※お嬢さんの設定は19-03.htmと同じ(続き?)
「さんっ」
家から出たところで、タイミングよくフィアさんに会った。大きな洗濯籠を両手に抱えたフィアさんはぱたぱたと軽快な足取りでこちらにやってきて、私の前に洗濯籠を置いて立ち止まり、にこりと柔らかく微笑む。それから私の腕の中にある大量の本をちらりと見て小さく首をかしげた。
「お出かけですか?」
そう聞いてくるので、軽く頷いた。
「ん…、そんなとこかなあ。本返しに行くだけだよ」
そう言いつつ、抱えている本に視線を落とした。この本は、寝る前などの暇な時間にレダと一緒に読んだものだ。ざっと20冊はあるこの本、半分以上はレダが持ってきたというのに、「返しに行こう」とレダに言えば「お前がいけ」と一刀両断、このザマである。まあ、他人が苦手であろうレダがエレンディアの人たちに馴染めないというのはわからなくもないのだ、実際私が苦手だから。…でも、苦手だからと毛嫌いしてても、ここにずっと住むというのは変わらないわけであって、自分の価値観をちょっとは変えなきゃダメなんだよなあ、と部屋に引きこもってるだろうレダを考えて、小さく溜息を吐いた。
「クロード様の所に?」
フィアさんが手の中にある本から視線を上げ、私を真っ直ぐ見ながら首を傾げて聞いてくる。
「うん。本借りれるとこなんて、あそこしかないから」
エレンディアの中で比べれば大きい施設だといえるあの魔導ギルドに本を借りに行くようになったのはほんのここ最近のことだ。そうするようになったのは、フィアさんの家の書物全てをレダと共に読み終えてしまったことを食事中に話したら、シエラさんが「ギルドで借りればいいんですわ」と言ったのがきっかけ。それ以来、1週間に2、3回はギルドに行っているような気がする。そのなかでレダがついてくる事はほんのちょっぴりだけれども。
「確かに、あそこの書籍量はすごいですもんね」
フィアさんが言う。確かにギルドの本の量はすごい。なんてったって本棚が天井くらいの高さがあるからだ。そこにびっしり本が収められているにもかかわらず、床にも大量に積み上げられている。多分日々増えているんだろう。
「フィアさんは借りてる本とかないですか? よかったらついでに返しにいきますけど…」
「えっ? あ、えーと…。いいんですか?」
おずおず、といった感じのフィアさんがなんだか可愛くて、ちょっとだけ笑ってしまった。
「当たり前じゃないですか」
言うと、フィアさんの顔がぱあっと明るくなる。可愛いなあと思った裏で、ちょっと地雷踏んだかも、なんて考えたのをなんとか振り払った。
「ちょ、ちょっと待っててくださいね!」
と、フィアさんはぱたぱたと家の中に入っていって、ややあってからぱたぱたと戻ってくる。彼女の腕には料理の本やら裁縫など様々なジャンルの本が、10冊ほど。やっぱり地雷を踏んだなあと、ちょっとだけ眩暈がした。
「す、すみません。結構前から、返しそびれてるものが多くて…」
ぺこりと頭を下げて本を差し出してくるのを受け取って、よいしょと抱えなおす。かなり重いが、持てないというわけではない。それにフィアさんの持ってきた本は薄いものばかりだ。レダは分厚い本しか借りないので、そこら辺が救いだと思う。
「じゃ、いってきます」
フィアさんにそういうと、彼女は恥ずかしそうに笑いながらひらひらと手を振って見送ってくれた。「いってらっしゃーい」という言葉を背中に浴びながら砂利道に一歩足を踏み出すと、近くの木から鳥が舞い降りてきて私の肩にとまった。
カラスほどの大きさのその鳥は、少し前まで手のひらにおさまる位の小鳥だったのだが、今はもうその面影はない。柔らかなまるっこい瞳が今はきりっとした目つきになっていて、小さく自己主張するようだったくちばしは今やシャープな形になっている。羽の一部と顔から首の部分が白くなり、尾羽が長くなって、足の爪は鋭さを増した。しかも主食は木の実とかだったのが、動物の肉を好むようになった。それでも私の中ではピッチはピッチなので、別に偏見とか恐怖は抱かなかった。まあルゥリさんとかシエラさんはめっぽう怖がるけど。
「ピッチも行く?」
