鈍い衝撃と、真っ赤な血と、焼けるようなあつさと、真っ黒なケムリ。
 いまでも鮮明に、はっきり覚えてる。
 
 
 
 
 
 
「聞いてないよ、そんなこと!」
 スバルがリビングのテーブルを強く叩きながら叫んだ。聞いてないよの“聞いて”のあたりが少し裏返った辺り、彼が本当に怒っているんだと伺わせる。
 そんなスバルの母親あかねは、苦笑しながらうんうんと頷いた。
「ごめんね。いろいろ忙しかったから、スバルに言うこと忘れてたのよ」
 私が悪かったわ、と最後に付け足したさまは、まるで駄々をこねる子供をなだめるような仕草に似ていた。それにまた腹を立てたらしいスバルはあかねをきっとにらみつけた。あかねは苦笑するばかりである。
 そんなあかねの隣に座っていた、話題の中心人物であろうは、呆れたような、それでいて寂しそうな溜息を小さく吐いた。
 はこの家の人間ではない。両親が死んだ今、親戚をたらい回しにされた挙句、母の友人だったというあかねの家に引き取られ、居候として養われることになった。
 ――のだが、この家の息子スバルはそれを知らなかったらしい。がこの家に住むと知った途端、この態度である。
 内面で嫌そうな態度を取られるのはにとっては慣れていたが、こうもおおっぴろげに嫌だという態度を取られると自身困惑するし、少なからずショックも受けた。
「もういい! 母さんなんか嫌いだ!」
 勢いよく席を立って、スバルは廊下に出て勢いよくドアを閉めて、どたどたと階段を登っていった。ややあってバタンと勢いよくドアが閉まる音がして、それから一気に静かになった。まるで嵐が通り過ぎた後のようである。
「ごめんね、ちゃん。あんなこと言ってるけど、ホントは優しい子なのよ」
 気休めはいらない、とは内心舌打ちしたが、軽くにこりと笑って見せた。作り笑顔は大得意だった。
「いいです。気にしないでください」
「ほんとうにごめんね。後でまたスバルに言って聞かせるから」
 そのうち、また他の家にいかなければならないことをは覚悟した。それならば自分で住む場所を探したいと思った。大人に養ってもらわなくても、自分ひとりで生きていけると思った。
「別に、大丈夫です。部屋、見てきていいですか?」
「ええ、いいわよ」
 にこりと笑うあかねに笑い返して、は静かに階段を上がった。スバルと書かれたドアプレートのかかった部屋の反対側に、の部屋はあった。ドアをあけると西日がまぶしかった。新しく新調したであろうタンスの横に、ダンボール箱が4個積み重なっていた。油性ペンで「雑貨」と書かれているダンボールを開けて、中から木製の写真たてを取り出した。
 写真の中には、の両親とが嬉しそうに笑っていた。
「も、こんな生活、いやだ…」
 しにたいよ、とが小さく呟くと、写真の中の嬉しそうなの顔の上に、小さな雫がぽとりと落ちた。はTシャツの袖口で涙を拭って、写真たてから写真を抜き取りウエストポーチの中に入れた。財布と貯金通帳もその中に入れて、立ち上がる。
「何処行くんだよ」
 背後から呆れたような聞き覚えのある声が聞こえて、は慌てて振り返った。だがそこには何もいない。慌ててダンボールの中からビジライザーを手に取り装着した。目の前にいるそいつは、見たことのあるやつだった。それも、何度も。
「…あんたには、関係ないでしょ」
「いいやある。ものすごくある」
 黒い犬(といっても額の中央に大きな角がある)のような身なりをしているが、ビジライザーをかけないと見えないことと、背中にキャノン砲を取り付けてあるし、機械的な外見からただの犬ではない事は小さい子供でも簡単にわかる。
 この不可思議な犬――クムシスカは、が両親を失った事故直後に、毎日のようにあらわれていた。最初は何か未知のバグか新手のウィルスかと疑ったが、それをずっと信じているほどもそこまで馬鹿ではなかった。人語を簡単に理解する辺り、知能がありすぎると思った。そしてこいつが事故と関係あるのではないかと気づくのにそんなに時間はかからなかった。
「うるさい。私の周りをうろちょろして、うざったいんだよ。一体何様のつもり?」
