さよならの雨降り



あの冷たい雨の日の出来事を忘れることはできなかった。



控えめなノックの音に扉を開けると、部屋の入口で少年が立ちすくんでいた。
「カイト?」
「あの、こんな時間に……すみません」
どこか控えめなカイトの様子に、クリスはいつもの穏やかな微笑を浮かべると「入っておいで」と優しく招き入れた。
おずおずと部屋の扉を閉め振り向いたカイトはクリスに導かれるまま、いつものようにクリスの空いているベッドへと腰かける。
しかしカイトは何を話すでもなく、ただ伏目がちに手元を見下ろすばかりだ。
「どうしたんだカイト?浮かない顔をして……何か用があったんだろう?」
「クリスは……寂しい時ってありますか?」
寂しい時、と言うのをカイトは酷く躊躇った後に呟いた。
「私も人の子だからね、もちろんあるよ」
「あ、すみません……そんなつもりじゃ……」
「ははっ、冗談だよ。カイト。君がハルトを思っているように、私にも大切な家族がいる」
「クリスの……」
「今は皆離れ離れになってしまっているから、家族を思うと寂しくなることもある。けれど私はまた家族が一緒に暮らせるようになるために、君と同じように家族のために今できることをしている。そう考えたら寂しい想いなんて吹き飛んでしまうんだ」
「家族のために今できることを……」
クリスの言葉を噛み締めるように呟くカイトが、ぎゅっと拳を握りしめる。
「ハルトのために……」
「君がハルトを思うように、私もいつも家族を思っている。私は彼らが辛い思いをしていても今は遠くから願うことしかできないが、君は違うだろう?君はハルトの側にいてやれる。ハルトが寂しくないように一緒にいてやることが出来る」
「……でも、俺は弟が……ハルトが何を思っているか、俺にはわからないんだ。ハルトが倒れても側にいてやることしかできない、俺がハルトの代わりになってやりたいのに、俺には何もできない」
ハルトが過労で倒れたことはクリスの耳にも入っていた。
治療のための専門の部屋で療養している今、カイトがハルトにしてやれることは限られている。
苦しむ弟に何もしてあげられないことが、この小さな兄にはもどかしくてたまらないのだろう。
クリスが父や弟たちを思うこの苦しいほどの気持ちを、横にいる自分よりも遙かに小さな体も押し潰さそうになりながらも必死で抱えているのだ。
「カイト」
小さくとも自分と同じ兄であるカイトに己を重ねたのか、カイト程の弟たちを思い出したのか、気づくとクリスはカイトの細い体を抱き締めていた。
「…、…クリス……?」
「抱き締めてやるといい」
「え」
「側にいて、抱き締めて、手を握るんだ。ここにいる、一緒にいると触れ合った手の暖かさはハルトにもきっと伝わる。言葉がなくても、君がハルトを大切にしていると伝えることが出来るんだ。何故ならば、ハルトは君のすぐ側にいるのだから」
「クリス……」
クリスの大きな体に抱きすくめられたまま、カイトは密着したクリスの鼓動に自分の胸が高鳴るのを感じていた。
クリスは大切な家族のために、自分と同じように寂しさを抱えながらも前へ進もうとしているのだ。
ハルトのために何をしてやれるかと悩んでいるカイトの気持ちをクリスはわかってくれる。
共感してくれる相手の存在に心が溶かされていく中で、一瞬の冷たさが胸を掠めたのにカイトは気付かない。

強くなりたいと、ハルトを守る力を手に入れたいと望んだ俺に、クリスはデュエルを教えてくれた。
クリスの強さに、何より家族を思うクリスの心に、いつしかカイトは惹かれていたのだった。
だからなのだろう。
あの冷たい雨の日が脳裏に焼き付いて離れないのは。

「クリス…ッ…待って下さい!」
傘も差さず、それどころかまるで人が変わってしまったかのように荷物を纏めたクリスの背中に縋りついた。
「どこへ行くんですか!どうして……」
「放せ」
「ッ」
打ち付ける雨の冷たさなど生ぬるく感じる程のクリスの冷たい視線に背筋が凍る。
突き放され地面にへたりこんだまま、小さくなるクリスの背中を消え行くまで眺めるしかできなかった。
何故……俺は、何か貴方の気に障ることをしたのですか。
いつまで経っても弱いままの俺に嫌気が差したのですか。
ハルトしか大切な存在はないと言ったのに、貴方を想ったことへの罰ですか。

血の繋がりのある父親ですら俺達兄弟にとっては希薄な存在でしかなく、俺達はいつも二人っきりだった。
いつしかハルトを守ることが俺の全てになっていて、ハルトさえいれば何もいらないとさえ思っていた。
そんな時、貴方が現れた。
赤の他人のはずなのに、父親以上の温かさで俺とハルトをいつも気にかけてくれて、俺にハルトを守る力も与えてくれた。
そんな貴方を、俺はまるで本当の家族のように、兄のように……もしかするとそれ以上の大切な存在に思っていたのかもしれない。
でももし、それが原因だったなら。
何よりも大切な兄弟の絆、それを守ることさえ今の自分にはままならないのはカイト自身が誰よりもわかっていた。
それなのに一度は捨て去った家族の温かさを、庇護してくれる者の優しさを求め手を伸ばすことが自分には許されないというのなら。
俺はもう二度と、ハルト以外には何も望まない。
命よりも大切な弟と、この世界の何物も天秤の釣り合うものは存在し得ないし、必要もない。

さよなら、……クリス。

貴方の温かさや厳しさ、その大きな背中に、俺はありもしない父の幻想を重ね見ていたのかもしれません。
けれど、もしその感情が別の名前を持っていたとするならば。
それはきっと、叶うことのない、淡い初恋でした。






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クリスとカイトの回想シーンを脳内補完しながら打ってたら、あれこれもしかしてカイトきゅんVさんのこと好きっていうより理想の父親みたいな感じで見てね?(´・ω・`)と思って無理やり着地させた\(^o^)/