聞いてみると、ピチピチという鳴き声。…が返ってくるわけでなく、キュイ、とシャープな鳴き声。正直な話、鳴き声で名前を決めた自分としては、鳴き声まで変わってほしくなかった。
「もっと大きくなるのかなあ」
ピッチなりの愛情表現なんだろうか、耳を軽く啄ばまれながらぽつりと呟くと、ピッチはキュイッと元気な鳴き声を発した。
良く言っても悪く言っても片田舎のエレンディアは、やっぱり何かしらの話題性を求めたいらしい。近道だからと細い小径を通って街の中に入った途端、ちらちらと自分に視線が集まるのはどうにも気のせいではないみたいだ。背中の白い羽に視線が集中しているのがイヤでもわかる。エレンディアに来てもう結構経つのに、これはどうにかならないのかなあと小さく溜息を吐きながらとぼとぼと石畳を歩いて、ギルドのある洞窟の入り口にたどり着いた。
腕が痺れてきたので本を抱えなおして、中に入る。ちょっと歩いたところで、大き目の岩に腰掛けているリッツさんを見つけた。リッツさんもそれと同じくらいに私に気付いたらしくて、ひらひらと手を振ってくれた。こんにちはーって言うと、彼もこんにちはって言ってくれる。
「本返しに来たの? 随分と借りたみたいだね…」
私の抱えてる本の山を見ながら呆れたように言うリッツさんに、小さく苦笑する。リッツさんが軽々と、岩から飛び降りて私の傍に着地した。それにびっくりしたのか、今まで大人しく肩に乗っていたピッチが翼を広げて洞窟の外へ飛び立つ。その後姿を見ながら、特には大事はないだろうと視線をリッツさんに戻した。
「重くない? 半分持とうか?」
「いやいや、大丈夫ですって」
笑いながら言うと、リッツさんはそう?って聞いてくる。それに頷くと、リッツさんは納得してくれたらしい、彼が小さく苦笑した。
「頑張ってね」
「リッツさんこそ」
言って、その場から一歩足を踏み出す。ちょっと粗末な木の橋を、本を落とさないようゆっくり渡って、ギルドに足を踏み入れた。
「こんにちはー」
ちょっと大きめの声で言うと、本の山の間からクロードさんが顔を出した。私を視界に捉えた途端、彼はにっこりと人懐っこそうな微笑みを浮かべる。
「やっと来たね。待ってたんだよ」
「はあ、どうもすいません」
それからクロードさんは本の山の中にまた潜る。
「エクセル君、休憩だからこっちに来てください」
え、と言う前に、山の奥のほうで「はーい」と聞きなれた声が響いた。ビックリしてぱちくり瞬きしながら、ひょっこり出てきたクロードさんを見上げる。彼はちょっとだけ意地悪そうな笑みを浮かべて、本の合間をするする通り抜けてこっちにやってきた。
「エクセル君に本の整理を手伝ってもらっていたんだ」
聞いてもいないのに、クロードさんはエクセルが何故ここにいるのかという理由を述べた。それにはあ、と相槌を打つと、エクセルの小さな「うわっ!」って声が聞こえた。それと同時に本の山が崩れる音。大丈夫かなあと本の山を見つめていたら、心身共にぐったりしたようなエクセルが出てきた。
「つ、つかれたぁ…」
なんて言いながら俯きがちにとぼとぼこっちに歩いてくる。
「お疲れ様エクセル君」
クロードさんが苦笑交じりにそういうと、エクセルはやっと顔を上げた。自然と、エクセルと視線がかち合う。
「う、うわっ! っ!?」
叫びながらエクセルは後方にちょっとだけ飛びのく。その拍子で脇に積まれてた本に触れてしまって、見事にそれが崩れた。それをエクセルが慌てて積み上げようとするのを、クロードさんが嗜める。本の山を崩してしまった罪悪感のせいか、エクセルは渋々といった感じでこちらにやってきた。
「とりあえず、本を返しにきました」
抱えた本をそのまんま、クロードさんに差し出すと、彼は差し出された本を怪訝そうに見つめる。
「…やけに多くないですか?」
ごもっとも、とちょっと思ってしまった。
「えと、フィアさんもいろいろ借りてたみたいで。その分も入ってますから」
はあそうですか、とクロードさんは言って、ちょっとだけ考え込む素振りをする。その間ちらりとエクセルを見れば、ずっとこっちを見ていたらしいエクセルが嬉しそうに小さく微笑んだ。何が嬉しいんだろうなあと思いながら、クロードさんに名前を呼ばれたので視線を戻す。