 の冷たい言葉にクムシスカは少しだけ表情をくもらせたが、また吼えるようにつっかかってくる。
「何様のつもりでもない! とにかく! 大人しくここで世話になれよ!」
「うるさい。この人殺し!」
 するとクムシスカは小さく目を見開いてから、極端に落ち込んだ。耳を小さく垂れ下げて、しょんぼりしている。いつもそうだった。クムシスカに人殺しといえば、これのテンションは酷く下がった。だから、はこれが事故の原因だと決め付けていた。人間だったら法廷で争う勢いだが、こいつは人ではないから、どうしようもない。
 しかし、ここまで落ち込まれるとどうにも対応に困る。にとってこういう感情の起伏が激しい性格と接するのは初めてのことだった。
「とにかく! もう、ついてこないでよ…おねがいだから」
 最後のほうはできるだけ優しく言って、はダンボールに入っているスニーカーを履き、部屋の窓を開けた。クムシスカの視線を背中に感じたが大して気にはならなかった。窓をまたいで、空に飛び出す。
!」
 クムシスカの叫び声が聞こえたがは振り向かなかった。屋根の上に着地して、壁伝いに動き、雨水を地面に流すパイプを伝って地面に降りた。空の夕焼けがまぶしかった。
 自分が出てきた窓を振り返って見上げるが、クムシスカの姿は無い。そのことに内心安堵しつつも寂しさを感じながら、は住宅街を駆け出した。
 
 
 
 
「クムシスカ、お前、生きてたのか」
 呆然と呟く旧友の姿に、クムシスカと呼ばれた犬は苦笑した。開け放たれた窓を横目でちらりと見る。を追いかけたくとも、この状況ではいきなり外に出て行くことは失礼だと思った。クムシスカがウォーロックに視線を戻すと、ウォーロックの背後にビジライザーを装着した星河スバルが立っていた。彼の姿を捉えた途端、に暴言を吐いていたことを思い出して、身体の奥底で怒りが湧き上がってきたが、なんとか堪えた。
「生きてちゃ悪いか」
「…いや、そういう訳じゃねえ。でも、何でココに。あの女と知り合いなのか?」
 クムシスカ自身、知り合いだと思うのだ。知っているし、合っているから。でも多分それじゃあ意味合いが多少違ってくるだろうし、との関係は知り合いという言葉ではおさまりきらないだろう。
 人間で例えるならば、殺人犯と、被害者のソレとよく似ている。
「まあ、…うん。そうだな、知り合いっちゃあ、知り合いでもある」
「なんだよ、煮え切らないヤツだな」
 ウォーロックが笑いながら言った。クムシスカもつられて小さく笑った。
「ウォーロック、友達?」
 スバルののんきな声に、ウォーロックがああ、とぽつり漏らした。
「――、敵じゃないの?」
「わからん。コイツがいなくなったのは俺が追われる前の話だからな」
「へぇ…」
 興味津々、といった様子でクムシスカを覗き込んでくるスバルに、クムシスカは少しだけ後ずさりした。そもそも会話の流れがよくわからなかった。敵じゃないのかという問いにウォーロックはわからんと答えたが、クムシスカにしてみればウォーロックには友達のような感覚で接していたため、そんなウォーロックに敵か味方か判断されたのには少なからず不満を覚えた。
 そして疑問を抱いた。何故同じFM星人だというのに、敵か味方か区別されねばならなかったのかを。
「なんだよウォーロック。俺は少なくともお前の敵になった覚えは無いぞ」
「だろうな。俺もお前に襲われたことは身に覚えが無い。――つーかまさかお前、知らないんじゃないだろうな」
「…何がだよ」
 クムシスカはジト目でウォーロックを睨んだが、対するウォーロックは軽く噴出した。それがかちんと、ダイレクトに頭にくる。
「何処に噴出す要素があったんだ言ってみろこのヤロー!」
 半ば吠えるようにして言うと、ウォーロックはスバルを見て小さく苦笑した。
「こいつは敵じゃないな。――多分、俺がFM星人に追われていることを知らん」
 しばらくしてから。
「はァ!? ちょ、おまっ、ばっ、…追われてんのか!?」
 クムシスカはそう言いながらあたふたとせわしなく動き始め、警戒するようにキョロキョロ辺りを見回した。
