※アニメ版です。未成年の飲酒は~のヒロインと一緒。
「何をなさっているんですか?」
上から声がかかって、は顔を上げた。を覗き込むようにして黒い人影がいる。その人影の後ろ、二つの太陽が空てっぺん高くに昇っている。今はもう昼らしい。その太陽の逆光が眩しく、は目を細めて軍手をはめた手を頭上にかざした。目を凝らすと、人影の顔がだんだんはっきりしてくる。
「ナジャさん」
まあ、声で大方予想はついていた。ナジャは片手に分厚い本を持って、を興味津々といった感じで見下ろしていた。ナジャの視線は、甲板に座っているの前、広げられた布の上に乱雑に配置されたパーツを見ている。鋼鉄でできた繊細なパーツたちは、日光を反射しぎらぎらと黒光りしている。
「――それは、リアの銃ですか?」
「はい。先日溝に落としたらしく、掃除をして欲しいと頼まれたので」
そう言って、は作業に没頭する。柔らかそうな布で、パーツの一つ一つを拭いている。
「隣、いいですか?」
「いいですけど…見ててもつまらないですよ?」
「いえ、凄く興味深いです」
パーツを乗せた布をはさんで向こう側、の正面にナジャが腰を下ろし、胡坐をかいてその膝の上に分厚い本を置いた。はナジャにべつだん興味なさそうに視線を下に向け、銃に没頭する。
――どのくらいたっただろうか。は無言で銃を組み立て終わり一息ついて、真上の空の太陽を見上げれば、二つの太陽は先ほどより斜めの位置にあった。視線をナジャに向ければ、ナジャはメガネを右手の指でなおしながら、感心したように頷いている。
「――素晴らしいです。作業にまるで無駄がなく瞬きする暇がありませんでした」
「ええと、どうもです」
はここまで大げさにほめられた事は一度もない。それに褒められることに耐性がついてない。は照れ隠しなのか苦笑しながら、汚れた軍手をはめた手でほっぺたをかいた。
「これが見世物だったら、私は喜んでお金を払っていたでしょうね」
「…そこまでほめられると、胡散臭いですよ」
はは、とが笑って工具を片付けている過程を、ナジャは未だにじーっと見ている。恥ずかしいのであまり見ないで欲しいです、と言おうかと顔を上げたが、ナジャの背後で揺れているふわふわしたものに視線を奪われは息を呑んだ。ぱたぱたと揺れるふわふわを見て、はあうあうと言葉にならない声をあげながら手をがたがたと震わせはじめる。それを不審に思ったのかナジャが不思議そうに首をかしげると、が「あのあのっ!」と大きな声で言った。ナジャがびくっと身体を震わせて、に気圧されて少しのけぞった。
「ど、どうしましたか」
あの落ち着いたが、いまや目を爛々と輝かせている。ナジャはの状態が普通ではないと本能で悟ったのか、相変わらずびくびくしながらに尋ねると。
「ナジャさんはさっき、“これが見世物だったら、私は喜んでお金を払っていた”と言いましたですね?」
は余程興奮しているのか、語尾が少しおかしくなっている。
「え、ええ。言いました」
「ならば、お金はいりませんので、後生ですからどうかっ」
がごくんと生唾を飲んで。
「ししししっぽ、さささわらせてくださいっ」
――しばしの間のあと。
「…はぁ?」
ナジャは素っ頓狂な声を上げながら、無意識にがくっと右肩を斜めに下げた。それから「ええと」と戸惑ったように呟いて姿勢を正した後、あらためてを見る。は薄く頬を染めて、黒目がちの大きな目をやや伏せて、「あう」と呟いたかと思うと。
「うう、すみません…」
あっさりと引き下がった。
「ああ、いえ…」
ナジャが言うと、が照れくさそうに苦笑して見せた。それから軍手をはめたままの手で頬をかく。軍手にあらかじめついていた黒いオイルがの頬に薄く伸びたが、は気づいていない。
「ええと、その。どうして、尻尾なんか」
ナジャが尋ねると、は相変わらず照れくさそうに笑ったまま。
「んと、ちょっとした、願望だったんです。獣人さんのむくむくーっとした肌とか尻尾に顔をうずめて、もふもふするのが…」
「…はあ」
はて、とナジャは考え込む。
「あなたの町の警備隊にも、あなたが言う“むくむくーっ”とした獣人はたくさんいるでしょう? 触らせてもらえないんですか?」
そうなのだ。が住んでいる町の、彼女が所属している組織には、これでもかというほど獣人がいる。だから頼めば耳くらい触らせてもらえそうなものだが、とナジャは考える。
「そうなんですけど、触ると皆に“くすぐったい”って、嫌がられるんです」
あは、と笑っては申し訳なさそうに俯いた。
「すみません。差し出がましい事を言ってしまって」
