Judah's pain



サテライトの汚れた空気がゆるゆると不快な愛撫のように頬を撫でてゆく。
人肌のような生温いそれに押され、はたりはたりとコートの端が揺らめいていた。
鼻につく潮の香り。すぐそこには今に色を失わんとする暗い海がある。暗い海のその遥か向こうに輝きを放ちながら聳える高層ビル街を眺めてジャックは唇を噛んだ。
オレはいつまでこんなところで燻っているつもりだ。
シティと分断されたサテライトという浮島はシティのためだけに動き続ける歯車の一つにすぎない。
シティの輝かしい繁栄の裏側にはサテライトという仕組みが必要不可欠にもかかわらず、シティにとってサテライトとは薄汚いごみ溜めに過ぎないのだ。
こんなところで、ただの屑山の王にすぎぬオレに何ができる?
サテライトから抜け出してシティでデュエルができたなら、大勢の観客の前で圧倒的勝利を勝ち取れるだけの実力と自信がジャックにはあった。
だが……。
このままではただ檻の外に向かって強さを誇示するだけの猛獣と変わらないこともまた、揺るぎようのない事実であった。
こんなところへ閉じ込められていては、自分の可能性を試すまでもなく朽ち果ててしまう。
もうすぐ太陽は地平線の彼方へと沈み込み、海と空の境界線からは宵闇が空の端を染め上げてゆくだろう。
オレはこのままサテライトと言う闇に飲み込まれてしまうのだろうか?
ジャックは不意にデッキへと手を伸ばしていた。
その一枚を手に取る。
描かれているのは悪魔の姿に似た一体の赤いドラゴン。
ただなにも言わずその姿を見つめるジャックの目には雄々しき姿が何処か物言いたげに見えた。
まるで弱気になっていたジャックを奮い立たせているような、そんな錯覚さえする。
そうだな、お前の言う通りだ。
オレには立ち止まっている暇などない。
ジャックの言葉に呼応するかのように、強い風が吹き抜けジャックのピアスを鳴らしていった。
ばさばさと白いコートが風に踊る。
瓦礫の山の麓で、砂利道を踏みしめる音が聞こえた。
「ジャック」
見下ろすと、青みがかった大きな瞳がこちらを見上げていた。
「遊星」
もう何度呼んだとも知れない幼馴染みの名。
「帰ろう。もうすぐ日が暮れる」
「あぁ、そうだな」
サテライトにいる限り機会はそうそう訪れない。
手の届くところまできた唯一の好機をどうものにするか、一瞬の迷いすら許されないだろうその瞬間。
オレはここにいる遊星を、サテライトで得たすべてをどうするのだろうか。
否。
そんなことは今さら問うまでもない。ジャックの答えはいつだって一つだ。
デッキを大切に仕舞いこんで、ジャックはもう一度だけシティに思いを馳せた。
薄雲が垂れ込めているが、仰ぎ見た空は美しい緋色に染まり、直に宵闇に落ちて行く。
シティから目にする黄昏はきっとこれまで見たどの夕焼けよりも美しく煌めいて映ることだろう。
その時は赤いドラゴンと、ただ己のデッキさえあれば他には何にも未練などない。






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チーム太陽のDホイールを直している時に遊星が語った回想からの妄想。
「こんなところにいたら自分の可能性は試せないと、見えない恐怖と戦っていた」
遊星が恐怖を感じていたことにも驚きですが、ジャックが内心焦っていることも遊星はよくわかっていたのだと思うと何だかによによします。
ジャックは決して遊星にそんな弱音を吐くとは思えないので、そう感じ取れるのは遊星さんがジャックを近くでよく見ていたからであって。
遊星でさえこんなセリフを言ったということは、遊星以上にシティへの思いが強いジャックの決意はそれはもう固いだろうし。
きっとジャックはイェーガーに誘われるもっとずっと昔から決めていて。
でも少しだけ遊星達について迷った瞬間があったのではないか、という…やっぱり妄想です(´∀`)
今思ったけど、ジャックは「裏切られるくらいなら自分から裏切る」タイプで、遊星さんは「裏切るくらいなら自分が裏切られた方が良い」って思ってそう。
仲間を裏切るというのは一般的には良くないことで、遊星からDホイールとカードを奪ったジャックはラリー達に恨まれていたのだけれど。
ジャックがジャックの信念をまっすぐ貫き通した結果、全てを犠牲にしても自分自身の可能性を信じたいというジャックの行動力の現れなのかと思ったり。
逆に「裏切られた方が良い」遊星さんは仲間であるジャックの行動を理解して受け止めた上でのことだけど、考えようによっては非常に受身。
裏切られる痛みを享受できる寛容さと優しさがあるけど、自分からアクションを起こさなければ誰も傷つけないという消極的な保身とも取れる。
実際遊星はいくら強い信念があったとしても、ジャックのように全てを切り捨てていけない人物だと思います。
切り捨てざるを得なかったジャックと、切り捨てること無くその先の全てを手に入れる遊星。
後者の方が明らかに難しいことですがそれをやってのけてしまうのが、ジャックとは違う遊星の強い行動力なのかと思ってみたりしました。
でもきっとジャックだって「切り捨てる」という結論に至るまでには悩んだのではないかと。
裏切る方も痛みを感じる、ジャックが裏切ることで誰かを苦痛に晒しているという痛みをジャックは甘んじて受け入れる強さを持っていたのではないかと。
それも、遊星とは違う意味での「意志の強さ」なのだと思います。


ちなみにタイトルの「Judah's pain」とは、直訳「ユダの痛み」
キリストを裏切った方のユダです。