「な、何したんだよお前! …まさかおまえ、FM星のマドンナまちこちゃんに何かしたんじ」
「してねえ。そもそも誰だまちこって」
 ウォーロックがやけに真剣な面持ちで話すものだから、自分でも何を言っていたのかわかっていなかったクムシスカは自然と真面目な顔つきになる。
「すまん、錯乱していた」
「いや、まあ、お前がいきなり錯乱すんのは今に始まったことじゃあないからな…」
 ウォーロックの呆れたような物言いに、クムシスカは苦笑した。
「で、なんで追われてるんだよ…。そんなにヤバイ事したのか、おまえ」
 小さな呟きに、ウォーロックは渋々ながらああ、と頷いた。それから一拍おいて、ウォーロックが口を開いた。
「アンドロメダの鍵を奪った。だから追われている」

 数十秒の後、クムシスカの絶叫が家中に響いた。








 モノレールを何度も乗り継いで、向かった先は両親が死んだ事故現場だった。もともと車どおりの多い場所だったから真っ暗な夜になっても星が見えないくらい明るかった。車両が炎上した場所に最も近い、事故のときに誤動作を起こした信号機の柱の根元に、白い花が添えられていた。
 誰がいつ添えてくれたのかは、わかるわけない。花束の前にしゃがみこんで、少しだけ変色してかれかかった花びらをそっと撫でた。そして両手を合わせて、ただひたすらに、お父さんとお母さんが天国で幸せに暮らしてくれていることを願った。
 立ち上がって、空を見上げた。星なんかない、真っ暗な空が一面を覆っている。
さん?」
 後ろから声が聞こえて、は無意識に振り返った。そして目を見開いて、身を強張らせた。目の前にいる女性は紛れもなく、事故を起こした運転手だった。力なく微笑むその人に、もしかしたら花束を持ってきたのはこの女性かもしれないと、は警戒を解いた。
 瞬間、勢いよく肩をつかまれた。はビクリと大きく震えてから、彼女の手を払い除けようとするが大人と子供の力の差は歴然だった。
「アンタたちのせいで、私の人生目茶苦茶になっちゃったじゃない…!」
 結婚前提で付き合ってた人とは別れちゃうし、保険でちゃんとお金払ったのに、慰謝料だのでお金ふんだくられるし、会社はクビになっちゃうし。などと恨みつらみを泣きながら言い放つ彼女を、はきっと睨みつけた。
「そんなこと、私には関係ない! それに、人生が目茶苦茶になったのは、アンタだけじゃないんだからっ」
 必死に叫んで、相手を思いっきり突き飛ばすと、驚くくらい簡単に彼女は手を放して歩道に倒れるように蹲った。しゃくりあげるような嗚咽に、まるで自分が泣かせたみたいだと内心舌打ちしながら、は女性を見下ろした。人生が目茶苦茶になったとこの人は言ったが、それはこっちのセリフだ、と内心毒づいた。その後で、苦しんでいる人を見下すなんて、自分はなんて嫌なやつだと自嘲した。
「もういい。――マイクロスコープ、やってちょうだい」
 女性が呟くと、どこからともなく、
「わかった」
 そんな呟きが聞こえた。女性の左腕につけてあるトランサーが光を帯びて、一気に女性を包み込んだ。あまりのまぶしさには腕で顔を覆った。ややあってから、そろそろと腕を下ろすと、女性はいなかった。その代わりに、女性の等身大の何かが、ぼうっと立っている。
 冷たい視線がを捉えると、口元がにやりと歪んだ。途端にぞくりと背筋を何かが駆け巡る。
 その何かが、のこめかみに向けて指先を向けた。5本の指先は見る見るうちに砲口に変わっていく。かちゃんと弾が補充された音を合図に、は赤信号の横断歩道に向けて走り出した。
 車のクラクションを盛大にあびながら渋滞の合間を通り抜けて反対側の歩道にたどり着き、自転車にぶつかりそうになりながらがむしゃらに駆け抜けた。後ろから破壊音や悲鳴が聞こえたけれどは振り向かなかった。
 自身長距離に自信はあるが、全速力で1キロ走れるほど、スタミナはなかった。ぜえはあと、腹の奥で呼吸するように必死に酸素を取り込んで、咳き込みながら渇く喉を自分の唾液で潤した。狙いが自分だとわかっていたから、他人に危害を与えないように人気の無い道路を突き進んだ。
