※R15。残酷描写含みますので苦手な方は読むのをお控えください。


「当たっちゃった」
 が口元を覆いながらぽつりと呟いた言葉に、部屋にいた皆が視線だけをそちらに向けた。
「何がだよ」
 ソファに座った山本が笑いながら重たい腰を持ち上げ、ノートパソコンのマウスを動かす手を静止させたままののほうへ向かう。彼女の隣に腰を下ろして画面を見、ふと動きを止めた。パソコンのキーボードの上に置かれた紙を手に取り、何度も画面と紙を見比べて、紙を元あった場所に戻して、山本は隣のと同じように無言になる。
「で、何が当たったんですか」
 ひどくつまらなさそうにゴシップ誌に目を通している骸が呆れたように言い終わると、の言葉を待つために自然と部屋の中が静まり返った。しばらくして、がやっと口を開いたときに、ちょうど良く部屋にリボーンが入ってきた。部屋が静まり返っている事をさして気にした様子もなく、本棚に無造作に置かれたファイルを取り出し、そのままスタスタと部屋を出て行く。扉を閉めた音と同時に、が勢い良くガバッと立ち上がって言った。
 いや叫んだ。
「ユーロミリオンズ!」
「ワオ」
 雲雀が無感情に呟き、獄寺が飲みかけたコーヒーを噴出した。
「わあああーっ! どうしようどうしようどうしよう!? 4億5千万ユーロだって! ちょっ、きゃーっ!」
 は興奮を抑えきれないのか黄色い声で喚きつつ、両手を頭上に掲げて勝者のポーズをし、くるっと振り返って座っている山本にダイブするように抱きついた。彼女を抱きとめながら、山本はただ信じられないような顔をしてパソコンの画面を見ている。
「…冗談でしょう?」
 骸がゴシップ誌を閉じて乱暴にテーブルに投げ、すくっと立ち上がり、足早にと山本が掛けているソファに向かった。の首根っこを掴んで山本から引き剥がしソファに座らせ、身をかがめてノートパソコンの画面を見た。山本が苦笑しながら骸を見たが、骸は気づいていないようだ。
 ノートパソコンのキーの上にはユーロミリオンズのくじ一枚が無造作に置かれている。ロトシックスと似たり寄ったりな紙を骸は手に取り、塗りつぶされた数字を見た。画面の当選発表を見れば、それと全く同じ数字がある。骸はこめかみを押さえた。
「これって一生働かなくても暮らせる金額だよね? もしかして…マフィアをやめて隠居しろっていう神の思し召し?」
「いやいや違うだろ」
 山本が苦笑しながらそう言ったが、は依然としてキャーキャー騒いでいる。聞いていないようだ。
「…どこまで運がいいんですか君は」
 骸の呟きは、やはりの耳には届かなかったようだった。
 このはしゃいだままの女、は幼少の頃から強運を遥かに凌駕した、最強運の持ち主だった。
 テレビでの懸賞に応募すれば大体3分の1の確率で当たり、町内会のくじ引きは必ず一等を取り、木曜日の夕刊に載せられた懸賞にはやっぱり必ず当たるのはもちろんの事、賭け事でも必ず勝つ。キノにポーカーにブラックジャックにバカラなんかは無敗伝説を持っているし、機械相手のスロットやメダルゲームやパチンコに対しても大当たりをかましてしまうほどだ。以前マカオでの任務のついでにカジノに立ち寄ってジャックポットを連続で出してしまったのは記憶に新しい。その運が今度はこの宝くじに向いてしまったようだ。
「そのうち運つきるんじゃねぇ?」
 山本が呟くと、がぐっとこぶしを握り締めた。今度は彼女の耳に届いたようだ。
「んなことあってたまりますか!」
 よーし次は競馬で試してみよー、なんて言いながらソファの上でごろごろし始める。ギャンブル好きの男は相当タチが悪いが、ギャンブル好きのはもっとタチが悪いだろう。そんな事を考えている骸に、がにっこり笑顔で当たりくじを差し出した。
「というわけで、なくさないように預かって欲しいです骸君」
「何で僕が…」
 が立ち上がりざま、ソファの背もたれに掛けられたスーツの上着を手にした。
「これから私は久しぶりの任務なのです。任務の最中にうっかり無くしたら元も子もないじゃない。明後日戻ってくるから、それまでなくさないようにねー」
