ。このくらいなら馬鹿でもできる。
 前青嵐帝ブルストムは着替えの作業を全て侍女にやらせていたらしいが、異性にあまり免疫のない硯にとってそれはとてもハードルが高いものだった。
 王になった初日、侍女の二人に無理やり服を脱がされた事は硯にとって少しトラウマになっている。半泣きになりながら自分でできると叫んだことを硯はふと思い出してしまい、自然と身体が震えた。
 硯はベッドの上で寝巻きに着替え終わると、脱いだばかりのぐちゃぐちゃな服をなるたけ持ちやすいようにぐるぐると丸めて振り返った。がこちらに背を向けて立っている。着替えを見られるのは恥ずかしいからあっちを向いてて、という言いつけをちゃんと守っているようだ。
、終わったよ」
 硯がの背中に声をかけると、二ナの肩が一際大きく震えた。やや間をおいては振り返ると、ぎくしゃくと、右手と右足が一緒に出るぎこちない動作でこちらにやってきた。
「あのさあ、そう気張られちゃうとこっちも恥ずかしくなるからやめてよ」
「す、すみません」
「じゃあこれ、さっさと運んで」
 丸めた衣服を足で押すと、が慌てた様子で手を伸ばし――硬直した。持ち上げれば視界を遮るほどの高さになる服の量に目を丸くしつつ、今更になって左手に携えている箒が邪魔だと気づいたらしい。きょろきょろと室内を見回した。そして申し訳なさそうに、箒を置く場所について尋ねてくる。
「冗談じゃない! そんなボロい箒なんか置いたら、部屋が汚れるだろ」
「そっ、そうですよねっすみませんっすみませんっ!」
 ぺこぺこと何度も頭を下げてからは自分の身体を見下ろし、腰のベルトの隙間に箒の柄を差し込んだ。箒を気にしながら身体をかがめて、両手いっぱいに衣服を持ち上げると背中を伸ばした。その拍子に箒の柄がの後頭部を強かに打つ。コン、といい音がした。
 が歩き出す。王の衣服は手に抱えきれない量もさることながら、むだな装飾品が付けられているため衣類の癖にすこぶる重かった。それに加え衣類で視界がふさがれるという三重苦のせいで、の歩みはあっちへ行ったりこっちへ行ったりとよたよた歩きに変化する。硯が不安そうにの背中を目で追いかけるうちに、箒の柄が二ナの足にひっかかってしまった。
「わ、わわわわああっ」
 もつれにもつれた結果、はバランスを崩し、その場で盛大に転んでしまった。転んだ拍子に宙に投げ出された衣服がの頭上から覆いかぶさり、なんだか悲惨なことになってしまっている。硯の口から自然とため息が出た。
 ベッドを降りて小走りでの元に向かう。がじたばたと両手をがむしゃらに動かしながらなんとか外套を剥ぎ取ろうとしていたが、外套の袖が運よく箒の穂に絡まってしまっていて、うまく取れないようだった。
「ああもう、暴れちゃだめだよ。じっとしてて」
 細く長い枝を密集させた箒の穂は土ぼこりで汚れているのが一目でわかる。
 硯は人一倍潔癖の気があった。だから、こんな汚いものに触るのなんて御免被りたい気持ちでいっぱいなのだが、袖のボタンがうまい具合に穂に引っかかっていて、どうにも引っ張って簡単に引っこ抜ける風には見えなかった。手を突っ込んで外してやらないと駄目そうだった。
 硯は顔をしかめながら穂に右手を突っ込む。引っかかったボタンを外し、埋もれた袖をつまんで引っ張ると、するすると難なく外れた。の身体に覆いかぶさった外套を退けてやると、憔悴しきったの顔がある。
「ご、ごめんなさい」
「……これ、持っててあげるから、早く行ってきなよ」
 硯はの返事も待たずにベルトに刺さった箒を引き抜いた。やけに重い箒だった。思わずよためいてしまうほどに重い。
 普通箒っていうのは掃除をするためのものだから、使用者に負担がかからないよう軽く作られているものだろうに、この箒を作った人は何を考えてこんな重い箒を作ったのか。怪訝そうに硯が箒を見ているなか、は床に散らばった衣服を拾い集めると、硯に頭を下げ、扉のほうへふらふらと危なっかしく向かっていった。扉を二度ノックし、顔を出した衛兵に衣服を渡すと、が硯のほうへ小走りでやってくる。
「ごめんなさいごめんなさい」