 それが間違いだったらしい。緩やかな上り斜面を目の前にして引き返す気が起きたが、悲鳴が確実に近づいていることから、は迷っている暇はないと走り出した。疲れ果てて倒れそうな身体をなんとか動かして、たどり着いた場所は街を一望できる高台だった。
 近くのベンチに座っている一組のカップルが、に何事かという視線を向けたが、悲鳴をあげて逃げ出した。手すりにつかまりながら振り返り、相手を見据えた。何かの記念に作られただろう石碑の横に、“それ”はいた。距離的にはさほど近くもなければ、遠いわけでもない。そんなあいまいな距離のせいで、精神的に追い詰められている気がした。
「…あんた、一体何なの? 何がしたいの?」
 目の前の“それ”は多分あの女性なのだと思うものの、人間ではないその容姿に混乱しながら、は必死に言葉を捜してぽつりと呟いた。
「別に、私はこのニンゲンの望みに、こたえただけだ」
 低い声に、はびくりと身体を震わせた。女性の声とは明らかに違う。けれどもその声は目の前の“それ”から発せられている言葉だ。
「このニンゲンは、君を殺すことにより、私に身体を託すと約束した」
 無機質な、感情すらない、抑揚のない声に、は本気で身の危険を感じた。けれどもそれを悟られることは嫌だった。小さく鼻で笑って、相手を見据える。
 ありえないのだ、テレビの幼児向け番組みたいに、“人”が変身して強くなることが。
「何よ、その格好なんて、見掛け倒しなんでしょ」
「試してみるか?」
 砲口に変わった指先を、隣の石碑に向けた。破裂するような音がして、目の前が白く明るくなる。慌てて顔を手で覆い、光をさえぎってから恐る恐る手をどけた。砲口を向けられている石碑の高さが、さっきとくらべて足りなかった。辺りを見回すと、細かい大量の石の粒が散らばっていた。
 思わず、ぞっとした。
「あんた、何? 新種のウィルス?」
 冷や汗がどっと吹き出る。目の前の“それ”は軽く首を振った。
「ウィルスではない、FM星人だ。ちなみに私の名はマイクロスコープという」
 自己紹介を加えるなんて律儀な、とは少しだけ思ったが、それどころではなかった。手すりに背中を預けながら、そっと後ろを見る。地面から10メートルくらいの高さはあるだろう。目の前を見据えると、マイクロスコープはかすかに口元を緩めた。指先が石碑からへと向かう。
 数秒後に、きっと殺される。自分の命を、相手に絶たれることが、酷く癪に障った。だったら、自分で死んでやろうと思った。他のヤツに殺されるくらいなら、自分で命を絶ったほうが、マシだと思えた。
 鉄棒に背を預けて腕を使って後ろから座るみたいに、は手すりに座った後、後ろから宙に舞った。ざまあみろ、と内心呟いて、は事故現場のことを思い出した。炎上する車の中からはいずり出てきたときには、自分は足に大火傷を負っていて、腕には酷い怪我を負っていた。酷く痛かったのだが、それ以上に、炎の中で両親が車の中から出られずに悲鳴をあげながら朽ちていく姿を見るのが、もっと痛かった。
 もうすぐで、両親の元にいけるのかと、嬉しくなりながら、目を閉じる。そんな時。
ーっ!」
 聞き覚えのある声。そして、地面とは違う柔らかな衝撃。恐る恐る目を開けると、これまたマイクロスコープと似たり寄ったりな、変な人がいた。抱えられたまま、下の道路にゆっくり下ろされる。は座り込んだまま、ぽかんと目の前の人を見上げた。背格好は、と同じくらいだ。ぱちくりと瞬きして、辺りを見回す。誰もいないし、車も全く通らないから、夢なんじゃないかと頬をつねってみたら、痛かった。
「この馬鹿、なんで飛び降りたりするんだ!」
 左隣から咆えるような声に耳を劈かれ、は首を動かして左を見た。何もいないから、ウェストポーチからビジライザーを取り出してかけてみた。怒ったようなクムシスカの姿がある。
「…どうして」
 ぽかんとしたままは呟くと、クムシスカはやっぱり怒りがちに、うるると喉の奥から声を出しながら言う。
「いなくなったら探すのが当たり前だろ、この大馬鹿!」
