夏目漱石と父母の地・新宿                 
 
                               
 
                                川 野 純 江
 
 作家夏目漱石を語る時、欠かせない作品に『坊っちやん』がある。主人公は江戸っ子坊っちゃんで、坊っちゃんの出生地は書かれていないが、「庭を東へ二十歩に行き尽すと、南上がりにいささかばかりの菜園があって、真中に栗の木が一本立っている」というその生家の庭の様子は、漱石の実家に似ている。漱石の実家は、明治十三年、火事に遭い、焼けた土を三尺取りのけ、そこに新たに邸宅を建てたとのことだ(夏目鏡子『漱石の思ひ出』)。そして庭には大きな棗の木が五六本植えてあった(談話『僕の昔』)。
東京生まれについて、漱石は、「何、僕の故家(いへ)かね、君、軽蔑しては困るよ、僕はこれでも江戸ツ子だよ、しかし大分江戸ツ子でも幅の利かない山の手だ、牛込(現在の新宿区東部)の馬場下で生れたのだ」(談話『僕の昔』)、「私は東京で生れ、東京で育てられた謂わば純粋の江戸ツ子である」(談話『一貫したる不勉強―― 私の経過した学生時代』)など、話している。東京朝日新聞社入社前後の話である。
歴史的に江戸っ子とは、もともと江戸城前面の一角に住む誇り高い町人に由来する。そして、徳川幕府のお膝元江戸は、江戸城を内堀と外堀で囲む総構えの造りのもとに発達した城下町で、主に武士の住む武蔵野台地の山の手と、町人の多く住む日比谷湾などを埋め立てた下町に区分される。
このような江戸出自の作家漱石だが、その特色を一言で言えば、本格的作家ということになる。デビュー作の日常的な『吾輩は猫である』(第一回)だけを見ても、あわせて非日常的な『倫敦塔』を発表しており、お膝元江戸に変って建設された明治国家の文部省第一回給費留学生としてイギリスに留学した英文学者としての存在を抱え込もうとしている。  晩年の『こゝろ』の前作、『行人』では、「世の中で本式の本当を云ひ続けに云ふものは一人もないと諦めていた」という一文が読まれる。漱石は日常的にも「あれは本式の絵だ」などとよく「本式」という言葉を使っていたらしく、「先生の『本式』」と門下生の一人は追想している(岡栄一郎『夏目先生を偲(しの)ぶ』)。
『行人』の舞台は東京市番町の「古い歴史を有(も)つた家」で、当時の麹町区(現在の千代田区西半部)番町とは江戸時代は大番組の旗本の在所で、大番組とは旗本によって編成された江戸城防御の精鋭の兵力部隊であった。軍事都市江戸は、東を海とし、北・南は荒川・多摩川など川や渓谷があったが、西は江戸五街道の一つの甲州街道が伸びており、江戸城西側の警護はとくに重要であったのである。外堀(外郭)西の要衝として、四谷見附、市ヶ谷見附、牛込見附などがあり、内堀(内郭)には、伊賀者の頭・服部半蔵に由来する半蔵門、紀州藩藩主から第八代将軍となった徳川吉宗が徳川御三家に次ぐ三家として創設した、吉宗の子・孫を家祖とする御三卿(田安家・清水家・一橋家)の田安門、清水門があった。ちなみに、漱石の母夏目千枝は四谷大番町(注 大番組に由来)の大きな質屋の出である。娘時代に明石公に御殿奉公していたとも伝えられており、明石藩の江戸屋敷であるとすれば、半蔵門そばの現在の国立劇場の地にそのお屋敷はあった。
さて、漱石は慶応三(一八六七)年、江戸牛込馬場下横町に生まれた。父夏目小兵衛直克は、牛込穴八幡前馬場下横町以下、十一か町及び高田馬場を支配する町方名主で、江戸名主組合二十一組の二十番組の世話役であった。名主とは、江戸町役人の一つで、江戸町奉行支配下の江戸町年寄に所属している。大名主の夏目小兵衛の家は「玄関(げんか)」と称され(『硝子戸の中』)、漱石の父は「お玄関様」として威張っていた(前掲『僕の昔』)。
しかし、漱石誕生翌年の慶應四(一八六八)年、明治維新により明治政府が成立。東京府が設置され、明治二年、名主制は廃止された。新制度のもとで、夏目小兵衛は東京府六大区の第四大区区長(明治九年辞職)などを勤めている。明治十一(一八七八)年、郡区町村編制法が公布されて、二十三区の原形となる十五区が東京に設置された。十五区は、皇居のある麹町区を起点として、時計回りに「の」の字を書くように区の順番が定められ、麹町、神田、日本橋、京橋、芝、麻布、赤坂、四谷、牛込、小石川、本郷、下谷、浅草、本所、深川という順番であった。明治二十二(一八八九)年、市制町村制の施行によって、十五区の範囲に東京市が設置された。以後、昭和七(一九三二)年に三十五区制。昭和十八(一九四三)年、東京都の設置。昭和二十二(一九四七)年に現在の二十三区制になっている。江戸の名主制は、明治時代に区制となって現在に至り、その間、市区改正(都市計画)などが重ねられ、巨大都市江戸は、巨大都市東京へと変貌してきたのである。
