インコのひと声                                        岡崎成美

(プロフィール) 一九五六年生まれ。八〇年教育学部社会科卒業。歴史文学ロマンの会 第三代幹事長。

 小学生の娘が、突然、インコを買ってきた。  私には前触れがないように思えたのだが、 子どもなりに、一生懸命、本やインターネッ トで知識をひろい集めていたと母親は言う。 まったく気がつかなかったなんて、父親とは 娘に対して盲目も同然じゃないか。  ところが、思いを募らせたそのインコ、娘 がペットショップのパッケージから取り出す と、その手に猛然と噛みついた。  娘は大声で泣いた。下調べをし、愛情あふ れんばかりだっただけに、涙がおさまっても 落ち込みぶりは見た目にもひどかった。噛み つかれたのは、娘が緊張しすぎて思わず力が 入り、インコの体に爪を立てて強くつかんだ のが原因である。  私には特別の思いはないからリビングに逃 げたインコをすっとに抱き上げて、そのまま 鳥かごに入れた。餌をやり、しばらく遊んで やると止まり木のインコは頭の裏をなでてく れと私の方に後頭部をさしだしてくる。  目をはらした娘は、何か話が違うという様 子で、父親を見てひどく不機嫌である。    

 ロマンの会を回想する原稿でインコを云々 するとは、読者のみなさん、私が何を言いた いのか、おわかりになりますか? 

 すなわち、 ものごと準備に余念なく完全であっても、必ず しも、期待通りの結果にはならない、という 話をしたかったのであります。それどころか、 肩の力を抜いた方がスムーズにいくことの方 が多い。  

 思いかえせば、私が幹事長になったのは、 じゃんけんで勝ったからであるが、そのレベ ルのいい加減さで世の中十分なのではないか ということなのです。  

 たとえば公正取引委員会委員長で弁護士だ った根来泰周氏が鳴り物入りでプロ野球のコ ミッショナーを引き受けてなにをしたという のか。長期政権と大いに期待され「十年たっ たらタケシタさん」などという戯れ歌を作っ た竹下登氏は一年少々でリクルート事件に足 をすくわれたではないか。  じゃんけんで幹事長になった私にリーダー シップを期待するロマンの会の会員は皆無だ ったが、その私の任期中に会が全盛期を迎え たのもおもしろい事実でしょう。実際、一年 上級には私がリーダーとしての資質に欠ける ことを四号館ラウンジであからさまに言う人 間もいたわけである。  

 歴史は意外に些細なことで大きく局面が変 わる─ロマンの会の読書会の議論で学んだこ とだが、私たちがじゃんけんという子どもの 遊技によって、実際にその法則を実践してい たとは何とも味わいがあって、興趣がつきな い。

 ピッチャーは七分の力で投げるといいと言 うし、いつも元気な編集者は作家に嫌われる。 ピアノの鍵盤を強く叩いたフラン・リストの 批評を書いた音楽評論家は客席で耳栓をして 聞いたし、組織の規律にうるさ過ぎた新撰組 の土方歳三は時代の風を読めずに函館に散っ た。  ジャンルと時代を問わず、むしろ、頑張り すぎるとろくなことはないのだ。だいたい大 まじめな恋愛が成就したと聞いたことがあり ますか?  たがが人生、じゃんけん程度のことで物事 が決まって行くと思えば悩むことは何もない ─鳥かごを見ながらそんなことをぼんやり考 えていたら、ひと声鳴いてインコが首をかし げた。

追記  こんな話を書いたら谷川俊太郎の詩に坂本 龍一が曲をつけた「たかをくくろうか」とい う歌を思い出した。谷川先生とご子息の賢作 さん(作曲家)がプレゼントしてくれたCDに 入っていたのだが、見事にユックリズムの哲 学を表現していて私の愛唱歌になった。CD では谷川先生自ら歌っているので聞いてみて 下さい(『無限色のクレヨン』JMCK-9001  所収)。

歴史文学ロマンの会・幹事長時代の 岡崎氏(「十年史」より一部抜粋)

温厚で責任感があり、黙々と会の運営に努力した。岡崎氏の幹事長時代に、会誌「浪漫」が創刊され、さらに初の活字版「浪漫」が発刊された他に、会則制定・早稲田祭初参加、作家・永井路子女史宅訪問等の画期的な業績が残されたことから分かるように、会の活動が本格化したのは、岡崎氏が幹事長に就任して後のことである。岡崎氏は「史上最高の名幹事長にちがいあるまい」「中川氏(註・作家・火坂雅志氏)の路線を受け継ぎ、副幹事長に人よろしきを得て、益々会の団結を固めたり」といったOBのコメントで分かるように、サークルの発展に貢献したことは、想像に難くない。岡崎氏は学生時代から歌舞伎を好み、また、歴史文学への情熱も人一倍強く、中川氏とともに読書会・ゼミ活動においても会員をリードする存在であった。