「…ごめん」
 珍しく強気なクムシスカに、は呆けたまま謝罪を述べた。
「ほんと、無事でよかった…」
 泣きそうな声で呟きながら首を垂れるクムシスカに、なんといったらいいのかわからなかった。
「ごめんね」
 触れないことは解っていたから、はクムシスカの前足の爪先に手を乗せた。正しくは、地面に、だけれど。するとクムシスカは垂れていた首を上げて、を見て小さく笑った。
「クムシスカ、そういう事は後にしろ。くるぞ」
 低めの男性の声に驚いて、は少年を見上げたが、少年から発せられた声ではないようだ。そんな少年の前にさっきのマイクロスコープが飛び降りてくる。着地した瞬間に凄い音がして、道路のアスファルトにひびが入り、思わずは身をすくめた。
、立て! ここはウォーロック達に任せて逃げるぞ!」
 クムシスカに言われるがまま、立ち上がる。ついてこいといわんばかりに駆け出すから、疲れていることも忘れてクムシスカの後姿を追った。
「危ない、伏せて!」
 誰かの声――多分、変な格好をした少年の声に、は慌てて身をかがめた。その拍子にバランスを崩して、転んでしまう。の頭上を微かな風が通った後、数メートル先のイチョウの木が爆発し、破裂した。思わず息を呑む。
「っ!?」
 はその場で振り返る。マイクロスコープはただ、だけを視界に捉えている。
「ちくしょ、狙いか!」
 クムシスカが駆け寄ってきて、の前に立ちふさがるようにして、マイクロスコープをにらみつけた。マイクロスコープは少年の攻撃を受けつつも、まっすぐこちらに歩み寄ってくる。クムシスカがを見ながら、嫌に真面目な顔つきで呟いた。
、死にたいか?」
 弱弱しく、ふるふると首を振った。するとクムシスカはかすかに笑う。
「俺と融合して電波変換すれば、アイツに勝てるはずだ」
 それって、マイクロスコープみたいな身体になるのではと、小さく不安になった。はちらりとマイクロスコープを見る。人間とは呼べないくらい程遠いその格好は、もはや化け物だ。クムシスカを見ると、真っ直ぐな瞳でを見つめていた。
、不安になるのはわかるが、信じてくれ」
 純粋な眼差しに、は素直に頷いた。クムシスカが少しだけ笑って、ありがとうと呟いたのと、マイクロスコープが指先から砲撃を放ったのは同時だった。凄い衝撃が身体を襲って、は思わず目を瞑ったが、痛みはない。むしろ暖かかくて、優しい感じがした。多分、クムシスカと融合したのだろう。目を開けると、空に色とりどりの道が張り巡らされているのが見えた。
 そこに、は立っていた。
「…う、うわああ!?」
「落ち着け! ここはウェーブロードだ!」
 頭上からクムシスカの声が聞こえて、は上を見上げたものの、クムシスカはいない。きょろきょろと辺りを見回すが、やはりいなかった。それがおかしいのか、クムシスカは小さく笑う。
「今俺とは融合してるんだ。忘れたのか?」
「あ、そっか!」
 ぽん、とは手を叩く。そしてじっと地面を見つめた。
「すごい、宙に浮いてる…」
「違う。ウェーブロード…まあ、電波の通り道に乗ってるだけだ」
 クムシスカの声に、は目線だけを上に向けた。ふと、クムシスカの声は、おでこの上らへんから発せられていることに気づいた。それよりも、ウェーブロードという言葉のほうが気になった。
「通り道?」
「ああ。俺と融合することによって、は電波化した。よって、ウェーブロードに乗ることができる」
「人間の通る道路は」
「通れる。簡単に言えば、お前は電波でもあるが、人間でもある、そんなところだ」
「…ふうん。なんか、漫画の世界みたい」
 そう呟いて、はウェーブロードから少年の傍に降り立った。少年の左腕についている獣の顔をしたものが、ケッと小さく呟いたのが聞こえた。
「融合すんのは癪に障るとか言ってたくせに、なんだかんだで電波変換させてんじゃねぇか」
「時と場合によるだろ。ウォーロックだってそうじゃないか。ほら、くるぞ」
 親友みたいな語り口調に、は少し驚いたが、マイクロスコープの攻撃によりもっと驚く羽目になった。なんとかしゃがんで避けて、必死に走り抜ける。