 高らかに笑いながらスーツのジャケットを羽織ってノートパソコンを閉じ、はテーブルのそばに置かれた自分のバッグを持ち上げた。「やったー!」と万歳してくるくる廻りながら黒髪を揺らし、鞄をぶんぶん振り回し、そして奇声を発して部屋を出て行った。
 まるで台風が通り過ぎた後のように、部屋が静かになる。
「…やっぱりもう運尽きるんじゃないのアレ」
 雲雀が呟くと、その場にいる皆が神妙な面持ちで頷いた。



 次の日、ボンゴレ邸は静かに始まり静かに終わった。もともとうるさい元凶がいないのだから当然である。骸の部下であるクロームが窓にべったりと張り付いて、憂いの溜息を吐きながら同姓の話相手がいないことを寂しがっていたが、骸は逆に清々すると鼻息混じりに言い放った。そんな骸の今日一日の仕事は“報告書の作成”だけで、彼は報告書を作成し終えた後、大して何もせず一日中ソファで横になったままぐだぐだと過ごしていた。
 いつもならそういう時は大抵、常日頃ボンゴレ邸にて仕事をしているが暇を見つけてちょっかいを出したりしていたが、そんな彼女は今日はいない。ソファに寝転がりながらタブロイド紙を読む骸は傍目から大層つまらなさそうに見えた。

 その次の日。ボンゴレ邸は静かに始まり、またも静かに終わった。が帰ってこなかったのである。昨日と同じようにして窓にべったり張り付いて心配するクロームをよそに、骸や山本はもちろんの事、綱吉までもが「ギャンブルでもやってるんだろう」と笑い飛ばしていた。クロームが私物の携帯でに連絡してみたが、話中なのか繋がらなかった。

 そのまた次の日。ボンゴレ邸は静かに始まり、やっぱり静かに終わった。やっぱりクロームは窓に張り付いていて、またまたやっぱりは帰ってこなかった。

 ――それが、一週間も続いた。

 が一週間も帰ってこないとなると、流石に誰もが事の異常性に気づいた。と連絡を取ろうにもやっぱりの携帯に繋がらないし、しかも先日ボンゴレ邸に不審物が届いたのだ。
 クール便にて届けられた荷物は縦横30センチ、高さ15センチほどの大きさの発泡スチロールの箱だったが、中には真空パックに入れられた肉の塊が入っていた。念のためDNA検査をしてみた結果、と一緒に任務についた部下の一人、エドモンドのものと一致してしまった。さすがにこういう事態になると、行動せざるを得なくなる。綱吉は迅速にの取引先の相手――情報屋の家を部下に調べさせたが、そこは既にもぬけの殻だった。相手のほうが一枚も二枚も上手だったらしく、家を捨てて何処に行ったのかまるで足がつかなかった。
「流石に雲雀の発言が洒落になんなくなってきたな」
 ザアザアと雨が降る窓の外をじっと見ているクロームを横目にしながら山本が呟くと、骸が山本をきつく睨みつけた。山本が「悪ィ」と呟くと、骸は視線を書類に戻した。骸は今日任務を行うはずだったが、綱吉直々に任務交代を言い渡され、酷く機嫌が悪かった。それに加えての安否不明である。彼の心の内は計り知れるものではないだろう。犬と千種が骸を心配そうな眼差しで見ているが、彼は書類に集中している。
「あのー、山本さん」
 ふと、山本は声をかけられて振り返った。の秘書だった。彼女は困ったような顔をしている。
「荷物が届いたんですが、どうにも怪しくて…ボスが不在なのでどうしようかと」
「誰から誰宛に?」
「その…それが、が自分自身に宛てている物なんですが」
 骸がソファから立ち上がって、秘書と山本をを押しのけて部屋を出て行った。クロームが慌ててその後ろをついていくと、犬と千種も揃って部屋を出て行った。ふむ、と頷いて山本はリボーンの名前を呼ぶと、奥の部屋からリボーンが欠伸交じりに気だるそうにやってきた。目の下に隈ができている。今の今まで寝ずに仕事をしていたのだろう。
「何だぁ?」
「荷物が届いたんだって。から」
「行くぞ」
 言いながらリボーンが部屋を出て行くので、山本は秘書に礼を言って小走りでその後ろをついていった。
 一階の玄関前のロビーに向かうと、玄関近くの絨毯に大きな長方形のダンボールが置かれていた。骸はかまわずダンボールのガムテープを剥ぎ取っていて、その周りには心配するような面持ちのクロームと犬と千種に、スーツを着込んだ部下が3人ほど棒立ちになっていた。