 来るなりはぺこぺこと何度も頭を下げるので、硯はため息をついたあとやけに重い箒をに渡した。が軽々と左手に提げるのを黙って見つめる。少し引っかかるものがあったが、それ以上に気になることがあった。さっき箒に突っ込んだ手がざらついて仕方ないのだ。
 ベッドのほうに戻ると、もついてきた。
「そこの水差しに水入ってるから、それでタオルぬらして持ってきて」
 言われたはこくりと頷き、ぱたぱたと水差しが置かれた台のほうへ向かった。台に箒を立てかけ、水差しの傍に置かれたタオルと小ぶりな洗面器を手繰り寄せる。腕まくりをしてタオルを水に浸し、きつく絞る。そうして30秒も立たないうちに、は箒片手に硯の前に戻ってきた。の右手には濡れたタオルが握られている。
「それで僕の手拭いて」
 硯が汚れた右手をに向けて差し出すと、は戸惑うような視線を硯に向けた。ややあってはやっぱりというか、箒をベルトに差し込んで、硯の手を左手で取った。の手は冷たかった。さっきまで水に触っていたせいだろう。触れたところがひやりとして、硯は目を細めた。
 の手つきはぎこちなかったが、細かいところまで拭こうという意思は読み取れた。根が献身的なのだろう。
「もういいよ。ありがとう」
 の手を振り払って、ベッドの中に潜り込んだ。ふかふかの枕に頭を預けると、自然と欠伸が出てきた。
「もう寝る。オヤスミ」
 そう言って、枕元にあるリモコンを手に取り、部屋の明かりを落とした。一気に部屋の中が暗くなる。
「あの、陛下……」
 暗がりの中、が戸惑うような声をあげた。
「何? 僕眠いんだけど」
「わたしは、これからどうすれば……」
「知らない。それと君の処遇についてだけど、昼は僕について回ること。夜はこの部屋から出るの一切禁止。あと君が持ってる箒汚いから変なとこに立てかけるの禁止。あとソファや椅子に座るのも禁止」
 そう言ったあと硯は頭に布団を被って無理に目を閉じた。悪いことをしている自覚はある。けれども追い出すにはこういう手段をとるしかない。
 ベッドの傍で、が戸惑っているのが嫌でもわかる。が身動きするたび、の羽織っているマントが音を立てた。
 硯はに気づかれないよう少し身体を起こすと、肩越しにの様子を伺う。暗闇にもかかわらず、はきょろきょろとあたりを見回して、部屋の中を縦横無尽にパタパタ足音を立てて移動している。夜目が利くのかもしれない。
 ひとしきり部屋の中を動き回ると、は壁側にあるクローゼットを通り過ぎて立ち止まった。部屋の隅、窓からちょうど明かりが差している壁際を見つめ、しばらくしてそこに座り込む。俗に言う体育座りの格好に加え、足の間に箒の柄を挟みつつ、柄を腕で抱え込み、そこに寄りかかってうつむきがちになる。そうしては動かなくなった。寝てしまったのだろうか。
 が座っている場所は確か絨毯が敷かれていなかったはずだ。石の床にじかに座って冷たくないのだろうかと硯は思ったが、ふるふると首を振って布団の中に潜り込んだ。
 罪悪感がのしかかる。悪いと思うならやめておけばいいのに、年齢も、人間としても幼い硯は、こうするしか思いつかなかった。


 *


 次の日の朝。硯は部屋の窓から差し込む光で目が覚めた。身体を起こして目をこすりながら寝ぼけ眼で部屋の中を見回し、の姿を探す。
 はすぐに見つかった。ベッドの傍に佇み、硯のほうに背中を向けた状態で窓の外を見つめていた。しかし物音で硯が起きたのに気がついたのか、が振り返る。
「おはようございます、陛下」
 が挨拶と同時に恭しく頭を下げた。
「……うん、おはよう」
 ごくごく普通のの態度に硯は戸惑いを覚えつつ、空腹を訴える腹をさすりながら挨拶を返すと、が笑みを浮かべた。
「陛下はいつもこんな時間に起きるんですか?」
 が窓の外を見ながら言う。グラン・ロロは地球と違って太陽と月はない。けれどもその代わりとしてマザーコアが世界に光を与えるので、昼夜はあるのだ。部屋の明るさから察するに、あと2時間もすれば昼になるという時刻だろう。
「そうだよ。悪い?」
 寝起きのせいでうまく頭が回らず、拗ねたような口調になってしまった。
「いえ、あの、そういう意味でいったわけでは……」