、バトルカードは持ってるのか?」
 クムシスカの問いに、は部屋のダンボールを思い出した。
「ごめん、ダンボールの中」
「そうか。じゃあ俺たちの攻撃手段はキャノンだけになる」
 キャノン? とが聞き返すと、クムシスカはああ、と呟いた。背中で何やらウィーンと音がして、ガシャンと固定するような音にそれはかき消された。
、踏ん張れよっ!」
「えっ? ――うわあっ!」
 両脇から爆発音がして、は衝撃に耐え切れずに尻餅をついた。横を見ると、肩の脇に筒があった。それが砲口だと気づくのに10秒もかからなかった。このキャノンは、クムシスカの背中についていたのとよく似ている。
「やっぱダメか。キャノンを切り離すから、自分でなんとかしろ」
「え! うわっ!」
 一気に背中が軽くなる。背後で地面にガシャンと何かが落ちて、慌てては振り返った。キャノンというよりは戦争映画に出てくるようなバズーカ砲みたいなのが道路に落ちていた。
「コレを使えと?」
 マシンガンの音に気をとられて、はマイクロスコープのほうを見る。少年とマイクロスコープが戦っていた。その流れ弾がこっちに飛んできて、は慌ててバズーカ砲を手に取り、そのまま地面を転がって避けた。が立っていた場所にぽっかり大きな穴が空いた。心臓がバクバクいうので、深呼吸してから立ち上がると、頭上から声をかけられた。
「一つアドバイスだ。俺はウォーロックみたいに近距離戦闘が得意じゃなくて、遠距離戦闘が中心だ。その中でも援護の部類になる」
「えーと……要は、主戦力ではないと?」
 確かに、少年とマイクロスコープの戦いを見ていると、ああいう動きはできない気がしてならない。
「そう。だからお前はむやみやたらに攻撃せず、ロックマンを援護しろ」
「ロックマンって、あの子のこと?」
「ああ。ならできる。マイクロスコープを狙ってみろ」
 わかったと呟いて、は肩にバズーカを抱えてマイクロスコープを狙う。生憎、マイクロスコープはこちらには気づいていないようだった。だが、ちょこまかと動くので狙いが定まりにくい。片目を瞑って、マイクロスコープだけを追った。するとロックマンがこちらに気づいたらしい。ソードを出してマイクロスコープを切り付け、動きを止めてくれた。しかも、こちらに背中を向けて。
「いっけー!」
 が引き金を引くと、弾は背中のど真ん中に当たって爆発した。どさりとマイクロスコープが倒れて、それを閃光が包む。閃光がその場から離れてウェーブロードに乗ると、さっきとは違って顕微鏡みたいな形のヤツが、舌打ちしながらに向かって呟いた。
「クムシスカ、覚えていろ! その少女、いつかお前の前で殺してやる」
 ぞっとするような言葉を残して、マイクロスコープはウェーブロードを駆け抜けていった。地面にはあの女性が気を失って倒れていた。近づこうとしたが、ロックマンに止められた。そこで初めて、サイレンの音が近づいてくるのに気がついた。
「サテラポリスだ。逃げないと」
 手を引っ張られて、ウェーブロードに乗る。手を掴まれたまま、凄い速さで進むから、酔いそうになる。1分ほど我慢したが、もうには限界だった。
「待って待って! 酔っちゃう!」
 ロックマンの手を振り払って、はその場にとどまった。
「さっきの件はどうもありがと。でももうここまできたら大丈夫だから!」
 が強気に言うものだから、少年は困惑したような素振りを見せた。
、まさか家に帰んないつもりか!?」
「うん」
 さもあっけらかんと言うに、クムシスカはおろかロックマンも呆気に取られていた。額の上でクムシスカが怒りをあらわにしている雰囲気がわかった。怒鳴り声に身構えて、はぎゅうっと耳を手でふさいだ。
「ごめん!」
 は思わず目を見開く。なぜなら聞こえてきた声がクムシスカのものではなくロックマンの声だったからだ。それはクムシスカも同じだったらしく、と同じように息を呑んだ。は耳に当てていた両手を下ろして、ロックマンを見据えた。
「家を出たの、僕が嫌がったからなんでしょ? あれは僕もちょっと混乱してて、状況がよく飲み込めなくて、それで――…その、母さんも心配してるし。野宿なんかしたら風邪引いちゃうし、一緒に家に帰ろう?」
