(編集部リード)
火坂雅志は二代目幹事長として会の隆盛に尽くした。そのあとの三代目を継いだのが岡崎成美であった。他の候補者とのじゃんけんの結果で火坂の幹事長職をついだと聞いた。今回の原稿は二人の付き合いのかくれた逸話である。
 
 
 
あいつの声が聞こえる
               
                                
                                  岡崎 成美
 
いつのことなのか覚えていない。
店の名前も忘れた。
撮った人間もわからない。
しかし、学生時代の三人がコンパ会場でビール瓶をくわえているこの写真の情景は脳裏に焼きついて今も離れない。
馬鹿馬鹿しいと言えばそれまでだ。
しかし、青春の狂気に充ち満ちていて頼もしいではないか。
向かって右がわれらの火坂雅志である。
 
ぼくが在籍した一九七七年頃は四号館ラウンジが早大歴史文学ロマンの会のたまり場だった。陽が落ちる頃になると、うろうろと人が集まってくる。その輪の中には、いつも火坂とぼくがいた。
 二人ともほかの集団に馴染めないはぐれ者だったのだろう。こころのねぐらを探してロマンの会にやってくる。ねぐらには酒がいるから足は飲み屋に向かう。
 よく通ったのが高田馬場駅近くの「水車」というお好み焼き屋である。一六畳はあるかという和室にガスバーナーがついた鉄板焼きのテーブルがいくつもあった。そこでビールや日本酒を浴びるほど飲む。
 その頃は生ビールがなく、缶ビールも金属臭がして飲めなかった時代だ。店もビールは大瓶しか出さなかった。
グループ客も多かった。すると、その席ではたくさん注文するからどうしてもそれぞれの瓶にビールが少しずつ余る。余ってもそのまま会計を済ませて帰ってしまう。当然、居続け組がその残りを頂戴することになる。
馬鹿にすることなかれ、少しずつと言っても集めるとそれなりの量になって酔っ払えたのである。お金のなかったぼくたちの狙い目であった。
 店の者はどうせ早稲田の学生アルバイトだから黙認する。黙認どころか残ったビールを捨てる手間が省けるので歓迎しているフシがあった。ビールの残っている瓶を集めて持ってきてくれた親切な店員もいたくらいだ。
 今、大学の教員になった。造形学部の若者の様子を見ているが、ちがう星からやってきたのかと思えるくらいにやさしい。いわゆる、さとり世代である。批判するつもりはないし、自分も今の時代に青春を送ったら堂々たる草食男子になっていただろう。
 しかし、だからこそ、大志を持った火坂と共に青春を過ごした運命に感謝しないわけにはいかないのだ。
 
それと気になることがある。
最近、火坂の声がどこからともなく聞こえるのである。
「やっちゃいなよ」
とささやく。
還暦を前にしたぼくにもやりたいことがいくつかある。うまくいくかどうかもわからないから戸惑いもある。
そんなときにこのささやきが聞こえてくる。
「岡崎くん、やっちゃいなよ」
 聞こえて来ると瓶ビールをラッパ飲みしていた頃の狂気がよみがえる。ぞくっとする。
 きっと自分は背中を押してもらいたがっているのだ、火坂に。
 あいつは一流のほめ上手、のせ上手だった。
 
ぼくも遠からずあの世に行って火坂と読書会を開くことになるはずだ。読書会がはねたら閻魔大王の前で酒を酌み交わしながら、あの頃のように馬鹿騒ぎをしたいと思う。あいつは学生時代から天才だから閻魔大王も許してくれるように思うのである。
 
(プロフィール)
おかざき・しげみ 一九七七年度幹事長(三代目)。一九八〇年教育学部卒業。同年文化出版局入局。女性誌「ミセス」編集長、書籍事業部長を経て、現在、文化学園大学造形学部非常勤講師兼文化学園ファッションリソースセンター所長。