 が硯の機嫌を損ねたと焦り始める。
「……冗談だよ」
 硯がそう言うと、があからさまにほっとした表情を浮かべた。
「着替えは?」
「そこにあります」
 が示す先――硯のベッドの隅に、きれいに畳まれた服が置かれていた。ちらりとに視線をやれば、にこにこと笑っている。まるで褒めてくださいと言わんばかりの笑顔だ。なんだか耳と尻尾まで見えてきそうな勢いである。硯は眩暈を覚え、眉間に皺を寄せ、痛む米神を押さえた。
 さて、どうやって嫌がらせをしようか。硯はパジャマを抜きながら、ぼんやりと考えた。いっその事カードバトルでもして負けたら城を出て行けと命令したくなるが、はカードバトルを受けるだろうか。そもそも強さが未知数だ。どちらかといえば弱そうに見えるが、もしも強かったらと想像し、硯は考えるのをやめて着替えに専念することにした。危ない橋は叩いて渡るより、いっそのこと迂回路を探してしまったほうがいい。


「喉渇いた」
 硯が言うなり、がぱたぱたと王の間の裏口から出て行くのを、硯は視線だけで追いかけた。
 こうやって硯の要望に応えるべくが走り出すのは今日で七回目になる。恐らくも追い出されまいと必死なのだろう。けれども一週間もこの頑張りようが続くとは思えない。
 硯は視線を元の位置――ブルストムのカードが飾られている台に戻した。くるくると回転するカードを眺める。ずっと同じ体制のまま座っているのも辛くなってきて、硯は玉座の上で器用に胡坐をかいて見せた。
 頭の中で、次の大会――青の世界で定期的に開かれるグランロロ・チャンピオンシップに向けてのデッキ構成を考える。とはいえそれも元の名前。硯が青嵐帝に任命されてから、勝手に「硯杯バトスピ大会」と名前を変えてしまった。
 硯が王になってから一回目の大会だ。負けることなど許されない。恐らく今の硯のデッキで問題無いだろうけれど、万が一ということもありえる。それに相手を圧倒し、力の差を見せ付けるようなデッキにしなければ観客は沸かない。硯は王として観客を楽しませる義務がある。
 しばらくしてが戻ってきた。は硯の傍に控えている侍女に飲み物を渡すと、頭を下げて玉座の後ろに下がる。
「硯王」
 侍女に名前を呼ばれる。飲み物が注がれた杯をすっと目の前に出され、硯はストローに吸い付いた。冷たくて甘い液体が喉を通っていく。
「……肩こったなあ」
 言いながら硯はずるずると滑り落ちるように体制を変えた。ボリュームのある帽子を枕代わりにして、肘掛に背中を預け横になるというだらしない座り方をすると、がすかさず硯の肩に手を乗せる。のだが、その直後には固まってしまった。無理もない。硯があの厚手の外套を羽織っている以上、肩揉みなど不可能だ。
 から戸惑うような雰囲気を感じたが、硯は無言を貫き通した。あからさまに困っているだったが、しばらくして手に力を込めた。は今、硯の肩を必死に揉んでいるのだろう。けれども硯にその感覚が伝わる事は無かった。
「……ヘタクソ」
 硯の口からぽろっとそんな言葉が漏れた。
「うっ」
 の手が止まる。
「あ、あの、陛下」
「何?」
 硯が気だるそうにを見上げる。
「外套を脱い」「だめ」
 瞬時に切り捨てる。
「どうしても、ダメですか?」
「うん。文句あるの?」
「……、いいえ」
 は力なく答えると、硯の肩をするりと撫でるように手を下ろした。しょんぼりと力なくうなだれている。ちょっとやりすぎたかもしれない、と硯が思った矢先、
「あっ!」
 がぱあっと顔を明るくして、ぽむと手をたたいた。
「肩たたきはどうで」「却下」
 切り捨てたあと、なんだかとの問答が馬鹿らしくなってきて、自然とため息が出てきた。


「じゃあこれ、よろしくね」
 硯は言いながら、自分のカードが納まっているカードホルダーをじっくり眺めつつ、今しがた脱いだばかりの服を二度軽く叩いた。はそれを持ちあげると、昨日と同じようによたよたと扉の方へ向かっていく。
 よいしょ、よいしょ、とが呟きながら歩くせいで、どうしても気が散ってしまう。いらつきを覚えながらの背中に目をやる。よたよたとおぼつかない足取りは頼りない。が右によろめけば硯の視線は右に行き、左によろめけば視線は左へ。いつの間にか硯のいらつきはどこへやら、内心ハラハラしながらの背中を目で追っていた。