 ダンボールは大きい。縦1メートル半、横60センチ、高さ60センチくらいだろうか。一見すると組み立て式の家具が入ったダンボールのように見えなくもない。
「鋏持ってくるか?」
 山本が骸に声をかけたが、骸は反応しない。
「…いらないみたい」
 代わりにクロームが答えると、山本は渇いた笑みを浮かべてリボーンを見た。リボーンは懐から携帯を取り出して、誰かに電話を掛けていた。多分綱吉にだろう。ビリビリと紙を破くような音がやんだので山本がダンボールを見下ろせば、ガムテープが全て綺麗にはがされていた。
「あけますよ」
 クロームと山本が頷いたのをきっかけに、骸がダンボールの蓋を開けた。
 最初に目に飛び込んできたのは、5センチほどの発泡スチロールの衝撃緩和材だった。それがダンボールいっぱいに敷き詰められていて、まるでそれしか入っていないように見える。
「…この荷物、重さは結構ありましたか?」
 骸が近くの部下に聞くと、「かなり重かったです」と部下が緊張した面持ちで答えた。クロームがダンボールのそばにしゃがみ込み、緩和材をダンボールから掻き出し始める。それに習い骸も緩和材を掻き出し始めた。ダンボールの周りに緩和材が散らかる。
「ッ!」
 いきなりクロームが息を飲んで、その場に尻餅をついた。緩和材の間から、うねる黒髪が覗いている。一瞬の間をおいて、骸が手を伸ばしてクロームが掻き出していた側の緩和材を自分の方へかき出すように除けると、白い布で縁取ってある黒い特徴的なフードに包まれた、包帯でぐるぐると幾重にも巻かれている人の頭と思われる部位が顔を出した。包帯の隙間から長い黒髪が束になって出ている。骸が眉を寄せて緩和材を掻き出すと、荷物の全貌が明らかになった。どうやらこれは修道服を身につけているらしく、棺桶に入れた死体のように腹の上で手が綺麗に組まれていた。服の裾も太ももまで捲くられていて足がむき出しになっていたが、膝下10センチより先は綺麗に切断されてなくなっていた。切断面を見れば施術した痕が残っている。外気にさらされている皮膚はシャンデリアの光を反射しててらてらと光沢を放っている。
「…マネキン?」
 リボーンが小さく呟いた。言われれば確かにそう見える。皆が判断しかねている最中、犬がダンボールに近寄りしゃがみ込んで、独りすんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いで、一気に顔をしかめた。
「油っぽい臭いがするれす。こう、もたーっとした」
「油?」
 骸が聞き返すと、犬は頷いた。
「はい。どっかれ嗅いら様な…」
 やや考え込んでから、ぽんと、手のひらを拳で叩いて。
「ろうそくの臭いれす!」
「蝋燭ですか」
「蝋燭ねえ」
 順に骸と山本が呟いて、ダンボールのそばにしゃがみ込んだ。組まれた手に触れると、蝋燭特有の滑らかな質感がある。
「蝋人形?」
 山本が骸に同意を求めるように聞いてみたが、骸は考え込んだままだ。
「…ロザリア・ロンバルド」
 ぽつんと千種が呟くと、場にいる人の視線が彼に集まった。一番先に反応したのはリボーンだった。
「シチリア島の永久死体か。屍蝋だったら死臭がするはずだぞ。なんでまた」
「なんとなく」
 フン、とリボーンが鼻で嗤ってクロームにどけるように指示し、クロームが座っていた場所に今度はリボーンがしゃがみ込んだ。頭部の包帯に手をかける。
「取るぞ」
 皆がうなずくのと、リボーンが包帯を頭部の頂点から引き下げるのはほぼ同時の事だった。露になった顔は血の気が引いて青白く、唇は紫色に変色している。静かに目を閉じて眠っているように見えるその顔は、紛れもないのものだった。
 部下がどよめいた。リボーンが苦虫をつぶしたような顔をする。千種と犬は黙ってを見下ろしていたが、クロームは口元に手を当てて目尻に涙を浮かばせた。
「…冗談だろ」
 山本がこの世の終わりを目にしたかのように呟いた。クロームの目からぽとりと零れ落ちたものが、絨毯にシミを作る。骸が無言で立ち上がり、そのままどこかへ行こうとするのでリボーンが慌てて引き止めると、骸が強く握りこぶしを作った。行き場のない怒りを壁に打ち付けると、壁にヒビが入るんじゃないかというくらい大きな音が室内に響き、反響した。