漱石は江戸、東京府、東京市に生きた。名主夏目小兵衛の家はその後家運が傾いていったが、作家江戸っ子漱石はどのように生きただろうか。冒頭に話したように、作家漱石に『坊っちやん』は欠かせないのだが、『坊っちやん』は、東京で暮らしている江戸っ子の物語ではなく、田舎へ行って活躍する江戸っ子の物語である。しかし、東京の生家が描かれる『坊っちやん』第一章は、たしかに江戸っ子坊っちゃんの出身地、いうなれば、作家漱石の自己基盤であるといえる。その『坊っちやん』第一章について、前作の、東京を舞台とする『趣味の遺伝』が、牛込生まれの「幅の利かない」江戸っ子漱石の初発の物語であることをここに提起したい。
「趣味の遺伝」という題名は一風変わっている。漱石の解説によると「趣味の遺伝といふ趣味は男女相愛するといふ趣味の意味です」(森田草平宛て書簡)ということである。解るような、解らないような説明であるが、漱石が「文学」について、「一口に申上ましたら人生、趣味の研究とでも申しませう」(講演『趣味に就て』)と話していることを勘案すると納得がいく。「趣味の遺伝」とは、その「趣味」が男女相愛の趣味であるにしろ、文学は人生、趣味の研究であるという趣味にしろ、とにかく漱石の文学の提示ということである。
趣味の「遺伝」ということだが、作中では「父母未生以前の記憶と情緒」という感情によって語られている。「父母未生以前の記憶と情緒」とは何だろうか。若き日、参禅した漱石は、公案(注 禅の課題)として「父母未生以前本来の面目」を授かったらしい。そして後年、英国留学中に書かれた「ノート」で回顧しているのだが、漱石は「物ヲ離レテ心ナク心ヲ離レテ物ナシ他ニ云フベキコトアルヲ見ズ」と答えたらしい。円覚寺の宗演禅師からは「(略)電光底ノ物ヲ拈出シ来(きた)レ」と退けられ、参禅は失敗に終わっている。
 さて、「父母未生以前本来の面目」に苦しめられた漱石が、新たに文学のテーマとして取り上げたのが「父母未生以前の記憶と情緒」であると考えられる。そして参禅の時のように、「物」と「心」に、その問題があると思われる。いま、差し当たり、「父母未生以前」を「物」、「記憶と情緒」を「心」と考え、後者の「記憶と情緒」としての「心」を漱石と見なしてみよう。「己を知るのは生涯の大事である」(『猫』)、「(略)人間の心を捕へ得たる此作物を奨(すす)む」(『心』広告文)など、「心」は漱石の文学のテーマそのものであるから。前者の「父母未生以前」としての「物」は、もちろん、まずは、漱石の父母になる。
漱石の父母だが、晩年の随筆『硝子戸の中』から推し量れば、「強い親しみの心」が「記憶の中(うち)に」「籠(こも)つている」母に大きな比重があり、『趣味の遺伝』も、学者の余が日露戦争で戦死した親友河上浩一の御母(おつか)さんを慰める話である。
『趣味の遺伝』の「父母未生以前の記憶と情緒」による浩さんと小野田令嬢の相思相愛は、紀州藩出身者同士の恋愛として物語られている。なぜ紀州藩なのかだが、江戸、徳川幕府、紀州家について先述した外に、牛込にはさらに清水徳川家下屋敷が、四谷にもさらに田安徳川家下屋敷があり、また四谷に隣接する赤坂には紀州藩江戸屋敷もある。江戸牛込の父・江戸四谷の母になじみ深い、江戸の「父母」としての紀州藩が構想されたのであろう。明治になって江戸城が天皇の宮城となってからは、「父母」の江戸を継承する「天子様」(明治天皇)の東京を漱石は見守ることになる。明治天皇を国家元首とする大日本帝国・明治日本に対して、実際、『趣味の遺伝』の学者余は「帝国臣民たる吾輩」と力説している。
漱石作品における紀州藩は、『趣味の遺伝』の外は『行人』で紀州様と語られているのみである。『趣味の遺伝』は激動の明治をよそ目に開花している東京の「父母未生以前」の恋と友愛の物語であるが、『行人』は江戸城警護最強の地に建つ「父母」の家の没落と「記憶と情緒」の危機の物語である。作家江戸っ子漱石の文学の樹立と崩壊の二作として読まれる。名作『坊っちやん』と『こゝろ』がそれぞれの次作であり、江戸っ子の夢と夢の極点が物語られた。なお、有名な文明批評『現代日本の開化』は紀州和歌山で講演された。
あれこれ書いたが、要は作家漱石の出自が江戸城西側の幕府ゆかりの「父母未生以前」の地、漱石の「父母未生以前の記憶と情緒」にあるということである。その地が江戸の歴史的防衛の地であったことが、倫理的な漱石の文学を特色づけているように思われる。
新宿・早稲田の歴史的人間像の一人として夏目漱石を取り上げ、その基盤を論じてみた。〔注 漱石の父夏目直克(なおかつ)について、通説を覆し直克(なおよし)と読む資料が発見された。二〇一四年二月六日付産経新聞〕
                            二〇一四年二月二十八日
 
主な参考文献
 
『漱石全集』(一九九三年版)岩波書店
『漱石の思ひ出』夏目鏡子述 松岡譲筆録 岩波書店
『夏目漱石研究資料集成 』(第三巻)平岡敏夫編 日本図書センター
『漱石研究年表』荒正人 集英社 
『夏目漱石事典』三好行雄編 学燈社
『「坊っちやん」と「明暗」』川野純江 鶴書院
『新宿の歴史と文化』新宿歴史博物館・新宿未来創造財団
『新宿文化絵図』新宿区地域文化部文化観光国際課    
『新修 新宿区町名誌』新宿歴史博物館
『区制改革』東京都公文書館
東京都公文書館HP
『牛込四ッ谷淀橋周辺江戸切繪圖』新宿歴史博物館(製作 人文社)
『江戸東京学事典』三省堂