「わぁっ!」
 が石畳の隙間に足を引っ掛けた。バランスを崩しわたわたし始める。硯が慌ててカードホルダーを閉じてベッドから飛び出そうとするが、はなんとか自力で体制を立て直し、またよたよたとおぼつかない足取りで扉の方へ向かう。
 の行動は硯にとってはなんだか心臓に悪いような気がした。ベッドに腰を下ろすと、肺に溜まった空気を盛大に吐く。胸をなでおろし、傍に置いたカードホルダーを手に取った。さっきと同じようにカードを眺めるが、あまり集中できなかった。カードホルダーを閉じ、枕のそばに置く。
「陛下、終わりました」
 小走りでが戻ってきた。
「他にご用はありますか?」
「特にない。下がっていいよ」
 が頭を下げて、くるりと踵を返す。
「あ、やっぱ待って!」
「はい。なんでしょうか?」
 足を止めてが振り返った。その顔は不思議そうでいながら、少し不安を孕んでいる。何を身構えているのやら。
「そんな顔しなくても、別に取って食ったりとかはしないってば。ただ君に聞きたい事があって」
「聞きたいこと……、ですか」
「いいかな」
 こくりと頷いて、がベッドのほうに戻ってきた。
「君、あの異界魔女とどういう関係?」
「異界魔女って……ああ、マギサ様のことですか?」
 硯がうなずくと、が嬉しそうに微笑んだ。
「マギサ様は、私のお師匠様なんです」
 さながらマギサの弟子であることを自慢するような物言いだった。
「へえ、何を教わってるの?」
「魔法と、それに準ずるもの全てです。たとえば――」
 が右手の手のひらを上に向ける。ゆっくりと手を握り、何かを呟いて手を開くと、二ナの手のひらの上に小さな炎がゆらめいていた。部屋を通る隙間風で、炎がゆらめく。
 硯は一応、この世界にも慣れてきたと自負していた。たがこういう、現実では絶対にありえないような光景を見せられると、驚きを通り越してしまい、どう反応したらいいのかわからなくなってしまう。
 は揺らめく炎を自在に操り、大小さまざまな形に変える。硯が炎に手を伸ばすと、の手の中の炎はろうそくで燃える程度の火になってしまう。硯が火傷をしないように気を使っているのだろう。揺らめく小さな火に手のひらをかざすと、暖かかった。
「……他には何ができるの?」
「変身です」
「ああ、君が昨日使ったやつか」
 が申し訳なさそうに苦笑した。
「弟子入りしてからどれくらい?」
「あと一月でちょうど4年になります」
 その発言が硯にとっては意外だった。マギサは4千年も生きているのだから、弟子入りしている期間も人の一生ではありえない年月が経っていると思っていた。それだけに、まだたった7年しか経っていないというのが信じられない。
 怪訝そうな硯の顔にがきょとんとして見せると、プッと小さく噴出した。
「陛下、もしかして私の事、何千年も生きてるとか思ってないですか?」
 肩を震わせ、笑いをこらえながらが言う。
「えっ? 違うの?」
「陛下とおんなじこと、馬神君にもレイ君にも言われました。いくら魔女に弟子入りしてるからって、寿命も一緒じゃありませんよ」
 口元に手を当ててくすくすとが笑う。
「じゃあ、は今いくつなの?」
「来月で13になります」
 えへへとにっこり屈託のない笑顔を浮かべる目の前の少女はまさかの同い年だった。信じがたい現実に思わず絶句する。
 つまるところ硯は、同い年の女の子をパシリにしていたどころか、身の回りの世話を強要していることになる。硯の道徳心に、それがぐさぐさと突き刺さり、その上に罪悪感の重石が落ちてきた。まさか同い年とは思わなかった、などと今更言ってももう遅い。
 ……となれば、開き直るしか硯に選択肢はなかった。硯は王だ。王ならば何をしても許されるのがセオリー。だいいち、が同い年だからと戸惑うならば、いつも玉座の傍らにいてくれる二人の侍女はどうなるのか。毎日自分のためにおいしい料理を作ってくれる人も、扉の前にただ一日中ずっと立っている衛兵たちもだ。が自分と同年代だからといって、そんな理由で特別扱いするなんてできるわけがない。硯は半ば混乱した頭で持論を展開し、この状況に納得できる適当な理由をみつける。