「――うるさい」
 ボソッと、どこからか声が聞こえた。その場にいる皆の動きが固まるが、クロームだけが何度か瞬きして、ダンボールの中のを覗き込んだ。うっすらと、の目が開いている。
 の頭上に影が差す。自分の視界がいきなりフッと暗くなったが首を動かし上向けば、の青白い頬にクロームの涙が落ちた。の眠たげな眼差しが、一気にぎょっとしたものになる。首に腕を回され抱きしめられ、の頬に血の気が戻った。
「ちょっ、クローム、なんで泣いて…いだっ、いだだだッ! 首ッ! 折れる首ッ!」
 叫ばれて、渋々と言った感じでクロームがの首に回した腕をそっとはなした。
「うあー、間接決められて死ぬかと思った…」
 はぁーっと息を吐いて、が首を左右に動かした。動かすたびにコキッと首が鳴る。
「死ぬかと思ったって、お前なあ…」
 山本が脱力して、横たわるに何か言葉をかけようとしてから、絨毯の上に大の字になって寝転がった。そうして盛大に溜息を吐く。
は生き返る能力でもあるんれすか?」
 の頬を爪でつつきながら犬が言うと、は申し訳なさそうに苦笑した。
「それってレイズとかザオリクのこと? あいにくそんな能力は持ってないなあ…」
 寝たままの状態でぺこりと頭を下げ、顔をあげると視界に不機嫌そうな骸の顔が映った。はその顔を見てにへらっと、穏やかな笑顔を浮かべた。
「何で…、何でそんなに元気なんですか君は」
「元気だけが取り柄ですから」
 ははっと笑ってから、は身体を動かそうとして、そうして顔をしかめた。自分の体が思うように動かないらしく、緩和材の中でがさごそと暴れ始める。
「手も足も動かないっ! くそっ…ええいっ…ふんぬぬぬぬぬぅー」
 歯を食いしばりながら奇声を発していると、ぴきりと何かが割れるような音がした。
「あ、いけそう」
 呟いた瞬間、一斉にバキバキと割れる音が響く。が腹の上で組んだ手を離すと、半透明の塊がぽろぽろと修道服の上に落ちた。リボーンがその欠片を拾い上げる。
「蝋燭、だな」
「…道理で動けないはずだわ」
 がまるで他人事のように呟いて、準備運動でもするかのようにばたばたと手首を降った。それからうんと伸びをして、上手くバランスをとりながら無理やり上体を起こした。バキバキと蝋燭が割れる音がする。それから「あっ」と声を上げて、リボーンの方を見た。
「そうそう、エディ! エドモンド! もうすぐで帰ってくると思う! ってか帰ってきてる!?」
 いきなり突拍子もなく言い出したその発言に、リボーンが眉を寄せた。
「いや、帰ってきてない。…帰ってくるって、生きてるのか」
「多分…私と同じようになってるはず…うん、絶対そうなってる」
 頭を抑えながら、記憶をたどるようにとつとつと言う。それからダンボールの底に手をついて身体を浮かせ、諦めたように力を抜いた。
「ああ…」
 鬱陶しそうにフードを取り払いながら納得するように頷いて、はがしがしと頭を掻いた。
「…ばっさり切られちゃったもんな」
 その言い方は、自分に言い聞かせるような含みを持っていた。「膝下なだけましかあ」と独り呟いている姿は物悲しい。耐え切れなかったのかクロームが突進するようにに抱きついた。すがるように抱きつかれ、は狼狽しながらクロームを見下ろした。
「…よかった」
「え、何が」
 安堵するように呟かれた言葉に、は素っ頓狂な声で答えてしまった。
「生きてて、よかった…っ」
 絞り出すような声には一瞬きょとんとし、照れくさそうにあちこちに目をよこしたものの最後には口元を緩めて、泣き出すクロームの頭をなでた。



 数日後、の言うとおり、ボンゴレ邸にエドモンドが荷物として届けられた。と同じく両足を膝下から切断されていて、服で覆われない顔以外の箇所だけ蝋燭でコーティングされていた。エドモンドの服装はスーツではなく聖職者が身につけるものを着ていた。と同じように腹の上で手が組まれていたが、手と腹の間には分厚い封筒が差し込まれていた。エドモンドの身体の下にはの鞄が敷かれていて、中にはの荷物そのままと現金が入っていた。封筒の中身は所望していた情報が記されたコピー用紙一枚と直筆の手紙が5枚に写真が27枚入っているだけだったが、写真と手紙がかなり問題のあるものだった。