しょんぼり、といったオーラを出してぺこっと頭を下げるので、ナジャは「いえいえ!」と慌てて言いながら首を振った。それからうーんと考え込んで。
「…ええと、尻尾のこと、ですが、…別に触っても構いませんよ」
「はひっ?」
「だから、構いません、と」
きょとんとした顔でが首を傾げるので、ナジャが再度同じ事を言うと、の目がきらきらと輝きだした。凄く嬉しそうににこっと笑う。は日ごろの言葉遣いで落ち着いた雰囲気をかもし出しているが、この笑顔だけは歳相応だ。
「あっありがとうございますっ。このご恩は忘れません」
「そんなに言わなくても。どうせ尻尾なんか減るもんじゃないですし」
「でも、純粋に感謝しているんです!」
両手をぐっと握ってナジャに力説し、はわーいと子供みたいな声をあげてはめていた軍手をはずし、ナジャの後ろ側に回った。
「えと、それでは」
おずおずとナジャの尻尾に手を伸ばして、両手でそっと包み込む。冷たい温度が尻尾に伝わり、ナジャはびくっと身体を震わせた。するとが「わっ」と大きな声を出して、尻尾から手を離した。驚かせてしまったことに慌ててナジャが謝ろうと振り返ると、は口を引き結んで手を頭上に掲げ、俗に言う万歳のポーズで固まっていた。
「ごごごめんなさい、痛かったですか」
「いえ、その、手が冷たくて驚いてしまって」
「あ、…えと」
それからは腕を下げて、自分の手の温度を確かめるかのように、自分の両手をそれぞれ頬にくっつけた。
「あ、ほんと。冷たいです。…緊張してるせいですかね」
ナジャに苦笑して、は自分の手をあっためようと、左手を右手で揉み始める。
「緊張?」
ナジャが尋ねると、は頷く。
「はい。正直なところ、ナジャさんが尻尾を触らせてくれるとは思いませんでしたから」
言ってあははと申し訳なさそうに笑ったあと、「手、あったまりそうにないので、冷たいままですか?」と聞いてくるので、ナジャは素直に頷いた。
おずおずと、指先が尻尾に触る。恐る恐る握った後、何度か上下に撫でて、爪で軽く引っかくように撫でてくる。その絶妙な指使いにナジャは全身が粟立つのを感じながら「成る程皆が嫌がるわけだ」と内心納得した。確かにの撫で方は“気持ちいい”を通り越してもはや“くすぐったい”レベルなのだ。ナジャが首だけ振り返ってを見れば、彼女はえへへーと幸せそうに笑いながらナジャの尻尾を弄っていた。その様子はなんだか“弄っている”というより、“じゃれている”に近い。わしゃわしゃと尻尾を撫でながら「もふもふだー」と呟いているはいたく幸せそうだ。そんなはやっとナジャの微笑ましそうな視線に気づいたのか、顔を上げてナジャを見て、
「わあっ!」
びくっと震えて顔を真っ赤にして両手を挙げてまた万歳をする。嬉しそうに尻尾を弄っていたのを見られたのが余程恥ずかしかったのだろう。ばつが悪そうに眉尻を下げて俯いてしまうので、ナジャは苦笑して視線を前に向け、膝の上に載せていた本を開いた。
しばらくすると、またが尻尾に触ってくる。ナジャがちらっと横目でを見ると、純真無垢をそのまま表したような笑顔を浮かべたがいて、ナジャは目を閉じて息を吐き、本の表紙を開いた。
が満足するまでは、当分ここで本を読まなければならないだろう。けれどもナジャはべつだん嫌ではなかった。
「…何やってんだよお前ら」
夕方になっても、船室に帰ってこないのを心配したのかアガンが甲板にやってきたが、目の前に広がる状況を目の当たりにしてげんなりとした声で呟いた。問われたナジャは言葉を返しあぐねているのか、アガンに向けて苦笑して、自分の足を見下ろした。
くうすうと静かに息を立てて、がナジャの膝を枕にして寝ている。しかも、わざわざナジャの尻尾を持ってきて、そこに顔をうずめるようにして、だ。
「ええと、説明すると長くなるんですが…」
「ああいい。なんとなくわかる」
手を振りながらきっぱりと言って、アガンは傍にしゃがみこんでの頬を何度かはたいた。手加減をしているのだろうが、ぺちんぺちんとやや痛そうな切れのいい音が響く。はその刺激にむーっと眉を寄せて、ナジャの尻尾を抱きしめて逃げるように寝返りを打った。ナジャの足の付け根あたりに顔をうずめ、尻尾に頬ずりしながら「んー」と小さな声を上げて、また寝息を立て始める。幸せそうだ。
「まあ、そのうち起きるでしょう」
ナジャが苦笑すると、アガンが溜息をつき、の頬をつねった。が顔をしかめる。
「もふもふー…」
がそんな寝言を呟きナジャの尻尾を抱き寄せ、鬱陶しそうにアガンの手を払いのけた。
2008/10/05
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