 この状況は仕方のないことだ。僕は悪くない。と内心呟きながら、心を落ち着かせるために深呼吸した。
「……9歳からマギサに弟子入りしてるんだ」
「はい!」
 適当に話題をそらすと、が至極嬉しそうに頷いた。その態度と表情から、が心底マギサを敬愛しているのが見て取れる。
「辛くないの?」
「いいえ。マギサ様と一緒にいるのは楽しいです。たくさんの魔法が習えて、いろんな世界の、いろんな国が見れて」
「そっか。マギサに弟子入りするとき、家族から反対とか無かったの?」
「それが、全然なかったんです。むしろ喜ばれたくらいで」
 言いながらが照れたように苦笑する。半ば自虐的な発言だったが、その表情で硯には察しがついた。自虐を言う余裕があるほど、は家族に愛されて育ったのだ。の家はきっと、それはそれは暖かい家庭なんだろう。だからは温室でぬくぬく育ったような雰囲気なのかと、硯は一人納得する。
はどこ出身なの?」
「白の世界の辺境国です。田舎なんですけど、鉱山が豊富で有名な国なんですよ。名前は――」
「別に聞きたくない。ていうかそこまで君に興味ない」
 が言葉につまる。さっきの笑顔が段々としおれていく。ひゅう、と北風が吹きそうな雰囲気で立ちすくむを横目で見つつ、硯は布団の中に潜り込んだ。
「もういい。寝る。おやすみ」
「あ、はい! おやすみなさい」
 明かりを消し、布団の中、暗がりに目を凝らし二ナの様子をうかがう。はやっぱり昨日の場所――部屋の隅に座り込んだ。
 青の世界の気候は暖かいけれど、それでも夜は少し肌寒いものがある。何かタオルケットのようなものを用意したほうがいいんじゃないかと考えるが、硯ははっと我に返るとその考えを振り払った。
 両手で顔を覆う。ここ二日で、なんだかに毒されている気がしてならなかった。やっぱりさっさとを追い出すしかない。


 *


 あれから二日経ったが、は相変わらずの調子だった。
 喉が渇いたと言えば、すぐさま水やジュースを持ってくる。手が疲れたと言えば、手をマッサージしてくれる。お腹すいたと言えば、ご飯を持ってきてくれる。肩が凝ったと言えば、すかさず肩たたきをしてくれる(肩揉みは無理だとが訴え、硯が折れた結果だ)。甘いものを食べたいといえば、いろんなおやつを持ってきてくれる。
 この状況は正直なところ、硯にとって良いほうに進んでいるとは全く思えなかった。
 硯が何か言うたびが瞬時に行動に移すのは、硯にとっては素直に賞賛できた。硯が以前ブルストムの下でカード指南役をやっていた時と比べ、の反応は驚くほど素早いものだ。かといって見習いたいとは思えないが。
 硯がを疲労させるため、――あわよくば「もう無理です」と音を上げさせるためわざと命令しているというのに、は疲れも嫌悪も顔に出すことは無かった。もしかしたらは硯がわざと命令しているのに気づいてないのでは、と勘ぐってしまう。もし気づいていないのなら、はかなりのお人よしで、すこぶる頭が悪いのだろう。
 硯の胸の内にもやもやとした異物感が広がっていく。
――うざったいなあ。
 その言葉は心の中で呟いたつもりだったが、無意識に口に出ていたらしい。自分の耳に届いた嫌な声にはっとして硯が顔をあげれば、が目を丸くして硯を見ていた。
 しばらく見つめあってから。
「……廊下10回往復して走ってきて」
「へっ? ……あ、わ、わかりましたっ」
 不思議そうに首を傾げながらも、は慌てて部屋を出て行った。硯はそれを呆れた眼差しで見送った。
 は人を疑うことを知らないのだろうか。鬱屈とした気持ちが自然と溜息になり、それが口から漏れる。
「硯王、明日の“硯杯バトスピ大会”についてなんですが」
 銀髪の侍女がおずおずと話しかけてきた。
「わかった。話せ」
 硯の言葉を確認したあと、侍女が手に持った紙を読み上げる。開会式について、参加者人数について、それから算出された大会の期間は3日。その間各地からバトル参加者が集い、お祭り騒ぎになるため、念のため警備の強化にまわす人員の数。
「うん、それでいいよ。僕としては申し分ない」