 手紙の内容はおよそ口に出していえないような変態じみた文章で、エドモンドに対しての謝罪の言葉とに対しての強烈なラブコール、足を切断するまでの手順が詳細に書かれており、文末は「おいしかったよ。また会いに行くからね」と締めくくられていた。
 写真はというと眠りこけているとエドモンドの寝顔からはじまり、切断した足を色んな角度から取ったもの、肉をはいだ足の骨、皿の上にポテトサラダとともに盛られた肉のソテー、それを平らげた後だと思われる空っぽの皿、それが最後の一枚となっていた。写真は見たら最後、胃袋がざわついて仕方なくなるような不気味さがあった。
「…まるでレクター博士だね」
 ベッドのそばの椅子に腰掛けて、写真を一通り見終わった雲雀が眉を寄せて呟いた。
「じゃあ私はさしずめクラリス捜査官かしら」
 フフン、と鼻で笑いながら言うのはだ。ベッドに横たわり雲雀のほうに首を向けながら彼と会話している。
「冗談も程々にしなよ。君は明らかにポールだろう」
「私は絶対クラリスですー。雲雀君の方こそ冗談も程々にしてくださいー」
 口を尖らせてぶーたれる。その顔を見て雲雀が口元を緩めたかのように見えた。
「案外、元気そうだね。心配して損したよ」
「いやあ、これでも結構落ち込んでるんだけど…」
「ハッ、君が? 落ち込んでる? 冗談はよしなよ」
「だよねえ」
 あははと軽く笑った後。
「――冗談だったらどれほどいいことか」
 は盛大に溜息を吐いて寝返りを打ち、天井を見あげながら、右前腕を目に押し付けて視界を覆い隠した。雲雀はフンと鼻で息をして、サイドテーブルの上、くしゃくしゃに皺が寄った紙を手に取った。紙には几帳面な字が綴られている。
「で、これ、何でこんなにしたの」
「私じゃないよう。やったのは骸君だよう」
 ふうん、と興味なさそうに頷いて、雲雀は手紙の最初の数行に目を通して、眉をひそめて紙束を元の位置に戻した。読もうと思ったが出だしから気持ち悪かったので読むのを控えたのである。正当な判断だといえるだろう。
「君はこれからどうするつもり?」
「宝くじ当たったし、隠居生活決め込もうかなー。……って思ってたんだけど」
 右手で握りこぶしを作って、その手を思いっきりベッドシーツにたたきつけた。衝撃でマットレスが軋んで波打ち、の体が何度か跳ねた。
「そんなの私の性にあわないわ! ってかこれはあの変態が私に対して宣戦布告したと取ってもいいのかしら寧ろそう取るべきなのよね! 私が歩けるようになったらあの小生意気な顔殴りながら、あいつの足をぎっっちょんぎっちょんのめっためたにしてやるわ畜生が!」
 反動を使ってがばっと器用に身体を起こして、くきーっと悔しそうに唸りだすに雲雀は肩をすくめて見せた。
「…義足つけるんだ」
「あたりまえだ!」
「ふうん。じゃあ無駄な脂肪つけないようにね」
「うるさいわ!」
 雲雀は立ち上がり、椅子の背もたれにかけたスーツのジャケットを羽織った。きっちりボタンを閉めて、部屋のドアに向かう。雲雀がドアノブに手をかけてそこで止まり、何かを思い出したように振り替えると、ベッドの上に座っているがにこっと笑って手を振った。
「いってらっしゃい。暇だったらまた来てね」
 冗談めいてがそういうのは、いつもと大して変わらない光景だ。だというのに、の足にかけられている掛け布団は、足を象る盛り上がりを中途半端な長さで失っている。明るく振舞っている彼女の足はもう存在せず、義足をつけることや車椅子で移動するくらいでしか彼女はもう行動できなくなったのだ。侵しがたい空気をまとわりつかせていた彼女が、こうもあっさりと侵食された。しかも初対面の人物にだ。そう考えると奇妙な感じがする。このままじわじわと侵食されていってしまうのではないかと想像し、雲雀はその考えを振り払ってドアノブをまわした。ドアを引く前に、何故か勢いよくドアが雲雀の顔面に飛び込んできた。ドアが振動して、ゴン、と軽快な音が響く。