 まくし立てるような発言に、はぽかんと、ロックマンを見つめた。対するロックマンは小さくその、と呟いて、手持ち無沙汰に頬をかいた。母さんとか、一緒に家に帰ろうとか、やたら気にかかる言葉を混ぜてある発言に、はしばし考え込んでから、とある可能性にたどり着いた。
「…ほしかわ、くん?」
 呟くと、ロックマンもとい星河スバルは、戸惑いがちに微笑んだ。



 あれから、ウェーブロードを通って、はスバルと星河家に帰ってきた。二人は家に入って最初、怒られるかと身をすくめたが、以外にもあかねは二人を抱きしめて、おかえりと呟いた後、居間に招いて晩くなった夕食を出してくれた。夕飯のシチューはやっぱりおいしくて、少しだけ冷えた身体があったまっていくようだった。
 夕食の間、あかねはに話しかけてくれたが、スバルは緊張しているのか、と会話をすることはなかった。
 ご飯を食べ終わってから風呂に入って、砂埃がたくさんついただろう髪と身体を洗って湯船から上がると、あかねが冷たいお茶をテーブルに出してくれていた。はそれをコップに2杯くらい飲んで、あかねにお礼を言おうと思ったが、あかねは自室でもう寝ていた。ノックをしても反応がなかったから、心配かけさせてごめんなさい、と心の中で小さく謝った。
 部屋に戻って、トランサーを開いた。クムシスカがきょとんとを見上げてから、嬉しそうにばたばたと尻尾を振り始めた。それをみては小さく笑ってから、真面目な顔つきで呟いた。
「ねえクムシスカ。事故のことで知ってることがあったら、教えて」
 クムシスカが目を見開いて、真面目な顔つきになる。それからぽつぽつと、あの時クムシスカが何をしていたのか語り始めた。
 なんでも、今日戦ったマイクロスコープとは前々から因縁があったらしく、事故現場の近くで戦ううちに信号機やあの女性の車などにマイクロスコープの攻撃が直撃して、ああいった大事故が起きてしまったそうだ。マイクロスコープの目的はもともと人を殺すことだったらしい。だから殺せずじまいだったを、女性につけこむことで狙いにきたのだと、クムシスカが喋り終わるとは小さく微笑んだ。
「話してくれて、ありがとう」
 するとクムシスカは悲しそうな顔を泣きそうな顔にして、首を垂れた。
「ごめんな。本当に、ごめん」
「どうして謝るの。クムシスカがお父さんとお母さんを殺したわけじゃないでしょ?」
 クムシスカがトランサーの中でくるりと振り返って、私に背を向けた。
「普通は、恨むべきものじゃないのか」
「恨んだところで、二人は帰ってこないし、それにクムシスカは恨めないよ」
 トランサーから、鼻をすするような音が聞こえた。FM星人でも泣くのかと、少しだけおかしくなった。
「責任感じて、ずーっと私の周りにいてくれたこと、感謝してるよ」
 おかげで、寂しくなかったから。そう言うと、クムシスカがぴくんと尻尾を立てて振り返った。がにこりと笑って見せると、こっちに顔を向けて、ぐすぐす鼻をすすりながら嬉しそうに笑って尻尾を振った。クムシスカの頭の部分を、画面越しに指で撫でた。嬉しそうにばたばたと尻尾を振るクムシスカは、もはやただの犬に近い。
「撫でられてる感覚とか、わかるの?」
「――正直わかんないけど……でも、撫でてくれてるのかと思うと、うれしい」
 少しだけ顔を赤くしながら呟くクムシスカに、は微笑んだ。そんな時、軽くドアがノックされる。さっきあかねの寝室のドアをノックしたから、はあかねかと考え、クムシスカに小さな声で謝ってトランサーを閉じた。
「はーい」
 小さく返事をすると、ノックがやむ。
「あの、…スバルだけど」
 は思わず勢いよく立ち上がってしまった。その拍子に机に膝をぶつけてしまう。膝を抱えて蹲ると、机の上でクムシスカが慌てたようにの名前を呼んだ。
「ど、どうかしたの?!」
「なんでもない…ただちょっとぶつけただけ」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫」