「お手数かけますが、棚のほうに戻しておいて貰えますか? 何分忙しいもので」
「いいですよ。……あ、えと。また本借りてもいいですか?」
「ええどうぞ」
言いながらクロードさんがにこりと微笑んだ。私はクロードさんから視線をずらして、背後の本の山に目を向ける。この間を通り抜けて本棚のほうまで行くのは至難の業だろう。じーっと山を見ていたら、私の考えを読み取ったらしいクロードさんがわずかに失笑して。
「ああ、別に崩してしまってもかまわないですよ」
と言った。本を大事に扱うべき人がそんなんでいいのかなあと疑問に思いながら、わかりましたってクロードさんに告げて、本の山の間に入る。人一人がやっと通れるくらいのスペースにちょっとげんなりしつつも、本にぶつからないようできるだけ羽をたたんで、足を進めた。私の両側にそびえ立つ本の列は自分の身長よりも高い。あまり見ることのないこの光景はさながら童話の1シーンみたいだ。
「えーと、ここかなあ」
そう一人呟いて、やっとたどり着いた目の前の本棚を見上げる。調理に関する本が並んでいるなかにわずかなスペースを見つけ、そこにフィアさんから預かった本を押し込む。一気にぎちぎちになってしまった本棚を見ながら、無理があったかなあとか重いつつ、隣の棚に向かう。論文とか、世界史とかの本ばかりしまってある棚にレダから預かった本を入れようとして、思わず眉を寄せた。本をしまえそうなスペースのところには、どうも手が届きそうになかったからだ。
えーと、と辺りを見回すけれど、踏み台みたいなものはない。翼を広げて飛ぼうにも周りの本が崩れるから絶対にしてはいけないだろう。ていうか崩れた本が自分に降りかかってきそうで怖い。仕方ないか、と一つ溜息を吐いて床に本を置き、レダから預かった本片手に背伸びしてみる。あとちょっとで届きそうだ。棚に手をかけて、必死に伸びて踏ん張る。
踏ん張りながら、誰かに見られたら絶対笑われるだろうなあとか、ちょっと思ったころだった。
「大丈夫?」
いつの間に後ろに来たのだろうか、エクセルがそう言いながら私の手にある1冊の本を奪い取って、そのままひょいっと棚に収めた。思わず悲鳴をあげそうになるのを堪えたけど、びっくりして身体がはねたのは抑えきれなかった。それに驚いたらしいエクセルが少しだけ後ずさりする。
「む、無言で人の背後に来るの、やめてよ…」
振り向いて、エクセルを不満そうに見ると、エクセルは小さく笑った。
「ごめんごめん」
悪びれた様子なくそう言って、床に積まれてる本を持ち上げ、ひょいひょいと棚にしまうエクセル。全部の本をそこにしまいそうだったので、慌ててエクセルの服の裾を引っ張って止めた。
「それ、違う棚の本だから…」
言うと、エクセルはぱちくりと瞬きして私を見てから、本を持っている手をそろそろといった感じでおろして、本の表紙を見て、ああそっか、といった感じの顔をした。茶色い分厚いその本の表紙は、いわゆる小説といったジャンルのものだ。ここにしまうべきものではない。
「奥の棚にしまうの?」
エクセルがそう聞いてくる。身をかがめて床に置きっぱなしだった本を持ち上げて頷くと、エクセルはちょっと考え込むような素振りをしてから、私の腕の中にある本を奪い取った。え、と呟いてエクセルを見れば、彼は小さく笑って。
「手伝うよ」
そう言った。思わずぽかんとする私の横をエクセルは器用に通り抜けて、すたすた奥へ歩いていってしまう。私は慌ててその後姿を追った。
「い、いいってば! 休憩中なんでしょ?」
目的の棚の前に立って、本をしまい始めるエクセルの後姿に言うと、エクセルが振り返って小さく笑った。
「そうだけど…一人で座ってても落ち着かないんだよね」
言って棚の高い位置に本をしまい始める。てきぱきとした動作で本をしまうエクセルをぼーっと眺めてから、ここだけやけに暗いことに気付いてあたりを見回した。前々から四方に本の山が積み重なっていたが、本の整理をしているせいかもっと高くなって、それが壁となって窓から差し込む光をさえぎっているようだった。もはや本の壁でできた小さな小部屋みたいな感じになってしまっている。やっぱり童話にでてきそうだ。