「…ッ」
 雲雀が呻く。が「ブハッ」と噴出す声とともに、彼はよろめきながら後ろに下がった。ドアの隙間から、申し訳なさそうな顔をしたクロームがそろそろとした足取りで部屋に入ってくる。
「ドアの前に突っ立って何やってるんですか」
 それに続いて、骸が入ってきた。
「ノックぐらいしたらどう?」
 雲雀が口角をヒクつかせながら言うと、対する骸は鼻で笑った。雲雀がどこからともなくトンファーを取り出すと、対する骸も一瞬にして手に三叉槍を出現させた。骸の周りの床を白煙が滑っていき、霧散して消える。
 そんな状況の最中、まるで興味がないのか彼らに目もくれずクロームに両手を広げるに対し、照れたように笑ってクロームがベッドの近くに寄った。挨拶の意味もこめて抱き合って、ややあってから身体を離す。
「ご飯、一緒に食べようと思って呼びに来たの。ここで食べるのつまらないでしょう?」
「うん、すごくつまんない」
 真顔で子供のように言うものだから、クロームはくすりと笑みを零した。静かにベッドの上に腰を下ろす。
「…だからさあ、車椅子を常時ここに置いとくべきなのよ。そうすりゃ退屈しないし一人でトイレにも行ける」
「でもあの人が介護してくれてるでしょ?」
 あの人、とはの秘書の事を指す。彼女は雲雀が来たときに律儀にも来客だからと席をはずしたので今はいない。恐らく部屋の外で待っているのだろう。
「そりゃあしてくれるけれど、私に一日中つきっきりってわけにもいかないでしょ。できる事は自分でしないと。甘え癖がついて堕落しちゃうわ」
「…すこしくらい、甘えればいいのに」
「これでもクロームには甘えてるつもりよ」
 ごろにゃんにゃん、と演技っぽく言いながらがクロームの背中に擦り寄った。の重みでクロームがほんの少し前かがみになり、クロームが目を細める。しかし一瞬でクロームは顔を険しくし、を突き飛ばしてベッドに寝かせ自分は身を低く保った。クロームの頭上を槍の切っ先が掠める。コンマ一秒の間の出来事だった。
「あ…っぶないなあ! 何してんの骸君!」
「それはこっちのセリフです。視界の端で何同姓相手にいちゃこらしてるんですか、気持ち悪い」
「そういう骸君こそ、雲雀君に会う度会う度つっかかっちゃってさあ。もう仲がいいんだか悪いんだか――」
 ぴしっと空気が凍りつく音がクロームの耳に届いた。一気に部屋の温度が下がった気がする。もそれを感じ取ったのか、あからさまにへらへらと笑いながら、
「――なーんて、ね…」
 冗談で済まそうとしていた。
「骸さま、落ち着いて」
 すかさずクロームが宥めようと声をかけたが、骸は聞いていないようだ。彼は半目の、恨みがましい眼差しでを見下ろしている。絶対零度の空気の中、雲雀といえば「付き合っていられないよ」と肩をすくめて部屋を出て行ってしまった。
「ほ、ほら! 骸君も落ち着こうよ! 雲雀君を見習って!」
 雲雀君を見習って、という言い回しにかちんときたのか、骸の口角がひくついた。骸は怒らせると手がつけられないことを知っているは、ひいっと喉の奥から搾り出すような声を上げた。骸が槍を振り上げる。クロームがを庇うように、骸の前に立ち房がった。
「…馬鹿馬鹿しい」
 そう独りごちると、骸の手にある槍が手品のようにパッと消えた。骸はクロームの肩を押して退かせ、ベッドのそばまで歩み寄ると横たわるの身体の下に手を滑り込ませた。軽々と持ち上げ、子供のように抱き上げる。骸の右肩に頭を乗せたは、落とされまいと骸の首に手を回した。その際に寝巻きの袖がずり落ち、腕に刻まれた歯形状の瘡蓋が露になる。が誘拐されて戻ってきてから、身体のいたるところに残っている傷だ。首筋から切断された足の先まで満遍なく歯型がついているのだ。しかしこの傷は一緒に誘拐されたエドモンドにはついていなかった。だけにしかついていない歯型、…まあつまりそういう事なのだろう。
「…ほんっとーに、胸糞悪い」
 首筋の歯形を見て、骸が苦々しくつぶやいた。
「え、私が?」
「違います」
 骸が踵を返すので、クロームが慌ててドアに向かい、両手の不自由な骸のためにドアを開けた。それに気づいたの秘書がはっと顔をあげて姿勢を正し、骸の姿を見て目を丸くした。何度も瞬きを繰り返している。
