ばしゃばしゃと水をはねる足音がしたような気がした。
外に停まっているトラックに鉄材を運んでいる最中、ふと視線を向けると、無駄に広い駐車場に黄色い傘を持った子供と女性が手を繋ぎながらこちらに歩いてきているのが見えた。トラックの荷台に鉄材を積み上げ、アキラは袖で額をぬぐう。容赦なく降りしきる雨が鬱陶しい。
「アキラなにしてんだー？ 次運べー！」
鉄材を抱えて近寄ってくる同僚の声に、仕方なくアキラは重い足をすすめた。工場の中に入って、今度はパイプを持ち上げる。さっき運んだ鉄材とは比べ物にならないほど軽かった。トラックに向かい、荷台にパイプを積み上げると、同僚がアキラの方をちょんちょんとつついた。
「アキラ、あれ」
同僚が指差す先には、子供が走ってこっちに向かってくる姿があった。水色のスモックに黄色い長靴と傘が、雨のせいで薄暗い風景によく映えていた。
「おとーさーん！」
半ば体当たりのような形で足に抱きつかれる。傘が地面に転がり落ちたのでアキラはそれを拾い上げた。傘を閉じてやる。アキラは無言で娘の頭を撫でて、へにゃりと情けなく顔を緩める同僚を見てから、ゆっくりとした足取りで近づいてくる女性に目を向けた。
黒を基調とした小花柄のワンピースの裾をふわりと揺らして、女性は止まった。にこりと微笑みかけてくる。だ。アキラもつられて笑いかける。
「ほら、離れろ」
「んー」
渋々といった感じでアキラの体から子供が離れる。の姿を見て同僚の顔がへにゃりからでれっとした顔に変わったが、アキラは気に留めなかった。のほうに近寄ると「濡れちゃうよ」とがピンクのギンガムチェックの傘の中に入れてくれた。
「雨降ってるから、傘、届けにきたんだけれど」
苦笑して、左手に下げた黒い傘を示す。
「仕事の邪魔してごめんね」
「…いや、大丈夫。だと思う」
工場長の顔を思い出しながらアキラは曖昧にそう言った。どうしてか今日の工場長は機嫌が悪く、ことあるごとに社員に当たり散らしている。こんなのを見られれば怒られるだろうが、気にしないことにした。がアキラの斜め後ろに立ったままの同僚に気づき、軽く頭を下げる。すると同僚も慌てて頭を下げて、そそくさと工場内へ戻っていった。
「じゃあ、俺、仕事に戻るから…傘ありがとな」
言って、アキラがの手から傘を受け取ろうとしたが、一向には傘を差し出さない。
「仕事終わるまで、と一緒に待ってるよ」
にこ、と笑いながらが言う。こう言い出したら聞かないのはアキラ自身よくわかっているので、頭をかきながら風邪引かないようにな、とそれだけ告げて、愛娘に傘を渡してアキラは工場の中に戻った。
工場の中に戻って最初、先輩にいやみったらしく肩を思いっきりばしばしと叩かれた。外の駐車場でと一緒に水溜りを覗き込むの姿を遠目に見てから、アキラの姿を上から下まで見て、ポツリと呟く。
「あーもったいねえなあ」
「はいはいそうですね」
こうなるのは予想できていたので、アキラは適当に受け流して鉄材を持ち上げた。工場の外に出ようとすると、いきなり名前を呼ばれた。
工場長がそこに立っていた。
「奥さん来てたのか？」
「はい」
抱えている鉄材は重く、正直このまま立ち止まっていたくはない。もう行っていいのだろうかと工場長の顔をうかがい、とのほうを見ると、が手を振ってからこっちに走ってきた。むすっとした工場長の顔がでれっと変化する。アキラは小さな溜息をこぼして、トラックのほうへ向かった。鉄材を積み上げると、同僚に「それで最後だぞ」と話しかけられた。工場の中からジリリリリ、と終業のベルが鳴り響くのが聞こえた。
工場の入り口に目をやれば、工場長ととが何かしら談笑していた。工場長がを抱き上げるのを見て、アキラは溜息交じりに手で顔を覆った。同僚とともにそちらへ近づくと、が屈託のない笑顔を浮かべてアキラに手を振った。
「さっきねー、じーじが抱っこしてくれたー！」
言いながらアキラの足に抱きついてくる。じーじ、とは工場長の事だ。いつからそうすりこまれたのかは知らないが、気がつけば子供は工場長の事を無遠慮にじーじと呼ぶようになっていた。呼び出して最初のころはアキラと二人してそれを止めさせようとしたが、無駄な努力だと悟るのにそんなに時間はかからなかった。それにそうすりこませたのは紛れもないこの工場長だろう。
「そういやアキラ、ちゃんもうすぐで誕生日なんだってな！」
背中を思いっきり叩かれる。同僚が傍でへー、とさも意外そうに呟いた。
「誕生日いつなんですか？」
「５月１８日です」
にこりとが笑って答える。
「じゃあもう４歳になるの？」
「はい」
「…早いなあ」
しみじみと同僚が呟くので、アキラは自分の足元にいる娘を見下ろした。確かにほんのちょっと前まで、うぎゃーおぎゃーと泣き喚いていた気がする。いつの日か言葉が話せるようになって、二足歩行できるようになって、あれよあれよと言う間にもう幼稚園児だ。早いものである。
「ちゃん、誕生日に何欲しいの？」
同僚がしゃがんでにこやかに問いかけると、はうーんと考え込んでから、ぱあっと顔を明るくして、きらきらと目を輝かせて。
「おとうとか、いもうとがほしい！！」
そう言った。
思わず咽こむアキラのそば、はぽかんとした顔をしてから、アキラのほうを見て苦笑していた。聞いた同僚も同僚で、ほっぺたを書きながら思案した後、笑っての頭をなでた。
「そっかあ、それじゃあお利口さんにしとかないとね」
「うん！」
わしゃわしゃと頭をなでられてくすぐったそうににこっと笑うを見て、なんだか一気に脱力してしまった。
着替えの最中、アキラが社員全員にからかわれたのは言うまでもない。
しあわせ家族計画。アキラはいいパパになる といいなあ