「」
と、いきなりエクセルに名前を呼ばれて、思わずビクリと身体がはねた。返事をすると、エクセルは怪訝そうに私を見てから、本棚の高いところに目を移す。
「何か借りるものとかある? よければ取ってあげるけど」
「え?」
言われて、周りを見回す。確かに棚の上のほうにある本とかは、私には手が届かなくてあまり手にした事がない。他の棚は飛べば取れるけど、ここはいつも積み上げられた本があるから飛べないのだ。高いところにある本を手に取れるときは、せいぜいレダをつれてくる時だけだとちょっと思い返してみてから、こくん頷く。エクセルが満足そうに微笑んだ。
「どの本?」
「んーと…」
棚を見上げる。めぼしい本はないかなあと右から左に視線を流して、なにやら気になる本を見つけた。
「左のほうの、背表紙に何も書いてないやつ」
「わかった」
エクセルが軽々とその本を取って、私にそれを差し出した。ちょっとためらいがちに、古びたそれを受け取って、表紙と裏表紙を見てみた。やっぱり何も書いていない。表紙を開いてみると、擦れた文字が目に入る。これが本のタイトルみたいだ。
「これにするの?」
「ちょっと待って…」
エクセルが横に来て本を覗き込むのを視界に捉えつつ、多少黄ばんだページを開く。見れば、そのページには全く何も書かれていなかった。本当に、文字通りの白紙だ。
「あれ? この本、何も書かれてない」
エクセルが興味津々、といった感じでページをめくろうと手をかける。なんだかちょっとだけ嫌な予感がした。ぴらり、とページのめくれる音と同時、本から淡い光が漏れ出す。
危ないと思いながら、身体が勝手に動いていた。咄嗟に本を投げて、エクセルを庇う。本から炎が吹き出るのと、エクセルがバランスを崩して倒れるのはほぼ同時だった。
「いっ…!」
下からエクセルの声が聞こえるけど、本から目を離せなかった。床に落ちた本は思う存分炎を吐き終わると同時に、自らぱたりと表紙を閉じる。どうやらトラップ系の魔道書の類みたいだ。なんでこんなものがここにあるんだと思ったけれど、魔道ギルドなので変な本があってもおかしくはないだろう、と思う。床に転がる本からは炎を噴くような気配が感じられないので、本から目を離してエクセルを見下ろした。
「危なー……エクセル、怪我はない?」
聞くと、エクセルがしばらくしてからふるふると首を振った。
「な、ないけど…」
それから、何故か顔を赤くする。なにやらその態度が変で首を傾げると、エクセルは口を開こうとしてから、言いにくかったのか視線をそらして口を閉じる。何なんだ、と思ったところで、ふいに、気付いた。
この体勢は…うん、あれだ。エクセルを庇ったつもりだったけど、傍から見れば、私がエクセルを押し倒してるように見えなくもない。なんというか、偶然が偶然を呼んでこうなったわけだ。うん。いやちょっとまて落ち着け落ち着け。なんて心の中で呟いても落ち着けるわけない。
「ごめんっ!」
慌てて飛び退く拍子、積み重なった本に腕がぶつかった。偶然が偶然を呼んでまた偶然を呼んだ、という言葉をふいに思い出した。衝撃のせいでバランスを崩してぐらぐら揺れる本の山。上のほうにある本が、その拍子で私の頭上に影を作る。落ちてくると本能で察したのと同時、危ないと言いかけたエクセルの声。あっと思う束の間、思いっきり右手首を引かれて、前のめりになって、視界が傾く。柔っこい衝撃に、思わずぎゅうっと目を閉じた。
「――っ!!」
どさどさどさっと本が落ちる音に、思わずびくりと身体をすくめてしまう。けれども想像してたような衝撃とか痛みはない。あれ? と思いながら目を開ければ、目の前に広がったのは白い布。どさり、とまた本が落ちる音が聞こえてびくりと身をすくめてから、恐る恐る後ろを振り返る。そこには大量の分厚い本が散乱していた。状況がよくわからなくて、視線を戻す。やっぱり見慣れた白い布、…というか、エクセルの外套ではないだろうか。何が何だかわからなくて呆然としていたら、ふいに背中にかかる力が緩んだ。それがエクセルの腕だと気付くのに、そんなに時間はかからなかった。
