ゼミナールは議員ごっこ
 
 
                                 菊池道人
 
 
 
「おまわりさんごっこ」「電車ごっこ」。幼い頃、大人の職業を擬したいわゆる「ごっこ」 遊びをした人は多いと思う。
 働く大人たちの姿を真似ることはそれに近づこうという意志の表れであり、成長への道しるべでもあるはずだ。
 ところで、かつての早稲田では、「議員ごっこ」が正式科目の一つであった。
 模擬国会のことである。
 
 早稲田大学教旨の中に、「学問の活用を本旨と為すを以て学理を学理として研究すると共に之を実際に応用するの道を講し以て時世の進運に資せん事を期す」という文言がある。 
 学問を深く探求するとともに、それを実用的なものとすることも教育目的の一つであるのだが、創設を目前に控えた明治十五年九月に公表された「東京専門学校開設広告」の中に、法律学科の課目として「討議」が設けられた。これが模擬国会の起源である。
 教授による講義を一方的に聞くのではなく、学生同士が議論をする演習的な講座で、これは当時の東京大学にもなかった。
 開校時から独自の教育方針を打ち出そうという強い意欲がここに表れている。
 その後、この「討議」は政治経済学科に移り、「国会演習」と名を変えたが、折りしも自由民権運動の時代、国会開設の世論も高まっていたが、そのあるべき姿を教育の場で模索していくというのは、いかにも民権派の一方の旗頭であった大隈重信ならではの発想というべきか。
 当時の専門学校は学生の年齢層は高く、先生よりも年上の者もいた。
 国会開設に先駆けて、明治二十一年に市制、町村制が公布された関係で、学生の中には村会議員や町長などを経験した者もいる程であった。それゆえ、「国会演習」もかなり実践的な議論が行われていた。
 第一回帝国議会が開かれたのは、明治二十三年十一月のこと。早稲田ではその翌年の四月に「国会演習」から発展した「模擬国会」 の第一回が開催された。
この時の議長は高田早苗。東京専門学校教授であると同時に衆議院議員でもあり、まさに現職政治家による実践的ゼミナールといってよかった。
 さて、第一回の早稲田模擬国会で議されたのは「衆議院議員選挙法改正案」である。
「稿本早稲田大学百年史」によれば、その改正の要点は
 
 第一 選挙区の拡張
 第二 選挙権の拡張
 第三 女子に選挙権を与える事
 第四 宗教家に被選挙権を与える事
 第五 官吏の被選挙権を与える事
 第六 文盲者に選挙権を与えない事
 
 である。第三の女子の選挙権に着目したい。早稲田で女子学生が初めて入学したのは昭和十四年のこと、婦人参政権が与えられたのは第二次世界大戦後のことである。
 まだ男子にしか参政権がなかった時代に男所帯の学校で女性の選挙権が議論されているのである。「進取の精神」の面目躍如というべきか。これらの改正案は、「第一読会」を通過し、「第二読会」へと移されたが、「第二読会」では修正案の審議に手間取り、未了のまま閉会した(前掲・「稿本百年史」より)。
 現代の国会に置き換えるならば、衆議院は通過したが、参議院では審議未了ということなのか?
 なおこの第一回の模擬国会「第一読会」では、「賤業者の公権停止建議案」も審議されている。ここでいう「賤業者」とは公娼などで働く人達のことである。結局、この議案は反対者多数で廃案となったのだが、これは前述のように当時の早稲田が男所帯で、公娼を擁護する意見が根強かったからというのではなく、「たとえ公権を停止したとしても、表面上は他の職業に転じ、賤業の方を家族の名義に改めておくならば、依然として賤業者に変わりがなく、実際の効果は全く期し難い」 というものであった。
 家族名義の銀行口座での不正な蓄財の例は昨今もよく耳にするが、法律の抜け道というものにも注意が届くのは、単なる机上の空論に埋もれてはいなかったというべきであろう。
 この模擬国会は他の学校でも行われるようになったが、昭和時代に入ると自然消滅のような形になってしまった。
「エピソード・早稲田大学」(奥島孝康・木村時夫監修)によれば、議会政治の後退とともに衰えたからだということである。