「今日はみんなとご飯食べるねー」
 己の上司にひらひらと手を振られながら言われ、秘書ははっとしたように我に返る。骸に警戒の眼差しを送りながら、恐る恐るといった感じで、「わかりました」と頷いた。
「あと車椅子を部屋に置くよう――」
「却下します」
「――手配して欲しいのだけれども」
 の言葉を遮るように骸が言うものだから、の言葉が変なところで途切れた。
「なんでダメなの」
「ほんっっっとーに思慮が足りないですよ君。頭わいてんじゃないですか? 少し自分の立場を理解すべきだ」
 立場ねえ。が呟きながらうーんと顎に人差し指を当てて考え込む。
「足がなくて、歩けない?」
 骸が目を閉じて嘆息した。
「…違うわは狙われてるのよ」
 たまりかねたクロームが助言すると、はクロームに「誰に?」と聞き返そうとして、言葉を飲み込んだ。顎に手を当てて考え込む。
「いや。うん。まあ確かに、…でもさあ、仕事もたまってるし、…暇だし」
「仕事がたまっているし暇だから、と車椅子で出歩かれたらたまったもんじゃないですよ。外に出た途端攫われたらどうするんですか。文字通り喰われますよ」
「喰われるとか言わないでよー。ってか屋敷の中でしか使いませんー。骸君は深く考えすぎですぅー」
「人生何あるかわかりませんよ。は軽く考えすぎですぅー」
 の口調を真似ておちょくるように骸が言うので、の口元がひくついた。
 間をおいて。
「…クロームはどっちが正しいと思う?」
 聞かれたクロームは考え込むそぶりをしてみせる。
「骸さまのほう」
 きっぱり言われてしまい、がうなだれた。
「でもできれば一人でトイレに行きたいのよ」
「だったら水分を過剰摂取しなければいいだけの話でしょう。コーヒーや紅茶には利尿作用があるんですよ知ってますか?」
「そんな事誰だって知っとるわい。あーも埒が明かない。とりあえず安いのでいいからお願いね」
 が秘書に声をかけると、彼女は骸を見ながらも不承不承頷いて、たちとは反対方向へと歩いていってしまった。骸も肩をすくめて、を抱きなおして歩き出す。
「トイレの世話くらい僕がしてあげるのに…」
「何ペットの世話のように言ってるの骸君は。…よしんば骸君が私の世話をしてくれる事になっても、君殆ど仕事でいないじゃない。その間どうするのよ。私に漏らせと?」
「いいじゃないですか漏らせば」
「さらっと言うけどねえ、そんな事したら恥ずかしいし泣きたいでしょーが」
 骸が視線を上に向けて、天井をぼんやり眺める。
「…なんかちょっともえますね、そういうの」
 は絶句し、クロームははっと顔をあげて、複雑そうな表情を浮かべて数歩後ずさり骸から距離を置いた。足音に気づいた骸が怪訝そうにクロームのほう振り返ると、クロームが視線をそらした。あからさまに避けている。
「どうしたんですかクローム」
 首をかしげる骸に、なんでもないとクロームがふるふる首を振るが、その眼差しはクロームの言いたい事を表しているかのように冷たいものだった。
「へ、へんたいへんたいへんたーい! 骸君頭おかしいよ!? ほらっ、クロームも見事に引いちゃってるし…」
「僕のどこら辺が変態なんですか、失敬な」
「いやいや今さっき変な事言ったよね骸君」
「変なことって…ウロフィリアなんて一般的なものでしょう」
「ウロフィリアってなにー!?」
 叫ぶの肌が鳥になった。


「――骸君ってほんと、ヒワイだよねえ」
 皿の上のパスタを右手に持ったフォークで上品に巻きながらがぽつんと呟いた。
「ヒワイって…、滅茶苦茶失礼ですよ君」
 骸が不満げにこぼした。
「失礼も何もまんまだびょん」
 犬が笑いながら何気なしに言うが、骸に睨まれた次の瞬間にはキャウンと吠えて身体を小さくしていた。
「ウロフィリアなんて、今まで生きてきた中で初めて聞いたよ」
「そりゃよかったじゃないですか。役立つ知識が増えて」
「…骸さまに、今食事中。汚い話しないで」