「…だ、大丈夫?」
戸惑いがちのエクセルの声にびっくりしつつ、恐る恐る顔を上げる。エクセルの顔が間近にある事態に混乱しながら、小さく頷いた。するとエクセルはそう、と小さく呟いて、黙りこくってしまう。抱きすくめられている状況に私もどうしたらいいのかわからずしばらく口を閉ざしていると、エクセルがちょっとだけ動いた。
背中に回された腕に少しだけ力が入って、首筋に何か柔らかいものが当たる。
途端、背筋がぞくりと震えた。
「っ!?」
思わずエクセルからのけぞるように勢いよく離れて、そのまま散乱した本を押しのけながら逃げるように後ずさりする。エクセルとの間にやや距離をおいて彼を見据えると、エクセルはぽかんとしたような表情をしてから、やや不満そうに眉を寄せた。
「何で逃げるのさ…」
呆れたようなエクセル声を聞きつつ、自分の顔があっつくなるのは止められなかった。
「ふ、ふつー逃げるわっ!」
いまだに感触の残っている首筋を押さえながら言うと、エクセルがはぁと小さく溜息を吐いてよいしょと立ち上がる。それから散らばった本の間をすたすたとこちらに歩いて来るので、声にならない悲鳴をあげてさっき炎を噴いた魔道書を押しのけつつ後ずさりして逃げようとしたのも束の間、背中にどんっと固い感触。恐る恐る背後を振り返れば大きな本棚がそびえ立っていた。冷や汗をかきつつ慌ててエクセルのほうに目を向ければ、丁度私の前にしゃがんだ所だった。
「そんなに警戒しなくても…」
苦笑交じりに私を見ながら申し訳なさそうにエクセルは言う。
「だだだ、だってさあ、いきなりあんな事…!」
うわわわわ、とエクセルを見れば、彼はきょとんとした顔で首を傾げた。久しぶりにエクセルに怒りを覚えたような気がする。ややあってからエクセルは一つ息を吐いてから、眉尻をちょっとだけ下げて、真っ直ぐに私を見てくる。
「――、したかったから、したまでで。……いや、だった?」
不安そうな眼差しに、思わず下唇を噛んで身をかたくする。…天然って言うのは、本当に怖い生物だと改めて思い知った瞬間だった。
まあその、かなりびっくりしたし、恥ずかしかったけど、そこまで嫌という訳じゃなかったから、頬っぺたがあつくなるのを感じつつ視線をそらしてふるふると首を振ると、エクセルが目を丸くしてからちょっとだけ顔を赤くして、はにかむように柔らかく微笑んだ。その犯罪的な顔に、ちょっとだけずるいなあとか思ったり。
しゃがんでたエクセルが膝立ちになって私の両手首を掴んだ。そのまま軽く引っ張られてビクリと身をすくめる。エクセルがじーと見つめてくるので、思わず俯いた。どうにもこそばゆいというか、むずがゆいというか、はがゆいというか、まあ要はかなり恥ずかしいわけで。
「」
エクセルに名前を呼ばれて、ビクッと身体が震えた。ぎゅーっと目を閉じて身を縮めると、エクセルがちょっとだけ呆れたような溜息を吐いた。それから右手首を握ってた手を離して私の前髪を掻きあげる。エクセルが動いたせいか布擦れの音がして、それにびっくりして今以上に身を縮めた。
額に軽く触れたそれが、熱を残してはなれていく。おずおずと顔を上げると、幸せそうに微笑むエクセルの顔がすぐそばにあった。エクセルは私の左手首を握ってた手を離して、それを本棚につく。思わずびくりと身体が震えた。
まずいと思いながら右手でさっきの魔道書を手繰り寄せ、それを両手にしっかり持つ。エクセルの顔が近づく瞬間、魔道書を彼のほっぺたに半ば殴るような感じで押し付けた。恥ずかしさとなにやら申し訳ない気持ちに堪えきれず、どうしようもなくて俯く。
「…あ、のさぁ」
「ごめんなさいごめんなさいっ」
心の奥底から呆れたようなエクセルの声に対しそう叫んでから、下唇を噛んでそろそろ顔を上げた。本をエクセルの顔から離し、その本で顔の真ん中から下を隠しつつエクセルを見れば、エクセルは頬っぺたを赤くしたまま、盛大に溜息を吐いて肩をすくめ、本棚についていた手をおろした。
「だ、だって、その、…は、はずかしい」