 満足そうな硯に侍女は頭を下げると、するりと華麗にその場から下がった。
 前回の大会の資料と比べ、参加者の人数は減ってはいなかった。人間の、それも年端も行かない少年が王になったということもあってか、寧ろ参加者は増えている。
 恐らく、硯は舐められているのだろう。前回の大会で硯は、不本意とはいえ身体を乗っ取られ、大衆の前で惨敗を披露してしまったのだ。あんなレベルの試合を見せ付けられれば、もしかして簡単に勝てるんじゃないかと過信した参加者も増えるはずだ。
 それをボコボコに打ち負かすのかと思うと、硯の背中に背筋にぞくりとしたものが走った。舌なめずりでもしたい気分になる。
「楽しみだなあ」
 硯がそう一人ごちる。
 ――となれば、硯の行動は早かった。二人の侍女に下がるよう命令すると、硯は玉座から立ち上がると外套の裾を引きずって廊下に出た。その時ちょうど廊下の向こうから、息を切らしながらがやってくるのが見えた。どうやら本気で真面目に硯の言いつけを守っていたようだ。
 やっぱり筋金入りの馬鹿だったのか。硯はそう内心呟きながら、を手招きする。
「へ、陛下、どうしたんですか?」
 硯の前で立ち止まったは、ぜえはあと息も絶え絶えだった。少し声がからからしている。
「これで何往復目?」
「ちょ、ちょうど、半分、です」
「もう走んなくていいよ。それより僕行きたい所があるんだ。裾持って」
 床に垂れる外套をつまみながら言うと、がごくりと唾を飲み込みながら、力なく何度も頷いた。
 硯の歩みに合わせて、が外套を両手で抱えながら、後ろをとぼとぼとついていく。
「陛下、一体どこに行くんですか……?」
「ブルストムのカードコレクションルームだよ」
「ええと、ブルストムというと、前青嵐帝の方ですよね」
「そうそう。ほら、ついたよ」
 硯が指差す先には、荘厳でありながら重々しい雰囲気の扉があった。硯は扉の前の衛兵に声を掛け、扉を開けてもらう。硯が躊躇することなく部屋に足を踏み入れると、も戸惑いながらそれについていった。
 部屋の中は埃っぽくは無く、むしろ清清しささえ感じる。よく手入れが行き届いている証拠だ。硯が部屋の明かりをつけると、部屋の壁にかけられた数多の額縁が浮かび上がる。額縁の中にはそれぞれレアカードが収められていた。
「わあっ……」
 が疲れも忘れ、感嘆の声を漏らす。硯はそれを一瞬横目で見たあと、何事も無かったように視線をそらした。目当てのカードが収納された棚に向かい、せっせとそこをあさり始める。
「……すごい。こんなにレアカードがいっぱい飾ってあるの、今まで見たこと無いです」
 うっとりとが言う。
「意外だな。君、てっきりカードに興味ないかと思ってた」
 あれでもないこれでもないとカードを探している最中、硯が手を止めて背中で話しかけると、がとんでもないといった風にふるふると首を振って見せた。それが棚のガラス戸を通して、硯の目に映る。
「そんなことないです。大好きです」
「へー。デッキは持ってるの?」
「持ってますよー」
 ほら、と言いながらが嬉しそうな表情で、羽織っているマントをめくって見せた。ショートパンツに差し込まれた分厚いベルトに、皮製のカードケースがひっかけられているのが見える。
 はマギサが師匠ということもあってだろうか、身に着けている服はマギサと同じような、身体のラインを強調してしまうような露出度が高めの服だった。しかもの服は歳相応に可愛らしい装飾がついているせいで、今のの体制――見せびらかすようにマントをめくっている格好が、なんだか硯の目には危なく見えた。
 昔硯が通っていた小学校の周りで、全裸の上にコート一枚羽織って通りかかる小学生にコートの前を開いて見せる――なんて露出狂が出ていたのを不意に思い出す。まあ、目の前でマントを広げているはそんな変質者ではないだろう。硯は僅かに目を伏せると、が映りこんでいるガラス戸から、視線を手元に落とした。正直なところ、目に毒でしかない。
「あ、あった」

2011.??.??
ロリショタ万歳ばんばんじー
この後なんかいろいろあって仲良くなる、みたいな話だったと思う。