 隣で黙々と食事を進めるクロームに咎められ、骸はそ知らぬ顔をしていたが、は「ごめん」と苦笑交じりに呟いてパスタを口に運んだ。途端に口の中に酸味が広がる。今日のメニューは梅干とバジルのパスタだ。ちなみに皆でメニューを考え皆で調理したらしい。その光景を想像すると少しおかしい。
「うー、肉が欲しいれす」
 見た目からして肉食の犬が、ぷつりとバジルにフォークをつきたてながら呟いた。
「…犬」
 千種が嗜めると、犬が口を尖らせる。
「犬、肉は夕食まで我慢してください」
 骸があきれたように言うと、犬は渋々といった感じでフォークにパスタを巻き始めた。それを見てが申し訳なさそうに笑う。
 以前のはお肉大好きの肉食人間だったが、あの写真を見てから肉類を口に入れると必ず吐くようになった。牛豚鳥はおろか魚や卵までもを口に入れることができなくなり、生粋のベジタリアンになってしまった。その理由は精神的なものだろうと、の担当医が判断した。
 今が食べている、目の前の皿に乗せられた料理は、きっとそれを考慮して調理されたのだろう。なんともいえない気分になる。
「そういえば僕、有休取ろうと思うんです。一ヶ月くらい」
 ニコニコしながら骸が言う。「はぁ?」と千種と犬との聞き返す声が重なった。しかしクロームだけは骸を一瞥しただけで、何事もなかったように黙々と食事を進めている。
「いや、君、仮にも霧の守護者でしょ? そんな偉い立場の人が簡単に休み取れるの?」
 がぱちくりしながら聞けば、骸はクフフと笑った。
「綱吉君の事ですから何とかしてくれますよ。揺さぶりかければ」
「それって、脅し――……いえ、なんでもありません骸様」
 骸にすごまれ、千種がすぐさま訂正した。
「で、そんなにお休みとって何するの?」
 が言って、パスタを口に運ぶ。
「暇で暇で仕方なさそうなの話相手になろうかと。あと、人探しですかね」
 ごくんとの喉が鳴った。よく噛まずにパスタを飲み込んだのだ。
「ちょっとまって。前者はいいとして、人探しって…なんだか嫌な予感しかしないんだけど」
「察しの通り、あの変態情報屋をとっ捕まえるんですよ」
 えー!? と犬の大きな声が部屋に響いた。千種はやっぱりなあといった感じでふうと息を吐いて、クロームは納得したように口元を緩め、は不満そうに眉を顰めた。
「私が捕まえる気満々なのだけれど」
「君が捕まえる? 冗談は止して下さい。はっきり言いますけど、君は誰よりも弱い。があの変態と退治したところで、どうせが負けるのはわかりきってる事でしょう。それに、僕が生け捕りにしたほうが色々と都合がいいはずですよ」
 面と向かって弱いといわれ、はぐうの音も出なかった。それは事実だと自分でも認識していたからだ。確かには戦闘よりもデスクワーク派だ。頭と運だけはいいので作戦を練り、後方支援に向いている。だからあの情報屋との取引に任命されたのだ。まさか情報屋がかなりの悪趣味で、とその部下が重傷を負って帰ってくるとは綱吉も予想していなかったようだが。
「でもー」
「ぶーたれないでくださいよ。次にまた君があの変態に会ったら、多分両腕持ってかれますよ」
 足の次は腕、そう考えるのは妥当だ。やっぱりは反論できずに、悔しそうに骸を見た。
「それとも、君は自ら五体不満足になりたいんですか?」
「そーゆーシュミはないなあ」
 五体不満足になった事を想像し、は渋い顔をする。
「…確かに、手なくなったら、きっついなあ」
 一人でご飯食べれなくなるし、本読めなくなるし、ペン持てなくなるし、パソコンのキーも打てなくなるし、髪や体を洗えなくなるし…と、両腕をなくしたせいで不便になる事はには思いつくままいくらでもあげれた。まるでキリのない、果てしない事をブツブツと呟いた後。
「それに、ぎゅーって抱きしめる事できなくなるもんねえ…」
 のほほんと言いながら、ほのぼのした笑顔を骸に向けた。え、と呟いた骸のオッドアイがきょとんと円くなる。
「――クロームを」
「わかってましたよ! どーせそうくるだろうと思いましたよ!」
 悔しそうに叫ぶ骸をほっといて、「ねー?」とクロームに笑いかけながらが言うと、クロームが目をぱちくりさせながら、ややあって嬉しさを噛み締めるように笑って、小さく頷いた。

2008/12/14