ちゃんと言ったつもりだったけど、最後のほうは消え入りそうな声になっていてエクセルの耳に届いたかどうかは不明。けれどもエクセルが目を丸くしているあたり、ちゃんと聞こえているんだろう。エクセルはややあってから、んー…、と無意味に呟いて口元に手を添えつつ、ほんの少しだけ不安そうな表情になる。
「…ほんとに、やだ?」
と、エクセル。私がうえええええっ?!と変な声を上げてあたふたしてる間に、エクセルの不安そうな目が今にも潤みそうになる。
「うわ、わー、わーっ!?」
言いながら思考の奥で、まるで自分は阿呆のようだ、と思った。やや目を伏せるエクセルにどうしたらいいのかわからず、魔道書を放り投げてエクセルの手を握った。
「イヤじゃないイヤじゃない! …だから泣かないでよ」
もー、とエクセルの前髪を梳くように撫でると、エクセルが俯く。もしかしてももしかしなくても泣くのか!? とエクセルの顔を伺おうと覗き込んだそのとき。髪を撫でていた手をがしっと掴まれる。え、と呟くのと同時に、エクセルが顔を上げる。腕を引っ張られて、背中に腕を回されて――。
ちゅ、と下唇を吸い上げてエクセルが離れる。ぼうぜんとエクセルを見れば、エクセルはものすごく嬉しそうににこっと笑って見せた。その少女めいた笑顔に怒る気力が失せる。と同時に、言葉では到底言い表せないような恥ずかしさが襲ってきて、口元を手で覆って俯いた。してやられた、という感じに妙な悔しさを覚える。もしやあれは、泣きまねだったのか?
「…ずるいよ」
見上げながらそう吐き捨てると、エクセルは何が嬉しいのかにこにこ笑うだけだ。
「ごめんね」
えへへ、とぎゅーっと抱きついてくるエクセルに吃驚して押し返そうとするものの、やっぱりエクセルのほうが力が強いらしくて敵わなかった。何でこんなに細っこいのにどっからこんだけの力が湧いて来るんだと、エクセルの顔を呆れたように見つめていると。
「…、」
かすれててよく聞こえなかったけど、口の形とかでなんとなく自分の名前を呼んだのだと解ってしまった。思わずエクセルから視線をそらすと、ほっぺに柔らかい感触があたる。身をすくめる私を気にすることなく、ぎゅーっと力いっぱい抱きしめて。
「だいすき」
そう言った。
帰路にて。
「…結局、あの本を探すために本棚整理してたの?」
「そうみたい。よくは知らないけど」
ぽつんと呟くエクセルにふうんと返すと、エクセルがわずかに苦笑した。それをちらりと見てから、ギルドでのことを思い返す。危険な魔道書を放置するわけにはいかないと、帰り際にクロードさんにそれを差し出したとき。
――――これですよ、探していた本!
そう言ってクロードさんは嬉しそうにその本を受け取った。
クロードさんが言うには、なんでもその本、やっぱり呪いのためとか人殺しとか、よくない意味で使われる魔道書だったらしい。恨みを抱く相手にこの本を贈りつけ、命を危険に晒すのが目的だったようだ、とクロードさんが説明した後。
――――しかし、死ななくてよかったですね。この本から吹き出る炎、燃え移ったもの全て灰にするまで消えないんですよ。
そう言われた時には流石にぞくっとした。と同時にあの時この本が自ら表紙を閉じたのは、空気中の酸素を全て燃やし尽くしたからなのかな、と思ったり。かといって部屋中の酸素が燃えたわけじゃなかったから、範囲が限定されるのかな、とも考える。
しかしまあ、何の説明も受けずに本の整理を手伝わされていたエクセルは、お人よしというか、おせっかいさんというか。もしも手違いでエクセルがあの本により大火傷を負った場合にクロードさんはどうしたんだろうなあと考えていると。
「んと…」
エクセルの手が、私の手に触れる。戸惑いがちだったその手はすぐに、私の手のひらを優しく握った。ビックリしてエクセルを見上げれば、彼は照れたように小さく笑うだけ。すぐに視線を戻して、ややあってからエクセルの手をやんわり握り返した。
グローブ越しに、熱が伝わる。エクセルは顔立ちのわりに、手が大きいのが役得だと思う。
「…今日の夕飯何かな」
シチュー食べたいなあ、と嬉しそうに言うエクセルに、自然とこっちも口元が緩む。
「それ、この前食べたよ」
そうだっけ、という声に、そうだよ、と返すと、エクセルが嬉しそうに笑った。
2007/03/31