 痛みを堪えながら、はのろのろとドアに向かった。ドアノブをまわしてドアをあけると、お風呂上りのスバルがいた。しばしの無言のあと、は廊下で立ち話は寒いだろうなと思い、スバルを部屋に入るよう促した。
 ダンボールの中からハート型の大きいクッションを二つ出して、赤いほうのクッションの上にスバルを座らせた。はピンクのクッションの上に座り、小さなテーブルをはさんでスバルと向かい合う。
「…それで、…用件をどうぞ」
 は戸惑いながら、緊張している身体をさらに強張らせて、口を開いた。
「今日はその、本当に、ごめん」
 それから、ぱったり途切れる。
「……えと、それだけ?」
 スバルはこくんと、小さく頷いた。は小さく苦笑して、髪を耳にかける。うーんと話題を考えていると、トランサーが勝手に開いた。
「なあなあ、がこの家に住むって事は、スバルと同じ学校に通うって事だよな?」
 は100万回、ありがとうクムシスカと心の中で呟いた。と同時に、スバルと学校に通わなければならなくなるのだと今更気づいた。
「星河君が通ってるの、こだま小学校だっけ? ……そういえば、星河君て何歳?」
「10歳」
「へー! 私と一緒。 もしかしたら星河君と同じクラスになるかもね」
 言い終わると、スバルは神妙な顔つきで何か考え込んでいた。
「どうかした?」
「えーと、その」
 うーんと小さく悩むような素振りを見せてから、おずおずと口を開く
「君の事、苗字で呼んだほうがいいのかな、って」
「え? どうして?」
「だって、僕のこと苗字で呼ぶし、…でも、苗字だとなんかよそよそしいなって」
 ぱちくり、とは瞬きしてから、確かに一理あるなあと、少しだけ笑った。
「私のことはふつーに名前でいいから。私もスバルで呼ぶことにする」
「あ、うん。わかった」
 ここに来て初めて、スバルが小さく笑った。緊張が解けたみたいだと、は少しだけ嬉しくなる。
は明日から学校に通うの?」
「うん。手続きは今日すませたから」
「そっか。じゃあ朝早いし、僕部屋に戻るね」
 そう言って、スバルは立ち上がる。も立ち上がって廊下に出るスバルを見送った。
「それじゃ、おやすみ」
「うん、おやすみ」
 が部屋のドアを閉めると、向かい側のドアが開閉する音が聞こえた。部屋の時計はもうすぐで12時を指すところだ。
「もう寝るか?」
 クムシスカがトランサーの中から話しかけてくる。はベッドの上に上りながら、布団を整えて「うん」と答えると、トランサーからクムシスカが飛び出してきた。とはいっても、はビジライザーをかけていないため見えないが。
「どうかした?」
 がベッドの中にもぐりこんで電気を消すと、足下のほうでその、とクムシスカが呟いた。
「ここで寝ていいか」
 は目を見開いて上体を起こし、クムシスカがいるだろう足下をじっと見た。
「…どうして?」
「どうしてっつわれても、あの狭い箱の中で眠りたくない」
 そっか、とは頷いた。クムシスカは今日マイクロスコープと戦ったときまで一度たりとものトランサーに入ることはなかった。今までどこで寝ていたのかはわからないが、多分の部屋の隅とかで寝ていたんだろう。トランサーとこの部屋では、明らかにトランサーは狭い気がするのだ。入ったことはないけれど。
 は手探りで、枕もとのビジライザーを探してかけた。クムシスカがベッドの隅にぎゅうぎゅうに縮こまっていた。
「そんなに縮こまるんだったら、床で寝ればいいのに」
「………ここがいい」
 ぽつんと呟くクムシスカに、は小さく噴出した。は壁際によって、ベッドの空いたスペースをぽんぽんと叩いた。クムシスカが頭を上げて、首をかしげる。それから伺うようにを見てから、そろそろとの横に座って、犬が眠るときみたいな格好をした。
「いいのか?」
「別に、邪魔じゃないから」
 ビジライザーをとって、布団の中にもぐりこんでクムシスカのほうを向いてにこりと笑った。
「おやすみ」
「…うん」
 照れてるらしいクムシスカに、は小さく笑ってから、静かに目を閉じた。

2006/12/29 加筆修正 08/12/18